ヴィタリー・ペトロフ

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ヨシフ・スターリン同志が
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ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、
全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。
この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。
国家反逆罪とされた者に対しては、KGBよりポロニウムまたはシベリア鉄道の切符が無料で贈呈されます。
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ヴィタリー・アレクサンドロビッチ・ペトロフ(Виталий Александрович Петров, 1984年9月8日 -)は、KGBのスパイである。 世間一般では史上初ロシアF1ドライバーと言うことになっているが、それは世を忍ぶ仮の姿である。


ラーダ乗りのペトロフ[編集]

まぁ、エンブレム変えてれば、東側諸国の車ってバレないでしょう

通常、F1ドライバーなるものは大体がカートから始めるものである。これは我々が少年時代にスーファミマリオカート説明書にも書いてあるくらいで、音速の貴公子だろうが、だろうがみんなそうなのである。しかし、ペトロフの場合はそうではなかった。彼はラーダという東側諸国では超!超!超!超高級車でレースを始めたのである。まぁ、あの日本製ミサイルも最初はカートではなく、チャリから始めたので、そういった意味では前例が無かったわけではないのであるが、やがてロシア国内では最強になっていった。

西側諸国を探る[編集]

まず、2003年にユーロノバ・レーシングからイタリア・フォーミュラ・ルノーに参加した。これは仮の姿であり、本当はイタリア国内を偵察する為であった。その為いままでラーダしか乗ったことがなかった人間が好成績を収めれるはずは無く、シリーズ19位。年末にはイギリスのフォーミュラ・ルノーなんかにスポット参戦してみたが、これももちろん仮の姿であり「ロシアより愛を込めて」で007と死闘を演じた。

ロシアに戻る[編集]

2004年よりまたロシアに戻る。これはフォーミュラ・ルノーなんかでコテンパンにのされたのもあり、さらにはFBIやらCIAやらいろいろつけ狙われるようになったからである。暫くはまたラーダにさえ乗っていれば疑われることは無いだろうと暫くラーダに乗っていた。その間、今度は西側諸国に疑われない様にレースの腕をしこたま磨くようにお国のプーチン大統領に指令が出された。そうやって、2005年はラーダ・レボリューション選手権とフォーミュラ1600・ロシアの両方でチャンピオンを獲得して、西側諸国も「こいつはレーサーとしてウチのチームでも使えるかな??」なんて考えるようになる。

再度、西側諸国へ[編集]

親分のプーチンさんからは「今度こそ疑われるような真似をするなよ。さもないと・・・」といって、消された人の話なんか出されたんで、こりゃまずいと思った。いつまでもラーダ乗りをやっていれば、安全だったかもしれないけど、それは仮の姿なんでどうしょうもなかった。ペトロフにはお国から与えられて「指名」があったのだ。そんなこんだで2006年にユーロノバ・レーシングからユーロ3000選手権に本格的に参加して4回勝ったからほとんどのレース関係者は彼をロシアが放ったスパイだと思わなくなった。いや、むしろ、本人もスパイやっているよりもレーサーのほうが合ってるんじゃないのか?って思い始めたようである。その後、GP2ではメインシリーズもアジアシリーズもどちらにも参戦。そりゃ当然である。アジアは調べておかないとどうしようもない。特に日本人という生き物は北方領土に関してはすごく敏感になる。ペトロフからすれば、ロシア人はみんな「おいらの国の領土を返せなんて・・・このジャップ!!クソ」なんて考えていたりする。だから、参戦を続けながら日本中国韓国北朝鮮将軍さまなんかの動向を調べておかなければならなかった。それから2007年よりF1を目指したけれども、結局ムリだったカンポス・グランプリに移籍。2009年は総合2位だったので、もはや誰も彼をKGBのスパイだとは思って居なかった。

F1へ[編集]

GP2になるとF1直下のカテゴリーであり、ここでの2位というのは相当な評価をなされる。ましてやBRICs諸国の1つロシアの人間で、今やリーマンショックで誰もかれも貧乏人になっている中で、力だけでなくその人間に付いているスポンサーまで魅力的であったのである。当初はそのカンポスがF1参戦するからウチのチームに来ないか?なんて言っていたが、もうすでにスペインの内部事情の全てを本国に報告してしまったいたので、このチームにもう用がなかったのである。

しかし、F1の悪い風習でだいたい新人ドライバーの運命は弱っちぃチームからデビューしなければならなかった。この時のペトロフの選択肢について考えた。

  • カンポス:上記の通り、既にGP2時代に在籍したチームである為、用なし
  • ロータス:マレーシアの内部事情を知ろうとしたが、ここはガードが固く「新人よりもベテランを重視したいのだ」と断られた
  • ヴァージン:チャンスはあったが、ルーカス・ディグラッシにシートをかっさらわれた
  • US F1:ロシア人がアメリカ人の下で働くなんて論外!てか、ココってやばそw

このように考え、新参チームはちょっと難しいだろうと思って、プーチン親分に相談した。プーチン親分は「なら、19億円用意してやるから」って、ペトロフに破格のマネーをぶら下げた。すると、今まで釣れなかったようなチームがぞろぞろと釣れ始める。まぁ、釣り師になったわけである。その中でもなんとなく操れそうな感じがして、チームとしてそこそこ力のありそうなルノーに潜入することに成功! その際に、プーチン親分は「私の国、自らが支援します」と大統領首相自らがそんなこといっちゃうちょっとビックリなニュースになった。スポンサーとしては、その超がつく高級車「ラーダ」である。

まぁ、普通なら怪しむんだろうけど、まさかGP2で2位になった男がレーサーは仮の姿だなんておもっちゃいないんだろう。そんなこんだで、フランスはロシアに操られていくのである。

・・・ちなみにこの一件から半年後、アメリカに潜伏していたKGBのスパイが逮捕されたとかされないとか。US F1行かなくてよかったね。

そんなこんなでF1生活もすっかり板に付いたペトロフであったが、目下のライバルはGP2時代と同じく、ニコ弐号ことウィリアムズの手裏剣ボーイ(ちなみに、ウィリアムズは、これで5年連続のニコ起用を達成した)。ニコは、ロシアと色々な因縁のあったドイツの出身だが、ベルリンの壁崩壊当時は2歳で何にも覚えちゃいないノンポリ坊ちゃんであった。まもなく7歳の誕生日を迎えようとする中でソ連崩壊を迎えてしまったペトロフとしては、これはちょっと見逃せない。そこで、かつてドイツと色々あって今はロシアと色々ある日本の鈴鹿で、スタート直後、日本男児のお株を奪う神風アタックでニコを撃墜。ゲスト席に来ていた神風1号神風2号の心胆を寒からしめる大戦果を挙げた。


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