人間

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二本足で歩く人間、その姿はまるでペンギンの様だ。
「他の動物に劣ってたっていいじゃない。人間だもの。 みつを」
人間 について、相田みつを
「人間とは考える葦である。思考を賤しみ自発的に棄てた輩など、豚やミミズにも劣る。」
人間 について、パスカル
「考える苦痛を伴った「人間」よりも、本能に流されて存在する「動物」の方が、苦痛から解放されている分、遥かにマシだ!!」
人間 について、地球市民DQN
「畜生…め、何故オレは「動物」に生れずに「人間」に生れたのだ!!」
人間 について、同上
「いいないいな、にんげんっていいな、美味しいおやつにほかほかご飯、子供の帰りを待ってるだろな。」
人間 について、クマの子
「いいないいな、にんげんっていいな、みんなで仲良くぽちゃぽちゃお風呂、暖かい布団で眠るんだろな。」
人間 について、モグラ
「いいか、人のこと嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだからな。」
人間 について、キタノ
「素敵だ・・・。やはり、人間は素晴らしい。」
人間 について、アーカード

この世界には2種類の人間がいる    服を着てトイレに入る人間と、服を脱いで用を足す人間だ・・・

人間(にんげん)とは本来、言語を現在(いま)在る様な状態で使用し、心の中で言語を用いて思考し、言語を道具として、相手の関心を自分に惹き付け、言語の間に隠れている心情を考えて読み取り、以てコミュニケーションを成立させるサルであった。しかし20世紀後半に思考能力を自発的に完全に放擲し切った為に、1950年代当初は団子状のタンパク質に認知機能がつけた便利なラベルだったが、1970年頃から無機的で空っぽで、中間色でニュートラルな空の器と化しており、21世紀も10年経過した現在では手前らが創り出した物体に所有されるだけの存在に成り果てている。

人間が自分達を呼ぶときは「敵」「味方」「塵」と「奴隷」ばかりで、「人間」という生命の種を表すラベルから自分達を捉える事はなく、種の保存に関心もなければ、脳を発見してしまった為に自我の虚無から存在の無価値へと加速しながら突き進んでいる(特に地球市民において顕著)。 いまや恒常性を欠き滅び行く陸上動物の一種である。


現在人間の間では「カネ」とよばれる足し算が大人気であり、「非常に地味な形での殺人に成功する」と桁が上がるルールになっている。 「カネ」は配分の権利を数値化したものらしく、ヒトの数字に対する関心の高さは捕食動物の獲物に対するそれに酷似している。 他の動物と同様、その魂は神経細胞によりハッキングされており、彼らの一生は報酬系に終始する理由で死ぬまで外部環境に働きかけ続けて終わる。

もしくは他の洗脳技術(これを人間は社会性、もしくは文化の振興と呼ぶ)の発明や開発、更には自然科学、脳科学の興隆などと共に着々とその存在価値を見失いつつある絶滅危惧種の一種である(しかし誰も気にしない。今のところ絶滅前に標本の採取をしようという宇宙生物さえ現れていない、だってつまんだら噛みつきそうだし。)自分たちのことを地上で最も背徳的で退廃ですぐ心変わりする信用ならない生物などと、とにかく「最も」「他の動植物に比べ我々は・・・」などと比べたがる。比較する基準はどうでもいいことに殆どの人間は気付くことすらなく、とにかく競う。核爆弾(きわめてアナログなパーティー用玩具)がある時代に今だ肉弾戦を見ることに人が群がるのは、論理性という意味において彼らと議論を交わす必要性は皆無だと言うことを表している。順位に拘るのは、もちろん彼らが社会的動物であるからで、その精神は略全てが原始の本能に犯され、論理性で物事を理解する能力は存在しないと言える。

ちなみにサンタクロース(コカコーラのキャラクター)を信じる人間を嘲笑する人間でも「神」の存在は信じるらしい。 とくに苦境と晩年の彼らはこういうものを信じやすくなるが、それは彼らの脳が悪性のウイルスか動物性蛋白に犯されているからである。

ないしで最も背徳的で退廃な生物とは、「泳いでいる人間」または「飛んでいる人間」である。これは他の追随を許さない。

目次

[編集] 概要

この生物はまず、自分が動物であるという自覚に乏しいと言う特長が挙げられる。ある自叙伝吾輩は猫である』(口述筆記者は夏目漱石)によれば、まずその体毛の哀れなほどの乏しさが、そもそもの原因である事が伺える。このため人間は、その体毛の乏しさに劣等感をもっており、他の動物の毛皮をはぐという蛮行を行う傾向がある。

地球全体にはびこっているほか、近年では巨大な爆発物を利用して自分を衛星軌道上にまで吹っ飛ばすと言う正気の疑われる行為をする事もあるこの生物だが、特筆すべきは無駄に膨れ上がった脳髄を持つことである。この脳髄の容積は、クジラなどの海洋性哺乳類には劣るものの、身体との比率は極めてアンバランスであるため、しばしば人間は転倒を余儀なくされている。

加えてその異常な精神性は、ただでさえ不安定な肉体を直立して二本足(直立二足歩行)で歩行すると言う変態的な嗜好を種族として発展させており、転倒によるリスクを増大させると言うマゾヒズム的な行動をみせている。このような変態性を見せる動物は、他には千葉市動物公園風太のような個体しか現れていない。

他の特長としては、その極めて低い共感能力が挙げられるだろう。他の動物は、一般にあまり複雑なコミュニケーション手段をもたない。これはそのような方向を発展させる必要が認められないほど、同種族間での意思疎通が円満に執り行われているためである。しかし人間の場合は、不幸にして共感力が種族的な欠陥として不足しているため、これを補う必要性から言語文字といったものを発明した。しかしそれでもなお、同種族間の行き違いから起こる闘争は避けられず、しばしば個人から組織にいたるまで、相互に殺しあう(→殺人戦争)と言う、まことに正気の沙汰では無い行動を起こしている。

この動物を端的に表現する場合は「貧弱な肉体に狂った精神を持った」という定冠詞を用いるべきである。

最近は「地球を大切に」などといってCO2やらなにやらを減らそうと頑張っているようだが、実は大切にしようとしているのは地球ではなく自分達人間だったりする。また「地球を守る」と言っている自分達が実は単なる地球の間借人に過ぎない事実には誰も気づいていない。兎に角とても自己中心的だ。人間がいくら地球を汚したって地球は生き続けるだろう。

[編集] 社会

空気を読む人間。

この動物は、自然環境では生存に窮するほど貧弱である。根本的に身体が不完全な状態で生まれてくるため、本能に従って社会を作るなどという行動は一切行わずに、生まれてきて死ぬまでずっと一人で自慰すること意外は基本的になにもしない。本来、このような生命は、絶滅することしかできないが、他種の生命にとっては当たり前に備わっている本能を何度ともなく連なった失敗の上でようやく覚えたため、現在は不完全ながらも社会を作り種を維持している。

しかしながら、人間の本性は自慰的であり、周囲の生命体の本能から模倣し、作った社会にやはり適応できず、この社会では自慰できないという鬱憤を日々溜めながら各人が社会生活を営んでいる為に、いつ社会を営んでいる人間がすべてニートになってもおかしくない状況であった。そのため、人間社会に住んでいる方々がニートにならないように一時的に自慰の対象を変更する、文明と言うシステムが開発されることとなった。

現在のところ、生き延びている人間の社会体制は主に次の三つである。 貨幣という単位でお互いの能力を第三者の視点から平等に評価する事で機能を維持させ続ける社会(資本主義社会)と、「誰か強くて偉い人」が支配する事で機能する社会(君主制軍事政権)、全ての利益をいったん社会の共有財産として分配する事で機能する社会(社会主義)である。

しかしながら人間はあまりにも社会維持能力に欠けるため、これらの社会制度を行って一時的にニート問題を隠蔽できたとしても、社会の体制は現実的な社会からかなり乖離しており、正常に機能しているとは言いがたい。

君主制や軍事政権では、まず指導者のわずかな狂いが、全体に波及してしまい、長期運用は難しく、社会主義では皆が貧しさを再分配してみんなで仲良くしこしこしましょうなどと威勢は良かったものの、結局のところ、原始時代の問題が表面化しただけであった。 また、資本主義社会も、闘争といった俺TUEEEE思考の勝ち組が負け組を駆逐することでお互いにニートになってしまうことから成功したとは言いがたく社会全体にニートが波及するのは時間の問題でありこちらも先は長くない。

[編集] 変態性

本来は種族繁栄の方法である生殖だが、この動物は生殖活動がかなり強度に快楽系を刺激する体構造を持つ。おまけに年がら年中発情している。このため、この動物は常に異常繁殖を続けており、その大発生で周囲を食い尽くす傾向が強い。性行為における他の動物に無い特性は多々あるが、代表的な事象として、同族の近親による繁殖を否定する。この動物は、これらを「乱れた生殖活動」としてとらえている。だがこれは大人が利益を独占するために子供に仕掛けた話で、本能とは合致しないので何の意味もなく、いつしか洗脳が壊れてしまい、「みんなやってます」。交尾を行うためだけに30分以上の時間をかけてお互いの体を嘗め回す習性もあり、体毛を派手に着飾ったり求愛ダンスなどが知られる他の生物と比較しても極めて下品な求愛行動である。

この異常に発達した生殖への欲求は、肥大した脳組織がそもそもの発端であるとも考えられるが、加えて幼生期から不安定な姿勢で歩く事を強要された事で、彼方此方にを打ち付けた結果であるとも考えられる。そしてこの壊れた動物は、それこそ脳に電極を差し込まれた猿のように、性本能を暴走させるのであろう。

まずそもそも「二足歩行することで、転倒することを好むマゾヒズム」と言う点で、既に変態の域であるが、更に直立歩行することで、本来は股の間に隠されているべき性器が露出し、その用法に関心が行ってしまう、加えて自分の足元を見下ろせば、性器を意識せずにはいられない視界を持つという点もあるため、生殖行動に邁進するのも無理なかろう。この傾向は性器が全面に突出しているオス個体の方が顕著で、この生殖器を二足歩行によって余った前足(=)で弄りまわす(→自慰)と言う悪癖を発達させた。人間の手は、他の生物にはないほど発達して、複雑な動きをするように出来ている。

ただ、この性器を露出したままにしておくと、寝食を忘れて自慰行為に没頭してしまう危険があることから、人間は早い段階で衣服を発明し、着用する事を覚えた。これは後に「自分の体の欠陥を、道具を発達させて補う」という方向性に開花する。しかし人間はもとより狂っていて変態であるため、着衣の下を事ある毎に思い出してしまう傾向もあるようだ。そのため自慰や性行為の(やや問題の少ない)代替物を発明するに至っている。これは今日、人間が文化と呼ぶ様式である。文化に没頭する事で、人間は暫くの間、性的な事を考えないで済むようにまでなっている。

[編集] 神の発明者として

人間は驚くほどい生き物である。

人間は、神を発明したと考えられる。なぜなら、人類発祥以前には神の化石を含む痕跡は発見されていないためである。

しかし人間は頑なに、自分たちこそが神の創造によるものだとしている。その根拠は、神は全知全能であるためだという。がしかし、全知全能であるはずの神が、かくも狂った生物を生み出すはずも無い。しかるに、人間がまず全知全能の神を作り、その神が全知全能の力で、時間軸すら無視して人間を創造したと考えるべきであろう。そして狂った人間が発明した神は、人間同様に狂っていたために、狂った人間を創造したと考えられる。故に人間が神を発明し、神が人間を創造したと考えられる。

人間以外の世界は、人間が発明した神以外が作ったのであろう。人間以外は狂っていないためである。

神がチューリング完全な存在であるかどうかさえも判っていない。

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[編集] 関連項目

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