五日市線

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五日市線(いつかいちせん)とは、JR東日本の運営する最も存在意義の感じられない路線のことである。五日市という名前通り、「市場が開かれる日」にしか運行しないという現代ではとても希少な路線なのだ。

概要[編集]

五日市駅に来る列車。非常に貴重な写真といえる。

五日市線は、元々山奥に住む原住民がに降りるために造られた路線だった。五日ごとの市場開放の日に合わせて、毎朝三本、夕方三本の列車を走らせた。 今でこそ五日市線の結んだ山奥にも住宅地や商業地が形成され、立派な鉄道へと成長したものの、未だに五日ごとの運行を行っている。都会派路線も乗り入れに来るが、 五日に一日なのでのこりの四日間は拝島どまりになってしまう。

沿線[編集]

立川からもう一つの山奥路線を通り、拝島を通る。大抵の列車はここまでしか行けず、5日にいっぺんの時のみ直通を始める。 駅の名前は敷設後に勝手に名づけられたが、それにしても熊川秋川である。これでさえこの路線の田舎っぽさを物語っているのである。 ここからこの地域に大切なだけに名づけられた病院前駅、家が一向に増えないのを心配し名づけられた増戸駅、そして五日市に行くための五日市駅と続くのである。[1]昔は岩井という方面にも鉄道は伸びていたが、ただでさえ利用することがないのにあっても困るとされ、すぐに廃止となってしまった。

歴史[編集]

もともとの敷設を行ったのは五日市鉄道という会社である。明治時代の五日市は山里ながら、青年たちが集まって日本のあるべき憲法を独自に構想したり、死刑の是非から女帝問題まで熱く議論するディベートタウンであった。しかしいくら五日市でディベートした所で、日本全体の政治に決定的影響を与えられるものではない。青年たちもやがて、まずは地に足をつけて五日市の繁栄を考えるようになり、「わが町に鉄道を」という信条のもと、五日市まで線路を引いて鉄道を開業させた。

しかしこれだけでは帳簿が真っ赤になってしまうと、今度は南武鉄道というまた古クサそうな会社に引き取ってもらった。その後、国からの魔の手によって勝手に買われてしまった。しかし運行系統や時刻表にテコ入れをしなかった(手抜き)ため、五日にいっぺんという時刻表はそのまま残ってしまったのである。その際、国からの魔の手で五日市鉄道線の拝島ー立川間は「戦争するから鉄出しな」ということで見事に潰され(一部除いて)そして青梅線と一体化して列車を引き込み、青梅線の支線という形で折り合いをつけた。これでますますのこと細々とした経営ばかりとなってしまうのである。

また、五日市鉄道は近代化(笑)の一環として運行距離をキロメートルでなくマイルで示した。ところがこれが見事に引っかかってしまい、国鉄から「こりゃマイル」と懐も心も寒くなるダジャレを頂いてしまったのであった。無駄にはなったが、明治のころの西洋人かぶれの醜さがよくわかってしまう。

利用価値[編集]

それほどない。

関連項目[編集]

東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「五日市線」は、混雑がひどく、両数を増やす案が出ています。両数を増やして下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)
  1. ^ 旧名称で紹介しているのは気にしないで下さい。