偽善

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

偽善とは、偽りの行のことである。一般的に使われる時には大抵「自己満足のために行われる善行」という意味で使われる。その意味の通り、傍目には善行と見えることでも、それが当人に発生した欲求を満足させる目的で行われているのならば偽善であり、忌み嫌う人もいる。偽善的行為は行わないように日頃から心がけるべきである。

目次

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以下に偽善的行為の例を示す。

  • 電車で辛そうに立っている老人がいたので、「席を譲る俺っていい奴だなぁ」と思いながら席を譲った。
    偽善である。あなたの行動は「俺はいい奴なんだと自己陶酔したい」というあなたの欲求を満足させるため、すなわちあなたの勝手な自己満足のために行われている。確かに、結果的に老人を助けているし、誰にも迷惑はかけていないが、一連の行動を見ている周囲の人達の中には「偽善者め」と不快に思う人もいるので、してはならない。
  • 電車で辛そうに立っている老人がいたので、「俺にできることで助けてあげたい」と思って席を譲った。
    偽善である。あなたの行動は「老人を助けてあげたい」というあなたの欲求を満足させるため、すなわちあなたの勝手な自己満足のために行われている。確かに、結果的に老人を助けているし、誰にも迷惑はかけていないが、一連の行動を見ている周囲の人達の一部を「偽善者め」と不快にさせるので、してはならない。
  • 電車で辛そうに立っている老人に気付かず、次が降りる駅なので立ったら老人がそこに座った。
    善である。あなたの行動は「次ので降りたい」というあなた自身の欲求を満足させるために行われているが、その欲求が満足するためには老人は関係ない。老人が席に座ることはあなたの自己満足に繋がらないため、利己主義では無い、見返りを求めない完全な善である。

人によっては一番目と二番目の例に大きな違いを感じるかもしれないが、自分の欲求を満足させるために取った行動という意味では本質的な違いは無い。思いやりの心の有無を問題に挙げる人もいるだろうが、思いやりの心自体がそもそも「相手を助けたい」という自己の欲求なので、どちらにしろ自己満足のための行動であることには変わり無い。

[編集] 結論

偽善的行為を行わないようにするには、あなたの善行があなたの欲求を満たさないようにすることである。

具体的な手段としては、ペンメモ帳ハンマーを常に持ち歩くようにすること等が挙げられる。使用法を先の例で解説する。

  1. 電車やバスで辛そうに立っている老人を見つけたら、メモ帳に「席を立て」と書く。
  2. その後、乗車時から今までの記憶を失くすためにハンマーで自らの頭を思いっきり殴る。
  3. あなたは記憶を失くすが、メモ帳に「席を立て」と書いてあるのでとりあえず立つ。
  4. すると老人が座るため、席を譲ったこととなる。

この場合、あなたはなぜ立たねばならなかったのかが分からないため、何の満足も得られない。後で老人に席を譲ったんだと分かって満足したとしても、行動する時点ではその満足を目的としていない。従って、この行為は何の見返りも求めない完全な善行となる。清廉潔白、品行方正な善人を目指すのであれば必須のテクニックである。 なお、頭を叩く際に打ち所と加減を間違えてしまうとメモに書いた漢字の読み方すら忘れてしまう事があるので注意が必要である。

[編集] 真の結論

ひねくれ者にとっては他人がどんな善行をしようともそれが偽善に見えるので、自分の行動の善性についてあれこれ悩むのは時間の無駄である。

[編集] ではいかにすべきか

ひねくれ者が電車で席を譲ったりしないのは「偽善者と思われるのがコワイヨー、ママァー」という非常に臆病な性格からである(日本人に多い)。よってまともな人間なら自分の良いと思ったことをやってやればいいのである。

[編集] 関連項目

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