利用者:ももももももももものうち/エヴァンゲリオンの原典
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
エヴァンゲリオンの原典( - げんてん)とは、1995年にテレビ東京にて放映されるや数年で社会現象まで起き、日本だけでなく海外でも高い評価を受けたロボットアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が、実はその原型が日本の古代史の中に存在し歴史の中に巧妙に埋め込まれていた、すなわち日本の歴史こそがエヴァンゲリオンの原典であることを証明するために書かれた論文である。以下にその概要について述べる。
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[編集] カムイ(神)の出現
ヴュルム氷期の後半(BC18000年頃)に現在に比べて130mまで海面が下がる程寒冷化した地球も、以降温暖化が始まり徐々に海面が上がってきた。それに伴い赤道±20°に生活圏の中心をおいていた人類も、現在の大陸棚とよばれる地域を中心に北上を開始した。この時生まれた文明が超古代文明であり、日本近海の代表例として津軽海峡海底遺跡や与那国海底遺跡などが上げられる。何千年という時間をかけて少しずつ文明を発展させてきた人類であったが、BC6000年頃に起きた大規模な火山の噴火の粉塵による一時的な寒冷化と、その後の温室効果ガスの増加による気温の急激な温暖化(平均約1℃)により世界的な大洪水が発生し壊滅的な被害を受ける。世界各地に残る洪水伝説の内のひとつが後の旧約聖書にも引用され「ノアの箱舟」の物語となったのである。
当時の日本にもその洪水が押し寄せるが、その時今の東北地方にいた縄文人(アイヌ人の祖先と言われている)を救ったのが、昔から地球の観察を行っていた異星人である。彼らの一部は宇宙活動型パワードスーツに乗り込み、土木作業を行って洪水による被害をくいとめ、縄文人を絶滅の危機から救った。これを見た縄文人達は彼らの事をカムイ(神)と名付け崇めた。このカムイが後に北上してきた南方系縄文人と接触、共生する事になって独自の文化を発展させた末、神(かみ)という言葉が生まれたものと思われる。
[編集] カムイの特徴
全高約2.5m~3m弱。機動性を重視した作りとなっており空気のない宇宙空間でも活動出きる様設計されている為、機密性・保温性にも優れた機体となっている。異星人が頭部を開けて入り込む形となっており、自身の手足の動きに連動して作動する仕組みとなっていた。(エヴァというよりサクラ大戦の「光武」か?)頭部にサングラスを大きくした様な「目」があるのが特徴で、動力源や内部機器など詳細は不明。(ただし、何千年に渡り機動出来た所を見ると原子力か何かを利用していたものと思われる。
ただ、安全装置として異星人以外が乗り込んでも操作出来ぬ様、精神感応(もしくは神経パターン)による照合がされていて適合しなければ始動出来ない様になっていた。(この辺がエヴァのシンクロの原典だろうと思われる。)又、作業中に人に当たらない様各種センサーによる自動停止・回避プログラムも組み込まれていた為、通常の土木作業などには(周りの人も含めて)ケガ等を発生させる事はなかった。が、緊急時のモード変換は可能でその場合は自由に操作出来た。(これが暴走モードの原典である。)
[編集] その後のカムイ
伝説の大洪水が過ぎた後も、一部の異星人達はその場に残り復興に協力した。やがて縄文人との間に子供をもうけた為、救助した部族とは少し離れた山中に自分達の集落を作り移り住んだ。他の文明社会に自分達の文明を入れる事を恐れた異星人達は、必要最小限度の装置のみを残し、他の装置は仲間の宇宙船に回収してもらい、現地縄文人と共に平和に暮らして行く事となる。
ただし完全に使用しなかったというわけでもなく、現に青森県の三内丸山遺跡には直径2.2m×深さ2m間隔で4.2m間隔で2列に3個ずつ柱を立てた跡があり、そのやぐらの建設の為にも使用したと思われる。古代出雲大社に至っては(現在と同じ場所に)高さ96mの柱6本上に社を立てたという伝説も残っている。又、青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡では縄文時代晩期に(カムイをモデルとして)当時としては精巧に作った遮光器土偶が残っており、シャーマンが病魔払いとしてお払いする人の身代わりに悪くなった部分を割り地中に埋めたと言われている。
[編集] 「クニ」の誕生
BC30年~10年ごろ、中国大陸にいた支配層の一族が戦争もしくは権力争いに敗れた為、当時文明が遅れていた朝鮮半島に逃げ延びようとした所、東シナ海にて嵐に会い北九州に流れ着く。当時東アジア一番の文明国であった中国の人々は数年もたたず現地の言葉を覚え、又中国の進んだ文化を伝えながらいつしか部族の中心的な存在になって行く。その頃ネイティブアメリカン(同じモンゴロイドの末裔とも言われる)のように部族(又はムラ)しか作らなかった当時の支配層に成り代わり、いつしか「クニ」の母体になる集落を作る。周辺の「ムラ」や「クニ」と、時には争い吸収や迎合を繰り返した後、北九州にあった国々の支配層となって行く。領土や利権をめぐる小競り合いを繰り返した後、共倒れを恐れた支配層は協議し、当時よくあたると呼ばれる女性のシャーマンに神託を受けようという事となる。
[編集] 邪馬台国・卑弥呼と「使徒」の出現
シャーマンの占いがよく当たると言われるのは当然で、当時の日本になかった中国の占星術や天候の読み方、薬の作り方などを自分の占いに取り込み利用していた。かくして神託が下ったとし当時の大国といわれた「邪馬台国」(やまたいこく)の長となる。(現在の北九州にある周防灘沿岸の豊前市や中津市・宇佐市あたりまでを支配していたとされる)。さらにそのシャーマンは当時から信仰されていた「太陽信仰」を取り込み、既に死亡していた同じシャーマンの自分の母親の霊を神格化(これが後の「天照大神」(あまてらすおおみかみ)のモデルになったとされる)、自らを「太陽の巫女」つまり「卑弥呼」(ひみこ)(なぜ日弥呼とならなかったかは不明)と名乗り、各国の長や支配層を「太陽の臣下」、一般の国民にあたる人々を「太陽の使徒」あるいは単に「使徒」と呼ぶようになった。(この「使徒」がなまり、「人」(ひと)という読み方が出来たと思われる。)こうして邪馬台国・卑弥呼女王 と使徒がここに誕生したのである。
[編集] その後の邪馬台国
こうして一介のシャーマンからまんまと北九州連合国の女王にのし上がった卑弥呼ではあったが、大きな社を立てて男性は弟一人、あとは100人の女性(1000人だったとも言われる、全て生口(奴隷)であったかも不明)とともに社に閉じこもり、占いで政治の決定権を握り、自国や他国から一定の貢物をもらう以外は、おだやかに暮らしていた。
ただその頃南九州にあった南方系部族集団の「狗奴族」(後の熊襲)とはうまくいかず(というのも狗奴族にとっては自分達が支配していた土地を追われる形となっていた為)小競り合いが絶えなかった。その為卑弥呼はAC239年と243年の2度も中国に使いと生口を送り、「新魏倭王」の称号と金印を授かっている。AC188~247の60年余りの間、比較的穏やかな治世を送って来た卑弥呼であったが、ついに死亡する事となる。その後すぐ男性の王が後を継ぐ事となるが、連合国の足並みが乱れ小競り合いを始めたので、同じ卑弥呼の一族の「壱与」(いよ)が女王となる。その後AC266年に壱与は中国に対し、貢物を送る。
こうして女王がかわった後も、小競り合いはあったせよ比較的穏やかな治世を送ってきた北九州連合国であったが、ある天災により事態は一変する事となる。
[編集] 邪馬台国滅亡と天孫降臨
AC200年代の終わりごろからAC300年初頭のある年、南海トラフを中心にマグニチュード8クラスの地震が連続して起きた(場所を変えて2~3回)。その時起きた津波が豊後水道を通り、各周辺に被害をおよぼしながらも現在の山口県瀬戸内側に到着。そこで複雑に跳ね返った津波が更に周防灘の福岡・大分側沿岸すぐ近くの水深が深い所を通りいっきに沿岸を襲ったのである。深い所から上がって来た津波は(正確に計算する方法を知らない為不明だが)10数mの高さは十分にあったと思われる。地震国日本で津波はめずらしくはないが、震度3~4程の揺れのあと震源に比較的近い所で津波にあった場合は逃げる時間がそれ程とれなかったろうと推測される。
沿岸よりにあった邪馬台国の中心部は灰燼と化し、津波が引いた後の田畑でも塩害で作物が育たなくなったと思われる。生き残った山側に住んでいた人々を率いた邪馬台国支配層の一部は、伊都国もしくは不弥国(現在の福岡県筑紫野市あたり)に避難する。そこでしばらく暮らし始めるが、調達出来る食料に限りがある為、食料を巡っての小競り合いが始まる。事態を重く見た元邪馬台国支配層は新しい安住の土地を探すべく、南方の狗奴族と当時からあった山陰の部族集団である出雲国(正式な名前は不明)を避け、攻略しやすい山陽方面に侵攻を開始するのである。この時、長となったのが後の「神武天皇」(じんむてんのう)のモデルであり、出発の地になったのが後の「天孫光臨」(てんそんこうりん)の地のモデルとなり、「古事記」「日本書紀」に記述された。
[編集] 使徒侵攻と日下(ひもと)の部族
その後、瀬戸内海沿いの部落を制圧・吸収して領土を拡大していった使徒(邪馬台国側)は、ついに大阪湾の沿岸(そのころ現在の難波や大阪城があった所までは「河内潟」(かわちがた)と呼ばれる潟があった)に上陸し侵攻を開始した。だがその頃、生駒山の麓にあった「日下の草加」(ひもとのくさか)や現在の奈良「飛鳥の明日香」(とぶとりのあすか)に住んでいたその地方の部族(元々アイヌ系縄文人が住んでいた土地に南方系部族が住み始め融合し、更に朝鮮や中国の文化を取り入れ独自の文化を発展していた)が激しい抵抗をみせた。
初戦こそ使徒を退けたものの、圧倒的な戦力差と武器性能の差によって次々に制圧されてしまう。そしてその地を安住の土地と定めた長(この頃には神武天皇のモデルの子孫の可能性が高い)によって、後の大和政権の母体となった「クニ」が作られるのである。安住の地を確保し更に力をつけた使徒は、周辺の部族を制圧・吸収しさらにその支配権を東方に伸ばして行く。そして最後まで抵抗し続けた「日下の草加」部族の生き残りは使徒侵攻に追われる形となり中部・関東・東北の方へと逃げ延びる事となる。
[編集] 「アララバギ」始動
現在の青森県まで逃げ延びた「日本」(ひもと)(日下がいつ日本に変化したのかは不明)部族の生き残りは、そこでアイヌ系縄文人子孫の部族集団に出会う。そして自らの部族を使徒侵攻から守る為、協力を願うのであるが、元々平和主義であった部族集団の長たちに同情されつつも協力を拒否される。そして尚も必死に協力を求めた日本部族の長を異星人の子孫の集落に案内する。最初は協力に否定的であった異星人子孫部族の長も、自部族だけでなく一帯の部族集団も使徒侵攻の危機にさらされる事、自部族のテクノロジーも歴史の表にさらされかねない事をも考慮してついに共闘を約束をする事となる。10体ちかくあったパワードスーツも長い年月を経て異星人としての血が薄れてしまった為3体しか始動出来なくなっていたが、それでも侵攻してきた使徒の集落にて建物を破壊し驚かせ退散させるには十分であった。これを使徒は「荒神」(あらがみ)又は「荒場神」(あらばがみ。アララバギとも)呼び恐れた。だが、東北地方の支配が一向に進まない事に業を煮や した中央部によってついに荒神討伐隊(数にして2000~3000人といわれる)が結成され、東北に侵攻を開始する。この侵攻を斥候の知らせより知った異星人子孫部族は、パワードスーツのモードを変更し防御を強化して、汎用人型決戦兵器「アララバギ」を誕生させる。
- -かくして、太陽の「使徒」との「日本(ひもと)」人類の存亡をかけた決戦の火蓋が切って落とされる。-
数と武装においては圧倒的不利を強いられた「日本」部族であったが「アララバギ」の活躍によって、数日で討伐隊を壊滅する。わずかに生き残った数人の討伐隊員の報告に震撼した中央部は、その地(現在の青森県や秋田・岩手の一部)の支配から完全に撤退する事になる。そして生き残った日本部族は現在の青森県上北郡東北町に「日本中央」の碑を立て、現地アイヌ系縄文人子孫の部族と平和に共存する事になる。一方、自ら部族と周囲あるいは日本部族を守る為協力した異星人子孫の一族は、数年間斥候を使って監視つづけた後、血塗られた過去を捨て去る為「アララバギ」を破棄する事となる。(海に捨てたとされているが異星人に回収してもらったとの説もある。)
[編集] 「決戦」後の日本
一方、東北の支配を諦めた中央部であったが当時最大敵国であった出雲国を降伏させたのをはじめ(これが大国主命(おおくにぬしのみこと)の「国譲り」のモデルとなった)、順調に侵攻していった。だが中央部の有力部族(これが後の豪族)同士の軋轢を生み、邪馬台国から続いた長である大君(おおきみ。これが後の天皇)は20数代で一度途切れてしまう。さらに乱れた中央部をまとめたのが現在の福井県にあった部族の子孫で、有力部族の後押しを得た継体天皇(けいたいてんのう)のモデルとなった人物である。多くの豪族の意見をまとめながら次第に中央政権の基盤を作成していった大和政権はその後「日本」の部族と和睦し中国に付けられた蛮族の意味を持つ「倭」(わ)から、対等につきあえる「日本」(にほん)に国名を変えて、独自の文化を築き始めるのである。
- そして記録にすら残らない日本人の「原典」(=魂)が1995年「新世紀エヴァンゲリオン」として形を変えて復活し一大ムーブメントを巻き起こしたのである。
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