動物の権利

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動物の権利(どうぶつのけんり)とは、人権と同様に、あると主張されているが誰もその存在を証明できていない衣服

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概要[編集]

動物の権利は、一部のヒマな人が実在を主張しているが、それが存在しているのを目撃した事例を誰も存在していない。にも関わらず存在は主張されていることから、PETA辺りはネタ扱いしている。

この衣服は、着せることで「人間からの害を受けない」や「その存在が尊重される」という機能があるとされており、おそらくは甲冑のような装甲と、法衣のような尊厳をあらわすものだと考えられている。また、家畜ペット野生動物のいずれの動物にもフィットすると考えられているため、極めて伸縮性の良い、コンドームのように伸び縮みする素材で出来ていると考えられている。ただ、こういった機能性素材は現在の科学では発明されていないため、オーパーツの類といえよう。

しかし実際問題として、そのような衣服が実在したとして、全ての動物がこれを着込んでいたとしたら、人間は動物を食べることが出来ない。そのため食肉産業の関係者らはこの衣服の発見が成されないことに感謝している。万が一にも発見されるようなことがあれば、早晩人間は菜食主義に移行せざるを得ないと考えられている。

歴史[編集]

この衣服の伝説は、初期の哲学の黎明期と重なる。人間が物を考え哲学などという無為な思考実験(あるいは脳内エロゲーで遊ぶこと)を始めた頃、猫耳などの萌え要素の発明も行われ、空想の中で獣姦に耽る輩が現れた。これらのヘンタイどもは「服を脱がせる行為」に性的興奮を覚えるあまり、動物に服を着せることを思い付いたようだ。

こうして動物に服を着せるイメージが出来上がる過程で、動物は生まれ付いての毛皮を持ち、基本的に服を着ることに価値を見出さないであろうことから、衣服を着せることに反対する意見も発生した。この意見の支持者にはアリストテレスがおり、彼は動物には羞恥心が無いこととオナニーをしないことをもって、動物に着衣は不要だと説いた。

17世紀になってフランスの哲学者ルネ・デカルトイヌはむしろそのマゾヒズム的素養により、服を着ないことに苦痛を感じず、露出プレイを楽しんでいると考えた。そして彼は動物が衣服を着ないことは全て露出プレイの結果だと位置付けた。しかしこの意見に対してジャン=ジャック・ルソーは人間が生まれたときは裸であり、これは衣服を着せられない赤ん坊が露出プレイをしているとは考えられないこと、更には貧しくて服を買えない者は裸のままで居るしかないとする『人間不平等起源論』を発表、この視点から基本的にニート(勉強も仕事もしない)である動物も衣服を持たないという結論付けている。

こういった獣姦マニアどもの論争は現在も続いており、動物に服を着せてそれを脱がすことを想像して喜ぶべきか、或いは最初から裸であることに興奮すべきかの決着はついていない。

法律においての権利[編集]

動物の権利を認める為には、『動物を殺害したら、懲役に処せる』と立法すれば、動物の権利を守れる事になります。法律の目的は、動物それぞれの本性に従って、生きる権利を守ることです。

社会上、伝統的慣習において認められてきた権利[編集]

但し、人間と動物が歴史において共存し、融和・協調してきたことも事実であり、その中において動物がいくつかの権利を行使することが人間社会において慣習的に認められてきたこともまた事実である。法制化されておらずとも、以下の権利は国際社会において概ね認められている。

  • ストーブ、ファンヒーター、暖炉等暖房機器の正面を独占的に占有する権利

動物が服を着ることは世界規模でまだ一般的とは言えず、また例え着ていたとしても重ね着が困難であるため、室内において動物は暖かいところを独占的占有することが認められている。人間がこれを理由なく排除しようとする際に、例えば猫が抗議の鳴き声を上げることはもちろん表現の自由として保障されるべきであり、排除が余りにも暴力的であれば猫パンチを放つことは自衛権の行使として認められるというのが国連安保理において認められている。日本においては猫には「こたつで丸くなる権利」が認められており、こたつから猫を排除しようとする試みは日本国憲法第9条に反しているというのが内閣法制局の見解である。

  • パソコン、テーブル、その他作業場所を占有する権利

一見これは人間の作業を阻害する行為で、人間側がこれを排除するのは正当なように思える。しかし人間が動物に対して監護権を行使する以上、動物は人間に対していついかなる時でも遊びを要求する権利を有していると考えるのが現代法の精神上妥当であり、人間が一方的に排除するのは保護放棄でありやはり自衛権行使の対象となる。

  • 鍋、かばん、押入れ、箪笥などその他狭いところへ進入し、占有する権利

上記同様に一見人間が支配する財物に対して不当に進入占有している状況のようだが、しかし現代法においてプライバシー保護の精神が重要視される以上、動物たちが狭いところへ入って身を隠す行為はプライバシー権の行使と考えるのが妥当である。この行為を勝手に排除することは、動物のプライバシーの重大な侵害とみなされている。

社会からの評価[編集]

しかし、「鹿が、かわいそう」と言って、捕食者である狼や狐を、根絶やしにしておきながら、次は「動物の権利」と言い回っているのだから、本当にアングロサクソンは都合がいい連中である。こんな奴らの言ってる事だから「動物の権利」も表面的には立派に見えるが、「また、悲惨な末路を迎えるのだろう」と、賢明な神学者や、謙虚な保守主義者からは揶揄されている。

彼らは次に「自然の権利」を主張しはじめた。しかし「物の権利」や「現象の権利」は主張しなかったのである。この事から、やはり動物や自然の権利を守っている様に見えて、人間の利得を守っている事がバレました。本当に権利を守るなら、自分達の利害とは無関係の「物」や「現象」も守るべきです。

例えば、所有者のいない物品であっても、壊したら、「殺品罪」に処したり、砂時計などの現象を止めたら、「現象強姦罪」に処すべきです。ところが彼らは、自分らにとって関係のある、「自然」と「動物」しか主張しませんでした。やはり彼らは、目先の事しか考えていない不届き者である。

関連項目[編集]