六条公麿三位中納言
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
六条公麿三位中納言(ろくじょうきみまろさんみちゅうなごん)とは貞享から元禄時代に活躍した廷臣で公家。略して「六条三位」「六条中納言」、または「麿」「麻呂」の通称で知られる。なおテレビ「水戸黄門」の回によっては「一条三位」と呼ばれる場合もある。
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[編集] 硬骨のお公家さん
江戸時代は比較的平和な時代であったにもかかわらず、禁中並公家諸法度が出されていたこともあって、歴代の帝や公家は政治に介入することも出来ず、和歌を詠んだり、学問にいそしんだりと、世事に背を向けることが一つの形式となっていた。
しかも経済的な裏づけは家格によって決まっており、上層の公卿ならいざしらず、多くの公家は体面を気にしつつも、質素な生活を送らざるを得ず、手持ち不如意な家も多かった。時に元禄、江戸で将軍綱吉が政務を執っていたころ、京都では東山天皇がその位にあり、霊元法皇が形ながらの院政を行っていた。すでに太平の世に馴れた公家の多くは、幕府に対し何ら抗う力なく、怠惰で閉塞的な日々を送っていた。
そんな中にあって、例外的に幕府や徳川家に真っ向から立ち向かったのが、六条公麿三位中納言である。六条家は村上源氏の流れを汲む名門で、皇室式微の極みでもあった戦国時代には、自らの資財をなげうって、時の帝に粥をおおさめしたとの伝もある家であった。そんな中で幕府に靡くことを潔しとしない、公麿の性格が形成されたのであろう。
[編集] 朝権の復古に賭して
戦国時代に途絶えた多くの朝儀の復活のため、費用を算出し、有職故実に基づいて、プランを立てたのは六条公麿を中心とする少壮の公卿たちであった。めでたくも貞享4年(1687年)に200年ぶりに復活した大嘗祭の成功で、従三位中納言に進み、六条は一躍朝廷の時の人になったのである。
しかし一方では、普段から幕府を軽視するような発言が相次いだため、翌年には武家伝奏から「軽挙妄動すべからず」と、朝参を停止させられている。天皇の懇願により、なんとかまた政務に戻ることになったが、位階はほどんど変化がなく、しばらく鬱屈した日々を送ることになる。また山崎闇斎の垂加神道に傾倒し、よりラディカルな尊皇思想へと突き進んでいくのも、この時期のことである。
[編集] 水戸黄門に頭を下げない唯一の男
京都における幕府の介入が、そもそも朝威回復の最大の障害であると見取った六条は、京都所司代とそれにつるむ悪徳商人の関係を断ち切らせようと腐心していた。特に禁裏御用達の看板をいいことに幕府に内通していた、お茶屋、料理屋、呉服屋、菓子屋、土産物屋を徹底的に詮索した。
最大の元締めが、菓子屋の女主人と「うっかり八兵衛」と名乗る山師であることに気付いた六条は、彼らを拘引しようとするが、ここで新たにややこしい事態がからんできたのである。なんと山師「うっかり八兵衛」は、水戸黄門の部下であったのである。水戸黄門一行は、無断で六条邸に上がり込み、刃向かうものを片っ端から粛清する虐殺行為に出て、幕府と徳川家に対する緘口令を敷こうとしたのである。「静まれ、静まれ、この紋所が目に入らぬのか?」と粛清の合図をする水戸黄門一行。
しかし六条三位は、頭を地面に擦り付けて命乞いをするような男ではない。身に危険が及ぶにもかかわらず、豪胆な六条は、例の「だまりゃ!麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上しきっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」と威勢のいい啖呵を切って、逆に水戸の仲間たちを震えさせたのである。
水戸黄門は結局、六条に頭を下げさせることも出来ず、逆に「こやつらは水戸の老公の名を語るニセものじゃ、出会え、出会え!」と形勢逆転され、石もて追われるが如く、逃げ帰ったのである。それを噂すずめの京童どもは、「逃げるは水戸の黄門、追うは六条中納言」と囃し立てたのである。ちなみに「中納言」の漢風名称(唐名)が「黄門」であり、水戸光圀と六条公麿は同位とされるが、光圀が生前なったのは「権中納言」であって「中納言」ではない。
[編集] 水戸黄門の転向
これに恐れをなした水戸光圀は朝廷の実力者でもあった菊亭左大臣を通じて、和解と調停に努めた。
この時期から水戸光圀は朝廷の底知れぬ力に畏れを抱くようになり、六条のような人材がいることを警戒し、徳川氏は尊皇思想によって補完されるべきだという水戸学を起こす力となった。ちなみにこの調停に当たって勅使の派遣が決定したが、この勅使饗応をめぐってのイザコザで、元禄14年(1701年)吉良義央が浅野長矩に斬られた。
すなわちあの「松の廊下事件」である。
[編集] 麻呂の名言集
だまりゃ!そのほう麿をなんと心得る!
恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言まで勤めた麿に手を出せば
どのようなことになるのか分かっておるのか!
麿は徳川の家来ではない!帝の臣じゃ!その麿に手をだせば朝敵じゃ!
謀反人!逆賊!と呼ばれても申し開きできまいが!

