人を悪く言って元気になる病

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人を悪く言って元気になる病(ひと-わる-い-げんき-びょう)とは、全人類共通の宿業とも言える病である。あわせて、どのような形で元気になるかを見定めることで、その人のその後を正確に予期できる、恐るべき指標である。

概要[編集]

人間というものは、その動物的感覚の中に、「優位」と呼ばれる幸福感を脳内にダダ漏れさせる感情を持っている。その感情を発言させるカギとなるものは様々で、「人種」や「国籍」はたまた「背の高さ」から「胸の大きさ」にいたるまで、およそ人と比較できるもの全てにそれらの感情のカギとなるものが隠されている。

そんなカギの中の一つに、正義と呼ばれるものがあり、自分を正しいものと感じ、相手を間違っていると感じるだけであっという間に人間のはその人を幸せにする。もっとも、状況によっては別に正しくても生活が苦しく、間違っていても大金持ちといった状況の中でこういった感情は蠢いているため、全人類が共通に罹患しているといっても、さほど生活に影響が出ることはない。

しかし、この病のたまらない点として、どこぞのヘロインよりもよっぽど麻薬的である点が上げられる。つまり、人によっては自分を正しいと思い込みすぎて、自分が思い込んだ以外の状況を受け入れられなくなるという、まさしくジャンキーが何をしてもどうしても麻薬を手放せずに、元の木阿弥になるという無間地獄の様相を呈する。

この項目では、いかにしてこの業病の罹患を回避するか、そして罹患し悪化した状況の中で、いかにしてドツボから這い上がるかをつらつらと書き込む。

病状[編集]

この病気には色々な症状がある。最も分かりやすい症例と言えるのは、いつまでもどこまでも人を悪く言うばかりで、だんだん周囲から人が少なくなっていくという、実によくあるありすぎる症例である。もっとも、別に孤独が好きだの人が多すぎると苦痛といった人にとってはこれ幸いとこの病気を悪化させるような例も見受けられる。いわゆる毒舌芸人と呼ばれる人々は、この病気を最も有効利用している人々である。しかし、彼らは一方的に悪く言って元気になるばかりではなく、しっかりとその話をネタにしている。

しかし、一般の人々に上記の症例が現れれば、だいたいにおいて人間関係がぐらつくに決まっている。そらそうだ、人間、一方的すぎたり、自分の意見に固執してばかりいる人は避けられても仕方がない。しかも、この病気の本当によくない点として、立場が上の人間がかかると、即座に下の人間に伝播することでも知られる。これは、別名、権威主義とも言われる症例であるけれど、基本的に権威と呼ばれるものに直結する地位や名誉といったものは、この病気を周囲に振りまく傾向が見られる。

また、権威に対して逆に突っかかる症例も見られ、こちらは反骨だの青春だのといった実に青臭い名前で呼ばれている。なお、判官びいき著しい日本においては、こちらの症例は大変に理解されやすく、なおかつ支持もえやすい。しかし、一つの病気という視点で見れば同じ穴のムジナであることは間違いない。

結局、この病気は立場の違いが全て、とも言える。

幸せすぎると怖い[編集]

そんな立場の違いが明確になる話がある。

世の中の常として、人は自分が「幸せ」であることは「正義」で「一番」でなおかつ、「素晴らしい」と思いたがる。ここに揚げられた立場の中で、自分が幸せという話と自分が正しいという話は直結しない。その他の「一番」や「素晴らしい」という要素については、判断基準が個人のため、まったく問題はないけれど、正義に関してはそうはいかない。

とりあえず、自分が幸せでそれが正義なら、他人もそうだと思い込むだけで連続レイプ犯は全員正しいということになる。自分が幸せで他人も幸せだったら、売春にも正義が適用できる。信仰に寄与する幸せとて、キリスト教が全て正しいというのならば、十字軍の蛮行も全て正しいことになる。

しかし世の中、んなわけはなく、結局のところ自分が幸せだろうがなんだろうが、間違っているものは間違っているという結論に達することは容易である。

けれど、人を悪く言うことに快感を感じている人々の多くが、自分を正義であると確信している。その姿を見て、多くの場合、心ある人は距離を置く。なんせ、人は幸せすぎるとバカになるのは、人類史に刻み込まれた事実であり、そういった人々が正義を振りかざすと大抵ろくなことにならない。

間違いを大切に[編集]

なお、全人類が罹患しているこの病気であるけれど、発症を抑える方法はけっこー簡単である。冷静に考えることができればまず大丈夫。まぁ、それができれば苦労はしないとも言えるのが悲しい話だけれど。しかも、世の中にはあえて自分の身をそんな状況に追い込むような話が数多く存在する。

特にスポーツの場ではそんな症例が顕著に見られ、自分が「一番」だの、自分が「最高」だのといったほぼ妄想に近い言動が、自分の意思とは関係なく口を開けばそんな言葉が飛び出してくる。それは別に、一番の人間が言う分にはかまわないのだけれど、モハメド・アリのような話まで言ってしまうと、これはもはや悲劇である。事実、過剰なまでに自分自身を追い込む中、対戦相手を徹底的にこき下ろす現役時代の姿が後世に伝えられた中、2012年現在、パーキンソン病で体を動かすこともままならなくなった彼を、世界中の人間が複雑な想いで見つめている。

この病気は、彼を世界一のスーパースターに押し上げた後、世界一の悲劇の主人公に貶めた。

けれど、こういった事例は極端だとしても、スポーツや芸能といった世界ではこの病気の発症はむしろ奨励されている部分さえある。なぜなら、そう思わないと自分が不幸であることに耐えられないから。

それぐらい、厳しい職業であるとも言える。

しかし、スポーツ選手や芸人といった、スポットライトを当てられる職業で蔓延するのは仕方ないにしても、この病気が一般にまで広がると、相当にまずい話になる。つまり、普通の生活をしているだけで不幸だと思う=景気が悪いという、実に分かりやすい図式が存在するためである。

これは歴史的に見れば相当危険な兆候である。だいたい普通の人々が自分の不幸を無理やりに忘れさせないとやってられないなどという状況は、歴史経済社会などのカテゴリで大きなカタストロフが発生させる要因となる。国にしろ国体にしろ、何かをきっかけにバラバラになるような歴史の裏には、こういったから元気、もしくは現実を直視しない傾向が強くでてくる。

しかし、個人に関して言うならそこまでひどくはない。ちゃんとそれらの小さなカタストロフ、もしくは不幸に耐えりゃいいだけの話になるから。耐えられなかったら、他人に不平不満をぶつけて周囲の人間がガマンすればいいだけだから。実にたまらないけれど。

主な予防方法[編集]

この病気の発症を確実に防ぐ方法がいくつかある。

基本的に、この病気の発症は、ブレーキの利かない幸福感が主な原因となっているため、人を悪く言い続ける際に、幸福感を抑える様々な要因を準備しておくと、後の禍根を回避することができる。そういった際に、人も悪いが自分も悪いといったコンプレックスやらバカな経験、笑い話、恥ずかしすぎて忘れたい出来事などが多すぎる幸福感を相殺し、話の中において周りの空気を判断する冷静さを保証してくれる。

ちなみに、こういった感覚は、芸の話にも通じる。それまでの成功で培ったイメージをあえて打破し、自分たちのいるレベルよりもぐっと低くなるような作品をあえて上梓、既存のファンからそっぽを向かれるようなチャレンジを行えることは、行えないよりも実は演者にとってはいい話である。ただし、ファンにとってはたまらないことは認める。しかし、実際にそれまで築き上げた名声をかるーく捨てられるような表現に挑む連中ほど恐ろしいことは確かである。ファンにとっても同業者にとっても。

なぜなら、成功というのも実は根深い毒であり、足元を縛る縄になるため、そういった大きな過ちに踏み込めれば踏み込めるほど、毒を洗い流し、足元を気にせずにより繊細な表現にも踏み込めるようになる。そのため、マンネリを打破できる。面白くないけれど打破できる。面白ければ、そこからより高みを目指せる。そして、その結果全てを失っても、全てを失うという経験を得られる。

翻って、こういった感覚を持たないまま自分の芸が正しく人の芸が面白くないと思い続ければ、禍根を残すのも致し方ない。その原因の一つに、自らの代わり映えの無さが加わる分、始末に終えないとも言える。芸にせよ、言動にせよ、いつでもどこでも自分は正しいといい続けることは、それぐらい足元を見られる。

対応策[編集]

この病気を安全に、なおかつ信頼を失わずに発症させる唯一の方法。それは、先に殴らせてから徹底的に叩き潰すという、実に分かりやすい方法である。しかし、この方法もまた中毒になる危険性を多分にはらんでおり、どこぞの合衆国がパール・ハーバーでやられたことを繰り返そうとして、トンキン湾事件をでっち上げたことからも分かるように、相手が100%悪いとか、自分こそが被害者といった甘美な状態を維持しようとすると、えてして落とし穴に落ちる。しかも、深い落とし穴に落ちる。

あわせて、自分よりも格下の相手が先に殴りかかるということを上の人間は舌なめずりをしながら待ち焦がれていることを自覚しなければ、いつまで経っても足場を積み上げていくことはできない。むしろ、自分から切り崩していくのと同じ。逆に、上の立場の人間が策を労して発覚すると、大変にろくでもないことになる。アメリカがベトナム戦争やイラク戦争で失ったものの大きさは、その後の世界を大きく変えている。

どうやって直すか[編集]

この病気を治す一番の特効薬は、叩き落されることが一番よく効く薬である。幸せから不幸へ、正義から悪へ、一番からそれ以外へ叩き落されて、なおかつ自分を正しいと思えるか、もしくは反省するかは人によるし、国によって違い、国体ごとに対応はバラバラである。

しかし、いつまでも正しいといい続けたほうが復活することはまずないことは、歴史が証明している。そのため、なるべく痛くないうちに落ちるところまで落ちることが肝心と言える。

というのも、どこぞの酔っ払いヤク中坂口安吾が語ったように、堕落して敗北して引きずり降ろされて、自分は不幸だー、悪だったのかー、最下位だーとかいきなり全否定かますようだと、ある意味、躁鬱のケが激しすぎてちと困る。それ以前に「幸せでも不幸でもない」、「正義か悪かわかんない」、「中位」といったポジションに違った視点があるわけで、叩き落されたとき、それらの視点と、その視点からもたらされる思考が重要になる。まず、そういった考えを持てるか。持ってどう感じるか。感じてどうコントロールしていくか。自分が一番だの最高だのと思わなくなるだけで、色々な判断材料が出来ることは、人生においてけっこーどころではないほど重要な話になる。

ちなみに、こういった劇薬を使用せずとも、自分が正しいかどうか、相手が間違っているかどうか客観的に判断して、叩き落される前に一歩引くだけで十分だったりもする。一番でなくても正義でなくてもなんでも、最終的に、疲れないほうが勝つというのが、とりあえずは戦争における常識である。平和な時代でも、バカに関わる時間を浪費したり、狂信者にかかわりを持たないように距離を置くことは、疲れないために重要な技術になる。

さらに、他人にそう思われている側については「自分が正しいと思わなけりゃやってられないという状況」をさっさと改善するか、さっさとその場から逃げ出したほうが、人を悪く言うよりもよっぽど疲れないという話になる。

・・・まぁ、こういった視点で見て語れば、地位名誉というものが、いかにして人間を疲れさせるかを目的にあるという話にもなる。世の中はメンドクサイ。それは一応認めとく。そういった場合の対応策については次項にて述べる。

分かりやすい指標[編集]

地位や名誉といった要素と、相手をボロカスに非難する様子をつぶさに見届けることで、どれぐらい個人やら国やら主義主張が、精神的にプレッシャーを受けているかが判断できることは、実は自明の理だったりもする。つまり、から元気というやつは、本人が思っている以上に周囲にはバレバレであり、そうやって体裁を整えなければいけないという環境を考えていけば、自ずとその先に何があるか、どうなるかについての簡単な判断が可能になる。

事実、イラク戦争時のサダム・フセインを見れば誰でも分かるように、「ごめんなさい」と言えないだけでどうなるかは、世界中の人間が理解していた。もちろんリーマン・ショックにおけるジョージ・W・ブッシュにおいても「私が間違っていた」という意思表明があまりにも遅すぎた結果、超大国を骨抜きにしたことでもよく分かる。

結局、地位や名誉というものがいかに状況を悪化させていくかという話を見るにつけ、ブレーキを踏み、方向転換をなし、それをしっかりと説明できるかどうかで大体はその後どうなるかを判断できる。結局、イケイケどんどんでは、奈落の底にもまっすぐに突き進むことしか出来ないため、ブレーキ、舵、奈落の位置の把握、説明力、分かりやすさといった指標を用いることで、本当にこの病気に罹患した人々がどう動き、どう判断し、どう落ちて、どうその後始末をするかが分かる。

つまるところ、この病気が、患者について「人を見下さないとやってられないコンプレックスもち」か、もしくは「そうやって自分を奮い立たせないと持ちこたえられない状況下にある」か、さらには「現状を見極めることさえできないほど疲れている」か、そして「単なるバカ」かを判断する情報を周囲に振りまきまくる。それらは、社会的に見てもネタ的に見ても大変素晴らしい材料であり、かつ、体制の寿命を計るのに格好の材料である。

もっとも、カリスマや独裁者といった立場の人間がこの病を膏肓に入らせればまずお仕舞いになるけれど、その前に、普通であるならば、この病の重症患者というをつけるネズミがいるはずなのである。

ハズ&ネズミ、という部分がいろんな意味で悲しいわけだけれど。

なぜなら、こういったイケイケどんどんで自分正義自分一位を信じまくる人物は、実は大変にエネルギッシュで大きな力を持つためである。昔のソニーホンダなどには世界的に知られた社長が存在し、彼らのカリスマに導かれて地方の一企業が世界有数の大会社に成長。その後の日本経済を大きく牽引するような、そんな会社が日本には多く存在する。

もっとも、そういった名物社長には、同じレベルの名物補佐が存在しており、ガンガンいこうぜのエンジンを担当する社長とハンドルを握る補佐の2つの力学が世界を変えていった。そのため、優秀なナンバー2という存在の有無もまた、こういった指標に深く関わってくる。いない場合、どうなるかは最近の2011年のソニーがいろんな所でやらかしているため、少し悲しくなってくる。

さらにさらに、これまためんどくさい話として、フセインにもブッシュにも優秀なナンバー2はいたりもする。けれど、最終的に彼らの言葉にまったく耳を傾けないレベルでナンバー2を退けてしまう。これは、この業病が深く心に浸透してしまい、少しの諫言でも耐えられないレベルで、自らが正しい、世の中が間違っていると妄想せざるをえなくなった結果でもある。その後、この2人は自分達の国ばかりでなく世界を巻き込んでグダグダにした。

そのため、返す返すも、本人の頑強な意思以上に、ナンバー2の立場が世界やら国やら大会社といったレベルの今後を占う指標になる。たとえ本人の意思が強いために、この病の精神への浸透具合が分からなくても、周囲の状況からトップの精神状況とそれを補佐する人間の有無を調べれば、やっぱりその後どうなるかが簡単に分かる。保険を掛けてない組織の未来なんざ、たかが知れている。

未来[編集]

この病気のもう一つの指標。それは、不確定な未来に対して、どう切り込んでいくかを示すという、大変にうがった見かたを支えるものである。

基本的に、自分もしくは自分達を変えざるをえなくなった場合、そういった思考を持つには、自分一位だの自分最高だの自分正義だのといった考えが異常に邪魔であり、かつ、足を引っ張るため、自らを省みずに相手を非難するこの病をいかに克服できるかが、その後の目安にもなる。

夏休みの宿題を見ればよく分かるように、大きなプレッシャーと対峙したときに、人の本性が垣間見え、その本性から未来が見える。もっとも、対峙する前にさっさと計画だてて終わらせる連中のほうが未来がよく分かってることも確かである。

結局、本人の資質うんぬん以前に、計画は未来に切り込む一番の座標であり、計画を立ててそれに沿って実行できさえすれば、人を悪く言おうが何しようが、ある程度の予測は可能である。が、世の中、そう計画通りにはいかない。

ものすごくうれしいことに

関連項目[編集]