九州

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目次

[編集] 九州

九州はユーラシア大陸の東の洋上にある島で、倭国本州島の西南に隣接している。古くは「筑紫の国」という九州王朝があったが、西暦678年に倭国本州の大和王朝に滅ぼされて以後、長くその支配下にある。

[編集] 地理

面積は39906㎡、同じ島国の台湾は35980㎡で少し狭い。干拓国のオランダは4152㎡で少し広い。人口は九州1323万人、台湾が2284万人、オランダが1632万人。国土最高地点は九州が1791m。台湾が3996m。オランダが323m。平野部率は九州が20.7%。台湾が21.5%。オランダが98.9%(このうち海面以下26.8%)


九州は北部に卑弥呼郡があり、郡の下に「筑紫県」「火県」「豊県」がある。また南部は「熊祖郡」があり、郡の下に「薩摩県」と「どげんか県」がある。この「どげんか県」は現知事のそげんこげん東氏が就任する以前は「宮崎県」といい倭国で知る者はほとんどいなかった。九州のに西は西九州海を隔てて漢人独裁主義帝国の中漢がある。東には倭国の西関州陰陽郡と遍路郡が近接している。北には対馬を経て奇矛血根性国漢人領奇矛血根性省満人撲滅漢人省がある。

漢人独裁主義帝国=中華人民共和国

キムチ根性国=クソ記事

倭国

[編集] 民族と言語

九州は民族的には雑多で多様性に富み、人種のルツボであり国際性が豊かである。倭国本州が色々な面において画一的で閉鎖的、周囲と同じ様な振る舞いをすることに安心し、右にならえでなければ許されない社会風土であるのとは大きく異なっている。さて、多いか少ないか議論が分かれるが、れっきとした九州人と思っている人間が8割で、肌色が透きとおるように白い者から浅黒い者、なかにはインド人ほどに黒い者もいる。これらはすべて紛れもない九州人である。肌色がこれ程多様であるのは、古代から今日まで、絶えず諸外国から人々が移入してきたからである。倭国が鎖国を強制していた時代においても、九州は国を越えた人の往来が盛んであった。表向きは長崎と平戸の二港のみがオランダ、漢人国、奇矛血根性国との交易が許されていたが、薩摩は琉球を支配しその琉球を通じて東南アジアやインド、ヨーロッパ諸国と広く交易をおこない薩摩の極秘の比護のもと、九州人は国外へ、諸外国人は九州へ来た。そして、外国へ渡った九州人は現地で結婚し、妻子を連れて帰国する者が多かった。また、九州へ来た諸外国人も九州人と結婚して住みつく者が多かった。なお、九州には肌色が真赤な者もよく見受けられる。これは焼酎を多量に長年にわたって飲み続けたことによる「焼酎焼け」である。さて残りの2割は、その半分の1割が仕事や学業で九州に一時的にきた倭国人であり、後の1割は近年九州にきた諸外国人である。開放的で隔てることをしない九州は歴史的に常時1割前後の人間が外国人であった。あえて九州人を定義するとすれば、九州語を喋れる人間のことであり、「トットットー」をストレートに肌で理解できれば文句なしに市民権 が得られる。

トットットータモリ


■九州人から本州人はどう見られているかについて■


九州人はこう思っている。本州人はすべて親戚同士では?皆一様な白しゃもじのようにぺらっとした顔をしている。イラン人がどれもこれも区別がつかない親戚一族に見えるように。


■言語:倭国の支配下にある九州は倭語が公用語■

=公用語=新聞やTVで使われる言語=NHK倭語「九州での理解者90.7%、ほぼ問題なく話せるもの40歳以上で3.8%、39歳以下8.2%。


=通用語=世間で、家庭や買い物などで使われる言語=NHK倭語0.8%。倭語東京弁(民間放送倭語に近い9.2%)、九州語89.9%(博多弁25.2%、九州語築肥方言30.9%。九州語日向方言10.4%。九州語薩摩大隅方言12.8%。九州語瀬戸内海沿岸方言13.1%)、朝鮮語3.2%。台湾語2.8%。中国語2.6%。琉球語3.1%。太平洋諸言語2.2%。フィリピン語2.3%。アメリカ語2.9%。日本語関西方面諸方弁1.2%。日本語東北以北方言0.02%。アイヌ語0.00%。ロシア語0.001%※(注)2カ国後以上話せる者もおり合計は100%とならない。

[編集] 九州人と言語と気質

九州島の人間は、島内では自分たちのことを自信を持って自慢げに事あるごとに会話のなかで「九州」を連発している。


「オッドン九州人ナッサイ。おなごんケクサレんごたるトーキョンやっどんてん、へこたれんオーサカンやっどんが、九州ばバサレえばりくさっちしてんドーンなかもんね。ホンシュッンやっどんがドゲンエバリョッタッチャ、シナにチーカカ九州が文明のショテバイ。オッドンが木綿のキモンを着てモミばツクリョッタじぶん、ヒガシンモンなシカンカワんヘコイッチョ着けて、キンシタでメーサマして、野グソして山ばサルキョッタ」(注訳1)


と言う具合に、通常の会話1文節に最低でも3~5コは入る。ところが、九州人同士が会話する傍に白シャモジのような色白のノッペリ顔の人間が近づこうものなら、そういう会話はピタッと止まる。九州人以外には通じない会話であるのだが。九州人は自分たちの「九州語」が日本全国に普及しているとの思い違いからきている。つまり、東京の民放テレビから発する東京弁を九州人は喋れなくても十分に理解できる様に、九州人以外の倭人も九州語を十分に理解できるとの思い違い(いや世間知らず)からである。どうもこれは、森田鉄也が「トットットー」を東京のテレビにより全国に紹介した20年ほど前かららしい。


「九州男児」という言葉がある。これは主として九州人以外の倭人のあいだに形成された画一的概念であり、一本気、実直、勇敢、酒豪、男らしいなどである。これらの言葉は多少とも格好よいので九州の男は「いやあ、そげなこつ、なかですバイ」と照れながらも胸を張る。しかし、もう少し詳しく述べればこうである。一本気(=単細胞)、実直(=単純)、勇敢(=武骨、非洗練、垢抜けしていない、無茶苦茶)、酒豪(節度のない大酒飲み、酔狂)、男らしい(=男尊女卑、空威張り、わがまま、甘えん坊、マザーコンプレックス)である。この解説に九州の男はムッとするが返す言葉が出ない。ほとんど当たっているからだ。


(注訳1)


「俺たち九州人は、腐れた女のような東京の者たちや根性のない大阪の奴らが、九州に対していっぱい威張っても問題にもしないよ。本州人たちがどんなに威張っても、日本列島の文明が最初に起きて発展したのは大陸に近い九州だからね。我らの祖先が布の衣服を着て稲作をしていた時代に、東の人間は鹿皮のパンツ1枚だけで木陰で寝起きして野原でウンコして山で狩りをしていた」というような偏狭な優越感を持っている。

[編集] 歴史

[編集] 九州という名前の由来


諸説ある。(1)「筑紫の国」九州王朝が滅んだ7世紀、倭国の大和政権が九州を「豊前」「豊後」「筑前」「筑後」「肥前」「肥後」「日向」「薩摩」「大隅」の九つの律令制国に分割して、その総称として「九州」と呼んだとする説。(2)古代、漢人帝国ではその東の海上にある「筑紫の島」を不老不死の仙人が住む神秘的で不思議な「蓬莱島」と呼び、交易で訪れていた西洋人がそのことを知り「クエッションの島」「Qの島」からきたとする説。(3)貿易風にのって(台風により押し流されて)九州にきたインド人が、この島には人と同じくらいの数の賢い猿たちがいて、山里で人間と共に働き、その鳴き声が「キュウ、キュウ」「シュウ、シュウ」の大合唱であったことに感動して、これより名づけられたとする説。


[編集] 東アジアの要衝:文明の交差点

古代の大陸人は不老不死の仙人達が住む「蓬莱島」と信じていた。更には男たちは精力絶倫と信じられていた(実は至極淡白で、いや、早漏。そうでなければ倭人の血が濃い)女たちは情にに厚くおおらかで献身的と信じられた(これは当たっている!)また、倭国人は文明の遅れた自分たちより一歩進んだこの島を「筑紫の島」「筑紫の国」と呼んでいた。「筑紫」の音は「つくし」で「物事をつくして神の命を授かる」のことわざからきている。漢人帝国が直ぐ西に位置し、北は「壱岐国」「対馬国」を経て「奇矛血根性国」や「女真(満州)国」「蒙古」に通じていた。また、南へは「琉球」「台湾」を経て「安南」や「シャム」に通じ、四方から人と物が頻繁に行きかった交易と文明の交差点、東アジアの海陸交通の要衝である。色んな民族が絶えず行き交い、時に和合し時に火花が散ったのだ。


[編集] 食の交差点

九州には美味いものがあふれている。ただし、独自の(アジアでは普通かも)の食習慣がつい30年前まであった。そのひとつ、ヘビを食らう。犬も食う。これは食文化というよりもオゾマシイ食習慣である。ヘビを食うのは漢人がもたらし、犬を食うのはキムチ根性チョーセンを真似してのクソ根性を発露したものという。

[編集] 九州王朝の成立と終焉:および不老不死の霊薬

九州王朝が成立したのは大陸の「秦の始皇帝」時代にさかのぼる。紀元前3世紀、秦の始皇帝に、徐福という七十歳になった家臣が「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、三千人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり戻らなかったという史書記述がある。この徐福こそ九州王朝の初代王である。三神山とは九州中央山地の「九重山」「阿蘇山」「祖母山」のことである。平原広沢とは広い平原、広い湿原、広い潟を有する筑紫平野と有明海であることは言うまでもない。明治の詩人北原白秋が生れた卑弥呼郡福岡県柳川郷あたりでは今でもだだっ広いことをヘーゲリビリザーと言う。長生不老(不老不死)の霊薬は、九州北部各地に秘かに自生している「フロフシ草」のことで、葉は煎じて茶として服用すれば健胃薬に、あるいは塗り薬として肌荒れ、赤子の汗疹(あせも)、股間の陰金田虫(インキンタムシ)や水虫に効果てき面である。太い茎は俗に「肥後芋茎=ひごずいき」として知る者ぞ知る性欲交合促進剤であり、かの「パイアグラ」でさえ足元にも及ばぬ強壮剤である。さて、不老不死の薬効であるが、それは花後の実の種にある。その種はクルミほどの大きさで、科学的に実証された若返りや老化防止のビタミンEが、大豆や胡麻の700倍も含有している。ただし三十三年に一回だけ実を付ける。徐福が有明海から筑紫平野へ上陸した年、丁度その花が咲き、秋に実を収穫したという。徐福は大陸へ帰らず、筑紫次郎河の西の脊振山地の麓に古代都市国家を造った。この地が吉野ヶ里で、九州王朝の始まりである。

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[編集] 各県

  • 卑弥呼郡福岡県 : 九州で最も人口が多い県。九州の中心を自負しているが県としての統一性がなく実力もない。それは福岡市(筑前国)と北九州市(豊前国)の二大都市が併存し対立。そして南部は元々(筑後国)であり超保守王国の農村地帯で分県独立を目指している。ここは日本中央政界の「道路族のドン」の地盤、田園地帯に幅10mの舗装道路をクモの巣のようにつくり亡国にしようとしている。また、県の中央は(筑豊)といい、かつての炭鉱産業で繁栄していたのは今は昔、衰退した現在は県の巨大なブラックホールだ。ここにセメント産業のアッソーが巣食い選挙民をマンガ漬けにして暴利を狙っている。ちなみに名産の明太子山口県が発祥の地とも謂われているが、キムチの朝鮮の影響が強い。九州の首都と勝手に決め込んでいる福岡市は北九州市や熊本市からライバル視されるのを嫌い、本当のライバルは東京や大阪と勝手に思い込んでいるが、東京や大阪は全く相手にしていない。北の都の札幌にも歯が立たないのが実情だ。

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  • 佐賀県 : はなわがばいばあちゃんだけの県。はなわ曰く「福岡県の一部」。実情は「はなわ」は中央で少し売れているが間もなく消え失せる運命のため、「ばってん荒川」の二代目を狙っている。「がばいばあちゃん」を中央で知っているのは佐賀県人会とその家族や少数の知人だけというのが本当のところ。


[編集] 関連項目

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