大関互助会

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「横綱よりも大関になりたかった」
大関 について、日馬富士公平

大関互助会(おおぜきごじょかい)は、大相撲の事実上の最高位である大関の地位を守る目的で、1981(昭和56)年11月に結成された組織である。現在の会長は豪栄道。その前身は、貴ノ花(若貴の実父)旭國魁傑ら3人組によるものであるが、彼らの引退により消滅していた。現在、組織の本部は境川部屋に置かれているが、緊急事態があった際には伊勢ヶ濱部屋、もしくは浅香山部屋九重部屋高砂部屋へ避難できる。

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概要[編集]

1場所負け越せば番付が落ちる関脇以下や、負け越しや長期休場が即引退につながる横綱と異なり、大関は1度負け越しただけでは「角番」になるだけであり、2場所連続で負け越さない限り関脇に陥落することは無く、たとえ陥落したとしても翌場所で10勝すればすぐに復帰することができる。極端な話、全休→8勝→全休→8勝→全休→8勝の繰り返しで、年間24勝でも地位を維持することが可能である。それでいて年収は実に3723万円と非常に高額で、三役(関脇・小結)の2632万5000円より1090万5000円も多く、平幕の2058万6000円や十両の1622万1000円と比べても破格の扱いである(ってか、あのデヴ達そんなにもらいよるんかい!)。 ちなみに横綱の年収は4551万円で、大関との年収の差は828万円であり、大関と三役の年収の差よりも小さい。そのため、スイーツ(笑)虎上(まさる)氏のように下手に横綱に昇進して短命に終わるよりも、大関のままで長く現役を続ける方がよほど多く稼げるのである。これらの点において、大関は非常に「おいしい」地位であり、大関こそが力士の事実上の最高位であると言えよう。そもそも大関の歴史は横綱よりも圧倒的に古く、横綱など所詮名誉職に過ぎないのである。

そんな地位の大関が、1981年9月場所で0人となってしまい、地位消滅の危機にあった。そのため、この地位を守るために組織されたのが「大関互助会」である。

ちなみに、かつては土俵上の怪我を理由に全休しても番付が下がらない「公傷制度」が存在したため、途中休場→全休→8勝→途中休場→全休→8勝の年間16勝で大関の地位を維持することもできたが、あまりに乱用しすぎた力士がいたため、相撲協会のKY理事長により、2003年11月場所限りで廃止されてしまった。その後、さる不祥事が原因でKY理事長が失脚してからは一時期復活へ向けた動きが出ており、特に前身組織の会員であった元大関の親方が理事長を務めていた時期には議論が活発であったが、KY理事長が再び復帰してからはまた議論が低調となってしまった。もっとも、そのKY理事長も「デヴは大抵早死にする」という医学上の法則から逃れることはできず、65歳の定年を待たずしてあの世へ逝ってしまったのだから、今後はまた公傷制度の復活へ向けた動きが出ても良さそうなものだが、果たしてどうなるものか……?

会員資格[編集]

会員となるには、三役の地位にて連続3場所で合計33勝以上という厳しい条件が要求される。この程度の成績が残せないようでは互助している余裕など無いので当然である。もっとも、現在は特別栄誉会員となった千代大海や、日本相撲協会が期待をかけている稀勢の里豪栄道は32勝で昇進できたし、他方、会長を歴任したにもかかわらず他の会員から信用のなかった雅山は34勝でも大関互助会復帰はならなかった。要は、時の互助会関係者に信用されなければならないのである。

2場所連続で負け越して関脇に陥落し、さらに翌場所で9勝以下となり復帰できなかった場合は当然脱退となり、再入会には上記と同じ条件が科される。しかも、ここでは今度こそ会の活動に飛躍的な貢献ができると信用されていなければならず、先の雅山の例みたいに、入会を拒まれてしまうケースもある。大関互助会結成以来、これを達成できた者は1人もいない。

ただし、関脇に陥落しただけで即脱退とは限らない点が要注意である(2場所連続で負け越した会員は翌場所、1場所限りの休会員、すなわち特命(特任)会員となる)。魁皇(浅香山)終身名誉会長の秀逸なシナリオによる演出でなのか、大関の特権を最大限に活かそうとしているのか、星勘定の結果そうなってしまったのか、本当に追放されてしまったのかは素人目には判断が出来ないため注意が必要である。

横綱に昇進した奇特な力士は原則として除名されるが、優勝争いから陥落した場合は名誉会員として互助に協力する場合もある。なお、現役会員が財団法人日本相撲協会解雇(または除名)されてしまった場合は、その処分の正当性に関わらず大関互助会も除名処分となることが2010年6月28日の臨時会議にて決まり、当時の副会長であった琴光喜は協会を解雇された同年7月4日付けで「大関互助会の会員としての自覚を持たず協会の名誉を損なった」として同日付で互助会を除名処分とされた。また、出場停止などの場合についてはその会議にて「謹慎とし役職には代理をたてる。また自発的に役員辞任を求める」と決まった。

大関互助会はOBも時に活動に貢献する。大関互助会を引退した者が組織する「大関互助会OB会」という組織が存在しており、OB会長は魁皇、副会長は朝潮である。OB会には協会を離れた元会員も在籍しており、現在、存命の元会員は琴光喜と協会に在籍していない元横綱の一部を除き、全員が加入している。OB会運営委員などいくつかの役職があり、協会の仕事で大関互助会の活動を支援することも実際にある。OB会に所属している親方のおかげで、巡業先で恥をかくことはないし、大関同士の互助を行える取組も編成されるし、大関の降格基準も変更されない。

活動内容[編集]

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8勝7敗会員として最も美しい成績であり、このような大関は賞賛の意味を込めて「ハチナナ大関」と呼ばれる。かつては大関でハチナナはいかにも予定調和すぎるので、9勝6敗の「クンロク大関」が同様の意味で用いられていたが、一部の会員を除き、近年はクンロクをする余裕すらなくなってきており、ハチナナへの遠慮がもはや見られないのが現状である。会員は前半戦で早々に勝ち越しを決めた者が成績の苦しい他の会員に白星を配給するなどして、8勝7敗を目標に成績を調整する。このことを「ハチナナ調整」と呼ぶ。

仮に場所中に怪我をしたり体調が悪い場合でも最後まで出場し、他の会員に白星を配給することが美徳とされている。公傷が廃止された今、休場は職場放棄なのである。角番担当会員がいる場合、角番への白星配給を最優先する。角番は場所ごとにローテーションで担当。稀に存在しない場合もある。

関脇以下で活動に顕著な貢献をした者は準会員となる。

白星配給を怠った会員には制裁が行われることになっている。具体的には、終身名誉会長(8代会長)が現役で活躍していた頃であれば強烈な右小手投げ制裁が待っていた。また、その逆で、自身が大敗してでも会員への白星供給を怠らなかった会員には努力賞と金一封が送られる。たとえ優勝を争っていたとしてもこれらの活動を怠ってはならない。

横審対策として大関批判を避けるために、毎場所中盤まで優勝争いに加わって10勝程度の活躍をする会員が選定される。終身名誉会長が現役末期の頃になるとハチナナ記録樹立に忙しかったため、当時まだ若手であった琴欧洲(9代会長、ただし2014年1月限りで無念の脱会)や日馬富士(現顧問)らが担当することが多かった。横審対策は怪我をするリスクが上がるので、若手が不満を持たぬよう、2010年に横審対策に相応しいエストニアの怪力巨人を迎えた(ただし2013年1月限りで無念の脱会)。しかし他にも、2011年にはがぶり寄りの名人(前会長、ただし2017年3月限りで無念の脱会)とチック症状のガチ力士を新会員として迎えることになり、翌2012年には地味だけど頭が冴える犬(10代会長、現顧問)も入会。さらに2014年にはナニワのGAD(現会長)も入会。フレッシュな新戦力で横審に太刀打ちしようとしている。

近年では横審から厳しい目を向けられているため横審対策が積極的に行われるようになったが、近年は新会員がせっかく入会しても消極的であるため、その対策を当番制とする案が出されており、現在試行が行われている。

運営組織(部会)[編集]

これは大関互助会運営組織を存続させるための改革の一環として、2012年11月に発足した新体制である。

  • 総合企画部:互助シナリオの調整を準会員らとも協力しながら製作する部署である。
  • 広報部:会の存在をアピールし、新会員の発掘等につなげる部署である。
  • 危機管理部:互助会の緊急事態に対応する部署で、2010年新設。
  • 巡業部:巡業で会員が恥をかかぬよう、関脇以下の力士たちを申し合いから排除する部署。
  • 審判部:横綱審議委員会・協会審判部にスパイを送り込む人たちが所属する部署。佐ノ山特別栄誉会員のために作られた。
  • 指導普及部:互助会のAtoZを叩き込む部署。浅香山終身名誉会長たっての希望で新設された。
  • 事業部:東京場所のみ横審対策を担当する部署。
  • 大阪場所担当部:3月の大阪場所のみ、横審対策を担当する部署である。長らく休眠状態らしい。
  • 九州場所担当部:11月の九州場所のみ、横審対策を担当する部署である。同じく休眠状態。
  • 名古屋場所担当部:7月の名古屋場所のみ、横審対策を担当する部署である。琴光喜除名以降は休眠状態にある。

注意[編集]

なお、当然ながらこれらの活動はあくまで「互助」であって断じて「(公然と金銭が飛び交って星が売買される)八百長」ではない。すなわち、関取同士の、大関同士の、美しい友情の上に成り立つ清廉潔白な活動である

その動かぬ証拠に、大量の八百長力士が処分される中で、(違法賭博による犯罪行為を主導して除名された琴光喜を除き)互助会員は誰一人として処分されていない。彼らのクラブ活動が八百長で無いことは一目瞭然である。

現在の構成員(現役力士)[編集]

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会長[編集]

豪栄道豪太郎
本名澤井(さわい)豪太郎(ゴウタロウ)、通称GAD。かつては取りこぼしも多くまだまだ力不足な面があったが、大阪場所担当部長への就任が確実な逸材である。
かねてより、琴奨菊(現会長)は豪栄道を引き入れることに以前より積極的となっていた(1人の甲種準会員に肩入れするというのはあまり好ましいことではないのだが)。上位では互助を優先しながらも中途半端に負け越しをしてしまい、自力で互助をしながら勝ち越せるようになれば、入会テストを受けられるようになるだろうと考えられていた。対戦成績が悪い鶴竜を容赦なく破り、鶴竜の初優勝を阻ませたことから互助会入会が期待されたが、37歳の優勝を邪魔させるはずが敗れてしまったため、少々時間が掛かったものの、2014年7月場所に遂に覚醒。その千秋楽に当時の琴奨菊会長直々による入会テスト(直接対決)で合格と審査され、晴れて正会員として迎えられることになった。しかも同時に、2場所連続で優勝を果たしている白鵬最高顧問の顔に泥を塗った反面、直前の5月場所ではハチナナを成し遂げた実力が高く買われ、副会長就任も決定した。
2015年はハチナナとクンロク、角番を繰り返し、琴奨菊から絶賛される成績を残し、これぞ大関互助会の手本と評した。
そして2017年1月場所限りでの琴奨菊の会長辞任を受け、晴れて12代会長に昇任。しかし崩壊の危機を迎えた現在の大関互助会、大変な重圧であるが、会長として今まで以上の手腕がこれから求められることになる。

副会長[編集]

照ノ富士春雄
本名ガンエルデネ、通称ガナ。2015年夏場所後に入会。同じ伊勢ヶ濱部屋所属の日馬富士第2顧問の御側衆だが、モンゴル互助会では会員資格停止を言い渡されており、状況次第ではガチバトルを挑んでくる。鳥取城北OBで逸ノ城の先輩でもある。2015年夏場所で、棚から牡丹餅(横綱の自滅)で優勝し、将来の顧問としての活動を期待されての入会となった。
横綱を目指すと公言しているためハチナナ・クンロク活動には興味がなく、入会前の互助会からの印象は最悪であった。しかし入会直後の2015年名古屋場所千秋楽に角番7勝7敗で迎えた当時の琴奨菊会長に対して見事に白星を配給し、今後の活動の意気込みを見せつけた。
その後は両膝の怪我が良くならず、2016年5月場所では3日目から13連敗し角番に。そして7月場所では千秋楽、ハチナナで角番脱出を成し遂げ、互助会への愛着を示した。
そして2017年1月場所では11敗を喫して再び角番として迎える翌3月場所、奇しくも先の豪栄道副会長の会長昇任によって自らが副会長に就任したが、この場所ではあまりにも酷い相撲を取り続けて互助会を破滅寸前まで追い込むことになる。その14日目、かねてから汚立ち合いで翻弄されて恨んでいた琴奨菊特命会員に対して豪快な変化を繰り出して脱会させ完全に復帰の道を絶たせた上に、兄貴分の日馬富士顧問による全身全霊での援護射撃(=会敵に加えた制裁)の努力を自ら水の泡にするような大失態を、翌日千秋楽でやらかすという最悪のシナリオを生み出してしまった。この結果、正会員数は2名となって当然5月場所は副会長職を外れることになり、今や互助会は風前の灯火。あらゆる意味でヒール役となってしまったが今後果たしてどう振る舞っていくつもりなのか?

会員[編集]

高安晃
本名高安晃。稀勢の里の弟弟子であり、平成生まれ初の三役力士である。把瑠都の大関復帰を阻止した張本人。琴欧洲や日馬富士をカモにしている。2017年5月31日をもって大関互助会に入会したが、今後力の弱った大関を怪我に追い込み、強制引退させるのではないかと恐れられている。

特命(特任)会員[編集]

現在は不在。特命会員(休会者)が発生することは実は稀(互助をしなかったと思われがちだから)。

顧問[編集]

横綱に昇進して会員資格を喪失した奇特な現役力士も、顧問(名誉会員)として現役会員をサポートすることができる。

白鵬翔
大関互助会第1顧問(最高顧問)。かつて自身の優勝を捨てて魁皇会長(当時)の引退危機を救う。通称ダヴァ(「ヌルヌル」とも呼ばれる)。会員の無用な増加も防いでおり、実は結構頭のいい人。ただ、会員時代は互助を一切しなかった奇人である。
2009年には互助会の協力を得て年間86勝の新記録を達成。達成後の調整も怠らない。かと思えば魁皇会長の1000勝達成の際にさりげなく毒のある発言をして確執が噂されるなど、相変わらずの奇人ぶり。魁皇会長に対しては寄り切りか押し出しで破り、大怪我しないようにいたわるという優しさも持っている。それとは裏腹に、平成22年九州場所では魁皇会長優勝争いに加わっており、しかも地元九州とのことで、魁皇がファンの期待を背負っているということを知っておきながら(KYさんのように)空気を読まずに破り、自身が優勝してしまった。そのため、2011年技量審査場所では千秋楽結びの一番を待たずに優勝が決定し、しかも7連覇を達成しておきながら、結びで魁皇会長から制裁を受けた。当然のことながら観客全員シラケムードとなり、白鵬は大恥をかかされてしまった。これについてハゲれ駒放駒理事長(当時)は「魁皇が一番強いのか」とコメントし、大関互助会の功績を惜しみなく讃えた。
2012年5月場所千秋楽、会員の琴欧洲休場で自身の優勝が消えたため、日馬富士に勝ち越しを献上(この1番が日馬富士の横綱へのステップへとつながる)、そしてスリム化計画にのっとり同年7月場所・9月場所で日馬富士に全勝優勝を献上させたことから、優勝の可能性が無くなると力を抜くということと、もう一人横綱がほしいときに弱くなるという、朝青龍名誉顧問の意思を受け継いだ。さらにそれは、鶴竜を横綱昇進させたときも同様であり、互助会へのサポートとは別に、モンゴル人横綱による3頭政治体制を確立し、日本の相撲界をモンゴル勢による支配下に置こうとする野望も抱いているようである(詳細は、モンゴル互助会を参照のこと)。
日馬富士公平
大関互助会第2顧問。本名ビャンバドルジ、通称ヒマス。「横綱よりも大関になりたかった」と公言する期待の新人であったが、期待とは裏腹に当初は互助への関心をほとんど見せなかった。ちゃっかり優勝までしていたものの、当時の魁皇会長・千代大海副会長の最強タッグの制裁の前に屈す。これからの互助精神の指導が急務となった。正会員になってからは、7勝7敗で千秋楽を迎えたことが1回あったが、見事に勝っている。互助をするほうが主であったが2011年1月場所は自身初の角番となった。13日目に魁皇会長に助けてもらい脱出。しかし、引き落としという、腕を怪我するリスクが高い技だったため、今後は寄り切りで勝つことが求められていた。
ただし互助への関心は年を経るにつれて薄くなり、今後の横綱昇進にも積極的な意欲をみせていることから互助会内での立場は小さく、発言しても議題が採用されないこともしばしばある。互助会員の中で最も多い3回優勝しているためである。しかし、自身の綱取りが掛かった2場所では序盤であっけなく黒星を積み重ねて大関という地位への誇りと互助会への愛着を見事に体現しており、クンロクやハチナナを達成している。また2012年には琴奨菊に互助するなど、互助会への愛着が強くなり、互助シナリオを製作する総合企画部長にも就任した。
しかし、6大関はやはり多すぎて統率が取れなくなってしまったため、自身で直接朝青龍名誉顧問に相談。大関互助会の中で一番横綱に目が向いていた日馬富士を横綱昇進させて互助会のスリム化を図ることになった。日馬富士としても念願の横綱になるために張り切ってシナリオを製作。2012年7月場所・9月場所を共に全勝優勝するシナリオが製作された。これに関しては大関互助会に関わるもの全員がシナリオをバックアップ。特にこの9月場所では大関互助会からも当時の琴欧洲会長・把瑠都副会長が揃って場所を休場し、さらに琴奨菊も当初予定には無かった休場をしてしまう。白鵬の協力も得てシナリオを完遂し、総合企画部長としての有終の美を飾って職務をライバルであった稀勢の里へ譲り渡し、大関互助会史上最も美しく晴れやかな形で正会員を卒業して、11月場所からは白鵬と並んで顧問となった。なお新横綱で迎えた場所も見事にクンロクを達成しており今でも当初の公言(初心)を忘れておらず、やはり互助会を去ることへの未練があるようだ。翌場所全勝優勝で横綱としての成績を挙げるもさらに翌場所で再びクンロクを達成するなど、互助会への愛着を体をもって表している。
鶴竜力三郎
大関互助会第3顧問。本名アナンダ、通称わんわん(イヌス、犬関)。モンゴルの大学で学部長を務める父を持ち、学業優秀であることで知られる。
彼の入会前は史上最多タイの会員5人であったが、どうしても彼がほしかった互助会では、史上初となる、6人目の会員として迎え入れた。とばっちりを受けたのは当時の把瑠都副会長で、やられ役として鶴竜から訓戒を受けていた。
琴欧洲(当時会長|)と稀勢の里からは「いつか裏切る」と評されており、入会テストの際、この2人からは互助会員にふさわしくないとの判断を下されたが、なんとか入会テストに合格した(ちなみに、1度入会テストに落っこちた経験を持つ)。しかし入会後の驚くべき仕事ぶりを見て、2012年11月場所には東正大関の座を稀勢の里から譲ってもらったこともある。入会当初こそ互助には消極的だったが、その後琴奨菊副会長らへの互助を果たす。そして2013年5月場所には、角番7勝7敗で迎えた琴欧洲に対し、咄嗟に背を向けた見事な演舞を披露して白星を献上するという離れ業を成し遂げるに至り、大きく成長した。琴欧洲にとっては、もともと強大な天敵の1人であり激しい嫉妬と憎悪の念を抱いて彼を恨んでいたが、この一番で受けた大恩によって失脚回避できたので大粒の涙を流して感謝したことであろう(つまり琴欧洲に対してそれまで見せていた彼のつれなさは、いつかは来たるべきこの日のために、純粋で堅実な人間としての心の優しさと頭の良さをずっと隠し続けるためだったのである; ただし、自らの会長就任(後述)と同時にこの琴欧洲が失脚すると容赦なく見殺しにしており、このことからも冷酷で非情な一面もあわせ持っているようである)。
現在断行されている大関互助会スリム化計画は、鶴竜の大関昇進によって実施が決まったものであるが、鶴竜もそれを理解しており、広報担当という役職柄、入会活動を縮小しつつ現在の準会員のスリム化計画に協力してもらうという難題に取り組んでいたがこちらも順調に達成しているようである。そうしたこれまでの互助会での功績を高く評価され、2013年11月場所限りで会長辞任(休会)を余儀なくされた琴欧洲に代わり、その唯一の正統な後任候補として次期会長選に出馬。2桁勝利維持の実力を持ちこれまでの慣習を破ってガチ改革の推進を主張する対立候補の稀勢の里を抑え、晴れて10代会長になった。
ところがこれから長らく会長として手腕を振るうものと予測されていた矢先、白鵬・日馬富士両顧問の支援の下に2014年3月場所を最後に横綱昇進があっさりと決定したため、会長に就任して僅か2場所で琴奨菊に跡を委ね、自らもその顧問の末席に加わることになった。

準会員[編集]

正会員に対して特に積極的な互助を行い大関互助会に貢献した関脇以下の現役幕内力士は、準会員に認定される。

甲種準会員[編集]

次期正会員最有力候補となりうる現役関脇は、甲種準会員に認定される(ただし、正会員未経験者のみに限る)。以下の条件を満たすと甲種準会員となり、正会員昇進のための審査が始まる。三賞(殊勲賞、敢闘賞、技能賞)、金星を受賞すると評価が高くなる。

  • 通常の昇進の場合
    • 関脇・小結昇進前を含めて3場所連続で勝ち越し(勝ち星が8勝以上)していること
  • スピード昇進の場合
    • 関脇・小結在籍中に優勝または優勝に準ずる成績を一度でも収めること

2017年現在、三賞受賞の常連の関脇・小結として、以下の1名が確認されている。

玉鷲一朗

乙種準会員[編集]

常連として長年正会員の活躍を支え続けて互助会に多大な貢献をした現役幕内力士は、乙種準会員に認定される。

なお、甲種準会員と同様に認定資格を有するのは正会員未経験者に限られるため、表向きとして現在は不在であるのだが、現在の大関互助会が瀕死寸前の状態にあることから2017年3月場所14日目終了直後に臨時特例として下記の乙種特命準会員の認定が承認された

乙種特命(特任)準会員[編集]

琴奨菊和弘
本名菊次(きくつぎ)一弘(カズヒロ)、通称ガブス(キクス、ガブリン)。同部屋の先輩琴欧洲(9代会長)が自分の秘書としていた力士なのだが、日本語の堪能な彼を日本人力士枠として採用したいと考えた。当所は2011年9月場所での採用が予定されていたが、琴奨菊がしくじり1場所延期された。
大関互助会加入から間もないため互助能力は未知数とされてきた。しかし同郷の先輩でもあり現役引退(会長退任)したばかりの魁皇終身名誉会長が直々に互助AtoZを叩き込み、相当な互助能力を会得。加入後半年間は教育に必要だと魁皇終身名誉会長は述べており、「この期間は互助のことなど考えず自由に暴れてもらっていい、ただし優勝するな」とし、会長職を継承したばかりの琴欧洲はこれを「横審対策としてなら問題ないという考えである」として了承してこの方針を受け継いだ。以降、琴奨菊本人は非常に熱心な互助精神を見せ付けている。
2012年9月場所中に左膝を痛めて途中休場、そして翌11月場所に角番を迎えるのだが、これをハチナナで見事に脱出。奇しくも先の把瑠都副会長の辞任(休会)により、互助精神抜群と認められた琴奨菊が晴れて副会長に就任した(これにより琴欧洲とともに正副会長職が佐渡ヶ嶽部屋出身者で独占された時期もあった)。
正会員になってからは現在まで、7勝7敗時の勝率は100%を達成している。
また、副会長就任当初は琴欧洲から実務(事業の統括)を任されており、互助活動を盛んにするために6大関とされていたものを、互助活動がかえって停滞させてしまったとして問題視し、本当に大所帯でいいのかという問題提起を2012年5月場所後に行った。モンゴルに帰ったはずの朝青龍名誉顧問まで連れてきて徹底的に議論を行い、大関互助会の最も円滑な活動は4大関がいいという結論に至らせた。一部のOBからは異論や反発もあったが、現役力士からの圧倒的な支持を得て大関互助会スリム化政策を現在断行中であり、日馬富士の横綱昇進などの事業を執り行っている。休場をもいとわない考えであり、実際に「謎の休場」と呼ばれるほど不可解な休場をしてまで、事業を推し進めている。しかし2013年11月場所、地元開催で意気込んでいた矢先に右大胸筋断裂による重傷で一転、翌2014年1月場所の角番で自らも絶体絶命のピンチを迎えたがこれをクンロクで見事に脱出した。
そして2014年3月場所、10代会長鶴竜の横綱昇進が決まり、その後任としてこの度晴れて11代会長に就任。琴風初代会長と琴欧洲9代会長に続く3人目の佐渡ヶ獄部屋出身の会長誕生であり、しかも、その佐渡ヶ獄部屋出身であったかつての琴光喜副会長(除名、詳細は後述の「(参考)除名された元構成員」参照)も成し得なかった史上初の副会長からの会長昇任である。現在、かつてこれまでにない大きな難局を迎えているが、自身の角番も多く、しかも一部の過激な好角家からは「稽古はしないわ、しゃぶしゃぶばっかり食うわ、自己怠慢をキツフンで誤魔化す」とも評されているようであり、これまで会長としての手腕は十分に発揮されていると言えてきた。他方、2016年1月場所には初優勝を果たし、本来の大関としての片鱗も一応見せた。
これにより夫人と多数TV出演するなど、大関互助会長として派手に謳歌していた栄光も束の間、同年11月場所には地元九州(福岡)で皆勤負け越しを喫して迎えた角番の翌2017年1月場所、一気に地獄に突き落とされることになる。鶴竜顧問が11日目に休場して白星を献上してくれたにもかかわらず、その努力もむなしく翌12日目には玉鷲に攻め込まれて遂に失脚(会長辞任)。しかもこの場所では、自らが倒して唯一黒星を与えた稀勢の里が初優勝して横綱昇進を果たし、強大な会敵として君臨する足がかりが築かれ、何とも言えぬ皮肉な結果になってしまった(しかもこの場所直後、同門ということでその会敵の綱作りのための麻揉み職人までさせられる屈辱を味わってしまう)。
そして特命会員となって迎えた運命の2017年3月場所。白鵬最高顧問と豪栄道会長が揃って途中休場して救いの手を差し伸べてくれたこともあり正会員復帰への道が見えてきたはずだった。しかしその13日目までに苦戦して5敗し退路を断たれて迎えた翌14日目、この場所で副会長を務めていた照ノ富士がまさかの背信行為に出たため真っ向勝負に出て低重心で突撃した琴奨菊は見事にその罠に嵌ってしまい、復帰の道を完全に絶たれてしまった(しかも、この照ノ富士がトリガーとなって皮肉にも手負いの会敵稀勢の里が感動の大舞台に立つお膳立てをしてしまうこととなり、先場所以上に天と地の差が大きく開いてしまうことになる)。
互助会としては来場所の状況次第で破滅の危機を迎える異常事態ということもあり、臨時特例として琴奨菊には乙種特命準会員のポストが与えられた。

OB(大関互助会OB会について)[編集]

大関互助会に所属していた会員のうち、その功績があり引退した者は名誉会員として、OB会を組織して現役会員を表裏両面から密接にサポートしている(詳細は、大関互助会OB会を参照のこと)。

終身名誉会長[編集]

魁皇博之

特別栄誉会員[編集]

千代大海龍二

名誉顧問[編集]

朝青龍明徳

(参考)強大な会敵に成り果てた元構成員(現役力士)[編集]

稀勢の里寛
本名萩原(はぎわら)寛(ユタカ)、通称キセス(マレス、Xe(キセノン)、デブ猫、牛久の大仏)。2011年11月場所後に入会。かつての互助会創設期に入会し最初の副会長を務めながら僅か1年余りで互助会と完全に決別してガチ相撲に徹したおしん横綱隆の里が手塩にかけて育て上げた力士である。それまでは100%ガチの相撲を取り続ける会敵としてしか認識されず互助会からは完全に冷遇されていたが、その師匠の急逝により一転、2桁勝利を維持できる実力が認められ、晴れて正会員として迎えられることになった(ただし、同期の先輩でありライバルでもある琴欧洲(当時会長)は、把瑠都(当時副会長)や日馬富士ら他の会員が歓迎の意向を示すのとは対照的に成果主義を重んじて「32勝しても昇進できなかった力士(琴奨菊)がいるよね」と皮肉を込め、最後までこれに反対していた)。
日本相撲協会からはとても目をかけられており、その関係は至って良好である。彼は亡き師匠と同じ道を歩もうと以前にも増して努力を続けているため、互助会内では会敵と見られる向きが残っていたものの横審対策としての活躍がおおいに期待された。入会直後に迎えた九州場所を大関で迎えたことが無かったためまずはその感触を確かめた後、徐々にではあるが横審対策の重責を(特に把瑠都脱会後は1人で)担い、見事に果たし続けた。
在籍当時、相撲を取る実力で比較して考えれば次期会長最有力候補であるはずであったが、なにしろぶっきらぼうでガチ相撲に徹する姿勢が最大の障壁になっており、互助会内でも支持が得られることは全く無かった。2013年11月場所限りでの琴欧洲の会長辞任により、これまでの(事前の裏取引による)互助のあり方を真っ向から否定し「ガチで本気の互助」を主張して大改革を推進すべく次期会長選に出馬したが、このような姿勢が互助会内部に受け入れられるはずもなくあえなく落選。このまま横綱を目指すのか、それともそのエリートコースから外れて互助会に骨を埋めるつもりなのか、世間からは彼自身が今後どのように立ち振る舞うのかが、ずっと注目されてきた。
2016年は毎場所で綱取りを期待されながら、琴奨菊や豪栄道が先に優勝していく中で一度も優勝することができず、終わってみれば最も近いと言われながら現役大関の中で唯一優勝未経験者となっていた。また、大相撲史上初めて優勝経験なしで年間最多勝を稀勢の里自身初めて受賞する珍事も起きた。そのため結局のところ、信じ難くも大関の地位にとどまっていることからやはり互助会に対する愛着を持っているものと思われていたが、これが意外な形で覆されることになる。
2017年1月場所は2大関が負け越し、2横綱1大関が途中休場するなど次々と脱落(自滅)、不戦勝もあって運良くつかんだこの1度の優勝によって、あっけなく横綱に昇進して互助会から除籍された。今後は互助会員たちの目の前に立ちはだかる大きな壁(強大な会敵)になることは間違いないであろう。

(参考)除名された元構成員[編集]

琴光喜啓司
通称ミツス。長い準会員時代を経て副会長まで上り詰める。そのため正会員になってからの場所数に比べて互助への貢献度は大きい。関脇時代には、歴代の会長でさえ当時成しえていなかった前人未到の6場所連続ハチナナを達成しており、早期の正会員昇格が望まれていた。基本的にはハチナナ、クンロクを繰り返す優秀な会員だったが、地元ではいい所を見せたいようで、正会員になってからは特例として互助会協力による名古屋場所での2桁勝利が許されていた。千代大海休会の際の不戦勝により副会長後継者として指名を受け、互助会生活も順風満帆、過去の慣例をも変えうる史上初めての副会長からの次期会長昇任も見えてきたはずだった。が、その矢先に趣味の禁則事項ですにより日本相撲協会を解雇処分、史上初めて大関互助会を除名処分にされてしまった。大関互助会OB会とも一切関わっていない。

会長・副会長の変遷[編集]

期間 会長 副会長 会員数
+(特命会員数)
備考
1981年11月 - 1982年1月 - - 1 大関互助会結成
琴風加入
1982年3月 - 11月 琴風 2 隆の里加入
1983年1月 - 3月 隆の里 3 若嶋津加入
1983年5月 4 朝潮加入
1983年7月 5 北天佑加入
1983年9月 - 1985年5月 若嶋津 4 隆の里横綱昇進
1985年7月 朝潮 3+(1) 琴風休会
1985年9月 - 11月 4 大乃国加入
琴風脱会
1986年1月 - 7月 5 北尾加入
1986年9月 - 1987年5月 北尾改め双羽黒横綱昇進
北勝海加入
1987年7月 北勝海横綱昇進
小錦加入
1987年9月 北天佑 4 若嶋津引退
1987年11月 - 1989年3月 大乃国横綱昇進
旭富士加入
1989年5月 - 1990年3月 小錦 3 朝潮引退
1990年5月 - 7月 4 霧島加入
1990年9月 3 旭富士横綱昇進
1990年11月 - 1992年5月 - 2 北天佑引退
1992年7月 - 11月 霧島 3 加入
1993年1月 2+(1) 霧島休会
1993年3月 - 7月 - 2 曙横綱昇進
貴ノ花加入
霧島脱会
1993年9月 - 11月 貴ノ花
(貴乃花)
3 若ノ花加入
1994年1月 若ノ花
(3代若乃花)
2+(1) 小錦休会
1994年3月 - 9月 4 武蔵丸貴ノ浪加入
小錦脱会
1994年11月 若ノ花改め若乃花
貴ノ花改め貴乃花
1995年1月 - 1998年5月 武蔵丸 3 貴乃花横綱昇進
1998年7月 - 1999年1月 貴ノ浪 - 2 若乃花横綱昇進
1999年3月 - 5月 武蔵丸
(再任)
3 千代大海加入
1999年7月 - 2 武蔵丸横綱昇進
1999年9月 - 11月 千代大海 3 出島加入
2000年1月 出島 2+(1) 貴ノ浪休会
2000年3月 貴ノ浪
(副で再任)
3 貴ノ浪復帰
2000年5月 4 武双山加入
2000年7月 千代大海
(再任)
4+(1) 雅山加入
貴ノ浪休会
2000年9月 4+(1) 魁皇加入
武双山休会
貴ノ浪脱会
2000年11月 - 2001年7月 武双山 5 武双山復帰
2001年9月 雅山 4+(1) 出島休会
2001年11月 魁皇 3+(1) 雅山休会
出島脱会
2002年1月 - 7月 4 栃東加入
雅山脱会
2002年9月 - 2003年1月 5 朝青龍加入
2003年3月 - 2004年5月 4 朝青龍横綱昇進
2004年7月 3+(1) 栃東休会
2004年9月 - 11月 栃東 4 栃東復帰
2005年1月 千代大海
(再々任)
2+(1) 武双山引退
栃東休会
2005年3月 - 11月 3 栃東復帰
2006年1月 - 3月 4 琴欧州加入
2006年5月 - 9月 5 白鵬加入
2006年11月 - 2007年5月 琴欧州改め琴欧洲
2007年7月 3 白鵬横綱昇進
栃東引退
2007年9月 - 2008年11月 4 琴光喜加入
2009年1月 - 11月 5 日馬富士加入
2010年1月 琴光喜 4+(1) 千代大海休会
2010年3月 4 千代大海引退
2010年5月 5 把瑠都加入
2010年7月 - 2011年7月 把瑠都 4 琴光喜除名
2011年9月 琴欧洲 3 魁皇引退
2011年11月 4 琴奨菊加入
2012年1月 - 3月 5 稀勢の里加入
2012年5月 - 9月 6 鶴竜加入
2012年11月 5 日馬富士横綱昇進
2013年1月 琴奨菊 4+(1) 把瑠都休会
2013年3月 - 11月 4 把瑠都脱会
2014年1月 鶴竜 3+(1) 琴欧洲休会
2014年3月 3 琴欧洲脱会
2014年5月 - 7月 琴奨菊
(昇任)
- 2 鶴竜横綱昇進
2014年9月 - 2015年5月 豪栄道 3 豪栄道加入
2015年7月 - 2017年1月 4 照ノ富士加入
2017年3月 豪栄道
(昇任)
照ノ富士 2+(1) 稀勢の里横綱昇進
琴奨菊休会
2017年5月 - 2 琴奨菊脱会
2017年7月 照ノ富士
(再任)
3 高安加入

会長最長在任記録は魁皇(現終身名誉会長)の9年9ヶ月・58場所、副会長最長在任記録は千代大海(現特別栄誉会員)の通算5年7ヶ月・35場所という最強タッグが保持している。なお、互助会員最多在位記録もこの最強タッグが見事に並んでいる(65場所)。

特命会員は形式上とは言え休会中のため幹部を務めてはいけない不文律がある。しかし、見事に10勝を挙げて1度目の復帰を果たした特命会員は、その活躍ぶりを讃えるため、臨時特例として副会長に就任する(この特例により就任した過去の副会長は、貴ノ浪、武双山、栃東の3名)。

また、現在何らかの事情で会長もしくは副会長が不在となった場合は、原則として以下の優先順位で穴を埋めることになるが、役員選任にあたってはこれまでの会員としての実績がかなり重要視されるためこの限りではない。

  1. 高安

ただ、空位や兼任となる可能性もある(会長選任は原則として副会長以外の会員に限る)。会員数が2名以上の組織となって以来、これまで会長職が不在となった事はないが、副会長は過去に不在となった事がある(但し、魁皇が引退した際には現役時代の功績から数日間不在状態になったが、書類上では不在状態はなかったことになっている)。副会長については、会員数が3名以上(休会員を含む)の場合に限り置かれる。なお、代理は時の横綱が務めることになる。

魁皇会長・千代大海副会長の時代は、両者ともに豪腕のため昔より安定した実績を残していたが、千代大海の後釜となった琴光喜の頃以降、最近では副会長職に求心力が無くなっており、琴光喜副会長が不祥事を起こして除名、把瑠都副会長が不祥事を起こして更迭されるなど、求心力がほぼゼロとなっていることが多い。つまり、魁皇元会長が現役を引退した頃から幹部役員争いが第2次戦国期(つまり、横審や相撲協会をはじめ世間に対するごまかしが効かないことによる、熾烈な角番経験と大関陥落力士の増大)に突入したということだ。

関連項目[編集]

朝青龍殴られ 01.jpg この項目「大関」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)