冬戦争

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冬戦争(ふゆせんそう)とは1939年にフィンランドを舞台に行われたソビエトフィンランド対抗の ウィンタースポーツの大会である。

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目次

[編集] 概要

ソ連は突然「ウィンタースポーツで勝負しようぜ!お前がまけたらカレリアとかもらうからな!ガハハ」と フィンランドに一方的に勝負を挑んできた。 フィンランドはこれに対しすぐさま選手団を結成し、かなり善戦し、 スポーツでありながらソ連人選手に死者が出るまで対抗したが、 結果的にソ連の勝ちとみなされ、カレリア地方などを優勝商品として持ち去られた。 なお、終了後にも本大会に関連して「猶予期間10日間で割譲地域脱出マラソン」 などの大規模イベントが開催されたがここでは割愛する。

[編集] 大会の背景

ウィンタースポーツの本場である スウェーデンチームの二軍として扱われていたフィンランドは一時期帝政ロシアチームに加入していたが、 ロシアチーム内のドタバタのドサクサにまぎれてフィンランドチームを作り上げた。 これが新生ロシアチーム(ソビエトチーム)には気に入らなかった。 さらにフィンランド国内での紅白戦(白チームはドイツが援助、赤チームはソビエトが援助し、 ポカリスエットやゲータレードの粉末を差し入れていた)で白チームが勝ったことから さらにソビエトはフィンランドにイライラしてきた。

[編集] 大会の経緯

[編集] 大会開催

ソビエトチームはフィンランドチームへの嫌がらせを思いつき、早速フィンランドに伝えた。

1、フィンランド主要部の障害物競走コースであるマンネルハイム線の撤去

2、フィンランド南西部バルト海に面したハンコ半島で二軍キャンプを行いたいので30年間の租借

3、フィンランド湾に浮かぶ島嶼で水球の練習をしたいので30年間の租借と基地の設置

4、ソビエトのトレーニング場が手狭なのでカレリア地峡周辺の国境線をフィンランド側に30km後退させる領土割譲

このうち、4はカレリアが大人気野球チームであるカレリアベイスターズの本拠地であるため、 フィンランド側は受け入れがたく、交渉は決裂してしまった。 しかしこれで諦めるソビエトではなく、今度は「フィンランド周辺でトレーニングをしていた ソ連人選手が怪我をした!画鋲まいたんじゃないか!」と言いがかりをつけてきた。 (これはソビエト側のデタラメないいがかりであり、自作自演である。)

そして11月30日、ソ連は23個師団45万名の選手団をフィンランドに向かわせた。 さらに、12月1日フィンランド国内に先の紅白戦紅組の共産党員オットー・クーシネンを首班とする フィンランド民主共和チームを立ち上げられてしまう。

[編集] 雪中の奇跡

フィンランド軍は選手人口は15万人しかいなかったため、国際社会は「フィンランド、終わったな」と ソ連チームの圧倒的な勝利を信じて疑わず、事前のトトカルチョも賭けが成立しないほどだった。 余裕綽々でソ連は選手をフィンランド国境全般から進入させた。

一方、フィンランドはソビエトチームの元で補欠選手としてシベリアでユニフォーム洗濯にいそしむのを良しとせず、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム陸軍元帥を総監督に任命、防戦にあたった。彼は得意のサンタクロースをはじめとするスキー選手を用いてソ連軍の選手村に幾度となく奇襲の嫌がらせを敢行し、-50℃の中、ソ連選手はフィンランドの森の中で競技に出るまでもなく凍死していった。そして戦車ぶっ壊し競争では、うっかりものの元バーテンダーの選手がソ連のモロトフ外相に出すつもりだったキツいカクテル(モロトフ・カクテル)を投げつけるという惨事が起こり、タンクデサント競技の練習中であったソビエト戦車と戦車兵はあっという間に炎上してしまった。えてして遅滞戦術、焦土戦術、ゲリラ戦といわれるちょっとズルい戦術の前にウォトカを愛する純朴なソ連選手達はパタパタと倒れていった。

選手不足のフィンランドはちょっと運動神経のいい中学生を捕まえ、「兄ちゃん、いい体してんなぁ」と地連チックに誘い出し、選手団に加えている。フィンランド軍は競技選手用のユニフォームにも事欠く状態だったので、仕方なく補欠選手は自前のユニフォームを着用しなければならなかった。これを「いいね」と当時の首相アイモ・カヤンデルが言ったので、12月6日はアイモ記念日、そのばらばらのユニフォームをカヤンデル・モデルと呼称するようになった。

一方のソ連チームであるが、優秀な赤軍選手をスターリンの都合により、シベリア集中強化合宿および杭に縛りつけられてライフルの弾を避ける訓練を行っていたのでソ連チームの体たらくは戦術も何もあったものではなく、当初の予定通りにことは進まないどころか、とんでもない目にあった。


マンネルハイム将軍と戦車ぶっ壊し競争に参加するフィンランド人選手

     _,.r:::::::::::::::::::::::-、 
    r;r'''''''"""゛゛゛ヾミ:::ヽ   ようこそ、フィンランドへ 
   /i'       ゛ミ:::::::ヽ   このモロトフ・カクテルはサービスだから、まず焼けて落ち着いてほしい 
   l:i'         ミミ:::::::l 
  i:!           ミ::::::l   うん、「ゲリラ戦」なんだ。済まない。 
  ,| ,,,,、_   ,,-= ,,,,,   ミ:::/    ソ連は厚顔厚顔無恥って言うしね、謝っても許してくれないと思う 
   l",-u>゛i "ィ''Cヽ゛;、 ヾ"`! 
   l    i `‐     ; ぅ !   でも、このマンネルハイム線を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 
   l  /(_  ヽ     i_,/    「徹底抗戦」や「ウザさ」みたいなものを感じてくれたと思う 
    i ;彡""ミ≡ヽ  イ      殺伐としてるソ連の隣で、生き残るのってムズカシイ、 
    ヽ  ̄ ̄゛  ,,,/lヽ      そう思ってドイツと同盟を結んだんだ。 
     ヽi'___/ノ::::::::::l 
     r:::ヽ/~::::[×== ]:::l     じゃあ、カレリア割譲以外の注文を聞こうか。

[編集] 国際社会の反応

頼みの兄弟国で偉そうな態度と偉そうな形の国土のスウェーデンは国王が敗走するノールにも味方するほどのトゥルニュートラル主義者で、 また首相は前首相が成績不足で解任された後、以前の首相のバックアップのもと定職につけた超ヘタレの小心者が首相でソビエトチームにびびっていた(この頃毎日のように日記をつけている)、 しかも外務大臣は以前に首相を務めたカリスマ監督(今の首相任命を後押ししている)で後年にはスウェーデン語で最も優れた訳の「共産党宣言」を執筆するなどのバリバリの親蘇だったが、 スウェーデン在住のフィンランド人(えてして血の気の多い連中)は、「ソ連許すまじ!」とし、義勇チームを結成、 応援団としてフィンランドに9000人ほど突入する。 彼らは強力なフーリガンとして、ピロシキより重いものを持ったことのない平和主義のソ連人を 思う存分タコ殴りにした。

国際社会は「ソ連?係わり合いになりたくないなぁ」などと思っていたが、 『雪中の奇跡』(フィンランドの若手士官と少年選手がソ連兵に嫌がらせをしながら 愛が芽生えていき雪中で体を暖めあうという内容の女性向け18禁同人誌)を報道されてから、 ちょっとだけ、物資を送るようになった。

アメリカはこの頃ソ連にデレデレだったので、物資の供与を断っていたが、 「あ、余っただけなんだからね!」とツンデレな態度でブリュースター F2A バッファローを供与している。 これは空中競技で用いられるものであり、アメリカ人選手は空飛ぶ棺桶として嫌っていたが、 白鳥以外の空を飛ぶものを見たことのないフィンランド人選手達は感動し、 「空の真珠」「これはすばらしい。名機である」とべた褒めし、 ソ連の選手たちを多数撃墜、自分たちが撃墜されたときはエンジンだけ担いで回収するほどであった。

なお、日本からは根来の鉄砲職人が作ったクレー射撃用の名銃三八式歩兵銃や 対B-29用決戦兵器である竹槍などを送ったところ、歩兵銃の方はそれなりに使えたものの、竹槍を「なんだこれ?」とスキーの材料にしてしまった。こればっかりはB-29が居なかったのでしょうがないと言えるだろう。

[編集] 停戦

ソ連のほうは、物量作戦で押し切り、障害物コースマンネルハイム線をぶっちぎるも、 上層部ではスターリンと国防大臣クリメント・ヴォロシーロフが大喧嘩するわ、 春になってぬかるんできたらソ連人選手とソ連戦車の水虫が悪化する恐れがあるわで、 停戦を求めてきた。

一方のフィンランド国内の空気としては『選手層が少しやばくなったけど米英仏の助けがあるかもしれないし、まだまだ戦える!』や『米英仏のフィンランド側への乱入の可能性が増しただけでも有利に停戦交渉が進められる!』といった感じだったが、マンネルヘイム元帥は『これ以上はジリ貧だし、選手層の厚いうち、決定的な敗北を得る前に譲歩してでも即時停戦が必要』と考えた。 このままではフィンランド全部がソ連人のサッカーグラウンドに改造されてしまう恐れがあったためである。

1940年3月12日、モスクワ講和条約が結ばれたが、これによりフィンランドは当初より 多くの領地をソ連の運動場に改造されてしまう事となる。 これは当初の要求より多くの領土を失うことになった(ソ連お得意のブンどりである)。 マンネルハイム元帥は救国の英雄として王監督のような扱いを受けた。

[編集] 停戦後

停戦から三ヶ月後、同じくソ連に運動場を貸すことになったエストニアのタリンコートから飛び出してきたサッカーボールが、 フィンランド航空タリン行きの旅客機に直撃、爆発するという、窓ガラスが石で割れた時代らしい事件が発生する。 これに対しソ連は「俺たちじゃないよ! ちゃんと飛ばないように遊んでたし!」と言い訳するも何人もの目撃者がいる以上 フィンランド側が納得するわけもなく、結局タリンとの交易は不可能と判断し(ナチス)ドイツとの取引を重視するようになった。それもドイツがソ連戦で鹵獲した蒸機(Э型)を買ったりとかしているわけだ。このことがパウルくんで有名なサッカー強国ドイツとの協力を深め人材のトレードを行う結果となり、後にソ連にリベンジマッチである継続戦争を仕掛けることとなる。

[編集] 教訓

  • ソビエトロシアと関わり合いになってはいけない!
  • だからといってソビエトロシアの言いなりになってはいけない!もっとひどい目にあう!
  • あとフィンランド人は切れたら怖いよ!
  • アニメ「冬戦争」カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム名台詞
    • 「自国すら守れない民族を他国が助けてくれるはずがない。」
    • 「もし、助けてくれることがあるなら、何か別の野心を持っているだけのことである。」
    • 「従って、大国に頼り切ることは大国に逆らうのと同じくらい危険である。」

[編集] 関連項目

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