佐藤

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佐藤(さとう)とは、日本において鈴木と覇権を争う帝王候補生。ジャンル・時代を問わず日本の発展に大きく寄与した人物である。

優れた功績を残した人物であると同時に、その強引かつ画期的な手腕は時の政府より異端とみられ、犯罪として処理されたこともある。よって、栄誉の数と同等に前科も多い、極めて不遇な一面も持つ。また、その特異な能力を妬まれ、30世紀には国王から命を狙われることとなった。


経歴[編集]

生い立ち[編集]

佐藤の出生については、詳しいことは判っていない。しかし、平安期には既にその名前を見ることができ、源義経の側近として活躍していたとされる。その後は戦国期で活躍が残されており、相馬から寝返って伊達の家臣になるなどのはっちゃけっぷりを発揮したという。

当時は佐藤自身が表に立つことはなく、名だたる武将の家臣として行動していた。今日では当時の状況を知る術がなく、佐藤の活躍の詳細や考えは判らない。だが、その後の佐藤の非凡さから振り返ると、当時の佐藤は自らの下積み時代として空気を読み、敢えて目立った活躍は避けてきたのではないか、という説が近年では有力である。「単に家柄が良くないと目立てなかっただけだからじゃないの?」という現実的すぎる説を唱える人は頭の固い方の辞典でも見てればいい。


軍人時代[編集]

そんな佐藤も、幕末から次第に頭角を現す様になる。最初は蘭方医として名を成し、1843年に佐倉順天堂を開設。後の順天堂大学である。

戦国武将に仕えることが立身出世の近道だった戦国時代を生き抜いた佐藤は、幕末から先の世も軍人として生きることを決意、有名塾の開設で権力基盤を築いた佐藤は軍部への介入を始める。西南戦争日清戦争に参加し、銃弾を受け重症を負うも戦績が認められて昇格。陸軍少佐にまで登り詰める。

しかし、佐藤の出世欲は留まることを知らず、第二次世界大戦時も積極的に軍事に介入。度重なる大規模な戦争でバランス感覚を失っていた佐藤は数々の失態を犯し、東條側近四愚の一人という汚名を着せられた。 戦後、軍事裁判により終身刑の判決が下される。しかし、1956年に釈放され、自由の身となった。

このときの苦い経験から、徹底した平和主義を主張するようになり、銃弾の飛び交う戦場で白い服を着て両軍の間に立ちはだかるという行動をとるようになる。この行動は後に反戦運動としての人間の盾の始祖とされる。

開花[編集]

釈放されてからの佐藤は、軍人時代の事を黒歴史に葬り文化事業に徹した。自らアーティスト・芸能人・スポーツマンとして振る舞い、如何なく才能を発揮した。今日でも佐藤の作成したコンテンツや記録は戦後日本を華やかに彩っており、日本の文化的成長に大きく貢献した日本人の一人といえるだろう。

また、これらの活躍が認められ、1964年には内閣総理大臣に就任した。日米摩擦の解消と不況の克服、非核三原則に代表される平和外交の基盤など、佐藤が残したものは大きい。しかし、元々多芸を武器としていた佐藤にとって、政治活動は制約の多い窮屈なものでしかなかった。世紀末プライムミニスター的な倦怠感に囚われた佐藤は1972年に内閣総辞職を発動、沖縄の本土返還を総理大臣最後の仕事とした。

内閣総理大臣を辞した後は、再び各方面で才能を開花。佐藤の健在ぶりを広くアピールした。また、浜松中区の一部を「佐藤」と命名、また同じく自身の名を冠した製薬会社「サトウ」、日本文化の象徴である殺戮兵器「」の一大ブランドである「サトウの切りもち」「サトウの鏡餅」の創設など、21世紀を迎えた今日でも佐藤の活躍は続いている。


影の面[編集]

しかし、佐藤の業績は決して明るいものばかりではない。挫折や失意から、アダルトビデオへの出演や風俗関係の仕事に従事するなど、混迷の時期もあった(これらの活動は、佐藤が経験を豊かにする為に敢えて行っていた、という声もあるが、どちらにしろ佐藤本人は一定した言及を行っていない)。また、佐藤の幅広い活動に時代が追いつかなかったのか、はたまた才能を持つ人物の特質なのか、建設業界における大規模な談合事件から少女監禁事件まで、数多の逮捕歴・前科を持つ

佐藤は確かに日本でも代表的な存在だが、同時に(少なくとも現在では)一介の市民に過ぎない。佐藤がどの様な活躍を見せようと、社会通念上誤った行動をした際には等しく罰則を与えるべきだとの世論の声は大きい。

その声があまりに大きくなったせいか、それとも国王の気まぐれか、30世紀には大々的に佐藤を狩るイヴェント「リアル鬼ごっこ」が開催されることになった。佐藤の包囲網は日に日に苛烈になり、佐藤は全力での逃亡を余儀なくされている。


業績[編集]

文化[編集]

  • 朝日新聞誌上にて連載された四コマ漫画「フジ三太郎」は、庶民的な描写がサラリーマンのハートを射止め27年間・8168回という長期連載となった
  • 新聞の四コマ漫画では簡素な描画で知られる一方、本格的な少女漫画も描いた。作風の変化により周囲からは新人作家と見られ、ポスト24年組に数え上げられた。主な活動拠点は別冊少女コミックである
  • 更に時間が経つと、今度は少年誌でギャグ漫画を描き始める。少年ジャンプに連載された「燃える!お兄さん」は好評を博し、アニメ化・ゲーム化がなされたが、作中で用務員真実を暴いた為に見えざる手が発動。まもなく連載は終了した
  • その後、色々あってから集英社と袂を分かつ形で講談社へ。作画を担当した金田一少年の事件簿が大ヒットとなった。しかし、苗字および設定についてトラブルが起こり、連載休止を余儀なくされた。現在は無事に復活、不定期連載となっている
  • 漫画の製作だけでは飽き足らず、アニメの監督・演出も行った。「赤ずきんチャチャ」「飛べ!イサミ」「機動戦艦ナデシコ」「宇宙のステルヴィア」「ARIA」シリーズなどはどれも名作の誉れ高いが、すべて佐藤の手掛けた作品である
  • 詩人としても活躍。詩、小説で傑作を残した傍ら、「ちいさい秋みつけた」をはじめとした童謡や歌謡曲の作詞も手掛けた
  • 将棋の段位は九段。「竜王」「棋聖」など数々のタイトルを取得しており、2006年には「永世棋聖」のタイトルを得た。キウイを食べて羽生善治に勝利したことから、佐藤を「キウイ」と呼ぶ者も少なくない


芸能[編集]

  • 特撮作品(超力戦隊オーレンジャーのオーピンク)から小林製薬CM出演まで、テレビ・舞台での露出も幅広い。熱血キャラ、含蓄のある役、マネーの虎の進行役、嫌われ役、特に女性に嫌われるブリっ子キャラなど多彩な顔を持ち、お茶の間にはおなじみの存在である
  • 声優としても活動。長門(ただし「ルームメイト・麻美-おくさまは女子高生-」の方)や美坂栞(ただしPSP版のみ)、南家の住人(ただし長女)、霊能力者の少年(ただし双子の弟)、ホムンクルス(ただし二番目)、さらに懐かしいところではバッファローマン(ただし「キン肉マン(無印)」)など、数々のキャラクタを演じた
  • 抜群のプロポーションを持つことで知られており、2003年には「美少女フィギュアをモデルとした女性写真」という、村上隆氏のアート作品の被写体に抜擢。当の写真作品は小さいもので数十万、大きいものは数百万円の値が付くといわれる
  • AKB48のメンバーである。ボケキャラとして振る舞い、楽屋でシエスタ(要は昼寝)をかかさない癒し系担当である
  • 光GENJIのメンバーでもある。同グループが解散した後、「歌うしか愛せない」というフレーズと共にソロデビューを果たしたのは有名
  • 青葉城恋歌のヒットで1978年の日本レコード大賞の新人賞を受賞。紅白にも出場した。
  • 現在は人気ポップス・グループ「SING LIKE TALKING」のボーカルを務める。


スポーツ[編集]

  • カーレースで活躍。元々はF3のレーサーで数々の栄光に輝いたが、2001年にジョーダンと契約、F1に参戦する。F1では苦難の連続であるが、年々着実に成果を挙げている
  • サッカー選手としても有名。ザスパ草津、ジュビロ磐田などに在籍。得点力の高いストライカーというよりは、堅実なボール回しでチャンスを作るタイプのプレイヤーといえる。ゴールキーパーも得意で、柳沢敦選手とは格が違う。いろんな意味で、勿論柳沢敦選手のほうが遥かに格が上なのは言うまでもない。
  • 野球選手として複数のチームに所属、セ・パ両リーグを跨いで活躍した。自らがプレイヤーだったこともあり、「好きな球団は?」という質問の答えが場合によって変わることがあるが、気にしてはいけない。
  • 優れたプロボクサーでもある。2007年に東洋太平洋ミドル級王座決定戦で勝利、同年開催された初の防衛戦でも勝利した。
  • オリンピックには、日本が参加した大会ではそのほとんどに出場しているが、意外にも個人種目の金メダルはソウルオリンピックのレスリングしか無い(ライバルの鈴木は2回獲っている)。2008年北京オリンピックでは実力が出せなかった。野球に出場したが残念ながら5試合でタイムリーエラーを含む3失策と国民の期待に応えることができなかったし、マラソンでもまさかの76位、柔道では準々決勝敗退、馬術でも2次予選敗退と試練が続いた。


人脈[編集]

ライバル[編集]

こうした佐藤の活躍を常に脅かすのが「鈴木」の存在である。近年では、日本における最強国民・帝王の地位を佐藤・鈴木両名で争っている。毎年の順位は保険会社など数社が決定しているが、団体ごとに算出方法がまちまちであり、しかも基準も曖昧で「あくまで推定による概算」と弱気なことを言いながら提出されるデータにすぎず、佐藤と鈴木の諍いにいまだ決着が付くことは無い。

しかし、どの資料でも「佐藤」あるいは「鈴木」のどちらかが一位となっており、世間には「「佐藤」と「ラオウ」って似てね?だから帝王は佐藤じゃね?」「ってかここまで来たら二人とも一位で良くね?」「邪教の館行けよ。行って二身合体してもらえばいいんだぜ」「世界第1位は松本人志以外有り得ない」「心配は無用さ、郵便配達が君の手紙届けてくれるよ」などの声も多い。なお、この熱い議論の模様は、日本のバンド「筋肉少女帯」が「デコイとクレーター」として音源化している。

派生[編集]

佐藤の同音の「佐東」や「左藤」などが存在することが判っている。しかし、これらが佐藤の変名であるのか、それとも彼らから名取をした別の存在なのかははっきりしない。情報の多い現代においてなおミステリアスかつスリル・ショック・サスペンスな面を多分に残しているのも、佐藤の魅力のひとつといえる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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本項は第一回執筆コンテストに出品されました。