ローマ皇帝一覧
ローマ皇帝一覧では、古代ローマ帝国の歴代皇帝について年代順にかいつまんで説明する。
誰がローマ皇帝であるかについては、「正統なローマ皇帝が認めた人物」「元老院が認めた人物」「実際に帝国全土を支配していた人物」と頭の固い辞書が示しているためそれに従う。テトラルキアについては東方正帝を第x代皇帝として列記することとする。
目次
帝国初期[編集]
初期が一番幸せだった。それはどんな国でも同じ。
ユリウス・クラウディウス朝[編集]
最初の5人。この5人だけで全ローマ皇帝の知名度の半分を占める。
僅か5代で途切れてしまい、これからのローマ皇帝のグダグダさ加減を暗示していた。
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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アウグストゥス | 詐欺師 | 初代皇帝 | 独裁制をやめて共和制に戻すと宣言したら帝政になっていた。何を言っているか分からないと思うが、アウグストゥス以外のみんなも何されたか分かってなかった。
色々やったが、色々やりすぎててかいつまんで書けないぐらい。キケロ(偉大な思想家)やアントニウス(大将軍)という他の偉人を消費して黄金期を発動できる偉大なる詐欺師。 |
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ティベリウス | 引きこもり | 第2代皇帝 | アウグストゥスの親戚であったために、扱き使われ、結婚していた妻と無理矢理別れさせられた挙げ句にアウグストゥスの娘・ユリアと結婚させられることになる。渋々は結婚したが。お嬢様気質のユリアとの反りも合わず、アウグストゥスに使われているだけの人生に嫌気が差し、ロードス島に引きこもってしまった。ロードス島で前妻をネタにして妄想に耽る幸せな日々を送っていたが、アウグストゥスの男性血縁者がことごく死に絶えために、「他に人が居ないから、心底残念だがティベリウスを後継者に指名する」と公言されて、無理矢理第2代皇帝にさせられた。
皇帝になってから当初は人前にも出てきて元老院で真剣に政治を議論していたが、元老院の怠けきった態度に純粋なティベリウスは嫌気が差してしまい、今度はカプリ島に引きこもってしまう。散々出てこいと言われても頑なにカプリ島に引きこもってたが、自分のやってほしいことは手紙で元老院に命令しているあたり、まさに現代の引きこもりの元祖と言える。そんな態度のため死ぬと全国民に大喝采で喜ばれた(一説によればカリグラの差し向けたスパイに暗殺されたとも)。更には死んでライフが0になった後も1000年以上叩かれ続けた皇帝。ちなみにイエス・キリストを処刑したのもこいつ。 |
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カリグラ | ばらまき | 第3代皇帝 | ティベリウスの弟の孫。幼い頃は美少年であり、「カリグラ」は幼少期に履いていた「小さな軍靴」の意味。市民の絶大な人気の中で皇帝となったが、皇帝になったご祝儀で金を配ったら大層喜ばれたことに気をよくして、事あるごとにイベントを行い、金をばらまき、目的のない公共事業を始め、国民に自分を讃えさせ「俺は神だ」と調子をこき、遊び疲れて大熱が出るほど遊び、僅か4年でローマ帝国が消滅しかねないほど金を使いまくった。
で、そのことを指摘されると「やべえ!」と血相を変えて、市民から嫌われるのが余程イヤだったのか金持ちに「おめえ謀反するつもりだろ! この国賊め!」と勝手に言いがかりをつけて処刑しまくって財産を没収し財政を再建しようという、今日日子供でも考え着きそうにない金策に出る。そして、そのために騎士階級や富裕層から恨みを買いまくって近衛兵に滅多斬りにされて暗殺された。馬鹿に権力を持たせるとどうなるかという良い例。 |
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クラウディウス | うっかり帝 | 第4代皇帝 | ティベリウスの弟の子供。シューティングゲームや西洋の剣とは全く関係ない。カリグラを殺した近衛兵が、そのままクラウディウスを皇帝として擁立して認められた。皇族ではあったが殆ど無名だったため、市民からは「誰?」と言う感じで受け入れられた。しかしかなり有能で、カリグラが4年で崩壊させた国家財政を数年で復活させて貯蓄まで作り上げた挙げ句イングランド征服まで始める始末。しかしそのせいで延々と続く泥沼のイングランド戦線ができあがってしまった。
皇帝職があまりにも多忙だったため、妻が持ってきた多数の処刑命令書をよく見ずに、うっかりサインして多数の処刑を生み出した。人が死ぬレベルのドジッ子。数年間やったら流石に気がついて離婚したが、次に結婚した妻(後述のアグリッピナ)が持ってきた毒キノコ汁を良く確認せずに飲んで死んでしまうことになるうっかりした人物であった。 |
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ネロ | アーティスト(笑) | 第5代皇帝 | カリグラの妹の その寂しさを紛らわすために公務を忘れ芸能活動と少子化対策と性的マイノリティへの福祉作業に精を出しすぎて元老院から「国家の敵」宣言を出され、更にはローマ放火の濡れ衣を着せられ、逃げ延びたアントワープの大聖堂で静かに息を引き取った。 |
四皇帝[編集]
「四皇帝」と書くと格好良いが四天王と同じでやられ役。それを証明するように1年足らずで3人の皇帝が死んだ。
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ガルバ | 四皇帝最弱 | 第6代皇帝 | 反ネロで担ぎ上げられた人物。家柄も良く人柄も良く業績も良しと三拍子そろった完璧超人と誰もが思ったが、皇帝になってからやったことすべてが360度全方位で反感を受けるという残念な人。理想と現実はだいぶ違うから夢から覚めなさいということをローマ市民に思い知らせてくれた。
一番最初に出てきただけあって四皇帝最弱。自分を応援してくれてたオトでなく浮気して別の人を次期後継者に選んだことからオトに殺されてしまった。 死後は「皇帝にさえならなければ、最も皇帝にふさわしいと讃えられたであろう人物」という名誉なようで明らかに不名誉な形容をされてしまった。 |
オト | 戦争狂 | 第7代皇帝 | ガルバを殺して皇帝になった。ローマ帝国最強の軍団は、「『最精鋭』ライン川軍団」か「『最強』ドナウ川軍団」かというローマっ子長年の疑問を、実際に両軍を本気で戦争させることにより解決するという男の夢をかなえた人物。コロシアムの剣闘よりも迫力のある戦いでローマっ子を熱狂させたが、結局のところ経験も技術も装備も同じぐらいだったため、指揮官の差でライン川軍団が勝ち、ドナウ川軍団を指揮していたオトは悔しさのあまり自殺してしまった。就任から3ヶ月で死ぬと言う当時の皇帝在位最短記録を達成。 | |
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ウィテッリウス | 豚 | 第8代皇帝 | ライン川軍団を指揮しオトを負かし、オトが自殺したために帝位についた。皇帝になって何をしたかといえば、美味しいものを食べて遊んで負けたドナウ川軍団を馬鹿にするという、誰でも出来るお仕事をしていた。そのせいでもともと美味しそうだった体が更にぶくぶくと美味しそうに肥え太った。
しかし出荷直前に余りにも馬鹿にしすぎたドナウ川軍団が雪辱に燃えてしまい、場所を同じくして行われた再戦で今度は負けてしまった。負けて皇帝を退位すると言い出したが認められず、皇帝が死なないと退位は認められないという伝統を作ってしまうことになる。 そして、1勝1敗で迎えたローマ軍最強決定シリーズ、ライン川軍団vsドナウ川軍団の最終戦をローマ市街で開催し市民を熱狂させた後、ドナウ川軍団に散々馬鹿にした恨みを晴らされ、豚のように追われ豚のように死亡。 |
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ウェスパシアヌス | 公衆便所 | 第9代皇帝 | 四皇帝最後であり最強の男。ウィテッリウスを倒して帝位についた。2人の皇帝による男の夢によって傾いた財政を立て直すべく様々な財政政策を採用し税金を取り立てた人。一番有名なのは公衆便所で集めた小便(アルカリ洗剤の代わりになる)を売って金を得る「小便税」。そんな汚い仕事で集めた金なんてと言う息子に、集めた金貨を嗅いで見せて「でも臭わないぞ」と真顔で答えたユーモアのある人物。そんな話のせいで、西洋の公衆トイレは彼の名前が代名詞になっているという、トイレの皇帝様。
ローマでは元老院に良い皇帝と認められると死後に神にされることになっていたが、くだらない伝統だなと言いながら寿命が近づいてくると「あー俺可哀相だわー、神になっちゃうからマジ可哀相だわー(チラッ」とかぼやいていたり、もうすぐ死ぬという時に「フーハハハ、今まさに俺が神になるところだ、みんなひれ伏せ!」とか言い出したりして結構楽しみにしていたらしい。最後はトイレの皇帝の意地として勃ったまま死んだ。とうに命は枯れ果てて されど倒れぬ〝侠客勃ち(おとこだち)〟。 |
フラウィウス朝[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ウェスパシアヌス | 公衆便所 | 第9代皇帝 | 四皇帝を参照。 …あれ?上と画像が違う…。 公衆便所というのは、こういう意味じゃねえ! |
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ティトゥス | 一日一善 | 第10代皇帝 | ウェスパシアヌスの長男。善意中毒で、一日に何も善行をしないと夜に悔やみまくっていたという(動画参照)。後述のコンモドゥスとは逆に、なぜこんな子があんな親から生まれたのか分からない人。優しく真面目で勤勉ではあったが、なぜか彼が皇帝になったとたんに災害が頻発するという逆神様。たった2年でローマでは3日間続く大火災が起きたうえに、火山の噴火でポンペイが更地になった。災害の対応で余りにもがんばりすぎたために夭逝してしまったが、ローマとしては逆に良かったかもしれない。
ローマ皇帝の息子は愚帝という法則の例外。しかし「2年じゃ何もできなかっただけ」とか「良い皇帝とは早死にした皇帝」ぐらいに言われている。 |
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ドミティアヌス | 鬼畜帝 | 第11代皇帝 | ティトゥスの弟。ゲルマン人の襲来に怯えて数百キロに及ぶ「ゲルマニア防壁」を作り上げるという壮大な臆病さをもった人物。ティトゥスの弟らしく真面目だったが、ティトゥスのような善意がない分だけ潔癖さが更に追加されて几帳面過ぎる人間になった。ルールを杓子定規で厳格に施行しすぎてみんなに嫌われた。その潔癖さのせいで重箱の隅を突っついてでも犯罪を断罪する検事が大活躍して、大量の人間が島流しにさせられていた。風紀委員が嫌われてしまうのは何時の時代も同じ。
それでいて既に結婚してたのに、13歳年下の姪っ子に惚れた挙げ句孕ませたゲス野郎で、それが原因で妻に恨まれて刺し殺されてしまう。 |
五賢帝[編集]
四皇帝とは違い、本当に強い方の皇帝集団。二人ほど本当に凄いのか怪しい人物が居るが気にしてはいけない。
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ネルウァ | 老公 | 第12代皇帝 | ドミティアヌスが殺されたために急遽お鉢が回ってきたご老人。「ネルウァの業績はトラヤヌスを後継者と決めたこと」と言われた人物。何をしたかというとそれをした。 |
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トラヤヌス | 至高帝 | 第13代皇帝 | ネルウァの養子となって、ネルウァの死後に皇帝となった。
「この囚人を監獄に入れたのは誰だ!」「ど…ドミティアヌス帝です」「ドミティアヌスか! ドミティアヌスは死んだ!(牢獄から)出て行け!」とかやってたので「至高の人」と呼ばれた。 |
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ハドリアヌス | アヌス | 第14代皇帝 | トラヤヌスの親戚で養子。オリエントで出会った少年にベタ惚れして、彼が死んだときにはローマ中に彼の石像を建てさせた、つまりその気の人。少年が死んだ後の悲しみで、同性愛を許さず少年達の皮を被った陰茎を割礼をしてしまっていたユダヤ教徒の本拠地であるユダヤ地方を叩きつぶしユダヤ人の入れない土地にしてしまう程。
珍しく公衆浴場に行ったら昔の部下が床で背中の石けんを落とそうと擦っていたのを見て一計を思いつき、彼に背中を洗う召使いでも雇えと金を恵んでみることで、次の日に同じ公衆浴場を訪れた時、そこら中の床で背中を擦っている滑稽な男達が居ると言う世にも愉快な光景を見ることが出来たとのエピソードが残ってる、変なところに知恵が働く人。 |
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アントニヌス・ピウス | 平和仮初めし頃 | 第15代皇帝 | ハドリアヌスの養子。ハドリアヌスはマルクス・アウレリウスが育つまでの中継ぎの皇帝として指名した。「マルクスが即位するまで何をすればいいか分かってるな?」「分かってますよ、何もしなければ良いんでしょ。」と言う会話でもあったかのように何もしなかった。歴代の歴史家が揃って何も書くことがないと言うほど何もしなかったし、何も起きなかった。
何もせずにめでたく長生きまでできた結果、次の皇帝は血を吐くほどに大量の仕事をすることが出来た。 |
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マルクス・アウレリウス | 哲人皇帝 | 第16代皇帝 | ハドリアヌスの親戚でアントニウス・ピウスの嫁の甥かつ婿かつ養子。賢帝最後の人。若いときはギリシアかぶれのミーハーで、寝るときに床に毛布一枚で横になったり、樽の中で暮らしたいとかかぶいてたちょっと痛い人。哲学者になりたいと思っていたが、皇帝だった間の殆どの年は戦争していた。その理由の半分は先帝が何もしなかったために防備が弱くなっていて攻め込まれ、もう半分は学者に戦争なんて無理だったので戦争が長期化したからであった。ある意味二代にわたる好プレーでローマ帝国を見事に衰退させた。
長年戦争で前線にいたおかげで、望み通り豪華な生活とは無縁の惨めな生活をすることが出来たが、そのおかげで前線の寒さに凍えて弱りながら死んでいった。 |
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ルキウス・ウェルス | 明るい馬鹿 | 第16代皇帝
共同皇帝 |
アントニウス・ピウスの養子。五賢帝の一人ではなくマルクスの付き添い。マルクス・アウレリウスが元老院に頼み込んで共同皇帝にした。マルクスが内政担当でルキウスが外征担当。マルクスが地味担当でルキウスが派手担当。マルクスが悲観担当でルキウスが楽観担当。マルクスが勤勉担当でルキウスが怠惰担当。マルクスが賢さ担当でルキウスが馬鹿担当。マルクスが嫌われ担当でルキウスが愛され担当。人の評価はそんなものである。
パルティアに総司令として出向き勝ちを収め、ゲルマンが攻め込んできたときにも迎え撃つため出征したが、その途中に食中毒で死亡。戦争がないときは怠けすぎてたために死んだときには、わざわざ共同皇帝にしたマルクス自身に「邪魔者が死んだおかげでせいせいした」とか言われてしまう、マルクスが自分で共同皇帝にしておきながらその態度である。そしてルキウスが死んだためにマルクスは前線で過ごすことになり悲惨な生活で死ぬことになる。 |
コンモドゥス | 剣帝 | 第17代皇帝 | マルクス・アウレリウスの息子。この人は賢帝ではなく剣帝。拳帝でもある。でも実は弓帝。皇帝なのに何度か闘技場で自ら剣闘士として参加して負けなしの暴れん坊皇帝。暴虐帝とも。千年以上世界中の人々に、「なぜあの親からこんな子が」と言われる世界一有名な愚息。 そのくせ戦争は大嫌いで、親がやり始めた戦争を親が死ぬと直ぐにやめてコロシアムがあるローマに帰ってきた。自分で殺るのは好きでも他人に殺らせるのは嫌いだとも、親が戦争に関しては無能でgdgdにしてしまったのに嫌気がさしたとも。もっともgdgdな戦争に嫌気がさしていたのはゲルマンの側も同じだったため、その後のローマは60年ほど平和だった。 |
五皇帝[編集]
やられ役の方。五皇帝と言いながら二人ぐらい自称が入っているので本当は三皇帝だが歴史的には五皇帝で通ってる。前に四皇帝があって後に六皇帝もあるから語呂がいいよね的なノリであることは公然の秘密である。
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ペルティナクス | ドケチ帝 | 第18代皇帝 | コンモドゥスを殺した近衛兵長や元老院に推挙されて皇帝になった。何か色々やりたいことはあったらしいが、近衛兵達の心を金で買うことをケチって殺された。皇帝就任から死亡まで87日間という皇帝在位最短記録を更新。 |
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ディディウス・ユリアヌス | オークション帝 | 第19代皇帝 | ペルティナクスの死後、競売にかけられたローマ皇帝になれる権利を競り落として皇帝になった、ローマ唯一の金で皇帝になった男。しかし、市民と兵の心は金で買えず各地で反乱が起こってしまいセプティミウス・セウェルスに殺されてしまうことになる。ペルティナクスの記録を即座に塗り替える63日間で皇帝在位最短記録を更新。 |
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ペスケンニウス・ニゲル | 勘違い | 自称皇帝 | ディディウス・ユリアヌスがオークションで皇帝になったのに腹を立てて皇帝を自称しだした。他の4人と比べると当時の知名度は圧倒的に低かったので皇帝になるとか言い出したときに元老院からは「あいつ何勘違いしてんの」とか言われたが、その気もないのに勘違いさせたローマが悪いとめげずに皇帝を目指して頑張った。結局セプティミウス・セウェルスに殺される。 |
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クロディウス・アルビヌス | まぬけ | 自称皇帝 | オークションに腹を立てて皇帝を自称したが、同時に皇帝に名乗りを上げたセプティミウス・セウェルスに「俺がアウグストゥスやるから、お前カエサルやらね」と言われて、ほいほい受諾し裏切られるフラグを立ててしまう。結局、セウェルスを信じて安穏としてたら、ニゲルを殺した途端にセウェルスが掌を返して襲いかかってきて死ぬ。カエサルなんてやったら裏切られるのは当たり前である。 |
セプティミウス・セウェルス | 軍事オタク | 第20代皇帝 | 5皇帝の3人を殺して皇帝になった。軍事オタクで戦争が好き。戦争が大好き。戦争が大好き過ぎて第二次ローマ軍最強決定戦を開催。一斉反乱を良い機会と自分の配下だったドナウ川軍団でユリアヌスの率いる近衛兵団に喧嘩を仕掛けるが逃げられてしまい、とりあえずユリアヌスを殺す。後ろから襲われると面倒なのでアルビヌスと同盟を結んで、シリア軍団を率いるニゲルに襲いかかって撃破。アルビヌスとは同盟していたが最強を決定する欲望に勝てず、難癖を付けて襲いかかりライン川軍団を撃破。ドナウ川軍団が最強であることを再確認したところで満足し、ようやく最強決定戦を終結させた。
戦争が大好きなので、兵士を優遇する法律ばっかり作った。おかげで軍事費が莫大になってローマ財政が傾いたが、死ぬときにいたっても息子のカラカラに「兵士を優遇しろ、他の何にもましてだ」と言い残してる筋金入りの戦争好き。 |
帝国中期[編集]
カラカラ帝が全住民にローマ市民権を与えたお陰で、爆発的に皇帝の仕事が増えて一人では帝国全部を収めきれなくなり共同皇帝が増えるようになる。これから愚にも付かない皇帝が増えるよ、やったね。
セウェルス朝[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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セプティミウス・セウェルス | 軍事オタク | 第20代皇帝 | 五皇帝参照。 | |
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カラカラ | ドS | 第21代皇帝 | セウェルスの息子で本名バッシアヌス。かっけえ名前が欲しかったので「カエサル・マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス・ピウス・アウグストゥス」という盛りまくった名前に改名するが、あまりに長すぎので、現代に至るまでみんな子供の頃の渾名の「カラカラ(フード付きパーカー)」としか呼んでくれない。チェケラウ。慈悲深い平等主義者。ローマ市民は所得税がなく属州国籍の民は所得税に苦しんでいることに心を痛め、全ての国民を平等に苦しめるため属州民を全てローマ市民とするアントニヌス勅令を発令。これによって属州からの税収がなくなり国家財政は危機に陥ったため、ローマは年間税収でやりくりするということをやめ、好きなときに好きなだけ税金をむしり取るようになり、君主と官僚と軍隊以外の全ての人が平等に苦しむ「地上の楽園」を北朝鮮に先んじること1000年以上も前に作り上げた。
賢明な皇帝であったカラカラは自分を批判する歌が流布していたアレクサンドリアの民衆を、むしろ批判があれば面と向かって聞こうと集会に招待した。しかし彼はこのように自分にアドバイスをしてくれる民衆に何かお返しをするべきではないかと頭を悩ませた。そして悩んだ結果、カラカラは殆どの人が多くても生涯に一度しか手に入れられないような物を贈ることを決め、当日集まった市民2万人全てに慈悲深くも死を下賜なされた。 |
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ゲタ | 削除 | 第21位代皇帝
共同皇帝 |
セウェルスの息子。カラカラとは兄弟であったが仲が悪く、父がローマ皇帝になった後は次の皇帝の座を狙って虎視眈々とお互いの命を狙う日々であった。それを眺めていた父のセウェルスは何を勘違いしたのか、兄弟の仲が非常に良いと思い込み「理想的な家庭」と世間に喧伝した。優勢主義の家庭だった可能性もあった。兄弟げんかの決着が付く前にセウェルスが死んだために、共に皇帝となったが、殺し合いは続いていた。最終的にカラカラから仲直りを呼びかけられて、のこのこ出て行ったところで殺された。この人物に関する記録はカラカラ帝によって削除されました。 |
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マクリヌス | 仲間はずれ | 第22代皇帝 | カラカラの近衛兵の隊長だったために近衛兵の支持で皇帝になった。セウェルス朝に仲間はずれが紛れ込んでいます、この皇帝です。セウェルス朝とは関係がないが、次がセウェルス朝の人間であり間に入ってるのでセウェルス朝の中に入れられることが多い。そんな扱いの皇帝だが一応は頑張った、皇位の隙間をそっと埋める、すきま皇帝。中国で言うと王莽。
カラカラが始めた戦争をやめて軍事費を削ろうとしたら兵士の反感を買って殺された。厚遇で軍隊を肥大させると軍国政治は止まらないことを身をもってローマの人々に伝える大役を果たした。しかし誰も学ばなかった。 |
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ヘリオガバルス | 男の娘 | 第23代皇帝 | カラカラの息子という名目で担ぎ上げられた男の娘。ちなみに売女。同性愛者の皇帝は他にも何人か居たが男の娘だったのは唯一人こいつだけ。女の格好をし男性との出会いを求めて酒場に行くのが趣味だった。三度女性と結婚したが世間体を考えた偽装結婚だったため全部直ぐに離婚してしまい、最終的には男と結婚する。
男の娘なので当然受けだったが、当時腐敗しきっていた元老院議員の主流が「ローマ皇帝は攻め派」だったために元老院と決定的に確執が生まれてしまった。神殿を建てるための用地だったパラティーノの丘に新しく神殿を建てて、ご神体に黒くて堅くて長く大きいものを建てるなど当時のローマ人にとって少し未来に生きすぎていたため残念ながら市民に理解されることもなく、ボコボコにされて殺され死体を川に投げ込まれた。2000年ほど早すぎた皇帝。 |
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アレクサンデル・セウェルス | 時代遅れ | 第24代皇帝 | ヘリオガバルスの従兄弟。ヘリオガバルスが殺されたために皇帝になったと言うより、こいつを皇帝にするためにヘリオガバルスが殺された。ヘリオガバルスとは違い至極真っ当な人間で、元老院を尊敬し古典的なローマに馴染み軍隊とは距離を置き軍事費を削減し戦争では先頭に立つという賢明な皇帝。ただ最早それら全てが時代錯誤甚だしかったと言う一点が非常に残念な人間だった。元老院には力がなく軍隊は留まるところを知らず膨大していた中で、まるでオオカミを挑発して藁の家に逃げ込むような高度な自殺行為を見せたと言える古代の名誉ダーウィン賞受賞者。 |
軍人皇帝の時代[編集]
皇帝のバーゲンセールが始まった時期。軍人皇帝というと名前だけは強そうだが、やっぱり弱かった。わずか50年間で共同皇帝も含めて25人の皇帝が出てきては直ぐ死ぬと言う無限ループが巻き起こる。人数多い割に戦争しかしてないので、ごちゃごちゃあった挙げ句ディオクレティアヌスが何とかした程度の認識で特に問題ない期間。
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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マクシミヌス・トラクス | 野生児 | 第25代皇帝 | アレクサンデル・セウェルスを殺して皇帝になった。トラクスは「トラキア出身」と言う意味で、つまるところ「田舎者」と馬鹿にされた名前が正式に残った悲しい人。
セプティミウス・セウェルスが皇帝の時、兵士だったトラクスに「馬についてこれるか?」と馬を全力で延々と走らせたら、本当に最後まで足で走ってついて来た。その挙げ句更にセプティミウスが「ここまで走った後でレスリングやれと言われたら出来るか?」と言ったら「勝てば良いのか?」と答えて7人抜きした体力馬鹿。体力のために頭の栄養を回してしまったために、三年間ゲルマン相手に勝ち続けたが、その戦勝報告書を毎回聞いていた元老院が発狂して敵対宣言してしまう程度の文章を書く文才を誇っていた。文章版ジャイアンの歌。そのことを指摘されたせいで、インテリ層に八つ当たりしていたDQNの教科書のような人物。 元老院が差し向けたゴルディアヌス父子は自力で撃退したが、流石に体力の限界がきて次の相手の所に手こずり、部下から見放されて殺された。 |
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ゴルディアヌス1世 | 最短 | 第26代皇帝 | 名門、富豪、高経歴と言う当時ローマのミスター貴族。貴族の中の貴族。トラクスの品性があまりに下劣だったため反旗を翻したら、元老院からも待ってましたと皇帝に認められた程の人。しかし、トラクスを撃退に向かった息子が撃退されて死んだら絶望して自殺してしまった。皇帝在位期間36日間という前人未踏の最短在位期間を樹立。理想と現実。 |
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ゴルディアヌス2世 | 無謀 | 第26代皇帝
共同皇帝 |
ゴルディアヌス1世の息子。軍人の英雄トラクスを、元老院に選ばれた貴族が軍人達を率いて打倒しに行くという、誰が見ても恐ろしいことを果敢にも試みた勇気のある若者だった。だった。結果としては、やはり軍人に裏切られて体力が北京原人なトラクスにフルボッコにされ殺されてしまった。勇気と向こう見ずは違うということを教えてくれる先人。 |
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プピエヌス | 攻め | 第27代
共同皇帝 |
ゴルディアヌス父子が殺されたことで急遽元老院に擁立された二人の共同皇帝の片割れで軍事担当。のはずだったが、特に何もすることなくトラクスが部下に殺されてしまい、暇になったので共同皇帝のもう一人の皇帝とケンカしていたら近衛兵に二人一緒に仲良く殺された。 |
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バルビヌス | 守り | 第27代
共同皇帝 |
共同皇帝の片割れで内政担当。以下同上。ケンカするほど仲が良い。ゴルディアヌス1世が皇帝になってから、この二人が死ぬまで4ヶ月。 |
ゴルディアヌス3世 | 駄々っ子 | 第28代皇帝 | ゴルディアヌス2世の息子ではないがゴルディアヌス1世の孫。1年で5人も皇帝が死んだために、人々の中に皇帝になると死ぬと言う予感が漂っていたことから誰も皇帝になりたがらず、子どもで一応ゴルディアヌス1世に後継者候補にされていたために厄介ごとを押しつけられた感じで皇帝にさせられてしまった。そんな不遇な扱いや皇帝になってすぐ死んだ1世2世の悲哀も含めて民衆の同情をかい、民衆には絶大な人気を誇った。民衆には。
ペルシアに戦争を挑まれたことから皇帝自ら前線に赴き撃退している最中という最高のタイミングで幼くて仕事の出来ない皇帝の代わりに全てを取り仕切っていた義父が急死したため二進も三進もいかなくなってしまい、集まっていた軍隊に恥をかなぐりすてて「みんな助けて、助けて、助けてくれなきゃやだー」と誠心誠意をみせてダタをこねたところ、子どもの可愛さが分からない軍人に、むしろ反感を買われてしまい殺された。それがまた民衆に哀れみを誘い人気が爆発し神様として崇められた。ローマ皇帝がペルシアに行くと何故か死ぬと言う呪いの第1の犠牲者。 | |
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ピリップス・アラブス | 元老院の犬 | 第29代皇帝 | ゴルディアヌス3世を殺して皇帝になった。側近として前皇帝に従軍していたのでペルシアと戦争中だったが、元老院にゴマをするため領地を放棄してまで講話を結んでローマに帰った。ゴマをすったおかげで元老院からは上々の支持率だったが、もちろん軍団からの支持率は下落一方だった。マクリヌスやアレクサンデルの失敗を学ばない人。
丁度ローマ建国から1000年目に在位していた皇帝。1000年を記念して凄い祭典を執り行ったらしいが、みんな気にせず反乱を起こされていた本当に人望のないお方。 |
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ピリップス2世 | 児童虐待 | 第29代
共同皇帝 |
ピリップス・アラブスの息子。親が皇帝になったために共同皇帝になり、親が負けた為に殺された、親の野望の犠牲になった11歳。ある意味児童虐待。 |
デキウス | 殺す機械 | 第30代皇帝 | ピリップス親子を殺して皇帝になった。即位してから襲ってきたゲルマンを撃退しようと迂闊に出かけたは良いが相手の思うように翻弄されて罠にはまることになる。外敵との戦争で敗死した最初の皇帝。ローマの恥。
非キリスト教徒証明書を発行し、持っていない国民をリズミカルに処刑しキリスト教徒を激減させるシステムを作り上げたが、すぐに死んでしまったため効果は限定的にとどまってしまった。ただキリスト教をやめる信者が続出し、教会内部でも対応で分裂した。キリスト教会にとって恥の一時を作った。キリスト教にとってもローマ人にとっても消したい記憶の人となってしまった。 | |
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エトルスクス・デキウス | 餌 | 第30代皇帝
共同皇帝 |
デキウスの息子。この子が迂闊に森に近づいたところゲルマンに襲われた。事後の息子の死体を見たデキウスが怒り狂って更に罠にかかることになった、敵の撒き餌として活躍した不肖の息子。 |
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ホスティリアヌス | 空気 | 第30代皇帝
共同皇帝 |
デキウスの息子。一人で首都の留守番をしていたが、親と兄が死んだことで急遽単独皇帝になるかと思ったら、前線で勝手にトレボニアヌスと言う将軍が皇帝に推挙された影の薄い皇帝。あわや内乱かと言う事態に病気になり、いつの間にか死んでいたと言う空気の読めた空気。 |
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トレボニアヌス | 土下座帝 | 第31代皇帝 | デキウスが死んだために前線兵士の推薦で皇帝になった。蛮族ゲルマンとの戦争を終えるために捕虜の返還を求めない挙げ句に攻めてこないように懇願し年貢金を支払うことを決めた。帝国が蛮族に懇願して年貢金を支払うと言う笑いどころを、みんな理解出来ず本気でキレてしまい反乱が巻き起こる。ローマ皇帝は学ばない。
反乱を起こしたアエミリアヌスを撃退に向かうところで、恒例のように部下から見放されて殺される。 |
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ウォルシアヌス | 無理心中 | 第31代皇帝
共同皇帝 |
トレボニアヌスの息子で共同皇帝となり、親と一緒に殺された。共同皇帝と言うよりも、一家の無理心中に付き合わされたような子。 |
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アエミリアヌス | 寝取られ帝 | 第32代皇帝 | ゲルマンと近い土地の総督になったが、トレボニアヌスとゲルマンの講和を完全無視してゲルマン相手に暴れ回っていたら、兵士達に皇帝に担ぎ上げられた。事ここに至ると、権威など皇帝というか仲良しグループの親分みたいなレベルまで落ちぶれていた。
トレボニアヌスが死んで皇帝になったが、間を置かずウァレリアヌスが皇帝に名乗りを上げたら、部下のみんながあっさりウァレリアヌスに乗り換えて殺された。甘い誘いについ乗ったら体よく使われたような可哀相な人。 |
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ウァレリアヌス | 踏み台 | 第33代皇帝 | アエミリアヌスが死んで皇帝に認められた。勢い込んで自信満々にペルシアに侵攻したら逆に大敗したどころか皇帝自ら捕虜になってしまった。敵に負けて死んだ皇帝は何人か居るが、帝国分裂前で外敵に負けて捕虜になった唯一人の皇帝と言う名誉に輝く。さらに捕虜になった後はペルシア王の踏み台として大活躍したが、あまりに踏み台として酷使されたために死んでしまった。ペルシアの呪いの第2の犠牲者。 |
ガッリエヌス | 田分け | 第34代皇帝 | ウァレリアヌスの息子。共同皇帝として帝国の西方を守っていたが、親が死んだので単独の皇帝になった。前の皇帝があまりにも恥を晒したため、ガッリエヌスが皇帝の時に帝国の領土からガリア帝国とパルミラ王国が分離独立してしまった。帝国はちょっと大きいなと思ってたガッリエヌスにとってはむしろ好都合だったようで、ちょっと取り戻すフリをした後は絶賛放置して小さくなった領土を身の丈いっぱい守っていた、ローマの皇帝とは思えない慎ましい人。
元老院議員は軍隊の将官になれない法律を制定。これにより貴族のボンボンが、いきなり軍人の上司になり扱き使われることがなくなって軍人は喜び、政治家は戦場に行かなくても良い理由を国が作ってくれて喜んだ。この法律のおかげで、政治家は政治家として専門化し、軍人は軍人として専門化することが出来るようになり、政治の分からぬ軍人、軍事の分からぬ政治家と、制服組と背広組に明確に分かれ余計に仲が悪くなると言う縦割り行政を先んじる素晴らしい法律だった。 | |
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クラウディウス・ゴティクス | 言い訳 | 第35代皇帝 | ガッリエヌスを殺して皇帝になった。
皇帝になって先ずしたことは元老院で「軍隊の武器を買い換える金もないし、農耕地はガリア帝国がもっていって、弓兵はパルミラ王国にとられて、これじゃ帝国とか全く守れないよ。絶対無理。」とテスト前のような言い訳をすることであった。その上で蛮族の襲来をきっちり撃退した心配性。事前にきっちりハードルを下げて置いたおかげで、蛮族を撃退しただけでローマの神様になることができた。ゴディクスはゴート族を征服した男という意味だが、重ねて書くが撃退しただけ。前もって言い訳しておくことがどれだけ大切かが分かる。 みんなが期待し始めた頃に病気にかかって死ぬようなタイミングの良さを重ね持つ。軍人皇帝では珍しく殺されてない。 |
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クィンティッルス | パラレル帝 | 第36代皇帝 | ゴディクスの弟。ゴディクスが夭折したために皇帝になった。ゴディクスの出陣に追従してるときに丁度死んだため、そこの兵士達に認められて元老院が追認したら、ゴディクスの死を知った元老院がゴディクスの弟だから現地の兵士達は皇帝に認めろと通達を出したら兵士達が不満ながら従ったけど、不満が爆発して反乱が起こったと言う、なにがなにやら良く分からない皇帝。
反乱が起こったために、軍を力で統制しようと思ったら配下の兵士達に殺されたが、反乱を起こしたアウレリアヌスにも殺された。なにがなにやら良く分からない。おそらく平行世界の重ね合わせに生きた人と考えられる。 |
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アウレリアヌス | マフィア | 第37代皇帝 | クィンティッルスを殺して皇帝になった。皇帝になったらすぐにゲルマンに攻め込んで暴れ回った後に、講和を願ってきた蛮族の代表者を呼びつけて密室に招いた後、大量の兵隊と豪華な内装や大量の胸像で圧倒し、自分にとって都合の良い要求を飲ませた。その上で、ゲルマンの土地に入り込んでいて不良債権になっていたダキア地方を明け渡すことで相手への譲歩を演じてみせ、感激した蛮族達はアウレリアヌスの言うことを何でも聞くようになった。まさにヤクザの手法である。
ゲルマン問題を片付けた後は、パルミラ王国に乗り込んで一気に滅亡再併合したところ、次はお前だとガリア帝国に一睨みしただけで相手はびびって降伏を申し込んできた。完全にヤクザである。しかし、ペルシアへの行軍中に何気ないことで秘書官を叱りつけたところ、秘書官が「本気で殺される」とあまりにびびりすぎて他の将官を騙して暗殺計画を企ててしまい、アウレリアヌスは暗殺されてしまった。ペルシアの呪いの第3の犠牲者。 |
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タキトゥス | 老公(弱) | 第38代皇帝 | アウレリアヌスが殺された後、誰も皇帝になりたがらずに押し付け合いを数ヶ月続けた後、「老人でもうすぐ死ぬから殺されても思い残すことないだろ、やれよ」と言うことで押しつけられた可哀相な人。実際1年経たず、すぐに自然死した。
皇帝になった時に、全財産を処分して傾いたローマの財政に寄付した至極真っ当な考えをした、ローマ皇帝には相応しくない人。さらに軍隊も自分が率いるのが当たり前だと真面目にもペルシアに行軍しようとした。若い頃に軍務経験はあれど、さすがに75歳では同じようにはいかず、へばってしまい、行軍中に死んだ。年寄りの冷や水。ペルシアの呪いの第4の犠牲者。 |
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フロリアヌス | スケープゴート | 第39代皇帝 | タキトゥスの弟で、タキトゥスが死んだ後に弟だからと言う理由で元老院に皇帝を押しつけられた、もっと可哀相な人。さらには、軍隊がプロブスを皇帝にすると言い出すと、今度は軍隊を恐れた元老院にすぐさま殺された。元老院のわがままに翻弄された悲惨な人。 |
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プロブス | アンパンマン | 第40代皇帝 | フロリアヌスに反乱を起こして皇帝になった。戦争はお腹がすくだけで、みんなひもじいから苛つくのだと気がつき、兵士に田畑を耕すように命令したが、兵士は余計苛立った。農作業はもっとお腹が減ることに気がついていなかったのだ。そんな空気に一切気がつかずにペルシアに攻め込もうと準備をしていたら、苛立った兵士に襲われて殺されてしまった。ペルシアの呪いの第5の犠牲者。
歴史家、エウトロピウスは彼の人柄をこう記している。 「プロブス帝は公明正大でやる気に満ちた熱血漢であり、軍隊内での声望はアウレリアヌス帝に匹敵し、慈悲深さという面では勝っていた。」←どう考えても何かの間違いです。 |
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カルス | 不運 | 第41代皇帝 | プロブスの近衛兵隊長で、プロブスが死んだために軍隊に推挙されて運悪く皇帝になった。プロブスのペルシア遠征の準備を受け継ぎ、ペルシアへと攻め込んで(何故か珍しく)勝ちに勝ちまくっていたが、何故か珍しく砂漠に雷が落ち、何故か珍しく皇帝のテントに直撃して感電死。ペルシアの呪いの第6の犠牲者。もうそろそろ、ローマ皇帝はペルシアに行くと死ぬことを感じ取った方が良いぐらいの運のなかった人。 |
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ヌメリアヌス | 砂地獄 | 第42代皇帝 | カルスの息子。後継者指名されていたためカルスが死んだ後に皇帝になった。父の始めたペルシア戦役に随行していたが、カルスが死んだために撤退を指揮していたら、部下に殺された。そこまで部下につらく当たったわけでもないのに。ペルシアの呪いの第7の犠牲者。例外を許さぬ徹底した皇帝殺しの威力である。 |
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カリヌス | 不人気 | 第43代皇帝 | カルスの息子でヌメリアヌスの弟。共同皇帝として首都の方で留守番をしていたが父と兄が死んだために単独皇帝になった。しかし、ペルシアに行っていた軍隊がディオクレティアヌスを皇帝として擁立したためあわや内乱かと言う事態になったが、カリヌスの人望があまりにもなかったため、部下の総意、全員一致で殺された。
実際に何をしていたかが記録に残らないくらい人望がなかった上に、それなのに最悪の皇帝の一人とまで言われるぐらい人望がなかった。 |
帝国後期[編集]
ローマ帝国終わりの始まり、と言うか、一部の人にとってはもう終わってるらしい。
テトラルキア時代[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ディオクレティアヌス | 有能な怠け者 | 第44代皇帝
初代東方正帝 |
カリヌスが死んで皇帝になった。ローマまで帰るのが面倒なので、今のトルコあたりで皇帝になり、面倒なのでそのまま本拠地にした。蛮族が襲来する西の守りが面倒なので側近のマクシミアヌスを皇帝にして帝国の西半分を守らせた。それでも東半分すら守るのが面倒なので更に半分ずつにして2人皇帝を増やし4人で帝国を守ることにした。その際に襲来の多いゲルマン民族の生息地と接しないように自分の責任領土を区切るぐらい本当に面倒なことが嫌いだった。そのお陰で首都の数も4個に、兵の数も4倍に、官僚の数も4倍になった。それどころか面倒なので何気ないことにも役人を着けて「税金を払う人よりも税金を集める人の方が多い」と言う財政破綻国家の伝統を作り上げた。
ペルシアと戦争するのが面倒だったので、大量の軍隊を準備してるふりだけして脅かしをかけて、書簡による口八丁で何もせずに戦争の終結させて領土も奪い取った。怠け癖が功を奏しペルシアの呪いも回避できた。そういう手を抜いて成果を出させることには抜け目がない。 |
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マクシミアヌス | エテ公 | 初代西方正帝 | 昔から逆らえなかったディオクレティアヌスに首根っこ捕まれて、無理矢理皇帝の仕事を割り振られた。皇帝業は性に合っていたようで、他国やら蛮族を相手に暴れ回り10を越える称号とディオクレティアヌスを越える人気を誇った。しかし戦う以外能のない男だったため、ディオクレティアヌスが引退した後にトップになられると困るので、ディオクレティアヌスに首根っこ捕まれて一緒に引退させられることになった。しかしマクシミアヌスが本当の意味で活躍するのは、その後であった。
息子に唆され皇帝復帰を明言し、第3代西方正帝のセウェルスを殺して第2代東方正帝ガレリウスの軍を倒したところでディオクレティアヌスにこんこんと説教され、しょぼくれながら皇帝復帰を撤回することになった。その後、コンスタンティヌスに娘を婚姻させることで近づき、皇帝の舅として気楽に暮らしていたが、コンスタンティヌスが蛮族制圧に出払ったところでいきなりクーデターを起こし反旗を翻したところで即座に戻ってきたコンスタンティヌスに負けて牢屋に入れられてしまった。舅なので殺すのも忍びないと恩赦されたら、即座にまたクーデターを企てて今度は返り討ちにされて殺されてしまったと言う、猿のように同じことしかできなかった。皇帝時代の輝かしい姿を知っている人が全員一致で「きたねえ晩節だ」と嘆くほど晩節を汚しまくった人。 |
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コンスタンティウス・クロルス | パパンティヌス | 初代西方副帝
第2代西方正帝 |
西方副帝だったがマクシミアヌスが引退したため正帝になった。一応皇帝の片割れだが「コンスタンティヌス大帝の父」としての印象が一般的である。正帝になって1年で死んだので、むしろ、父としての記録ぐらいしかない。コンスタンティヌス1世の父だったためにクラウディウス・ゴティクスの子孫だったことにされ、コンスタンティヌス1世の父だったためにキリスト教徒でもなかったのにキリスト教徒だったことにされた。さらにはイギリス人からはブリテンの娘との間にコンスタンティヌス1世を設けたと言うことにされてしまう。偉大すぎる子どもを持つのも悲惨であることを歴史に示した人。 |
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ガレリウス | 三下 | 第45代皇帝
初代東方副帝 第2代東方正帝 |
ディオクレティアヌスから指名されて東方の副帝となり、怠け者のディオクレティアヌスに命じられるままにゲルマン相手に右へ左へと駆け回り、挙げ句の果てにはペルシアとの戦争まで肩代わりさせられ汚物を消毒して回った苦労人。
ようやくディオクレティアヌスの後を継いで最高権力者になり、思うがままに扱き使おうと考えてたら、他の奴らが勝手に正帝を名乗り出したり、内乱起こしたりと好き勝手に暴れ回られて結局西へ東へ奔走しすることになる気苦労の絶えない星の下に生まれた天性の下っ端。まるで皇帝の風格が感じられない。気苦労のしすぎで不治の病に罹り、ぞっとするような死に方をした。 |
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フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス | 中間管理職 | 第2代西方副帝
第3代西方正帝 |
ディオクレティアヌスの下で働いていたら、西方の副帝と言う微妙な役職につけられた。1年もしないうちに西方正帝だったコンスタンティウスが死んで正帝に昇進できるかと思ったら、コンスタンティウスの息子が正帝になるとか言い出してしっちゃかめっちゃかになった。上司が調停してくれたおかげで正帝になれたが、その直後にかつての上司が皇帝に復帰するとか言い出し、部下が全部引き抜かれて殺される。上の命令は絶対で下の造反に合う中間管理職の悲哀をこの頃から体現して見せた先駆者。 |
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マクセンティウス | いじめられっ子 | 中央帝 | 初代西方正帝マクシミアヌスの息子。勝手にイタリア半島を支配し皇帝を名乗ったが、元老院に皇帝として認められたので一応皇帝、と言うか元老院に出向いてちゃんと認められているので、この時代の誰よりもまっとうな皇帝だった。しかし他の皇帝連中は誰も認めなかった。イジメかっこわるい。
以前の皇帝よりキリスト教徒を大切に扱ったのにキリスト教徒の救世主コンスタンティヌス大帝と敵対したために死後はキリスト教徒達から史上最悪の暴虐帝と罵られ続けると言う、ちょっとぐらい本当に虐殺してても良かったんじゃないかこいつら、と思うほどの仕打ちを受ける。 |
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リキニウス | ダメンズ | 第46代皇帝
第3代東方正帝 第4代西方正帝 |
ガレリウスに指名されて西方正帝になり、ガレリウスが死んだのでそのまま東方正帝になった。東方正帝を名乗りだしたマクシミヌス・ダイアを殺し、西方正帝になったコンスタンティヌスの妹(18)と結婚して地位固めも完璧かと思われたが、西方正帝と東方正帝のどっちが偉いかという子どものような議論でコンスタンティヌスとケンカになり、殺し合って勝った方が偉いという分かりやすい方法で決めることになった。
攻め込んでくるコンスタンティヌスに、年上に敬意を払えと偉そうに迎え撃った結果、圧倒的にボコボコにされた挙げ句コンスタンティヌスの妹である妻が兄に命乞いをすることで助けられるという男一生の恥を晒す。 そこでやめればいいのに、7年後に雪辱戦を挑み、またも圧倒的に叩きのめされた挙げ句今度も妻の命乞いで助けられると言う男一生の恥を二度も繰り返す。妻と一緒に静かな土地で暮らせと見逃されたが、「もう一度だけもう一度だけ」とクーデターを起こそうとして今度は殺された。まさに駄目夫である。 |
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マクシミヌス・ダイア | 凡人 | 第3代東方副帝 | ガレリウスに指名されて東方副帝になった、ガレリウスの最後の忘れ形見。ガレリウスが正帝になってからずっと副帝で支えてきたのに、後からぽっと出てきたリキニウスとかコンスタンティヌスに役職を追い抜かれて辛抱堪らなかった人。追い抜かされている時点で、皇帝の才能のないことに気がついたほうが良かったが、才能のない人は何故か順番を大事にしたがる。才能がないことに気がつかず、今は自分の番だと正帝を名乗りだした所で速攻リキニウスにつぶされ死んでしまった。 |
コンスタンティヌス朝[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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コンスタンティヌス1世 | 神 | 第3代西方副帝
第5代西方正帝 |
コンスタンティウス・クロルスの息子。5人居た皇帝が何だかんだあって気がついたときには独りぼっちの皇帝になってしまった。
首都をコンスタンティノポリスに移したり封建制を確立させたお陰で、古代ローマ大好きな歴史家からは「もう僕の好きなローマじゃないやい」とすねられてしまい大抵の場合嫌われている。中興の祖ならぬ中世の祖ともいうべき人。 |
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コンスタンティウス2世 | 快楽殺人者 | 第48代皇帝 | コンスタンティヌス1世の次男。コンスタンティヌス1世が死ぬときに「兄弟3人と従兄弟の2人、5人力を合わせて帝国を統治しなさい」と言い残したの聞いた後、従兄弟2人を含めた親戚一同を殺し尽くして兄弟3人で帝国を分け合った。その上で兄弟同士殺し合い、最後に残ったコンスタンティヌス2世が最高権力者になった。まるで父親の意志と真逆な結果に見えるが、同僚を全て殺して最高権力者になった上、「自分よりも兵士達に人気があるのが嫌」などという理不尽な理由で自分の長男(つまりこの人のお兄さん)を幽閉して殺したコンスタンティヌス1世の息子なのだから、むしろ正しく遺言を解釈して行動した結果である。まさにこの親にしてこの子ありである。
しかし、親類一同を悉く殺し尽くした結果、後継者が誰も居ないと言うことになってしまい、心底残念だが大きくなってから殺そうと思って生き残らせていた従兄弟のユリアヌスを側近にして、自分の子どもが生まれるまでの繋ぎにしようと思っていたら反乱を起こされ、これ幸いと殺しに出かけた所で病気に罹り死んでしまった。 |
コンスタンティヌス2世 | ジャギ様 | 共同皇帝 | コンスタンティヌス1世の長男。領土を3人で分けたときに自分一人だけ少ないことに気がつかず、後になって気がついて三男に分けてもらいに行ったら追い返され、軍隊を連れてやってきたら弟にすら会えず配下にぼこぼこに叩きのめされて殺された人。弟より優れた兄など存在しないことを西紀が始まった頃に示した偉大な先人。 | |
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コンスタンス1世 | 戦上手 | 共同皇帝 | コンスタンティヌス1世の三男。戦争が凄く上手かった。上手すぎて兄貴を殺すほど。しかし戦争ばっかりしていたらクーデター計画が起こってることも気がつかずにあっさり殺される。戦しか上手じゃなかった男。統率は120でも政治は54ぐらい。 |
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ユリアヌス | 不自由 | 第49代皇帝 | コンスタンティウス2世の従兄弟で義弟。コンスタンティウス2世に反旗を翻したら、勝手に死んでくれたので皇帝になった。
ローマの神を信じてたので、キリスト教への優遇措置を打ち切ったら「背教徒」とか「裏切り者」とか散々な言われようをした。ただの異教徒と言うか、ただのローマ神信者。大帝が決めた信仰の自由とはキリスト教の宗派を選ぶのは自由ということだったことがここで判明。これ以降1000年以上もキリスト教徒にとっての自由とは何かを決定することになる。 |
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ヨウィアヌス | ごっちゃん皇帝 | 第50代皇帝 | ユリアヌスの配下で、ユリアヌスと名前が似てたために、ユリアヌスが生きてると勘違いした兵士から皇帝と呼ばれて、そのまま皇帝になったごっちゃん皇帝。キリスト教徒だったために、ユリアヌスの作った法律を全てなかったことにした。
ペルシャから撤退中に立ち寄った街で、食べ過ぎで死んだともキノコの食中毒で死んだとも火鉢からの一酸化炭素中毒で死んだとも言われる。纏めて考えれば、それは火鉢でキノコ鍋してて食べすぎで死んだものと考えられる、つまりちゃんこ皇帝。そしてペルシアの呪いの第9の犠牲者。やっぱりペルシャは逃さない。 |
ウァレンティニアヌス朝[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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ウァレンティニアヌス1世 | 短気は損気 | 第51代皇帝 | ヨウィアヌスが死んだために後継者がおらず、キリスト教徒なら良いやと言うことで皇帝に選ばれたローマ史上初の蛮族皇帝。学がなかったことに引け目を感じていたため、皇帝になると学歴が高い奴を殺して回った高学歴しっと団。しかし、息子には質の良い家庭教師を付けて学歴を積まそうとした、親の愛情というのはいつの時代も複雑である。
非常に怒りやすく切れやすかった、しまいにはあんまりにも怒り心頭で頭がパーンと血管が爆ぜて死んでしまった。 |
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ウァレンス | 戦下手 | 共同皇帝 | ウァレンティニアヌス1世の弟で東側半分を任された。とにかく戦争が下手で、戦争が下手だったので攻めてきた蛮族に居住地を用意するから住んでくださいと逆に頼み込んだほど。しかし蛮族が家族を連れて大量に移住してきたので居住地が用意できず、蛮族が暴れ出して殺される。移民問題はいつだって来て貰うと問題が起こることを2000年も前に啓示していた。 |
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グラティアヌス | 神々殺し | 第52代皇帝 | ウァレンティニアヌス1世の息子。キリスト教を保護するだけでは今までの皇帝と差が付かないと考え、キリスト教以外を弾圧することに。ローマの数十万と言われた神々は彼によって全て殺された。コンスタンティヌス2世でも殺せなかった勝利の女神すらも殺した。お陰で反乱を鎮圧しようと出かけたら負けて殺された。神を殺しても人一人は殺せなかった。神と言ってもキリスト教にとっては異教の神は悪魔なので、本当は悪魔殺し。あとこの皇帝から異端も殺し始めた。殺して良いのは異端と異教徒だけと言うのは、この人辺から。 そこまでキリスト教に尽くしたのに、ウァレンスが死んだことで後任にテオドシウス1世を指名して東半分を任せたことだけが唯一評価されてる。さしものキリスト教徒も流石にやりすぎという言葉の意味だけは分かったらしい。 |
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ウァレンティニアヌス2世 | 軟弱者 | 共同皇帝 | ウァレンティニアヌス1世の息子。幼かったためイタリア半島だけを任されて、家族が統治している間に経験を積ませる算段だったが、軟弱な叔父と兄だったために直ぐに死んでしまい、反乱軍に追われることになった。軟弱の家系。テオドシウス1世に匿って貰って敵を倒して貰ってイタリアに戻ったけども、部下との人付き合いに疲れ自殺した。軟弱な男であった。 |
テオドシウス朝[編集]
肖像 | 氏名 | 概要 | 代 | 説明 |
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テオドシウス1世 | ハンマー中毒 | 第53代皇帝 | グラティアヌスに指名されて皇帝になり、ウァレンティニアヌス2世が死ぬと出てきた自称皇帝を殺して統一皇帝座についた。特技は石像壊し。「偶像は破壊だ」と現在のイスラム原理主義も真っ青な勢いで、当時ローマにあった数万とも数百万とも言われる各地の石像を壊しては海に投げ込んだ。最後の方は面倒なので鼻と陰部だけ削った。ローマ皇帝の石像が大抵伊達になって飾られているのはこの人のせい。しかしミロのビーナスが腕がないのはこの人のお陰。ミケランジェロが中途半端な作品ばっかり作った原因。
この人がローマ東西合わせて統治した最後の皇帝なので、最後のローマ皇帝とか、ローマを終わらせた皇帝とか、石像も壊しまくったので、ローマ文明を終わらせた男とか、すごい不名誉そうな呼び方をされているが、キリスト教徒はむしろそのことに大喝采で大帝と呼んでいる。 |
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アルカディウス | ― | ― | →東ローマ帝国 |
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ホノリウス | ― | ― | →西ローマ帝国 |
※皇帝の画像はイメージで、実際の皇帝とは異なります。
関連項目[編集]
流行記事大賞 金賞受賞記事
この記事は2012年流行記事大賞にて金賞を受賞しました。 |