中堅ユーザー

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中堅ユーザー(ちゅうけん-)とは、特定のコミュニティーにおけるベテランであり、そのコミュニティー自体の荒廃を左右する働き者たちの事である。

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ウィキペディア専門家気取りたちも「中堅ユーザー」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

概要[編集]

世の中にコミュニティと言うのは無限に存在し、それに属さず完璧な一匹狼として暮らすのは不可能である。従って読者諸兄も学校なり会社なり近所づきあいなり趣味なりの中において、必ずしも何らかの「仲間」の中に属しているはずである。まあ、前3つはこんな所をわざわざ読んでいる君たちにはほぼ名目だけだろうが。故に諸君の中には、このように感じたことがある人も多いのではなかろうか。

「なんでこいつら、新規参入したヤツをここまでイビんの? お前らのやってることに社会的利益ってどんだけあると思ってんだ…?」

いかんせん、出る杭と言うものは打たれるものである。「忖度」が流行語になるような我が国においては尚更の事で、新しく杭が打たれたらブッ叩いて均さねば気が済まないのが哀しいかなこの国の伝統である。即ちこの記事で言う「中堅」とは均された後の杭を差していると思えばよい。

初心者というのは単なる丸太にすぎず、そこを中堅たちは新たに使えうる存在かどうかを見極めるべくかわいがりを行う。ある弱い木は一撃でへし折れ、別の弱い木は二発目でひん曲がり、またまた別のユーザーは三発目でそのまま埋まってしまう。なぜなら中堅にとって、彼らの持ちうる価値観こそ絶対であり、客観的に見て大概彼らの言うとおりにしていれば新しい風を吹き込むよりもいい結果が出るからである。

かくして初心者はいつしか中堅の価値観に染まり、別の中堅になる。もっとありていに言えば、人間がゾンビに襲われてゾンビになる[1]ようなものである。いつしかコミュニティは似たような連中の集まりとしてナアナアに始まり、ナアナアに何となく続いていく。中堅とはそのコミュニティーの主力であり、多くは(ごく一部のエリート級のヤツを除けば)長所も無いものの短所も無いような奴らということである。

弊害[編集]

「エリートがおらず中堅のみで構築された組織」に新人が入った場合に起こりうる現象

このような中堅は組織において必要不可欠であり、なければ組織自体が空中分解しかねない。底板の無いで船出するようなものである。それは「勇気」ではなく「無謀」、ひいては「手の込んだ自殺」でしかない。

だが逆を言えば、大した実力も無い中堅「しか」いない組織は、それはそれで問題である。なぜなら、彼らは同じ水準にしか進めないからである。新人研修を受け、波風を立てない技術を手に入れた中堅は、ひいてはその「波風を立てないこと」に夢中になりすぎるあまり、無難な対応しか取れなくなる。そして少しでもKYな発言をした相手には十字砲火、もしくは完全シカトに興じることで議決を行うようになるのだ。そうした組織は往々にして、どのような困難においても同じようにしか行動せず、一向に新しい風を吹き込もうとしないからである。

敢えて言おう、カスであると。

100回同じことをやって成功しても、101回目で最悪の引き金を引くことはおかしくない。マニュアルはあくまで「最良」であり「無敵」「全能」ではない。ドラえもんの四次元ポケットではないのだ。それを常に「前例と同じでいいだろ」と黙殺するのは進歩を投げ捨てているだけであり、長い目で見れば自殺コースを辿っていることになる。マンネリと言うものも突き詰めれば「前例至上主義」「中堅至上主義」になりうるのだ。

さらに問題なのは、そうした中堅至上主義の蔓延により、中堅にならねばコミュニティーの根幹に関われないと思い込むバカなルーキーが出現することである。こうした阿呆は既存の旧態依然とした頭ガチゴチの中堅を憂い(それ自体は問題ないが)、自らもその一体にならんと一本槍持って特攻をかけるわけである。

敢えて言おう、ドカスであると。

こうした「自称中堅」は中堅並みに頭が固いくせに、ルーキーであるが故に実力は全く伴っていない。両方の悪い所に似ちゃってるわけだ。このようなバカは速攻で正真正銘の「公式中堅」により瞬く間に叩き潰され、周囲はそれを見て「ホラ言わんこっちゃない」と思う一方、建前は「さすが中堅さん!! 俺達ルーキーに出来ないことを易々やってのける! そこにシビれるアコガレるぅ!!」とせざるを得ない。

結果として、このような試練を得て出来上がるのは、面従腹背の「心」、足りない「技」、十人十色な風「体」を見繕った紋切型のユーザーばかりとなる。雑魚に歯をむき出しにして全員で襲いかかる姿は、むしろモンキー型とでもいうべきか。


故に、ある程度年月を経たコミュニティーは、ごく一握りの輝く「玉」と、残りほぼ全ての均一な「石」だけで積み重なり、何の変化も自浄作用も起こすことなく、ただただそこに「在る」だけの存在となる。そうしたものほど、小さな衝撃で完全崩落してしまうことは言うまでもない。しかしながら「玉」になることのできない「石」達は、今日もそうした疑惑を脳裏から追い出し、今まで通りゴミを排除して石を詰めていくのである。


敢えて言おう、つける薬は無いと


脚注[編集]

  1. ^ この場合脱走者は「ただの死体」ということになる。

関連項目[編集]