喧嘩両成敗
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)とは、事の理非に問わず喧嘩をした者を両方処罰すること。中世日本において乱世を沈めるためにサムライ達の間で好んで使われた法原則であるが、結果より混乱した社会を生むこととなる。
[編集] 概要
多発していた争いごとを手っ取り早く処理するために「理非に問わず喧嘩したものを両方成敗する」ことと決めたが、これこそが重大な盲点となっている。何故なら自分の身がどうなっても構わないなら相手に無理矢理喧嘩を吹っかけるだけで相手を道連れに出来るからである。不安定な社会であったからこそ、人々は自分の身の安全よりも目の前の憎むべき相手を陥れることを優先しようとする。争いを減らそうとしたつもりが逆に争いを増やすこととなってしまうのである。
これに対抗するために「喧嘩を仕掛けられたとしても我慢した者は処罰しない」という原則も付け加えられた。しかし、平穏でない世の中でいちゃもんつけられて黙っていられる人間は一体何人いるだろうか。たとえその時は我慢できたとしてもストレスは溜まる一方であり、喧嘩を生むのは時間の問題である。また、我慢するだけではなく一方的に喧嘩を仕掛けられたと主張したとしても相手は負けじとつっかかってくるだけであり、互いに言い張っているうちに最終的には本当の喧嘩になってしまう。結局、どう頑張っても喧嘩は増える。
[編集] 現代において
事態を悪化させるだけであった喧嘩両成敗の考え方は次第に衰退していくこととなっていたが、現代になって再び使われるようになった。特にそれが顕著なのは教育現場である。
「からかわれて殴り返したら相手が泣いた」などという小学校低学年にありがちないざこざが起こった場合、大抵の教師は「手を出すのは悪いけれど、最初にからかった方も悪い」と喧嘩両成敗の精神で解決しようとする。だが客観性などろくに持ち合わせておらず自分こそが絶対であり正しいと思っているクソガキ子どもたちに自分の非を認めさせようとすることなど到底不可能である。彼らの心の中には自己の正当化と相手への憎しみと気に食わないことをぬかす教師への不信感しか残らない。
また、いじめが起こり問題となった時には教師が自分自身に対して「いじめる方が悪いけどいじめられる方にも原因がある」と喧嘩両成敗の精神で脳内解決をはかり、何の手を打たないことがよくある。そのようにいじめを放置することでクラス内にとどまらず学校全体にも悪影響を与えひいては社会全体を乱すのである。結果より混乱した社会を生むこととなる。
[編集] 関連項目
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