安東愛季
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
安東 愛季(あんどう あいき・ちかき、1539年(天文8年) - 1587年10月2日(天正15年9月1日))は戦国時代・羽後の大名。おんにゃのこ。秋田美人。着物萌え。イッペンシンデミル?。能登かわいいよ能登。 戦国時代に羽後に一大勢力を築いた大名として一般に知られている安東愛季(あんどう ちかすえ)は愛季タソが操縦するMS・ANDO-TIKASUEである。
稀代のエロカワイさと毒舌は海内に響き、その姿を一目見ようとするものは現代でも絶えない。午前0時にインターネットにアクセスすれば愛季タソの肖像画が見られるという都市伝説が存在する。 本人も自分の愛らしさを自覚しており、その妖艶をもって権謀術策を駆使し、安東家の威光を復活させた小悪魔っ娘である。
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[編集] 生涯 ~苦難を乗り越えて~
安東舜季の子として檜山安東家の当主となるべく生まれる。一般に男尊女卑の時代に当主が女であることは無いとされてるが、実はおんにゃのこだったという事例は多い(上杉謙信、織田信長など)
その愛くるしい姿は、獰猛なヒグマですら従順なヌコにしてしまったという逸話を持つ。 無邪気な愛季タソは周囲の温かな愛を存分に浴びて育つのであるが、不幸にも舜季の死により檜山安東家を13歳で継ぐことになる。以降、肉体の成長が止まる。
愛季タソ誕生前の安東家は檜山家と湊家に分裂していた。分裂した理由は性格の不一致とかそんなんであろう。納豆に醤油か砂糖かとか。 愛季タソは「そんなの両方混ぜればいい」と言わんばかりに、檜山、湊、両家の前で納豆を掻き混ぜたのであるが、愛季タソが納豆を掻き混ぜるときに見える、白磁の脇の下に衆目の目が集まったのは言うまでもない。 この様なチラリズムなどの萌えを愛季タソは縦横無尽に使い、さながらニンジンを目の前にぶら下げられた馬の如く檜山・湊の両家は調教されていったのである。
同様にして愛季タソは周囲の豪族に対しても籠絡を開始し、浅利氏などをはじめとする羽後の豪族は自ら進んで愛季タソの配下となったのである。 しかし、その浅利氏の服従のさいに下賜した愛季タソの脱ぎたての足袋が前例となり、「呉れぬなら 奪ってやろう 愛季たん」と言わんばかりに周辺の大名達による愛季タソ争奪戦が始まるのである。
実際、愛季タソは自身の価値を認識しているしたたかな少女ではあった。しかし、贈った足袋を巡り浅利氏の兄弟が骨肉の争いをし始めるなどは想定外のことであり、愛季タソは自分の価値を見誤ったと見られる部分がある。 又、愛季タソの周囲に居たのが主にMばかりであった為に、世の中の男はMばかりと愛季タソが認識していたことは、不幸であり、若さ故の過ちであった。
以後、羽前の最上義光、津軽の石川高信、津軽為信、陸奥の南部晴政、仙北郡の小野寺氏、角館の戸沢氏などの変態との熾烈な抗争を繰りひろげていくのである。
[編集] 信長さんとの文通 ~あなたの愛季より~
以上のように、ともすれば悪女扱いされかねない愛季タソであるが、根は純情な乙女であったことは信長さんとの文通によって知られている。 愛季タソが下半身を露出した変態集団に対し、男性器を唐竹割りをしたのは正当防衛であり、戦国時代を生き抜く為の手段であったことは想像に難くない。
愛季タソのメールにはハートマークや、日頃の辛い職務のぼやき、温泉旅行のお誘いなどの、愛季タソのおんにゃのことしての一面が赤裸々に残されている。 尚、この文通は信長さんが本能寺でシボンヌした後も、信長さんの新しいメアド(gigoku.com)に続けて送信されている。
愛季タソ死後は、念願の逢瀬となる予定であり、愛季タソも気合いを入れ猫耳モードで信長さんに会いに行ったのであるが、残念ながら愛季タソは天国、信長さんは地獄逝きなので再び遠距離恋愛となった。信長さんが地獄を統一し、愛季タソを迎えに行く日を我々は祈るのみである。
この様に相思相愛の信長さんと愛季タソであるが、信長さんが息子の信忠氏に秋田城介を拝命させたことが二人の唯一の喧嘩であったとされる。
余談であるが、信長さんの出身地である愛知の球団・中日ドラゴンズに愛季タソの出身地である秋田出身の落合監督が就任した際、落合監督が織田家の墓に愛季タソの遺骨を合葬し、400年越しの結納が行われたという噂が存在する。中日の高勝率は以上の御利益である。
[編集] 安東実季 ~胃薬をください~
愛季タソには何人かの子供が確認されている。その中でも、愛季タソの嫡子として彼女を支えた安東実季の存在は大きい。しかし愛季タソが処女であることは疑いようがない為に、今以て物議を呼んでいる。
- 処女受胎説
- 拾い子説
- 分裂説
なお、基本的な事であるが、実季に男親など存在しない。
実季は一般にはさねすえと呼ばれているが、みきと読む学派も多い。つまり彼にも女性説が存在するのだが、こんなに可愛い子が女の子であるはずがない
ただし、湊合戦において惣無事令を犯してしまった実季が取り潰しもなく無事に済んだのは、会見した豊臣秀吉が実季に対しておっきしたからであると残されている。
母親を常に変態達に狙われ続けた実季は、幼少時より過度のストレスを抱え込んでいたようであり、それがピークに達するとキレる十代や新世界の神になるといった現象が確認されている。 愛季タソは日ノ本将軍家であり秋田城介である(一説には愛季タソは能登守であるという説が存在する)安東家に強い誇りを持ち、また持つように実季を育てたのであるが、関ヶ原合戦以降、徳川秀忠にやらないかされ、秋田を去り失意を家系図作成で紛らわす実季に対して愛季タソは女々しいと信長さんへのメールで酷評しているのは、愛季タソの母親としての一面を垣間見せられる。
[編集] 死後 ~湊合戦~
奇しくも信長さんと同じ49歳で死亡した愛季タソであるが、その影響力故に彼女の死は奥州を巻き込む一大事件へと発展した。
事の発端は奥州の梟雄としてしられる津軽為信の一言「きっと今の脇本城には愛季タソの使っていた紅とか、汗が沢山染みついた寝間着とか足袋とか、沢山あるんじゃね?」である。 この一言により、津軽・南部・戸沢・小野寺の変態連合が結成された。機に乗じた湊安東家の安東道季は以下の檄文を飛ばし、自分が安東家を継いだ際は、愛季タソの使用物を取り放題を宣言、変態連合の盟主として一躍、実季の城を包囲したのである。
一、父・茂季は湊城主を辞退したのでなく、姉・愛季でハァハァしてたのを本人に見られたのをなじられ、
- 気持ちよくなっていく内に、いつの間にか領土と城を檜山家に合併させる事に「はい」と答えてしまった
二、天正七年、父・茂季が死去するや、愛季はその所領を没収し、遺族にはエロカワイイ笑みを浮かべて捨て扶持を与えただけである
三、自分は湊家を正統に相続した身であるから、湊家を復興しなければならない
しかし、穏やかな心を持ちながら激しい怒りに目覚めた実季に、安東家の不穏分子は震え上がり、さらに愛季タソ萌えの真の漢・嘉成重盛を始めとした家臣団が水陸両用で奮戦、愛季タソのツンデレに心奪われた由利十二頭が参戦したことで終戦を遂げたのである。
これ以降も、関ヶ原合戦時には実季が愛季に変装して奥州戦線が大混乱に陥るなどの、死後もって尚の強い影響力が見受けられる。
[編集] 愛季タソを取り巻く人々 ~星の鼓動は愛~
愛季タソは「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と評された。北斗七星は星空においては一等輝く星として、方角や星座を測る中心である。愛季タソもやはり同じように燦然と輝き、皆の中心であることを運命づけられていた。
- 周辺味方勢力
- 蛎崎季広:愛季タソの素敵じいや。愛季が舜季と一緒に蝦夷視察に行ったとき以降、良くしてくれている。愛季タソとお風呂で洗いっこしたり、添い寝してくれたりした良い爺
- 季広じいやからのお土産:季広が愛季タソにくれたお土産。愛季タソが蝦夷で仲良くなった熊とは違う熊だと思いたい・・・
- 由利十二頭:愛季タソ萌えクラブ。十二人じゃないじゃんとかいうツッコミは受け付けない
- ハタハタ:実季がブチ切れた時に使うリーサルウェポン。愛季タソも使用する
- 周辺敵勢力

