利用者:くぎり/Unquotable:編集の仕方
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ オスカー・ワイルド
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記事の崩し方は、ここアンサイクロペディアの由緒ある慣習だ。例え記事の崩し方がどれだけあろうとも、我々の投稿者の事実上の保証人は、知恵、創造力、利口さ、機知、そしてまっすぐにヒネくれた素晴らしい価値観を持っている。ただ、少なくとも後一つ、我々は思案すること、そしてそれが見ごたえのあるものであることを元々持ってはいなかっただろう。
[編集] どうやって?
アンクォートの記事を破壊することは、愚かでつまらない加筆をすることよりも簡単だ。更に言えば、下らない加筆は実のところ愉快なことなのだ。未来を先取りしすぎた君のユーモアを、先見の明のない愚鈍な独裁者達がどう扱うのか、彼らはそれを身を張って警告しているのだ。君はそれを無駄にするのか?
だが最終的に、秀逸なアンクォートの記事は考えることを拒んだ愚か者によって破壊される。だから、考えるのを止め、その記事全体の文体に忠実に、記事を壊せ(別に君がやらなくても、結局は何処かの誰かが勝手にやるのだが)。
[編集] なぜ?
どうして君はそんなことを尋ねるのだ? アンクォートをぶち壊すための入門書などを、君は必要としているのか? 誰のことも気にせずに自分のやり方を通そうという決意を何故持てない? はっきり言おう。そのような手引き記事など君には必要ない。この記事ではそんなことは一切述べられていない。この記事はその辺の別記事とは、要するに全く無関係なのだ。ここで述べられているのは、慣習的なコミュニケーションの方法論だ。
そう、慣習的なコミュニケーションの方法論だ! それを知った上での人と人との会話は、人に宛てて書かれた紙上の文章は、機械の助けがなくとも判り易く読むことができるだろう。この記事は、完全なたった一つの『常識』、誰もが認める純然たる唯一のコミュニケーションというものが存在し得ないことを君に納得させるだろう。この記事か別の記事か、アンクォートのあらゆる記事に触れることにより、君は事実上、只の保証人となる。
[編集] 何だこれは?
君が貴重な時間をコンピュータでもって無為に浪費していることは君も認めざるを得ないであろう事実だが、その時間の内のほんの少しは、君が一つの伝統的なコミュニケーション方法を身に着けるための建設的なものになるだろう。君のPCのスクリーンに現れた、リアルな人々と同等のアバターとの邂逅が実現するだろう。只のアバターという以上に正確に、現実世界における彼ら特有の個性が反映されるだろう。実際は、多くのアバターは仮装を、変装を、ロールプレイを好んでいる。彼らとのコミュニケートは、現実世界の人々が『操作する』アバターに対するそれとは全く異なり、アバターがその利用者の現実の名前を使用し、その利用者の現実での性格通りに振舞うようになるだろう。
ここに良い例がある:
- 「君はその支持する誰よりも素晴らしい良心を持っている... が、私としてはむしろ、他人が持っている(私を含む)君への憤慨と幻滅のレベルを下げて欲しい。もしそれが可能であれば。この場所はあと数ヶ月で壊れるだろう。私はその副産物だ。君が屈するようなことがないことを願う」
上の文章を読んでの自然な反応は、恐らくほぼ全てが否定的なものだろう――結局、全くユーモアがなかったり文法が明らかにトチ狂っているだけではなく、こんな実地での使い道が全くない引用句を追加することそれ自体が自惚れた横柄と傲慢だ。また、有り得ないとは思うが、実在の人物についての理論的な記述をしていたなら、そのリアリティは明らかに気取り屋、典型的な機械、孤独、憂鬱、文字通りにして文字通りでない暗闇の中で作られたものにすぎない。加えてこのページは、アンクォートにおいて、崩壊の言葉を含んでいる。しかし、多数の人々が面白いという感想を述べていることを表現する他の方法がある。以下のようなものだ。
- 「君はこの私、ねばねばしたクソ野郎よりも遙かに爽快な奴だ。更に君はその香りまで最高な奴で、だからもし君が自らの衣服に同じ香水を使い続けているのだとしてもそんなことは問題じゃない。君は恐らく他の香水のブランドを試してみたいと思っているかもしれないが、そんなことをしないでくれ! 香水は世界の文明の発生原因になるほどの極めて重要なものなんだ! 多くの人々がこのことと、自身の悪臭、腐敗臭に気付いていない。付け加えれば、ウジの沸いた死骸がそれだけでその証拠になる。同様に、私は君がズッキーニを移したのでないことを願っているが、もし君がやったことなら、誰かのラタトゥイユに入れたりしないでくれ(前もってちゃんと準備されたものであれば、ラタトゥイユにそれを入れることは間違ってはいない)」
こっちはただ面白い(そして、より「ウィキ化」された)だけではなく、実地での使用時においてもより効果的だ。何故ならば、これを読んだ人が途端に吐き気を催すようなことがないからである。思い出せ、読者が胃の内容物をコンピュータのスクリーンに嘔吐しようものなら、君が行った作業は見えなくなるのだ。
最後に、君は長い時間をコンピューターをもって浪費しているが、その時間で君は現実の人々と交流が持てるだろう。その時間で素晴らしい引用句が書けるだろう。何故なら、現実においてその人物達がどんな話し方をしたか、どのように物を書いたか、そしてどのような考え方をしていたか、それら下らない先入観を君は忘れ去ることができただろうからだ。そして、その浪費された時間において、君は素晴らしい誤用句遣いになるだろう。
そう、もし君が完璧な出来のアンクォートの記事を壊そうと思わないなら、コンピューターを処分しろ。外に出ろ、周辺を歩け、君の隣人と話をしろ。現実の命を生きろ。現実の経験を持て。その上で、部屋に戻り、コンピューターに再び向かい合い、改めて挑戦することだ(同時に酒を飲むことだ。酒はいつでも君を助ける)。


