土人

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土人(どじん)とは、昔の日本中国、及びその他の国々に存在していたとされる民族である。

概要[編集]

土人は、太古の地球に存在していたとされる民族である。一般的に、現代においては絶滅したとみなされているが、その歴史には謎が多く、絶滅の原因もはっきりしていない。各地の墳墓から土人の遺骸が発見されているが、彼らの遺骸は同時代の他の人類と比較してミイラ化して残ることが非常に多い一方で、骨などは一切見つかっていない。そのため生体構造が他の人類とは異なっているのではないかという説が有力である。

日本の土人史[編集]

少なくとも古代の日本には土人が多数存在していたことが判明している。太古、彼らは特殊な力を持つと信じられており、シャーマンとして特別の地位を有していたことが、縄文時代の遺跡から発掘されたミイラにより明らかになっている。彼らは特異な衣装を見につけた状態で埋葬されており、神に豊作を祈願する役割を与えられていたか、あるいは神そのものとみなされていたようだ。個体差は当然あるものの、彼らは平均して大きな目を持ち、背丈なども同時代の縄文人とはかなり異なることから、別種の民族であるという説が有力になっている。現在これら縄文期の土人のミイラは土偶と総称されている。

まだあまり混血が進んでいない土人のミイラ。
こちらはだいぶ現代人に近づいている。

その後古墳時代になると、土人の地位は大きく変化した。この時期に作られた大王や豪族の墳墓、すなわち古墳からは、しばしばおびただしい数の土人のミイラが発見されている。この時期の土人は裸の状態で埋葬された者や、兵装して埋葬された者が多く、縄文時代のシャーマンとしての特権的地位から、各地の王や豪族に従う被支配者へと転落したことが見て取れる。奴隷のように扱われ、主人の死と共に生き埋めにされた者も多かったと推測されている。地位の変化だけでなく、体格も縄文期の土人と比べて現代人のそれに近づいているものも見られ、一部では混血が進んでいたことがうかがい知れる。これら古墳期の土人のミイラは埴輪と呼んで土偶と区別される。

その後日本では土人のミイラは殆ど発見されなくなった。日本においては、混血や仏教伝来による迫害(土人は火葬を拒んだため)などが土人絶滅の原因として挙げられている。但し、生き残った土人が活仏として崇められたことはあったと言い、現代でもそのミイラは信仰の対象になっている。

明治時代になると、本州では絶滅した土人が、未踏の地が多く残る北海道に生存しているのではないかという期待が、日本の民族学界では高まった。これを受けて政府は1899年に北海道旧土人保護法を制定したが、100年近く調査したにも関わらず一人の土人も発見することが出来なかった為、税金の無駄遣いと批判されて1997年に廃止された。

また大正時代においては、南太平洋の島々にも土人が数多く住んでいるのではないかと考えられた。日本は第一次世界大戦の戦勝国となった際に、ドイツ領であった南洋諸島の支配権を要求し、国際連盟によって委任統治を託された。現代の目から見れば何の資源もない価値の無い土地であるが、その目的はもちろん土人を確保するためであった。土人とみなされたミクロネシアの人々は手厚く保護され、他の日本の植民地とされた地域とは別格の扱いを受け、税金を課せられる事もなく、むしろ近代化のために多大な援助を受けた。かつての日本の行為が侵略とみなされ悪と考えられている現在においては、ミクロネシアの人々を土人扱いした事もまた、非常に問題ある差別とみなされている。

世界の土人[編集]

始皇帝は土人から成る軍隊を率いて他国を次々に制圧したと言われている。

日本国外でも土人のミイラは発見されている。

中国
史記の記述によると、繆公は、かつて自分の愛馬を野人に盗まれて食べられるという事があったが、あえてこれを赦し、酒を振る舞ってやったという。これに感激した野人は、後に秦がと戦になった際に、秦軍に加勢し繆公の命を救ったという逸話がある。この史記の記述にある野人というのは、土人の事であると思われる。
1974年に農民が井戸を掘っていた時に、地中の巨大な空間に直立した膨大な数の土人ミイラ群を発見し話題になった。これは秦の始皇帝の墳墓であり、皇帝に従っていた土人が生き埋めにされたものと言われている。彼らは軍装し、隊列を組んだままの姿でこの空間に閉じ込められたのだが、その死の瞬間まで、誰一人倒れること無く皇帝を護っていたのである。始皇帝の中国統一には、こうした規律ある土人部隊の力が大きく関わっていたことが、この発見により明らかになった。繆公の頃から年月が経ったためと思われるが、始皇帝時代の土人は古墳時代の日本以上に混血が進み、同時代の漢民族やその他の異民族と顔立ちまで瓜二つであった。
漢代以降の墳墓からも土人のミイラは発見されているが、これほどまでに多数のミイラが一度に見つかった例はない。内陸の渓谷地帯では長身の土人が活仏として崇められていた例があるが、中国でもやがて土人は自然消滅したようである。
西アジア
現在のトルコの領域内にあるチャタル・ヒュユク遺跡から、土人のミイラが発見されているが、奇妙な事に女性のみに限られている。遺跡からは土人以外の住民の亡骸も発掘されている。この事から、おそらく遺跡の住民は近隣の女性を誘拐し、その中に土人の女性も含まれていると推測される。そして土人のミイラは住民の亡骸よりも丁寧に扱われている痕跡があることから、遺跡の住民は誘拐した女性を大切に扱う習慣があったと想像されている。なお、トルコの領域内からは他に土人の遺跡が発見されていない事から、遺跡の住民がどこから土人の女性を誘拐したかは、現代に至るも謎とされている。
なおトルコは漢字表記では"土耳古"である事から、現代トルコ人、つまり土耳古人を略して"土人"と呼称する場合もあるが、この項で解説した土人とは何の関係も無い。
ヨーロッパ
ヨーロッパにも土人は住んでいたと考えられているが、キリスト教の普及により激しい迫害の対象になった。またキリスト教以上にイスラム教では土人は憎悪の対象とされており、これらの宗教の普及により土人はこの世から姿を消したと見られている。近年でも過激なイスラム教の組織であるタリバンが、バーミヤン渓谷に残る巨大な土人活仏のミイラを破壊し、世界中の考古学者から非難を浴びた。

関連項目[編集]