坂村健

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坂村 健さかむら けん)は、日本が世界に誇るコンピュータセールスマン東京大学教授である。彼の愛用する規格はなぜだか弱小傍流となり衰退することが多いためついたあだ名は不運規格人。先祖には郭図がいる。あまり目立ちはしないが有能なTRONなるOSを考案したことで知られる。

略歴[編集]

生誕~慶應義塾大学をでるあたりまで[編集]

1951年、ごく普通の家庭に生をうける。この期間の彼の資料はほとんど残っていないが、当時より国産日本発にこだわる性格であることは友人らが口をそろえて語っている。事の起こりは国産の食品しか口をつけようとはしなかった事件より始まった。そのために家計が逼迫することもあったが、後に両親も彼の考えに賛同し一家を挙げて国産にこだわるようになった。最終的には石油や鉄などの重要資源も国産志向となり、彼のためにコングロマリットを創始した両親の武勇伝はまた別の話である。ただ、国産であればなんでも良い、と思ってしまうのが彼の悪いところでもあり、大学時代に購入したビデオデッキはVHSでもベータマックスでもないVX規格という超マイナー家庭用ビデオ機であった。このころより不運規格人の片鱗をうかがわせている。

TRONを発表するあたりまで[編集]

慶応義塾をでたあと東京大学の助手となる。大学院生のこのころよりコンピュータへの興味を深めていったが、助手となってからさらにのめりこむようになった。このとき彼が持っていた愛機は沖電気のIf-800である。しかし当時のコンピュータというものは性能の制限もあり、使いにくくて仕方なかった代物であった。おまけに高価で大量導入も一苦労な時代である。そこで彼は一発奮起し、これがコンピュータの未来像だ!という論文を作成。吉野家通のコンピュータSEの間で評判となる。挿絵があまりに綺麗だった事もあり、これがお役人の目にもとまり具体的な国家プロジェクトにまで発展することになる。

さて、プロジェクト名もTRONときまり具体的な方針は以下の3つが決められた。

  • 学校に大量導入させて「TRONじゃなきゃだめだよママ!」という少年少女を大量育成し、将来的に全世代普及を目指す。
  • CPUとかハードウェアも国産で。
  • ビジネス用、工業用・・・etc、いろんなサブプロジェクトを作って、TRONにあらずんばコンピュータに非ず、となることを目指す。

かなり野心的な方針であったが、それだけに理想に萌える若人が多数集って日々議論を重ねた。・・・のだが、いまひとつコンピュータ会社のノリが良くない。当時国産の統一規格としてはMSX(1983年発表)があり、みいそに至っては「そんなんいらへんねん、ずっと98(1982年発売)でええねん」と豪語していたのである。しかし1984年のTRON発表時には朝日新聞が礼賛記事を書いて盛り上げ、坂村の名と共に大いにその存在を世間一般に知らしめることとなったのである。

TRON発表よりあと[編集]

発表した時点ではただの紙レベルのプロジェクトに過ぎなかったが、周りの期待は朝日新聞のおかげもあってものすごいものになっていた。朝日新聞でこれだけ盛り上がるなら、と考えた坂村はNHKにも協力を依頼した。NHKは一億ほどの金をかけ壮大な特集番組を組んでこれに応えた。これは図にあたり坂村は積極的にTRONアピールにいそしむことになる。行った講演は数知れず、1年に1冊は本を上梓し、TVや雑誌のメディアの露出も多くなった。こうなってくるとTRON評議会はほったらかしの状況となり、紙レベルのプロジェクトはいつまでたっても神ではなく紙のままとなっていた。

神プロジェクトのはずなのに一向に紙プロジェクトのままな状態に業を煮やした坂村は、政府にもっとアピールするように進言したのだが、これが裏目に出てしまった。非公式にではあるが、ディズニーの抗議がはいったのである。

TRONの挫折[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「トロン (映画)」の項目を執筆しています。

ディズニーは1982年にTRONという未来のコンピュータ像を示した映画を上映していたのだ。「TRONはディズニーの著作権物だから勝手に開発するんじゃない、消せ。」ということである。アメリカ政府をもびびらせるディズニーが相手では坂村も万事休す。これに便乗したマイクロソフト孫正義らによって正式にTRON普及計画は潰えたのであった。(正確にはBTRONとよばれるものだけだというが)

だが、坂村もここで引き下がるわけには行かなかった。とりあえずTRON普及がだめになったのはアメリカの介入があったからという事にした(これによって名実共に神(紙)プロジェクトとなった)。そして工業用としてTRON存続を図ったのである(ITRONと呼ぶ)。こちらはあまり世間一般の注目を浴びなかったせいか、邪魔も入らず地道に勢力拡大していったがLinuxという新たなライバルの出現で苦戦するようになった。もちろん坂村はLinuxをお気に召さない。フィンランド人が創始したもので国産ではないからである。

それに加え、坂村はITRONからT-Engineというプロジェクトを派生させたが、おなじくITRONから分化したTOPPERSというプロジェクトと対立しており、ITRON戦国戦争の呈を示しつつある。なぜに対立しているかというと、 TOPPERSがオープンソースである点が気に食わないと坂村は述べている。オープンソースという文化が国産ではなく世界中の誰もが参加できることが原因とも、単に不運規格人としての悪夢が降りかかりつつある予兆が原因とも言われているが、今の段階ではわからない。

”ユビキタス”を推進[編集]

TRONを推進していく中で、坂村はユビキタスの精神に目覚めることになる。簡単に言うとどこでもコンピュータであり、いつでもどこでも望めばコンピュータが操作・動作できる位置にあるということである。とりあえず22世紀のどこでもドアの完成を待っているのが現状である。

・・・のであるが、それでは誰も積極的に推進してくれないので、とりあえずありとあらゆるものにコンピュータを内蔵させる計画を立てている。そのためにユビキタス教を創始、順調に同志を増やしているようである。「人間の思考を解き放つ社会をつくろうではないか」とは坂村の弁である。

名言[編集]

「ボクは悪くない。世界の反応がおかしい。」
TRONが普及しなかったこと について、坂村健

関連項目[編集]


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