大川・エル・ア・カンターレ・隆法

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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「ただ知っておくがいい、大川隆法とは天才バカボンであるがゆえに批判される存在であることを。」
~ 大川・エル・ア・カンターレ・隆法 について、管理者養成学校

大川・エル・ア・カンターレ・隆法(正式名:中川隆)は、創造主にしてにして全人類の指導者だと誇大妄想している躁鬱病精神分裂病天才バカボンエル・ア・カンターレとは金星人の言葉で"麗しの星地球"の意味だと大川は主張するが、誰もが笑えるアカンタレの略だと言うのが専門家の間で共通の見解とされている。

目次

[編集] 生い立ち

[編集] 発症するまでの遍歴

徳島県に元共産党の活動家で新興宗教マニアの次男として生まれる。優秀な兄と比べて風采のあがらない弟だったが、父親の「兎に角一番だけは特別」という叱咤激励と言う名の児童虐待によって県内トップの進学校に進む[1]。その後東京大学法学部へと進むが居並ぶエリートの中で落ちこぼれてしまい、大学院への進学も司法試験の受験も全て失敗。結局、何とか業界下位の総合商社に入社するが、そこでも粉骨砕身努力する割りにKYで、禁則事項ですには小包一杯のラブレターを送った挙句に突き返され、赴任先のニューヨークではビジネススクールに潜り込んだものの、余り目立った業績を挙げられなかった。

[編集] 発症して後

商社に勤務する頃から精神分裂病を患いカウンセラーに相談するも好転せず、挙句の果てにイイシラセ イイシラセと無意識に筆を走らせる様になった。これは明らかに精神分裂病の発症であったのだが、父親が彼を宗教家として売り出すことを思い立つ[2]

父親は 共産党で活動する前後に、内村鑑三聖書勉強会や生長の家GLAに接触していて、宗教の知識はかなりの程度熟知していた。そして、これらの宗教の教義に加えて日蓮空海スウェーデンボルグエドガー・ケイシーノストラダムスからインスパイアして、それを大川の言動に巧いこと当てはめていった。無論、多くのオカルトマニアや心霊マニアは無知だったので、多くの人々が大川についていく結果になってしまう。

[編集] 東京ドームでの発狂

こうして多くの人々が大川の虚妄と妄想を信じてしまったため、大川の精神状態は高揚。加えて大川のご機嫌取りに終始していた幹部職員が勝手に数をでっち上げていたため、ますます大川の妄想は酷いものになっていった。

1990年夏、大川は東京ドームでリサイタルを実施。そこで我は大川隆法であって、中川隆ではない。エル・ア・カンターレであ~る!!! と発狂してしまったが、その場に居並ぶ一同は何故か感動してしまって異様な雰囲気に包まれた。そこへ来て写真週刊誌が大川の病状をフライデー、この本を手に取った大川は逆切れする。全ての信奉者に向けて希望の革命というヒステリーを発し、信者は自主的に出版社の編集部へ抗議に殺到、同社の業務が一時的に麻痺する事態となった。

また、この一件でマスゴミから注目されることになった大川は、この暮れの紅白歌合戦へのエントリーを表明。小林幸子張りのコスチュームを披露して、信奉者ともども高揚するも、結局紅白への出場は叶わず年が改まって後は一部の狂信的な信奉者を除いて症状が沈静化し、大川も鬱状態になってしまった。

[編集] 阪神大震災・オウム事件・三塚総理擁立

阪神大震災では事前に発生を予知していたものの、信奉者を混乱させるとの大川の配慮によって予言は封じられた。結果として5000人以上の犠牲者を出すものの、その後の被災者への救護活動は、あの山口組を凌駕するほどの熱心さで信奉者によって大々的に宣伝された。

オウム真理教事件に於いては、その発端となった目黒公証人拉致監禁殺害事件での目撃者に大川の信奉者がいたことから、早々と糾弾に動いた。元々、1990年に大川は自らの信奉者をオウム教祖の麻原彰晃に論戦を挑ませたが、仏教に関する知識の無さが祟り物の見事に論破されてしまう。東大を現役合格して且つ法学部に在籍した大川としては、東大を目指すも浪人で終わり逮捕された経歴もある麻原に自分の教えが否定されたことを逆恨みし[3]、その怨念をこの場で晴らそうと相当躍起になった。もっとも、それ以前から公安によってオウムは内偵されていて、大川が騒ぐ間も無く麻原とゆかいな仲間たちは一網打尽されてしまう。

阪神大震災・オウム真理教事件と自らを売り出す格好の機会を得た大川は、積年の鬱状態から一転して気分が高揚してしまい、今度は創価学会池田大作の向こうを張ろうと妄想を抱いてしまう。そんな折も折、自民党の実力者・三塚博の妻が大川の信者と知人であるということを知る。時に自民党と創価学会の政治部門であった新進党とが激しく対立していた時期でもあり、ご機嫌取りに伺う幹部職員のでっち上げた数をそのまんま信じてしまった大川は、三塚を総理大臣に擁立しようと一大市民運動を企図する。しかし、そのキックオフとなる筈だった日比谷公園での集会では大川の予想の1/10しか集まらず、加えて肝心の参院選では自民党が新進党の後塵を拝する惨敗を喫してしまい、再び大川は鬱状態に入る。

[編集] 現況

大川には妻の文殊菩薩・きょう子との間に3男2女がいて、白金大悟館という自分専用の修行施設に24時間365日宗教活動に従事する日々を送っている。このため大川にはプライベートは存在せず浮気[4]や愛人への愚痴も宗教活動の一端として行われている。加えて大悟館や北軽井沢 に存在する北軽井沢精舎などの自分専用の施設も宗教活動のために供されているので、宗教法人法により非課税となっている。

大川の精神状態は躁状態と鬱状態では激しいくらい差があり、躁状態の場合には自らの信者を総動員して周囲に大きな影響を及ぼすこともある。最近では、三男が いじめに遭ったとして通っていた小学校の周辺で示威行動を行うモンスターペアレンツぶりを見せた他、いじめから子供を守ろう!ネットワークを作らせて自分の影響力を誇示している。その一方で鬱状態の際にはそれこそ自分のことばかりしか考えが及ばず、自分の運転手がパンティ泥棒して自宅近くの寮でコレクションをしていた際にも、ヘアヌード反対とか言っている何時もの態度とは裏腹にコレクションに興味津々の様子だった。

2008年になってからはいじめから子供を守ろう!ネットワークが教育関係者の支持を得て好調な上に、信奉者の一人が自民党の衆院議員候補として擁立されて積年の鬱状態から解放されつつあると思われる。2012年に起こるであろうアセンションに向けて政党と学校を作り、(池田大作と同様)自らの信奉者を社会のエリートとして送り込み世界を支配しようと考えていると推定される。

[編集] 著作

大川の妄想はあまりに多岐に渡り、偉人や宗教家の発言集(と称するもの)からセックス談義に至るまで膨大な著作が存在する。いわゆるマスゴミとかのランキングにあがる書店で何十冊もまとめ買いして、めぼしい知人とかに贈呈するのが信奉者にとって何より修行とされていることは言うまでも無い。もっとも、こうした著作は書店で定価で手に入れなくとも、Amazonのマーケットプレイスブックオフなどで安く入手できるし、近くの支部や精舎でお世辞の一つや二つでも言えば無料で入手することも出来る。

なお大川は、都合が悪くなると以前の著作を絶版にしたり、また勝手に書き換えては知らん振りして再販したりすることも少なくない。一部のマニアの間では、その記述の矛盾や相違について調べることがマイブームとなっており、いわゆる大川の信者よりも推定数としては多い。

[編集] 信奉者

信奉者の一人・鈴木真実哉の 「格差社会で日本は勝つ」PV







作家の景山民夫は信奉者として有名で、写真週刊誌の編集部に大勢のゆかいな仲間たちを引き連れて自主的に抗議に押しかけたり、焚書にも参加した。しかし後になって著作を全て破棄。その直後に焼死してしまい、その際に大川は、完全燃焼の人生でしたと景山があの世で言っていると口走り、景山の知人やファンの怒りを買った。

他にも女優小川知子[5]芦川よしみ[6]テクニカルアナリスト佐々木英信[7]経済学者鈴木真実哉[8]が信奉者として挙げられる。

[編集] 関連項目

[編集]

  1. この結果天才バカボンとなり、その頃から風貌も天才バカボンそのものになる
  2. ほぼ前後して、当時一家の家計を支えていた兄が病気に倒れて、一家は途方にくれていた
  3. それまでは同じ誇大妄想の持ち主同士、波長同通するものがあって親近感さえ抱いていた。オウムの信者を見て何と素晴らしい信仰の姿じゃないですかと賞賛したとさえ言われている
  4. きょう子は最初大川の妄想を信じていたが、結婚して大川の精神異常を知ると、大川を軽侮するようになった。そのため大川もきょう子への反発心を生み、愛人を囲うようになった
  5. 信奉者になった途端に仕事が減っている
  6. 信奉するや顔に大怪我を負った
  7. 精舎での講演中に脳内出血で倒れ、信奉者たちのエル・カンターレ・ファイト!!で何とか一命を取り留めた模様・・・・・と思いきや意識不明のまま死亡した模様
  8. ちなみに査読つきの論文を発表することは最近無く、博士号も持っていない

[編集] 外部リンク