レオナルド・ダ・ヴィンチ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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~ レオナルド・ダ・ヴィンチ について、山田ルイ53世
レオナルド・ディカプリオレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)とは、ルネサンスを代表する画家である。
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[編集] 概要
レオナルドはルネサンスを代表する画家として様々な芸術活動、科学、技術、数学、植物学、解剖学…などを行った。しかし、それ以外にも下着泥棒、万引き、野糞、アーン♥♥…などもはたらいた知ったかぶりで生意気な奴である。また、多くのエロい作品を残したため、「本能の変態」「エロジジイ」という異名を持つ。
[編集] 歴史
レオナルドは1452年、ヘタリアのアンチアナル村で生まれた。幼少期の彼は、不登校であったが自然とともにくらしていた。このころから、オナニーを習得したという。誰の教育も受けずにオナニーを学ぶとは、さすが本能の変態である。
1468年、中二病に感染(原因はヤリすぎ)し、何を考えたか「僕のエロさを活かすときが来た…目覚めよ邪気眼!!!」と叫び発狂して画家を志すようになった。そんな彼は治療のためフィレンツェに移り、エロッキオ(エロのスペシャリスト)に弟子入りし、ボッキチェッリ(早起ち0.1秒・4ヵ月持続の世界記録保持者)らと共に学んだ。
1476年、オスカー・ワイルドとアーン♥♥し、同性愛者として告発された。しかし、オスカー・ワイルドによる「同性愛は悪いことではない、同性愛に誇りを持て」との励ましの言葉を受け、レオナルドが無罪を主張して放免された。
1516年、フランス女王ブランソワ1世(巨乳自慢)に招かれてアンボインズ城に引っ越したが、1519年の静かな夜、ブランソワ1世に裸で抱かれてそのままイッちゃった。
[編集] 芸術
レオナルドは、ルネサンスを代表する画家として知られているが、その絵は芸術的というよりは狂気である。代表作としては、「マメ・チチ」、「最後の晩産」などが挙げられる。また、プライドが高いレオナルドは、常に「私の芸術を理解できる者はエロスだけである。」と唱えていた。
[編集] 作品
以下に、レオナルドが描いた主な芸術作品を挙げる。
- 僕を抱く俺の嫁
- これまた絵の中に自分を登場させてしまった。ちなみに、レオナルドによると「ブランソワ1世は俺の嫁」とのことである。
- 受胎告知
- セックス中、赤ちゃんが生まれる様子を描いたもの。というか3/4がセックスシーンで埋め尽くされている。おそらく、レオナルドはこれだけのためにこの絵を描いたのだろう。
[編集] 研究
レオナルドは、科学・技術などに関する様々な学術的な研究を行った。それらの研究は、全てノートに顔文字で描かれている。以下に、レオナルドの研究ようすをあげる。
- 解剖実験を行う際、何故か自分も衣服を脱ぎ始めた。
- 勃起のしくみについて研究を行った。しかし、レオナルドは「研究結果などどうでもよく、研究すること自体に意義がある」とオリンピック精神を語りだし、性欲を満たすためだけに勃起の研究を続けた。
- 精液の流れを研究し、水理学の父と呼ばれた。レオナルドは、「粘り気があるものほど流れにくいが、気持ちいい」と怪しげなコメントを残している。
- レオナルドはヘリコプターを発明し、見事空を飛ばすことに成功した。その飛行実験のときには、ミニスカの女をガラス製のヘリコプターに乗せ、レオナルド自身は下から眺めていた。「いやーいい眺めですなぁ」とこれまた意味深なコメント。
- ウィキペディアでは、レオナルドのノートの題を「レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿」としているが、これは全くの嘘である。正しくは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ手淫」である。サブタイトルは、「ヤル気マンマン」であり、意味が非常に気になる。
- レオナルドはその他にも、自らの妄想を並べただけのくだらないダヴィンチ・コード、硬くてまずいフライドチキン、飛ぶトイレ、臭くて黄ばんだ下着など数々の役に立たない品々を発明した。
[編集] 関連
以下に、レオナルドと関連する項目を挙げる。