原敬

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原敬(はらたかし・はらけい、1856年3月15日生~1921年11月4日没)とは、日本一、名前が短い内閣総理大臣である。なお暗殺された時は「ハ~~~・ラッケイ」という名の方が有名だった。

原敬

生涯[編集]

生まれる[編集]

一般に平民宰相と呼ばれた原だが、平民どころか、武士。しかも盛岡藩の家老の家に生まれ、俗に言う、上流階級。なぜ平民平民と言われるのかは後述。

陸奥宗光に絡まれアナルを掘られる[編集]

1870年、発情期のハラケイは14歳で藩校(犯行)に入って、女性の下着窃盗女性への痴漢などの犯行に及んだため退学となり仕方なしに上京し入学。 その入学先の学校の学費が払えずに退学。[1]さらにカトリック系の学校で洗脳洗礼を受けた後、法律の学校へ行ったものの、またも学校の乗っ取りを画策したため、退学。 新聞社に入ったものの、取り扱う記事がどれもアレだったんで退社。 国家の乗っ取りを画策し外務省に入る。 そこで元兵庫県知事に出会いアナルを掘られる。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

政治家に[編集]

1900年、立憲政友会とか言う組織ができると、少子化担当総理大臣井上カヲルに「がんばれがんばれがんばれがんばれ がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ、君なら出来る。君ならできる。やれ!やるんだッ!」と熱い説得を受け、入党。自分が平民である事を売りに総理大臣になろうと画策したのはこの頃からである。何度も貴族院のお誘いがあったのに断った理由はあくまでも総理大臣になる為であった。[2]

しかし、ある年の国会で何を思ったか、「貴族院議員は錦をきた古事記」と発言。さらにこの発言の際、当人が着ていた服は毛布とパンツであった。それなのにそういう発言をすたのは何か思惑があったからと言われる。ホームレスっぽいぬらりひょんでも、軍服を着て演説をしていたので、この時からハラケイは頭が狂ったのではと言われるようになる。この辺りから、彼の政治力は衰え始めてはいるが。

このように、当時の大日本帝国臣民はアホ穏やかだったので何の批判も浴びなかったが、今のご時世そういう事を言うとすぐに「ハイ、来た失言~」と途端に叩き出すに違いない。

首相に[編集]

ビリケンさんが木製の体にカビが生え始めたことを理由に辞任すると、「オイラが総理」と言うがままに就任。しかし大したこともせずしたことと言えば、普通選挙法を改正したぐらい。教科書に載るほどの事でもあるが他は殆どしていない所か、宮中某重大事件山縣有朋と協調し香淳皇后に婚約辞退を迫る姿勢をとっていたが、昭和天皇の反撃によって反対派が追い詰められると、賛成派に寝返って、山縣を糾弾するという見事な裏切りを見せた。もっとも、教科書に載らないところでは大学令を施行し、今まではただの自称大学」でその昔朝日新聞から「そんなに野球が大事というなら取りつぶせ」とすら言われていた早稲田慶應を正式な大学に取り立てた恩人である。したがってこれらの私立大学の関係者は足を向けて寝られないはずだが、一万円札の人とか原より先に総理になってたクマーとは違って尊敬を受けている様子はない。

しかし1921年11月4日、とある駅のグモッチュイーーングランプリを観戦していたところ、某駅員が「ハ~~~・ラッケイ」とよくわからない言葉を叫んだ直後に、グサッと一突きされた。内閣総理大臣席に座っていた原だが、この内閣総理大臣席がホームの黄色い線の外側にあったため、駅員の勢いで二人とも、線路に入ってしまい、ちょうど電車が来て、二人をはねた。この年のグモッチュイーーンコンテストの優勝者がこの駅員とハラケイであることは言うまでもない

なお、死に様からうかがえるとおり鉄分が濃い人で、日本中隅から隅まで鉄道を敷き、サルからも運賃を徴収して路線の維持にあてるつもりだった。にもかかわらず、「こいつのせいで日本の鉄道の近代化が遅れた」と鉄オタからの評判は芳しくない。

逸話[編集]

彼は大貧民をした際、必ずと言っていいほど貧民にならず、かと言って富豪にもならずという伝説からである。当然、大日本帝国臣民はそんなの気にしない。なお一度だけ大富豪になったことがあるが、直後のゲームで大貧民となり、その後のゲームも3が2枚、4が3枚、その他諸々でジョーカーなし。というまさに死んだ状態であった。

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  1. ^ しかしハラは上級武士の子である為に金がないとは言えない。 その為、彼が実は学校の乗っ取りを画策したために退学となったのではと言う説がある。
  2. ^ しかし貴族院にいた方が却ってなりやすいのに、それに気づかないハラケイに対し、周囲の人間は「屁移民」、「頭が固い」と評した。

総評[編集]

現代でこそ、「政治力があってよかった」と言われるが実は女性への参政権に大反対していたのである。結局、腹黒い人物だった。