呂布 (蜀)
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
呂布(りょふ Lu Bu ? - 219年?)は、中国の後漢末にいた武将。ちゃんと正史に載ってる実在の人物。マジです。
例の呂布と同姓同名だったため、色々と苦労したらしい。呂布に立ち向かってはならないが、呂布 (蜀)ならそんなに問題にならない。
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[編集] 略歴
小さい頃から例の呂布と間違われたり、からかわれたりしていたという。
特に「呂布を倒して名を上げたい」という連中から、不条理な攻撃を幾度と無く差し向けられてもいた。よく「呂布を倒した・負かした」という人物がいるが、あれはこちらの呂布をぶん殴って悦に浸っているだけである。劉備やら曹操やら李傕やらが、あの呂布に立ち向かえるわけが無いだろ・・・常識的に考えて。
しかし、こういった不遇の環境によって切磋琢磨され、呂布 (蜀)は武将としても成長していった。その後、その頑張りが認められて関羽に登用される。ヒゲ曰く、「名前が面白かったから登用した」とのこと[要出典]。
建安24年(219年)、関羽主催の樊城芋煮会に参加。寒い中集まったみんなと共に、曹仁を囲んで突っついていた。主君の関羽とはだいぶ離れたところに位置どってしまい、ちょっと寂しかったと語っている。(『魏書』「満寵伝」より。本当だよ。)
そのとき颯爽と駆けつけた魔法少女曹操が芋煮を独占しようとして呂布 (蜀)に追突、横転して鍋に転落した呂布 (蜀)は全治10ヶ月の重傷を負ってしまった(同じく『魏書』「夏侯惇伝」に書いてあるんだから間違いない)。
未だ補償がなされていないのだが、関羽がやられちゃったとか何とかのごたごたによって半ばもみ消されてしまっている。本当にかわいそうなことに、その後正史には一切の記述が無い『三国志演義』に至っては登場させてももらえていない(下記のまめちしきを参照してください)。
某無双なゲームには名前だけ登場する。
[編集] かわいそうな呂布 (蜀)
- 小さい頃のあだ名は「ニセ呂布」「ゴキブリ」など。立ち向かっても問題なかったため、よくいじめられていた。
- マケボノに負けた。
- やわらか戦車にカツアゲされた。
- 2ちゃんねるにおいてフュージャネイサンにひっかけられた。
- 歴史家から存在が疑われており、なかったことにされようとしている。特に清の盧弼・趙翼・潘眉・陳景雲[1]あたりが眼の敵にしているが、これは自らの力では呂布に立ち向かえない脆弱な史家による言葉の暴力に他ならない。
- ウィキペディアにおいても彼の項目があったのだが、管理者と称する独裁者によって削除されてしまった。これもまた、自らの力では呂布に立ち向かえない管理者らによる卑劣ないじめ行為に他ならない。無論、あっちの呂布の項目にいたずらするとブチ殺されちゃうのでこっちの呂布でストレスを解消する為である。
[編集] 脚注
[編集] 警告
呂布 (蜀)をいじめないでください。
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