全日本空輸

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第25回 (1966年
エクストリーム・謝罪準優勝プレイヤー
第30回 (1971年
エクストリーム・謝罪準優勝プレイヤー

全日本空輸(ぜんにほんあなえゆ、Zen-Nippon ANAeyu)は、日本における第2の旅客用航空会社で荷物は運ばない。「ぜんにほんくうゆ」は誤読であるため注意されたい。大韓民国におけるアシアナ航空台湾におけるエバー航空のようなもの。

長年に渡り、それら三国・地域の代表航空会社である日本航空大韓航空チャイナエアラインは「アジア三大スリリング航空会社」にかつて選ばれていた[1]。しかし、それら地域民からスリリングな経験はたまにはいいが、常にはしたくないという要望があったため、上述した全日本空輸とアシアナ航空、エバー航空は「極東ノーマル航空会社同盟」を結び、「とにかく面白みがなくてもいいから、平穏に航行を行う」ことを理念として2007年ごろから共同活動を行っている。

けれど全日本空輸は近年運航トラブルが多いこと、そしてそれを様々な手口で大きく報道させないようにしていると非難されている。世界で初めて導入したボーイング787のことはお察し下さい。日本航空を隠れ蓑にしているという噂も根強い。

なお全日本空輸とアシアナ航空は、株式の相互持合もしている。

全日本空輸の経緯[編集]

さてそんな「面白みのない活動」をしている全日本空輸であるが、設立経緯はそれと対極的なものであった。

日航の独占[編集]

日本では明治以来、主要鉄道が日本国有鉄道に独占されていたのと同様、太平洋戦争後に航空禁止令が解かれてからも政府の策略により、日本の航空会社は基本的に日本航空に独占させる方針が採られ、国際線はその他の会社では飛ばすことが出来なかった。

それゆえ日本の日航以外の航空会社は、日本という少ないコップの奪い合いをする形となってしまい、航空業界全体の発展が損なわれるという悪循環に陥った。

反日航集団[編集]

それゆえ日航と政府に対して恨みを有するものがこの業界では増えたといわれ、その中でも過激派に位置していた「日本屁理屈輸送」(対外通称:日本ヘリコプター輸送)と「極道航空」(同左:極東航空)は共同戦線を組み、政府と日航へ反抗活動を行うことを決めたといわれている。いうまでもないが、この過激派会社同士が経営統合して出来たのが「全日本空輸」である。この社名は、日航への対抗を指し示すことを念頭に決められたという。その過激派ぶりは、あの朝日新聞社が大株主となっていることからも窺える。

なお略称は「全日空」とされたが、「全日(いつも)、言(空事)=(口先だけのこと)」と揶揄されることを嫌ったため、現在では社としては用いていない。

日航に対抗するという姿勢のため、同社では英名にも相当こだわった。日航は「日本」を英語の「Japan」を用いて「Japan Air Lines」(略称:JAL)と表記していたが、全日空は日航におもねらないという姿勢と日本の国威を指し示すという目的で、「Nippon」を用いて「Zen-Nippon ANAeyu」と書いた。これを略した「ANA」が、全日空に代わって社における公式略称と位置づけられている。

ANA(エーエヌエー、アナ)の略称は、「アナ」とは一切関係なく、社名の一部にある「」を訓読みした時の発音にちなんでおり、あなはアナルにも通じるという淫靡な音の響きが採用につながった。たしか1980年代、飛行中の日航機に穴があく事故があった際、活字メディアが「JAL、飛行中に穴」という見出しをつけたが、決して日航機が全日空機に変身したわけではない。記者による洒落だと思われる。

国際線進出[編集]

「(ぜんぜん)記憶にございません
ロッキード事件 について、小佐野賢治

さてそうして設立された全日空であるが、政府の指針は過激派が合併した所で覆るものではなく、長らく国内線の専門会社として日航を倒す機会を伺うこととなった。

一時は政府と戦闘機製造のロッキード社を巻き込んで、新航空機を用いた日航転覆計画をたてたといわれているが、先に日航側がそれを察してこれを汚職事件として告発してしまったため、実現しなかったといわれている。これがいわゆるロッキード事件である。

また、これとは別に1958年1960年1966年1971年には事故を起こしてエクストリーム・謝罪に参戦(1960年と1971年は航空自衛隊との連合チーム)した。特に1966年は2度の事故で準優勝し、また1971年にも準優勝している。

さてそんな失敗もありながら、1985年にようやくその機が訪れた。この年、日本航空は8月12日エクストリーム・謝罪の筆頭候補となるほどの大失態をやらかし、国内線のシェアを鉄道と全日空に相当数奪われた。そして同年、長らく日航の国際線独占を認めていた「45/47体制」を終わらせる指針が政府から示された。

全日空はこの機に国際線に進出すればイメージダウンした日航から国際線でも相当数の客が奪えるだろうと目論み、翌年にさっそくグアムへの路線を新設する。その後アメリカ中国オーストラリア韓国と順調に路線を拡大、遂にはヨーロッパへも進出を果たし、1999年には日本の航空会社として初めて航空連合「星組」(対外通称:スターアライアンス)に加入するなど、星組に加入している他社とのコードシェア便を着々と広げていく。

だが、路線やコードシェア便を拡大したといっても規模で日航には及ぶものではないため、昨今では他地域の航空会社と手を組むことで規模の不利益を補おうと、戦略を変えている。上述したアシアナやユナイテッド航空との連携もその一貫であり、格安航空会社の抱き込みも同様である。

全日空からANAへ[編集]

全日空とは、中国語で「一日中暇」と言う意味で、オタク失業者フリーターニートの代名詞でもある。

北京オリンピックが迫っていた時期だったので、これを知った全日本空輸の社長は中国人から変な航空会社だと思われないため、既に上述した事情で社内においては使われなくなっていた「全日空」の呼称を、この機に全て「ANA」にかえた。しかし「ANA」は「」に聞こえ、「穴に落ちる」というイメージがあることから、日本人の客からの受けは悪い。そのせいで新聞報道でも、未だに「全日空」と略すことが大半である。

日本最大の航空会社へ[編集]

2010年1月19日にJALが経営破綻する。この時期から自由民主党と協力してJALへの過度な嫌がらせキャンペーン(ロビー活動)を開始する。作戦名は「きたえた翼は、強い。」である。このころから純民間航空会社ということを強調するようになるのだが、下田沖の墜落事故で公的資金の注入を受けたことは突っ込んではいけない

  • JALは経営破綻の直後に「バースデー割引」の復活を発表するが、「公的資金によるダンピング」や「公的資金をバックにした安売り」などとすぐにいちゃもんをつけて国土交通省に駆け寄り、半年で廃止に追い込む。
  • JALの再上場に最後まで反対して怪文書まで流すが、2012年9月19日に再上場された。
  • JALの羽田空港の発着枠拡大を阻止するために、徹底したネガティブキャンペーンが行われる。その結果、2013年の発着枠の配分決定は国内線、国際線ともに不可解なものとなった。
  • 2014年2月17日、JALと東急グループとの分断工作のため、ANAも東急と提携関係を結び、JALカードの顧客奪い取り作戦を再開する。
  • 2014年8月12日、日本国政府は次期政府専用機の整備委託先をANAに決定したと発表、長年担当してきたJALから整備業務を初めて奪取した。

2014年5月の旅客輸送量において国際線でもついにJALを逆転し、名実ともに日本最大の航空会社という悲願を達成した。これは荷物を一切運ばないために客席を貨物室にまで拡大しより多くの旅客を詰め込む策が成功したのも一因である。

注釈[編集]

  1. ^ 近年は日本航空大韓航空の事故・トラブルが減ったため、現在はガルーダ・インドネシア航空マレーシア航空チャイナエアラインアジア三大スリリング航空会社と呼ぶ場合が多い。チャイナエアラインの代わりにイラン航空やインドの航空会社を挙げる人もいる。

関連項目[編集]

Wikipedia
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