仙台県
宮城県(みやぎけん)は、東北の中心で愛を叫んでいる(※すなわち、Send愛=せんだい=仙台)県。仙台市とその他大勢からなる。
仙台市が絶大な都市規模で県内の市町村を圧倒している為、「仙台県」「仙台王国」と揶揄される事もある。電力的な意味での中心は女川町であり、電力的な意味では女川事業所宮城支部に過ぎない。
県名の由来[編集]
県内出身者が県外(特に東北以外)で出身地を紹介をすると、しばしば「ああ、仙台県宮城市ね」と心ない反応を返されることがある。
これは「仙台」が圧倒的な威力を持っており全国的に高い知名度を誇っていることが大きい。似たような地域として、「ああ、名古屋県愛知市ね」と誤認される愛知県がある。
現在の「宮城県」のネーミングには、以下の三つの説がある。
一つは、廃藩置県後に出来た仙台県と石巻県、登米県、角田県などが合併されて成立したが、そのまま「仙台県」などと都市名を県名にすると混乱を招くことが予想されたため、仙台が所属していた宮城郡から取って「宮城県」にされたという説がある。これは、水戸が茨城郡から「茨城県」という名称になったのと同じである。
二つは、明治政府が「宮城」と表記すると「宮城県」ではなく「宮城 (きゅうじょう)」即ち皇居を指していた為、「宮城県」と言うか、「仙台とその周辺」「松島とその周辺」という圧倒的知名度を持つ都市名を付けて呼ぶ例が増えるようになった。という説である。
三つは、帝国時代にまことしやかに囁かれた、いわゆる「懲罰説」である。これは、戊辰戦争で明治政府軍に盾突いた「賊軍」たる仙台藩は、その歴史的地名を県名として残すことも許されなかった、といった具合である。似たような例として、徳川将軍家と深い縁のある静岡県(※かつては「駿河」と呼ばれていた)や、同じく佐幕派であった旧高松藩(=香川県)がある。そもそも、それまで一度として「宮城」などと呼ばれたことがない広域を「宮城」と呼称したということは、ようするに地域の伝統と一体性を破壊しようとする明治政府の姦計であった言わざるを得ず、1億と2千年経っても断じて許されない。いまなお監視役として副知事の1人は総務省から送り込まれている。
ところが、現在に至ってもなお、仙台市外の県内出身者が「あ、仙台出身ですw」と反射的に答えてしまったり、『仙台銘菓「萩の月」』が仙台市外の菓子メーカーに作られているという衝撃の事実などを鑑みるに、明治政府の目論見は見事に外れたというわけである。というか、どうせ「宮城」と言っても「ああ、そのまんま東のアレ(=宮崎県)ね」と誤解されるのが判っているから お察し下さい。
ちなみに宮城県は、東北の県の中でも低い知名度となっている。福島>>>>∞>>>>青森>山形>>〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉秋田県秋田岩手>>>宮城というのが、世間一般の認知度である。これは宮城以外の東北の県が新幹線の路線名(秋田・山形)や新幹線駅名(福島・新青森・いわて沼宮内)に使われているのに対して、宮城はそのいずれにも使われていない為だと言われている。
地理[編集]
歴史地理連関[編集]
東北の中では、比較的広い平野を持っている。東北の太平洋沿岸は全体的に平野が少ないが、宮城県だけは平野が結構広い(宮城県以外だと八戸近辺ぐらいしかない)ので、平泉や胆沢や横手など独立心の高い北東北の内陸部(主に岩手県と秋田県内陸部)とは逆に、関東や畿内の政府の出先機関が置かれて来て依存心の高い地域である。律令時代には多賀城が、日の丸時代には仙台が、それぞれ「国の出先機関」として東北各地に睨みを利かせていた。東北から関東まで日本の東海岸を見ると、平野の広い地域は、八戸近辺、宮城県岩沼以北、平近辺、東海村以南となっている。
又、日本の東海岸における海岸線も、宮城県の松島を境に南北で異なっている。松島から八戸までは三陸系のリアス式海岸だが、松島以南は常総(チバラキ)系の単調な海岸である。松島以北は女川・気仙沼・釜石(旧鉄山所在地)・宮古などの「周囲と大差の無いリアス式海岸」だが;松島以南は松川浦・四倉・大洗など「周囲に比べて突起の目立つ海岸」か、大熊・助川(旧銅山所在地)・鹿嶋など「周囲と大差の無い単調な海岸」のどれかになっている。
戦国時代前半には、大崎家、葛西家、亘理家、相馬家などが勢力を揮っていた。しかし、これらの大名は相馬家を除いて、天正時代に米沢から岩出山に転入した伊達家に屈服し、宮城県の大部分がは伊達家の天下となった。
江戸時代には、現在の宮城県の大部分と岩手県南部(平泉など)と釜石県南部(大船渡など)は、伊達家が統治する仙台藩62万石の領土であった。一方、宮城県でも新地から夜ノ森までの沿岸部は、相馬家が統治する中村藩6万石の領土であった。伊達政宗が余計な事をしなければ、「伊達家の発祥地」である福島県伊達郡(中通り北部)を加えて100万石になる予定であったが、一揆を扇動した陰謀がばれたため、福島県伊達郡を編入する約束は撤回された。
そして、1868年の戊辰戦争では、伊達慶邦(仙台藩)と相馬充胤(中村藩)は、「公武合体」の安藤信正(磐城平藩)と手を結んで明治政府とも敵対した為に、旧仙台藩は岩手県南部と気仙沼以外の釜石県南部まで失い、気がつけば東北で最も面積の狭い県域に落ち着いた。そして、旧中村藩は旧磐城平藩と融合して磐前県(いわさきけん)になったものの、1876年には幾つも山越えしなきゃ行けない福島市や会津と同じ県に入れられてしまった。そして、旧中村藩が宮城県に仲間入りするのは、2011年3月11日のフクシマ炸裂を待たねばならなかった。なお、旧磐城平藩は、フクシマ炸裂によって茨城県(県庁付近は旧水戸藩)に仲間入りした。
そもそも外様大名である仙台藩は、京都を舞台にした幕末の政局に一切関わらずに傍観を決め込んでいたにも関わらず、最後の将軍徳川慶喜が明治政府に「投了」して江戸を明け渡した後になって、急に何だかやる気をみせて、元々は仙台藩が江戸幕府に反逆しないように監視していた「仮想敵国」の会津藩を全力でかばい立てして、明治政府と戦うという、とっくに勝機を逸した時期にあえて戦うことになった。よく長州藩士の世良修蔵と仙台藩の感情的な摩擦を指摘する声もあるが、長州の宿敵である会津藩をかばい立てして討伐令を拒めば、摩擦が起るのは当然である。
さて県庁所在地の仙台市は「東北の盟主」を気取っているが、これは、(1)戦国時代に権力もなければ金もない室町幕府に工作して奥州探題や陸奥守護に任命してもらっていた米沢城主(山形県)であった伊達氏が、伊達政宗の代に仙台へ国替えとなったのだが、政宗はさらにスペイン国王やローマ教皇のもとへ使節を派遣して自分を「奥州王」だと海外にまで喧伝。さらに江戸幕府に工作して仙台藩主は陸奥守を歴任することに成功した。こうして米沢からやってきた伊達氏の家風で、仙台は東北の盟主を気取ることとなった。さらに幕末期には、伊達慶邦が奥羽越列藩同盟の盟主となって、明治政府とは別の国を立てようとした歴史と、(2)仙台が東京と青森からほぼ等距離である位置、の二つに起因する。仙台市博物館には、仙台藩に100万石を与えるという徳川家康のお墨付きが現代でも展示されており、仙台市民はこれを見て本来あるべき宮城県の広大な領土の夢を願っている。←東北州の実現で可能であるが、日本海沿岸(秋田県、庄内県、新潟県など)からは「日本海沿岸は『出羽州』にしろ!」という苦情が殺到するのは必至である。又、1876年から現在に至るまで、東北の県庁所在地は内陸ばかりなので、三陸(現釜石県)と浜通り(旧磐前県)からも、「太平洋沿岸を冷遇するな!」という苦情が出ることが予想されている。は、又、仙台市民は、仙台市博物館に展示されている100万石のお墨付きを、週に一回は観て東京を呪っているが、実は東京に対して複雑な思いを抱いている。
地域的特徴[編集]
宮城県の行政屋は仙台の事しか考えない為、仙台から遠い地域は冷遇されっ放しである。宮城県の地域構図は大きく五つに分かれており、観光ガイドで「仙台・松島」と呼ばれている東北線常磐線合流地域(仙台、松島、多賀城、名取、岩沼)以外に四つの地域が存在する。
- 栗原地域
- 阿武隈川流域
- 白石など。万事がバラバラで、仙台や岩沼の顔色を窺っている。
- 同じ阿武隈川流域である福島市や伊達市 (福島県)(あの辺が伊達家の発祥地なんで…)とも仲が良い。戦国時代には、米沢~信夫山(福島市)~霊山(福島県伊達市)~白石~丸森のラインが伊達家の一大勢力圏であり、相馬家領の新地~奥州中村~小高~夜ノ森に睨みを利かせていた。
- 常磐線沿線
- 岩沼や亘理などは、伊達家(とその子分・亘理家)の領土だった地域でありながら、同じ常磐線沿線で相馬家の本拠地だった奥州中村とも仲が良い。
- 伊達家と相馬家は仲の悪い大名として有名だが、関ヶ原で佐竹家に与した相馬家が自領に復帰できた原因は、伊達家に温情を施したからである。こうして「相馬は伊達の属国」と呼ばれるようになったが、フクシマ炸裂でもこの歴史が繰り返され、相馬は伊達(仙台)の属国になることで生き延びている。同じく、岩城も佐竹(水戸)の属国になることで生き延びている。
- 宮城県の宣伝キャラ「むすび丸」は伊達家一色だと思われがちだが、大錯いである。と言うのは、むすび丸の「三日月の角」の両脇に描かれてる「九つの丸」は、相馬家の紋章だから。宮城県の宣伝キャラで伊達家の「三日月の角」と相馬家の「九つの丸」が一緒に描かれてることは、相馬領と伊達領が同じ宮城県であることの証である。次は茨城県で、佐竹家の「丸付き扇」と岩城家の「窓れんじに月」が組み合わさったキャラが登場するか?
- 竹駒神社、中村競馬、この木なんの木、原町ラジオタワー、DASH村などはこのエリア。
- 南三陸
- 葛西家の本拠地だった石巻など。
- 現在では仙台の顔色を伺っている地域だが、豊臣政府が成立する前は葛西家の領土であった。葛西家は南三陸・中三陸(ケセン語地域)・北上盆地南部(平泉など)を領有していた大名であったが、明治時代の鉄道敷設では三陸がズタズタに分断されたため、交通政策では罰ゲームを強いられている地域でもある。
- 気仙沼は「神奈川県町田市」「栃木県古河市/埼玉県古河市」みたいな状態で、同じ三陸の大船渡の方が繋がりが深く、宮城県から脱退して釜石県に加入した。公務員の間では気仙沼転勤辞令をして「島流し」と恐れられている。なお岩手は首相をはじめ有力政治家を複数輩出したため岩手に入ると急に道路が開ける。
このように、仙台以外の宮城県民が無条件に仙台市民を好きかというと、違う。むしろ嫌いである。他県民にとってはどうでもいいことだが仙台はその他宮城エリアよりも言葉がきれいであり、小学生が仙台から非仙台宮城に転校しようものなら「女言葉」と徹底的に逆差別される。仙台市民はまず、二言目には仙台自慢、三言目には田舎批判。仙台市民にとって、仙台と東京以外はこの世に存在してはならないかのような言い回しである。鳴子だって志津川だって宮城県の一部なのである。地元の足であるくりはら田園鉄道を廃止させ、運転手は仙台空港アクセス鉄道に再就職だって?また仙台かよ?仙台さえ良ければいいのかよ?ふざけんな!ハァハァ。(←仙台空港鉄道は全区間名取市内にあることを知らないな?)…幾つも物申したいことを持っている宮城県民は、「出身はどこですか?」と聞かれると「仙台です」と答えてしまう。ただし、旧相馬家領は「仙台です」とは答えず、「中村です」「浪江です」などと答える。意味もないけど東北他県に比べて、宮城県であるただそれだけで無条件に優越感を感じていたりする。
塩釜市と宮城野区の間には、有名なスラム街「ネオ・多賀城」があり、周辺の住民は非常に恐怖している。
地上の楽園[編集]
牡鹿半島の先端近くに「田代島」と呼ばれる元歌手で盗撮マニアの自称映画監督風の地名を持った有人島が存在する。田代島は、その名に似合わず、一部の識者からは「地上の楽園なのではないか」と目されている。理由は定かではないが、野生化した「ぬこ」なる生命体が全島民の数よりも多数生息しているため、という説が有力である。この「ぬこ」なる生命体と邂逅するためだけにわざわざ他県から観光客がやってくることが確認されており、更には NHK のドキュメンタリーのネタにまでされてしまった。恐らく「地上の楽園」は、この田代島か、あるいは和歌山鉄道に存在すると考えて誤いないだろう。だってそうにゃんだもん。
政治[編集]
歴代知事[編集]
- 前々知事:本間俊太郎
- 当初社会党の支持を得て立候補するはずだったが、一転裏切って鉄板保守派に着いた知事。旧・中新田(なかにいだ)町、今の加美(かみ)町出身で、ゆえに加美町民のプライドの高さは尋常ではない。宇宙の中新田(ちゅうしんだ)というのがスローガン。シムシティで培った手腕を現実世界で実行してみたかったのが知事になった動機である。宮城県を箱物で埋め尽くす政策を実行し、建設業者からは諭吉入りの菓子折を受け取っていた。仙台市長・石井亨とタッグを組み熱心に建設事業を行っていた。だが、アレを受け取っていた事が発覚、仙台市長と一緒に逮捕されてしまった。知事と市長が一緒に逮捕される事態は仙台市民のトラウマになり、保守から革新に一転する切っ掛けとなる。刑務所でダイエットした後に、大崎市長に立候補、みごとに落選した。通称ほんまかいな。
- 前知事:浅野史郎
- 詳しくは当該項目を見てくれればいいが、要するにちょっと左がかったパフォーマー。目立つためには国家権力・警察とも喧嘩をするアレなおっちゃん。1990年代はどこの自治体も借金が激増してるのに、そこら辺はスルーされてなぜか「宮城県の借金を倍に増やした」と轟々と非難される。かわいそうです(´;ω;`)。東京都知事選挙にも立候補したが、応援している面子がいかにもアレだったため、東京都民に底が知れて大惨敗。余生をさかなクンでもできる大学教授をやって過ごしている。それでも宮城県から政官財の癒着を排除して、山形県では100かかる工事が、宮城県では70の支出で済むなど功績は少なくない。
- 現知事:村井嘉浩
- 陸上自衛隊航空科(断じて航空自衛隊ではない)のヘリコプターパイロット出身の知事。実は仙台市若林区にある霞目駐屯地に勤務していたこともある。俺でも殴り合ったら勝てそうなエリート顔だった前知事に比べ、秘められた戦闘力がありそうなので、下手に近づけない。前知事が全世界の反日界の頂点に君臨する江沢民前中国国家主席を仙台に呼んだことに対抗し、全世界の親日界の頂点に君臨する李登輝前台湾総統を呼ぶ。梅原克彦仙台市長と共に保守トロイカ体制を構築し、特アに厳しく国を愛する政策を日々実行している。
- 民主党の重鎮フランケン岡田や北川正恭前三重県知事からの指令により、三重県から「美し国」のキャッチフレーズでいちゃもんをつけられたりもしたが、松島基地のF-2支援戦闘機による三重県への空爆の機会を窺っている。作業着を着ると県北の農民にしか見えない。正体は分別マスコットキャラで知られるワケルくんが実体化した人物。
- 次の知事
- 法則的には左翼系の知事になるだろう。知事になりたい人は、日頃からゴミ拾いをしたり、極貧の生活をしている人の家に行って、政府の無能を一緒に怒ったりするのが良いだろう。東北放送のアナウンサーになれば高確率で選挙に勝てる。右翼系の人は8年後を目指さなければならない。法則なんだから。
宮城県庁vs仙台市役所[編集]
どこの県でも、県庁と県庁所在地市役所は仲が悪いと相場が決まっているが、宮城県庁と仙台市役所の仲の悪さはガチである。仙台市体育館を作ればグランディ21を、仙台国際センターを作れば夢メッセみやぎを、宮城県サッカー場にはユアテックスタジアム仙台を、宮城県庁はさらに宮城スタジアムを、仙台市博物館を作れば東北歴史博物館を、長町駅前再開発をすればなとりりんくうタウン開発というように、正しくガチである。しかも、仙台市内か仙台近郊に同じような物を建てて潰しあうチキンレースである。県庁に近い地域が優遇され、県庁から遠い地域が冷遇されるのはよくある話(例外:茨城県、広島県)で、この宮城県も県庁所在地とその付近が優遇されている。
しかも、近年は一層白熱し、仙台市役所が仙台市地下鉄東西線に大金を突っ込み、宮城県庁が仙台空港鉄道に大金を突っ込むなど、どっちが先に破滅するかいう最後の大勝負を繰り広げている。普通なら誰か止めてもよさそうだが、そこはそれ、徳川幕府にお家を潰される寸前になるまで熱狂した「伊達騒動」のお国柄、お家騒動が大好きな仙台市民はやんややんやの大喝采である。
そういえば県立宮城大学なんてものも作ったが、(1)「仙台市内でないと学生が集まらない」、(2)「県の意地があるので仙台市内には造りたくない」、こんな意地を張ったために、仙台市境まであと数メートルという僻地に大学を造ってしまった。この大学も仙台人らしくお家騒動が大好きである。
それを眺める仙台以外の宮城県民の本音は、「くだらねごどやってねえで、おらだの所さもなんぼが金回してけさいん」であることは言うまでもない。但し、左記の訛りは仙台訛りなので、その他大勢の宮城県民は発音ができない。だが、仙台市民の半分以上が他の地域から転勤などの移民で、仙台辯なんてちっとも喋る事ができないのは秘密。石巻辯は乱暴で喧嘩を売っているように聞こえるが、昔の江戸辯が影響しているらしい。又、沿岸でも旧相馬家領である中村や浪江などは、「だべ」でおなじみ相馬辯の地域である。
農林水産業[編集]
宮城県といえば殆ど水田なので、稲作が盛んである。徳川時代には「江戸市中で流通する米の半分は仙台米である」と言われていた。なんかすげえ。仙台藩の国力を表す言葉として有名であり、宮城県民の自慢の種である。しかし、何のことはない、北上川からやってきたお米と、阿武隈川で運ばれたお米を総めて運んだのを誇っているだけである。見栄っぱりな宮城県らしい話である。戊辰戦争後は、鉄道の開業により、このような数字のトリックは使えなくなったとさ。
1970年代には魚沼県のコシヒカリに対して宮城県のササニシキが全国的なブランドであったが、1990年代に入りコシヒカリに敗けた。改めてひとめぼれをコシヒカリの対抗馬として育て上げたが、岩手県産や茨城県産ひとめぼれの方が大手を振っていたりするので悔しいと思っている。アレなデザインの米袋使っておいて自作自受である。宮城県安全保障局では、コシヒカリを福井県から華麗にかっさらった魚沼県にスパイを送り込んでいる。
漁業も盛んであり、塩竈(しおがま)や石巻(いしのまき)を初めとして、全国的にも重要とされる漁港が複数ある。カキ・ホヤ・ふかひれで有名だが、実はマグロの水揚高も日本一である。しかし、マグロと言えば大間・清水・三崎と相場が決まっているので悔しいと思っている。
そんな宮城県最大の海産物は、なんと言っても笹かまである。海流の絶妙な塩梅で三陸沖では笹かまの群れが泳いでいる。年中通じて収獲できるのは笹かまだけである。宮城県の海の男は、笹かま漁の網を引きながら門脇睦男の「祝い船」を口ずさむのが生き様である。鳥羽一郎の「兄弟船」なんか口ずさむような奴は、「美し国」にいちゃもんをつけた三重県の間諜として海に叩き落されるので注意されたし。
海産物で日本一と言えば、フカヒレの気仙沼(けせんぬま)である。料理には基本的にフカヒレを入れる。フカヒレラーメンとか。フカヒレ寿司とか。でも仙台から気仙沼に行くには、沿岸ルート(石巻経由)は路線が錯綜してて行きにくく、面倒でも岩手県の一関から山越えしなきゃ行けない。いや、気仙沼はグイッと岩手県に食い込んでいる為、「岩手県気仙沼市」「三陸県気仙沼市」と呼ばれる通り、宮城県から離脱している。電車で行く場合は大船渡線を使う。おおふねわたり線ではない。連絡線ではなく普通の鉄道だ。是が非でも県内で済ませたいなら気仙沼線もあるが、気分的にちょっと遠回り。
観光・交通[編集]
日本三景のひとつである松島は、松尾芭蕉が『松島や、ああ松島や、松島や』という句を詠んだことで有名である。実は、詠んだことはでっちあげといわれるが、知らないフリをしている。今は、どうやっても車が渋滞するので、地元民はなるべく通らないように避けるポイントである。行きたい人は電車でね。どうしても車なら、せめて仙台港から松島まで三陸道を使うと5倍速い。でも着いても駐車出来ないかもね。芭蕉が調子の良い句を詠んだのは、松島の手前塩釜にある「やまや」でたらふく酒を飲んで気分が良かったのだろう。なお、松島駅はダミーである。観光の人は松島海岸駅に行かないと苦労する。渡ると必ず別れるという橋が有名なので、ごちゃごちゃになった男女のもつれを精算したい人々で賑わう。
宮城県の祭りといえば、7月の中村城下の馬追い祭り(競馬)と、8月の仙台城下の七夕祭りが有名である。仙台七夕のテーマ曲では「青葉城恋歌」が知られているが、中村競馬のテーマ曲である「相馬流山」はあまり知られていない。城下町以外の地域では、石巻と浪江の焼きそばバトルが、定番のグルメイベントになっている。
蔵王山は、こっちを表と呼んでいる割に、明らかに裏の方がメインである。新幹線の駅に蔵王の字があるのはこっちだし、高速道路に蔵王PAがあるのもこっちである。蔵王町があるのもこっちである。なのに何で裏ばっかり・・・。それが面白くない。挙句の果てには仙台市民でさえも山形自動車道で裏のほうに滑りに行く始末。
栗駒山だってそうである。東北新幹線くりこま高原駅があるのはわが宮城県である。栗駒町があったのもこっちである。栗駒高原だってある。しかし、明らかに栗駒観光のメッカは秋田県と岩手県を結ぶ栗駒道路であり、須川温泉であり、ジュネス栗駒である。悔しい。
それに、宮城県は松島を持つ沿岸県であるが、交通網は表である沿岸が貧弱で冷遇され、裏である内陸が豪華で優遇される始末。常磐自動車道も仙台⇔中村は未だ開通しておらず(水戸⇔平の開通は1988年3月なのに…)、三陸沿岸の鉄路は仙台⇔気仙沼が一本の路線になっていない。そんなもんだから、仙台⇔水戸の高速バスは、同じ沿岸地域である中村を経由しないメチャクチャなルートになってしまった。そして、夜ノ森⇔新地の路線バスは、宮城交通(仙台)でも常磐交通(平)でもでもなく、なんと福島交通のエリアに入れられてしまった。自動車部品産業も、茨城県の小名浜と同じく、宮城県では沿岸の新地に建てられる予定だったのに撤回され、内陸の栗駒高原近辺に建てられてしまった。夜ノ森以北が初めから宮城県だったら、こうならなかったのに…。
そんな我が宮城県が唯一他県を出し抜いているもの。それは、女川や志津川などの南三陸である。南三陸の観光のメッカ唐桑半島があるのは宮城県~♪でも、仙台から車で4時間かかるのでもう、平泉でいいじゃんと思っている。緊急患者は仙台ではなく、北上山地越えの一関(平泉の隣町)に運ばれる、ヘリコプターで。
なお、松島の上と下には、日本中のオタクの耳目を集めるスポットがあったり無かったりする。上にあるのは松島基地、言わずと知れたブルーインパルスの本拠地である、訓練ならいつでもみれるぜ、ホントスゴインだから。下にあるのは七ヶ浜、スリーブレスの神様とかミニスカートのシスターが住んでる事になってる。ウソ。ホントは仙台、多賀城、七ヶ浜という23区並の広大な空間を一瞬で走り回ってる。彼女らは一時は仙台駅の一角も占拠し、長年無線封止の元で戦い続けてきた仙台オタは、連合軍がやってきたパリ市民のように歓喜した。
しかし神は居なかった、作者病気の為長期休載、テレビ東京進出の立ち消えと再び地下活動に移らざるを得なくなる。なお、萌都秋葉の通行人の間では「かんな×ブームって何だったんだろうね。」等という会話が行われていることが私により確認されている。
県民気質[編集]
総論[編集]
- 色んな意味でステレオタイプな「東北人」のイメージにそぐわない
- 東北人は寡黙なイメージがあるけど、宮城県民はよく喋る。
- 東北人は真面目で勤勉なイメージがあるけど、宮城県民は面倒臭い事が嫌い。
- 東北人は人見知りをするイメージがあるけど、宮城県民は少なくとも表面上は社交的。
- 東北人は閉鎖的なイメージがあるけど、宮城県民はむしろ開放的(後述の「新しもの好き」とも通じる)。
- 東北人は保守的なイメージがあるけど、宮城県民は自由主義的(宮城県のマトモな高校は制服が無いのが普通)。
- 東北人は慣れた相手には優しいイメージがあるけど、宮城県民はどこまでも淡白。
- 東北人は質素倹約のイメージがあるけど、宮城県民は浪費家でとことん消費文化を楽しむ。
- 東北人は謙虚なイメージがあるけど、宮城県民は「見栄」の文化を持つ。
- 東北人は几帳面なイメージがあるけど、宮城県民は全てが大雑把。
- 東北人は切れたら怖いイメージがあるけど、宮城県民はのんびりしてるから切れない。
- 東北人は物事を悲観的に考えるので自殺者も多いが、宮城県民は楽観的。
- 東北人は団結力が強いイメージがあるけど、宮城県民が牛タン定食より大好きなのは「お家騒動」。
- 地元愛が強い
- 「県外に出たくない」という理由だけで、県内就職を希望する若者が多数。
- 伊達政宗は聖人君子として崇められ、伝統行事のすべてが無理にでも伊達政宗と関連付けられる。しかし、政宗と言っても仙台時代の政宗であり、米沢時代や岩出山時代の政宗ではない。
- ただし、伊達家でも今日への歴史的影響が強い当主は、伊達政宗じゃなくて伊達慶邦(戊辰戦争当時の仙台藩の指導者)である。
- 不便だと分かっていても、地銀である七十七銀行か仙台銀行のキャッシュカードを保有する。
- 東北の盟主を自称する
- けれども、県外は山形県(沿岸は庄内県として分離)内陸部と福島県中通り北部くらいしか関心がない。
- 小学生はの修学旅行は、定番が戊辰戦争の同盟城下町である会津で、白虎隊の悲劇を徹底的に焼き付けられる。
- さらに中学生の修学旅行の定番は明治政府に駆られて逃げた五稜郭だったが、バス、船移動時間が長いので廃れた(面倒臭がりなので)。
- しかし、宮城県民の9割は、同じ戊辰戦争の同盟城下町である平(当時の市名:磐城平)や鶴岡に行ったことが無い。
- 東北地方を統めようとする努力は初めから放棄している(面倒臭がりなので)。
- 東京への憧れが異常に強い
- しかし、東京に住みたいとは思わない(地元愛が強いので)。
- 東京に行くよりも、東京のお店やブランドが地元に開店することを喜ぶ(同上)。
- 畿内への敵対心が強い
- とはいえ、宮城県民の多くが箱根峠以西や碓氷峠以西の地理に疎い。
- 同じ地方中枢拠点である広島や福岡、札幌を意識することの方が多い。
- でも、特に他地域に勝つ努力とかはしない(面倒臭がりなので)。
- それは勝てば官軍という教育の賜である。
ただし、上記のような傾向は地域差もある。栗原地域や南三陸ほど東北人らしい気質になり、阿武隈川流域や常磐線沿線ほど宮城県民らしい気質になる。特に、東北本線と常磐線が重複する岩沼から松島までの沿岸部が、典型的な宮城県民気質を有している。
この傾向の例外は、相馬家の城下町だった「小さくても気高い」「何かに振り回される」中村であり、伊達家の城下町だった「大きくて見栄っ張り」「お家騒動」の仙台や、おまけのくせに生意気な「小泉紅衛兵」原町や鳴瀬とは全く違っている。これを象徴する台詞が、「花は相馬に、実は伊達に」である。
各論[編集]
他地域に対する依存心が強い[編集]
いつも口だけなのが宮城県民である。県紙の河北新報が典型で、東北各地に販路を広げているが、宮城県以外ではあまり売れない。東北各地に販路を広げている為、宮城県内の記事を減らしてでも、宮城県以外の東北各地の記事を載せる。河北の侵略性とパクリ根性は中日新聞に次ぐ規模で、河北の本拠地である仙台と、中日の本拠地である名古屋は、いずれも霞ヶ関の出先機関で不当利得を貪って、「お前の物は俺の物」っていうパクリ根性を振りかざして、東京人を気取っている為、周辺地域からは嫌われている都市である。そのくせに、仙台以外の宮城県民は、冷遇されている事への不満を抱きながら、実力行使もせずに平気でアイデンティティを投げ棄てる。清洲や岡崎や挙母との違いがこれである。
要するに、宮城県民は、プロ野球で言えば「巨人のコバンサメ」と揶揄される燕や横浜のような者である。燕と横浜は、巨人とその提灯持ちNPBコミッショナー事務局を心底から嫌いながら、セ・リーグにさえしがみ付いていれば安泰で、パ・リーグチームに対してなぜか優越感を持っている。
だが、東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入以来、随分と独立心が芽生えてきた。その独立心が高じて日本からの独立が真剣に検討されたこともあったが、戊辰戦争の二の舞になることを恐れる意見や、県民気質として染み付いた生来の面倒臭がりのせいか、いつの間にか立ち消えになってしまった。
その妥協案として生み出されたのが、村井知事による「県内総自動車工場」構想である。これは、県内の名産品である笹かまや牛タン、また仙台銘菓『萩の月』などを使った自動車生産体制を目指す構想であり、「やれやれ、気付いときにはトヨタに県を乗っ取られてたよ。オーケー認めよう。宮城県は今やトヨタの植民地だ」という事態が来ることを全県民が心待ちにしている。(2009年度の知事選では、県民の圧倒的支持を受けて再選されたので)。宮城県が愛知県の密かな植民地であるのは、最近始まったことではなく、名鉄が宮城交通に資本を投下していた、資本関係が無くなった後も、愛知県内で使わなくなった廃バスを宮城交通が購入して再利用なんてことをしている。なお、宮城県民が心の底から嫌っているのは、畿内でも大阪市民であり、和歌山県民や奈良県民や三重県民や名古屋市民は特に嫌われていない。今のうちに名刺と赤福と鹿煎餅を配っておけば、宮城県でのビジネスは成功するだろう。家に招待して、めはり寿司と味噌煮込みうどんを喰わせておけば、よりビジネスチャンスは広がる。スガキヤのラーメンフォークを配るのも良いだろう。宮城県に新設されるトヨタ系列の工場では、座席シート笹かまぼこ、エンジンは牛タン肉、車体は仙台牛の皮、燃料はガソリンを使わず『萩の月』で動くというエコカーを生産する予定である。
「仙台市外出身者が仙台出身を騙る」の謎[編集]
出身地などを紹介する時には「宮城」とは言わず、「仙台」とか「仙台の近く」と言う者が多い。これは、「宮崎」や「茨城」と混同される確率が高いためである。もしくは「仙台?ああ!牛タンの…」と仙台は一発で認識されるのに対し、「宮城…?ってどこ??」となるケースが多く、そこから「ほら、仙台がある…」「ああ!牛タンの…」と二度手間になるのを回避するため。ハゲは宮城県知事にはならないし、宮城県にはシーガイアは無いし、宮城県には納豆の名所は存在しない。水戸近郊の茨城県民が「水戸」とか「水戸の近く」って言うのも同様である。余談だが、従来のナンバープレートは「宮城」が使用されていたが、新しく「仙台」のプレートも認められるようになったら人が殺到した。
もっとも、海外では仙台ですら知名度が低いので、「フクシマから北へ100km」と言わざるを得ない。同じく、水戸は「フクシマから南へ140km」と言わざるを得ない。しかも、フクシマが宮城県と茨城県の県境だし…。
新しもの好き[編集]
宮城県民は新しい物を好む。新商品のサンプル試験では、宮城県が使われる。なぜなら、とりあえず新しいってだけで売れて終うから、担当者にとって都合の好いデータを得られるためである。その商品が全国で発売された後はどうなるか想像がつくであろう。あと、西日本の企業が東日本に進出する際の踏み台にもよく使われる。
他地域に対する対抗心[編集]
宮城県の有名人は、大の反畿内として有名である。畿内でも特に大阪府への敵対心が強い。同じく、宮城県の観光関係者は、畿内でも紀伊半島である三重県と奈良県への敵対心も強い。宮城県の観光関係者は「美し国(うましくに)」を使っているが、この名称は、伊勢志摩が地元の伊勢神宮や平城京に海産物を多く出荷した歴史に因んでいる。この為、三重県の観光関係者は、「宮城県如きに『美し国』なんて名乗らせないぞ!」「平泉の家来のくせに!」って言い返している。又、紀伊半島民が宮城県に入る際には、三重県民(含東牟婁郡)と奈良県民は愛知県民を装い、大阪府民と和歌山県民は徳島県民を装っている。
西暦1987年に国鉄が分割民営化される際に、紀伊半島のうち三重県と愛知県はJR西日本から強引に切り離され、JR西日本は東海道新幹線の経営権まで奪われ、中央本線を除く今川武田組はJR東日本から強引に切り離された。これは、宮城県出身の運輸大臣であった三塚博の陰謀だと風聞されている。この三塚博による紀伊半島分断工作のお陰で、翌1988年には、大阪府在住のサントリーの社長であった佐治敬三から、「東北は熊襲の産地!」ってコテンパンに嘲われる結果になった。宮城県出身のアホ政治家のせいで、宮城県以外の東北まで巻き添えを食らったのである。「東北熊襲」暴言で大顰蹙を買った佐治敬三は、宮城県を含む東北の各県庁に陳謝行脚を強いられた。これ以来は今でも、宮城県内ではサントリーの商品は販売されていない。
県内のウィスキー消費文化[編集]
ちなみに、宮城は県民一人あたりのウィスキー消費量が全国一であり、県内総消費量だけでも東京についで第二位である。
ウィスキーと言えば、サントリー社の看板商品である。それでは、「東北熊襲発言」騒動に伴う不買運動により、サントリーウィスキーを買えなくなった県民が困ったかと言えば、そんなことはまったくなかった。というのは、県内にニッカウヰスキーの工場および蒸留所があることから、もともとニッカが宮城県内ウィスキー市場の圧倒的トップシェアであり、サントリーの存在感が初めからなかったためである。
上記の発言騒動は、この県内市場シェアを完全に固定する役割を果たしたらしい。サントリーはウィスキー業界トップにも関わらず、現在でも宮城県内でウィスキー目にすることは非常に少ない。勇気のある宮城県外出身者は、試しに国分町でサントリーウィスキーを注文してみると良いだろう。無言でニッカウィスキーが注がれることになる。宮城県でウィスキーと言えば、ニッカウィスキーを指すのだ。結果としてみれば、ニッカが漁夫の利を得たことは確実である。
テレビ[編集]
東北各地から人が集まる事情からか、宮城県の地元番組は恐ろしく毒がそぎ落とされた構成であり、ある種の若者にはつまらなすぎて劇薬になる。その毒のなさを具体的に表現すると、司会が徳光和夫でアシスタントが新人アナでゲストが巨人選手であり、かつ扱う題材が地域密着のイベント告知などで、さらに予算がエロビデオ程度にも組まれない状況を想像するとよい。しかし、驚くべきことに生まれが宮城県の人間は、この番組を何ら疑問を抱くことなく視聴する。
テレビ局所在地の仙台人は見栄っ張りなので、東北地方の先陣を切って地上波デジタル放送のサービスを開始した。しかし、仙台人は霞ヶ関の出先機関で不当利得を貪っている為、「自分さえ良ければいい」という霞ヶ関の理屈を振りかざしているので、仙台のテレビ局に中継局を増やそうという気がまったく感じられず、2年あまりも放置プレイ。その間に隣県各局では中継局の設置が進み、県北と県南では隣県の地上波デジタル放送が楽しめるようになった。東北の中心県でありながら隣県から電波を恵んでもらう悲しさ。わが世の春を謳歌する仙台人を尻目に、仙台圏外の宮城県民はいつ始まるかもしれない宮城の地上波デジタル放送を待ちわびつつも仙台の身勝手さに涙し、「助けでけさい!誰が、誰が助けでけさい!!」と東北の中心で愛を叫んでいるのである。
アニメ「うる星やつら」ラムが発する「うちは○○だっちゃ」が全国知名度を上げたことにより、もともと「○○だっちゃ」を頻用するネイティブは、他県流入者から「うる星やつら信者キモ」というレッテルを貼られるようになった。語尾に「だっちゃ(付加疑問文的なニュアンス)」を付けるのは確かだが一人称は「オラ」「オレ(女性でも)」で「うち」はあり得ず、明らかに濡れ衣だが印象が強すぎるため払拭できない。えらぐいづい。
関連項目[編集]
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