奈良市

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奈良市(ならし)は、畿内都市の一つで、チョーでかい市である。

概要[編集]

元々は平城京と呼ばれた都市だが、京都に遷都して以後は南京都と呼ばれている。又、京都を「北都」と呼ぶのに対して南都(なんと)ともいう。遷都後何世紀も放置されたため寂れに寂れ、最近まで奈良時代の人口の方が多かった。枕詞は「ナントは夢の始発駅」。都がつくからといって東京みたいに立派かどうかは知らない。

更には春日大社があるから春日(かすが)とも呼ばれており、漢字表記が同じであると思われる涼宮ハルヒ巫女就任を打診したが、「片仮名表記の通称名を長年使用しており、家庭裁判所の許可を得て改名した」との理由からお流れになった。一方、春日歩からも就任の申し出があったが、「出身地が大阪府なのか三重県なのかはっきりしない」という理由で市側が断った。

なお、本記事において奈良県と奈良市が混同されているような気がするが、宇宙の広さと比べれば些細な問題である。

また、丁寧に言うとおならになってしまう。

政治[編集]

都市名を冠する「奈良時代」には日本国の首都であった。首都建設に当たって朝鮮を含む各地から人員が動員され、いわゆる不動産バブルの状態となった。貴族から庶民に至るまでのあらゆる人に(牛車の)タクシー券が乱発され、夜な夜なディスコで踊り狂るという様相だったらしいが、首都建設計画が白紙撤回され、バブルは崩壊してしまった。

かつては交通の要衝でもあった。シルクロード東端のインターチェンジでもあった。また随分立派な道の駅もあったようだ。ただし山賊が通行税を巻き上げることもあり、織田信長らは随分苦心した。現在、鉄道を中心とする交通網は近鉄王国の管理下に置かれており、西は大阪民国、東は名古屋共和国まで延伸されている。交通網は全市民が平等に利用できるが、諸般の事情により撮影は厳しく制限されている。

「奈良の寝倒れ」という言葉の通り、都市機能は1080年以上に渡って放置プレイされた挙句、平重衡によって犯され、廃人同然であった。しかし、知事が「普通の男の子に戻りたい」と気まぐれを起こしたことがきっかけとなり、再び時間が動き出した。人間も鹿も何が何でも動かすことにした。その結果、県の経済はある程度活性化されたが、一部地域がリアルシムシティ状態になってしまった。ただ法隆寺東大寺といった古風建築のものはシステム上の理由から撤去・移動することが出来なかった。あまりにも長い間時間をとめていたからだ。今でも、夜8時から朝までは県内全域の時間が止まる。建築物ではないが、県軍所有の大量破壊兵器の一種である大仏は24時間稼動している。一部メディアにより「RGM-(以下判別不能)」という製造番号が確認されているが、ジオン公国との関係も噂されており、真偽は不明である。大仏が活躍する模様はたびたびアニメ化されており、大仏殿からの出撃シーンは各方面からの高い評価を得ている。

現在の奈良は、神羅カンパニーとミッドガルの関係と同様に、事実上、近鉄王国が独裁支配する傀儡都市である。知事は奈良と王国が対等であると主張するが、極度のゲーム脳による平和ボケであると言えよう。近年、王国主導による宅地開発が盛んであるが、住宅街の道路が狭いのは、自家用車の利用を制限して王国が管理する鉄道を優位に立たせるためであると言われている。JR西日本の利用者には厳しい制裁が加えられるという噂があり、それを裏付けるように、不動産の広告には、たとえJR駅のほうが近くても「近鉄○○駅まで奈良交通バスで×分、バス停まで徒歩△分」との表示がなされている(近鉄王国については、後述の「東西分断の歴史」の項も参照)。

文化[編集]

往時の栄光は今になって風化が著しいが、新たなポップカルチャーの興隆を狙った試みが行われている。布団を楽器にして住宅街でヒップホップを披露する平群町miyocoオタクに火をつけ幼女をアーン♥♥した変態紳士小林薫が己の個性を発揮したことが典型例であろう。彼らは日本中に大いにその名を知らしめ、インターネットを中心に話題となったが、「倫理的に問題があり、伝統文化の破壊にもつながる」という批判も根強い。彼ら自身も問題点を自覚しているようであるが、にもかかわらず彼らが行為に及んだのは、奈良の時間停止に焦りを感じており、時間を無理やり動かすための苦肉の策であったと言われている。が、「ムシャクシャしてやった」だけとも言われており、真相は不明である。

また、空気から人まで全てが湿っぽい京都とは異なり、陰湿なものごとを嫌うことでも知られている。乾燥させるためなら山1つ全部や、世界遺産の屋根表面すらも燃やしてしまう。これは二酸化炭素を増やす原因になるのみでなく、本来なら廃棄物の処理及び清掃に関する法律に違反している。しかし環境破壊を知らない伝統行事を推進する人物は奈良だけならという理由で行われている。見ている人は寺や近隣の神社を焼くのかと冷や冷やしながら見ているようだ。因みにこれは大韓民国の国技としてパクられた。このほか、気に食わなかったら民家にも火をあぶったり、お腹が空いた時には鹿せんべいを食べるに止まらず、鹿ごと炙って食べる習慣を持つ。

住民[編集]

文化の項でも言及したとおり、近年ではmiyoco小林薫など、個性的な住民が増加している。住民の殆どが鹿で、普段は人間に化けている。県外出身の人間であっても、そんなことは関係なく黒魔術の儀式によって鹿に変えられてしまう。どうせ人間に化けるんだから無駄なような気がするが、大人の事情である。その事実はテレビドラマによって暴露されたが、公然の秘密となっている。

さらに、秘密が明らかになって半ばヤケになったのか、1300年祭(後述)のマスコットにまで鹿人間を起用する有様である。北部の住民は若草山や奈良公園出身、南部の鹿は大台ケ原出身が多い……とされるが、実は県民の大半が県外出身であり、戸籍を含む書類が偽造されているのである。

鹿が政治に携わる事が出来るのは極めて稀。主食である鹿せんべいは税金によって生産されるので、政治参画すると横領の危険が生じるためである。また、公務員の多くは仏像である(あまりにも長い間時間をとめていた為、石化してしまった)。彼らの中には国宝や重要文化財に指定されるものもいるが、「ただ立っているだけで給料もらってちやほやされるなんてニート以下やないか!」と批判の声が上がっている。

東西分断の歴史[編集]

明確な定義は曖昧であるが、現在、奈良市(県ではない)は平城京の中心部であった平城宮跡地区を境として東西に分かれている。東西で風景は大きく異なり、東部は国内最古の小京都、西部はセレブ(笑)の名産地と称される。

事の経緯は、奈良時代にまでさかのぼる。平城京への首都機能移転が失敗に終わり、京は放置され、荒廃した。京は平城宮跡と化し、住民は東大寺周辺に避難し、自然発生的に町村が誕生した。バブル崩壊の教訓は生かされず、地域振興と称される深刻なハコモノ行政が長年続き、多くの寺社仏閣が建造された。これらは経年劣化により不良債権化すると思われたが、1000年以上経ってトチ狂った業者(考古学者とも言う)が過大評価したために、結果的に過去の行政は正当化された。これが現在の東部である。西部への進出時、近鉄王国は東部への侵攻をも企てたが、戦争によって多数の死傷者を出した後、東西両方を奈良と王国が共同統治する和平が成立した。しかし、東部住民の王国に対する感情は改善されておらず、王国からの独立を目論むレジスタンスが存在するとの噂もある。

一方の西部は、丘陵地帯であるためか開発が行われず、小群落が点在するのみであった。風景が一変するのは、近鉄王国による占領がきっかけである。東部住民同様、西部旧住民の中には王国を敵視する者が存在するが、安全上の理由から公言できない。一方の新住民は(無意識のうちに)洗脳教育を受け、王国を崇拝している。西部住民は高級住宅街であると信じて疑わないが、それは「セイブ」と「セレブ」を勘違いしているためである。なお、西部の中心地は「学園前」という名称であるが、どの学園なのかわからない上に、名称の由来である学園が「学園前駅の前にある学園」と呼ばれる妙な現象が起きている。西部住民が自宅に考古学ファンの親戚を招いた際には「こんなの奈良じゃない」と言われるらしい。

平城宮跡は軍事境界線が横断する非武装地帯であり、しばしばベルリンの壁や38度線と対比される。一見すると遺跡があるだけの草原であるが、近鉄王国と東部の戦争時、境界線に多数の地雷が埋められ、それらはいまだに撤去されていないため、不可視の壁が存在すると言える。東西の市民は地雷の存在を知っており、境界線に近付かないよう気付けるが、境界線に踏み込んだ観光客が死傷する痛ましい事故が後を絶たなかった。休日の平城宮跡においては、球状の器具で武装した東西の市民が訓練を行う姿が確認されているが、一触即発の危機は免れている。レジスタンスおよび近鉄王国信者など、ごく一部の過激な市民を除き、表面上は東西の関係は良好であった。

奈良の大部分は2000年9月13日に起きたセカンドインパクトの被害を免れたが、海抜の低い平城宮跡が水没してしまい、東西分断が深刻となった。応急処置として港が設けられるが、元々内陸県であるため操船技術を持つものがおらず、意味をなさなかった。旧来の物流・交通が途絶えたため、東西の連携が困難となり、実務上も東西が分裂してしまった。その機に乗じ、西部の近鉄王国信者と東部レジスタンスの双方による住民運動が勃発する。東西対立の抑止力となっていた大阪民国の崩壊も背景にある。

西部は近年開発が行われた地域であり、東部と比較すると市によるインフラの整備が遅れていた。近鉄王国信者はこの点を指摘し、不公平感を解消するために西部の独立が必要であると主張した。実際には近鉄王国によってコンサートホールやショッピングモールが建設されていたのだが、西部側は、これは飽くまでも民間主導の開発であり、市税を多く納める西部が恩恵を受けられず、東部に存在する遺産の維持に使われるのは不適当であると主張を続けた。

一方の東部は、「1000年以上の長きにわたって市を作り上げ、多数の文化財を有する我らこそが正当な奈良市である」と主張した。歴史的経緯から、多くの識者および観光客がこの主張を支持している。個人名を挙げれば、ワンガリ・マータイルー大柴などである。彼らは、「古いからといって毛嫌いせず、客観的に良いと判断される物事は良いと認めるべきだ」と指摘し、人口比において過半数を占める東部住民を結束させ、東部の優位を揺るぎないものにしたかに見えた。が、実は彼らは論理によって動くのではなく、正体がもったいないお化けであるため、ただ古い建物が好きなだけだったのである。

東西分断によりさまざまな支障が生じたが、この記事では簡潔に述べる。まず、前述の実務問題によって市役所が東西に分裂し、福祉サービスの一元的提供が困難となった。よって市税も東西別々に納めることとなり、比較的富裕層が多い西部の税金は増加、東部は減少した。一転して西部が優位に立ったように思われたが、西部住民である鹿が東部のみで販売される鹿せんべいを食べられずに餓死する事態が多発。しかし、東部はマリー・アントワネットよろしく「鹿せんべいがないならスイーツ(笑)を食べればいいじゃない」と言って協力を拒否。西部も「べ、別に助けてほしくなんかないんだから! 勘違いしないでよねっ!」と言い返した。要するに両方ともツンデレだったのである。

現在、東西の関係は良好であるが、正式な和解が行われたわけではない。なぜならば東西双方が「大阪に行けば済む」と考え直し、独立運動に飽きてしまったからだ。大阪はセカンドインパクトで水没しちゃったような気がするが、そこは大人の事情である。

1300年問題[編集]

2010年壮麗に執り行われた平城遷都1300年記念事業に伴って発生すると指摘されている諸問題。以下にそれらを列挙する。

これらは真偽未確認の仮説であり、一概に悪いとは言い切れない事柄も存在する。有志諸君による更なる研究が待ち望まれる。

関連項目[編集]

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