ルネサンス

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ルネサンスとは「文芸復興」の意味である。これは一般的な名詞であり、必ずしもイタリアルネサンスのみを指すわけではない。しばしば「~ルネサンス」と自称される由縁である。

目次

[編集] カロリング朝ルネサンス

[編集] カール大帝とアルクイン

西ローマ滅亡後、ローマ法王庁は蛮族の王カール(シャルルマーニュ)と同盟し、「西ローマ復活」をでっち上げた。元々が蛮族の首領であったカール「大帝」は字を書くことができず、文字を習うためにわざわざイギリスから学者のアルクイン先生を招聘した。なぜなら正統な古典ラテン語は「言葉の乱れ」によって滅茶苦茶になっており、外国で「外国語」としてのみ良く保存されていた。当時のヨーロッパ大陸の民度の低下は推して知るべしである。

[編集] アーヘンの宮廷

上記の事情からアーヘンの宮廷では文芸の復興がみられたというが、単にアヘン中毒で「楽園を見た」つもりになっていた可能性もある。シャルルマーニュの十二勇士がアレなのも、アヘンの吸いすぎでおかしくなっていたせいかもしれない。みんなで「ハッピー」になっていたため、「黄金時代」として記憶されることになる。ともあれこれら一連の騒動が「カロリング朝ルネサンス」と呼ばれる。

[編集] その後の神聖ローマ帝国

このときの新生・西ローマ帝国は三国に分裂、それぞれがフランスドイツイタリアの原型となった。国名は「ローマ」なのに、どうしたわけか「帝冠」を保持したのはドイツであった。そのため「ドイツ人による神聖ローマ帝国」というおかしな事態を招き、ドイツはイタリア(特にローマ)を支配しようとやっきになった(結果はお察しください)。ついにしびれを切らした神聖ローマ皇帝カール五世が自分の手で永遠の都ローマを破壊した。その後、近代になってフランスのナポレオンが台頭(一日三時間しか寝ないガリ勉で博識だった)。「お前ら(ドイツ人)って、別にローマ人と違うんとちゃう?」と教えてもらい、ようやく自分たちの長年の勘違いを自覚する。ついに皇帝は国名を「オーストリア帝国」に改めた(それでも一次大戦まで国家存続したのは偉いものである)。

[編集] 12世紀ルネサンス

[編集] 先進国イスラーム諸国

中世を通じて近代まで、先進国は中東をはじめとするイスラーム諸国であった(ヨーロッパは辺境のド田舎)。近年では過激派扱いされることの多いイスラームだが、その時代には「異邦人や異教徒の庇護制度」が完備していた。文化面でも古代ギリシャの継承者であった(東ローマ、ビザンツ帝国=本家ギリシャでは古典文化は忘れ去られていた)。

[編集] 蛮族フランクによる十字軍侵略戦争

けれどもイスラームの平和は長く続かなかった。北方の蛮族フランク(ヨーロッパ人)が大挙して攻めてきたからである。彼らこそ「異教徒は成敗してくれる」一辺倒の原理主義者たちであり、何を言っても聞く耳を持たない。「聖地エルサレムでキリスト教徒の迫害が起きている」というデマが流れたのが引き金であるが、実際にはむしろ庇護されていた(そのころのイスラームではキリスト教ユダヤ教仏教やヒンズー教などは「啓典の民」として友人扱いであり、ときとして自治までが許されていた)。ちなみにエジプトの英雄サラディンはイスラーム的な友愛の精神でもって、陣中で病に倒れたリチャード獅子心王に見舞いを送った(現代の劣化したイスラーム過激派と異なり、その当時の上質なイスラームは敵に対してさえ騎士道精神を示したのである)。

[編集] ビザンツ帝国

この「キリスト教徒迫害」のデマはビザンツ帝国(東ローマ)が政治的な意図で流布したものらしい(彼らの嘘つきは有名である)。そのためイスラームと友好通商関係にあったヴェネチアなどが激怒(ヴェネチアはエジプトのアレキサンドリアで優遇されていた)。彼らの裏工作によって、第四回十字軍はこのビザンツ帝国(キリスト教国)に差し向けられ、一時は滅亡させて「ラテン帝国」を建国した。これこそ自業自得である。さらに近代直前にイスラームのオスマン・トルコ帝国にとどめを刺されることになる(まさに天誅である)。

[編集] 文化の強奪と輸入

一連の侵略戦争でエルサレムを占領できたことはほとんどなかったが、文化面での略奪の成果は目を見張るものがあった。その時代にはイベリア半島(スペイン)にイスラーム教国が存在しており、そこから学んだ面も大きかった(国境を接していたフランスのシャルトル学派などが有名)。結果、イスラームの学者たちによって保管・研究されていたアリストテレスの哲学などが大量に流入し、神学者トマス・アクィナスによるローマ・カソリック(キリスト教)の正統教義確立につながる。科学的なものの考え方も輸入され、イタリアルネサンスや近代化の基礎が準備された。

[編集] イタリアルネサンス

近代の夜明けとして、歴史上もっとも有名なルネサンスである。

[編集] 各地の動向

[編集] フィレンツェ

トスカーナ地方のフィレンツェはイタリアルネサンスの発祥の地として知られている(通商の富による繁栄とメディチ家の善政など)。美術でも文芸でもルネサンスをリードした。もっとも有名な三人の文人が全員トスカーナの出身であったため、トスカーナ弁の俗ラテン語が書き言葉として普及した(後の公用イタリア語)。その後フィレンツェは政治的衰退とともに、主役の座を降りることになる。けれども流出した芸術家たちは西洋各国にルネサンスを波及させた。

[編集] ローマ

カソリックの総本山があったため、ミケランジェロなどが活躍。「全裸は正義」というルネサンスの主張に異議を唱え、「着衣エロス」の理念を提示した。これは後の世の「バロック」の嚆矢となり、ドイツなどに波及して爛れた宮廷文化を助長した。

[編集] ヴェネチア

絵画の流派は色彩の豊かさで知られるらしい(この「色」が何を意味するかはお察しください)。

[編集] ナポリとシチリア

往時の繁栄もはかない様。フランス・スペインに蹂躙され、哀れ植民地に。裏で糸を引いたのは法王庁である。

[編集] ドイツ

イタリアから高額な美術品を大量に売りつけられたことに反発。ルターなどがボイコット運動。

[編集] 文芸

[編集] ダンテの『神曲』

詳細は神曲を参照。

古典ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれた宗教叙事詩で、これをもってルネサンスの嚆矢とする。一時期は羽振りが良かったが、政争で故国を追放になった怨恨。その怒りと怨念の感情が『地獄篇』に力を与えている。「気に食わないやつは片端から地獄送り」でdisりまくった。その人選には妥当なものもあれば、不適当なものもある。腐敗した高位高官はまだ良い。「話し合いでエルサレムを返還してもらった」フェデリコ(フリードリヒ)二世は地獄落ちである(ノーベル賞ものの功績だったが、坊主と戦争愛好家によって粉砕された)。また最大の難点は客観的に歴史をみれば、明らかに啓蒙英雄であるマホメット(ムハンマド、イスラームの創始者)が最悪の罰を受けるのは理不尽の極みであり、作品の説得力を著しく損なってしまっている(『神曲』の地獄のアイデアはイスラーム教のパクリとも囁かれる)。さらに『煉獄篇』では「ごく普通の人」が「傲慢」だのと難癖をつけて責めさいなまれており、こんな「こんな神様ならいない方が良い」と感じさせるほどである(ダンテ自身も煉獄行き予定)。「教会制度」への疑問がほの見えたりする(どこまで教会を絶対視するか、苦慮している節があり、その点で近代的。「教会の助けがないと煉獄の期間が長くなる」などと、言い訳がましいかぎり)。さらに「初恋のおにゃのこ」が最上位の天に配置されているあたりも微妙(そのへんの小娘を大聖人と同等に扱うことは無理がある)。まあそのへんはイタリア人クオリティであろう。

[編集] ボッカッチョの『デカメロン』

まぎれもない天才である。傑作世俗短編集であり、悲喜こもごも。滑稽さから高邁さまで、人間の「生」の喜びを余すところなく描き出した。「ペストの大流行から避難した」人々が語り合うという形式は、苦難を経験してなお、生きる喜びを肯定する姿勢を表している(それはイタリアルネサンスの美術全般の根底にあるテーマだ)。それは中世の笑い話の系譜を大成したものでもある。物事の上辺だけしか見ない浅はかな人々は「不真面目だ」と批判するかもしれないが、むしろ彼の方がより一層真剣なのである。ボッカッチヨはダンテの『神曲』の解説を書いたともいうし、晩年にはサヴォナローラの極端な懺悔の思想に共鳴している。彼が人生というものを、いかに真剣に考え、内心で苦悩していたかは明白である。

[編集] その他の文芸

ペトラルカが有名だが、邦訳が少ない(日本では透明人間説、不在説が定説。忘れないでやってください)。アリオストやタッソの叙事詩も忘れられがち。アリオストは『狂ったオルランド』で、前出のアーヘン宮廷(ヒャッハー!)を描いた(火縄銃が登場するなど、時代考証は滅茶苦茶らしい)。タッソは『エルサレム解放』(本人は単に「エルサレム」「征服されたエルサレム」と呼んでいたらしいが、版元の独断でこのタイトルになった)で第一次十字軍を活写した(文庫で邦訳があるが、出版を妨害されたらしい)。美女に誘惑されて脱走者が続出するなど、大変な戦いであった。なおイスラーム側による火刑は、当時の異端審問を茶化していると考えられている(作者は侵略されたイスラーム側に同情的。権力寄りのプロパガンダ小説を装いながら、実は体制を批判している)。思想統制による弾圧の時代に生きた詩人タッソの苦悩が垣間見える(異端審問所に出頭して「逮捕してみろッ!」と挑発、しかし「こ、こいつはノイローゼだ。お前は基地外だ」と相手にされなかった)。

[編集] 美術など

[編集] レオナルド・ダ・ヴィンチ

詳細はレオナルド・ダ・ヴィンチを参照。

画家として有名な万能の天才。説明不要。ホモ疑惑。晩年はフランスに招聘された。

[編集] ミケランジェロ

詳細はミケランジェロを参照。

最初、メディチ家の庇護で修行。プラトンを全訳した(ちょっとした復興運動があった)フィチーノにも影響を受けたようだ。画家として知られるが、本人は彫刻家。天井画は好きで描いたんじゃありません(教皇に強要されました)。本当は墓廟(墓石)が造りたかったんです。やっぱりホモ疑惑。偏屈で、若き日に喧嘩で鼻をつぶされたらしい(才能を嫉妬されたとか)。

[編集] 建築

建築ではアルベルティやブルネレスキが有名。 アルベルティは『絵画論』『建築論』の著作があり、万能の天才として、後輩のレオナルドを嫉妬させたともいわれる。またブルネレスキは当初、金工細工を手掛けていたが、コンテストでギベルティに敗れて建築に転向した(それでもなお大成するあたり、ルネサンスの「万能人」の面目躍如である)。ブルはのちに聖堂のドーム建築の際、ギベルティに嫌がらせをしたとかしなかったとか(わざと建築苦手のギベルティにやらせて、無能・欠陥建築を暴露させた。それでもギベルティは市から手当てを貰ったそうだが。……人違いだったら御免なさい)。

[編集] その他

カスティリオーネの『宮廷人』は洗練された作法指南書だったらしい。またこの時期の著名な画家や彫刻家、建築を含めた伝記はヴァザーリ(ルネサンス末期)の『芸術家列伝』に集成されているという(後者は邦訳がある)。

[編集] 参考:フォンテーヌブロー派

イタリアのルネサンスは外国にも輸出された。その代表格がフランスのフォンテーヌブロー派である(フォンテーヌブローはフランス王の館があった)。イタリア絵画のエロチックを継承・発展させた。『浴槽で乳首を摘まみあう全裸姉妹(フランス王妃と妹)』などが有名である。そのエロス・えろすな画風は後にアンクル(新古典派の画家)の『トルコ風呂』(全裸美女ハーレム万歳)などに継承される。

[編集] イタリアルネサンスの末路

繁栄を誇ったイタリアルネサンスも外国の圧迫などから終息を余儀なくされた(イタリアに富が流れることへの反感が、ドイツの新教運動の遠因だったという)。しかし特に致命的だったのは反宗教改革の反動的弾圧である(これぞ自爆であった)。また売国行為によってスペインに南半分が植民地化されたわけだが、大量殺戮とレイプで人種構成を書きかえる(南米大陸)ような連中に勝てるはずがなかったのである。詩人のタッソは異端審問に怯えて、精神に破綻をきたしたといわれる。余談だが日本は「歴史に学んで」未来を憂慮するべきである。

[編集] バロック様式の台頭

その後もイタリアでは新しいバロック様式が生み出されることになる。それは時代の苦悩を反映しているものだった。

[編集] 関連項目

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