小説家になろう
小説家になろう(しょうせつかになろう)とは、プロの小説家になれなくなる投稿サイトのことである。
概要[編集]
小説家になろうとは、小説家になろうグループが管理する「小説家志望者」が恥知らずにも自由に小説を投稿できるウェブサイトである。読者は投稿された小説を金を払うことなく思う存分読むことができる。傘下にエロ小説専門の「ノクターンノベルス」やエロ以外の成人向けもOKな「ミッドナイトノベルス」、そして腐女子と夢女子の巣窟「ムーンライトノベルス」が存在するがまぁ似たようなものである。また二次創作OKの「別館」としてハーメルンというサイトも存在し、アクタの続編を勝手に書いている人や毎週毎週同じ作品のエロパロばかり書いている人などが元気に活躍している。
人気作になれば、プロの出版社からお誘いが来ることが前向きに検討される。小説家志望のお兄様の中には、実際に紙媒体での出版を実現し、永遠の劣等生作品がアニメ化されるほどの人気作品に化けた事例もある。しかし、そんな事例は一般的な志望者にとって、「異世界へ召喚」されるのと同じくらい有り得ないことだ。このサイトでプロになろうという幻想は、ぶち殺されて当然と考えるのが健全な選択だ。ニコニコ動画出身の歌い手やボカロPのうちプロの世界に飛躍できた人間がいなかったわけではないが、米粒ほどしかいなかったし、その米粒ほどの成功者も順風満帆の道を歩んでいるわけではない。夢を見過ぎてはいけない。
どこかで文章訓練をしたことがある人間なら、出版とはいかずとも中程度の名声を獲得することはできうる。しかし、この手の小説でよくタイトルに使われる×××階級[1]の人間がこの文系「異世界」サイトに「転生」してきて、その手の分野以外何の教養も洗練もないままに「俺」の考えた「ハーレム」妄想を文章化してみると、たちまち以下に記す事態が顕現することだろう。
内容[編集]
小説家とある通り、気軽に読み捨てる…ノベルだけでなく、大人の重厚な解釈に耐え得る「~小説」を素人が気軽に出せるようにするのが、サイト本来の趣旨だった。しかし、現実には「文章みたいなタイトル」の軽い小説(ライトノベル)が9割近くを占めている。いや、「小説家になろう」だから本来は青春小説や純文学、時代小説に分類されるべき作品までライトノベルに見えてくるんだろという反論もあるが、とにかくライトノベルにみえてくるのだから仕方がない。とりあえず、上位にランクインするのが軒並み文章タイトルばかりで(当然内容もその手)、それへの耐性がない人間をたじろがせるのは事実だ。
そうした小説は、まず読むに耐えるものでないという偏見が付きまとい、更に8割の投稿作品がどこかの売れてる小説の世界観をパクっているだけ、男どもがハーレムつくりたいだけという事実の前に、あっという間に読み捨てられる運命にある。そもそもの時点で読み捨てラノベの雛型が「テンプレート」として用意されているのだから、そりゃ似たり寄ったりになるわ。
ピクシブなら、赤の他人のつくった有名なキャラクターのイラストを投稿しておけば原作者を含む誰かが鑑賞しに来てくれ、一定の尊厳を手に入れられる機会があるだろうが、活字の小説の場合、そのような労をわざわざ払ってくれる親切な読者などまず存在せず、「新着」のページから消えた瞬間誰も気にしない駄文へと変身する。書くのに要した時間を考えるに、なんと無益な努力だったことだろう。
投稿者たち[編集]
そのように無益な努力をする投稿者たちは一体何を思いながら投稿を行ったのだろう。投稿作品の9割以上はおそらく、出版社の行う新人大賞に出したが、箸にも棒にもかからぬまま1次選考すら通らなかったものに違いない。そのどうしようもない駄作に一度だけでも栄光の晴れ舞台を与えてやりたい、そしてあわよくば「なろう」経由で出版してもらいたいという建前と本音の見本的欲望が交錯しているものと思われる。
しかし、そのような夢は決して実現することはない。最も投稿数が多いという電撃文庫大賞でも投稿作は6000~7000作前後だ。なろうでは、2022年7月2日現在で約89万1345作の小説がある。この中に割って入って書籍化される確率は、電撃文庫の大賞を受賞する確率より遥かに低い。そんなサイトの設計構造すら理解できていない人間が小説家になれるわけなどない。そしてこのサイトに「下読み」[2]などの気が利いた振るい分けシステムはない。200文字を越えればそれで投稿可能であり、UCPならば一行記事として削除されるような単文まで「小説」としてカテゴライズされている。そんなゴミの山にわざわざ分け行って、価値あるものを探そうとする出版社職員がいるだろうか。いや、いるはずがない。
9割の投稿者は他の投稿者の小説を読むことはほとんどない。読んだとしても、「なんだ、俺の方がずっと上だろ?」と自作が作者補正で面白くなっているに過ぎないことに気づかず自己憐憫するのが関の山だ。それなら、文筆の腕が分かっている現実世界の住人に見せて、批評をあおいだ方がより有意義だろう。
それでも、投降者たちはライオンの夢を見ながら、妄言を垂れ流す。老人になっても、垂れ流し続ける。
読者たち[編集]
それでも、そんなサイトを日々チェックして、感想を書き記す数奇な読者はいる。読者は「~先生」の項目から作品数の多い先生をお気に入り登録することもある。
しかし、その読者は作品に感銘を受けたから登録しているのでないとみてまず間違いない。「~先生(笑)」と呼びかけながらも、「また別作品の設定どころか文章まで使いまわしているよ」「この戦闘描写、本当にイケてないよな」「俺の方がよっぽど上手く描写できるぜ」と自己満足に浸っているだけである。その感想はどうせ実行されぬだろう最後のものを除き、おおむね的確なものである。だから、登録は必ずしも気に入られたという意味じゃないのですよ、先生(笑)。
人気作[編集]
それでも人気が出るものは出る。「小説家になろう」ではファンタジー的な世界に現代日本社会から排斥された階級の人間がどういう訳かやってきて、それほどの苦労もせず神格的な地位を確立させていくものが人気のようだ。とりあえず、初版投稿時点(2014年)で1位になった作品の副題は、「異世界行ったら本気出す」という如何にも「今は本気出してません」系だ(商業化され、漫画版がコミックフラッパーに)。ネット世界では、人気作の勇者は作者と読者の夢を反映しているというが、好評を得た作者たちは理不尽な孫の手が跳梁する淀んだ世界で、同志たちを差し置いて名声を得るという作中主人公的名誉を手に入れることができた。
しかしその『理不尽な孫の手』も、書籍売上では、100位以上も下の作品に負けるなど、ランキングに無意味さを体現している。つまり、「無料では読むけど、金を払って読む価値の無い文章」である。
ならば、今は三流作家の地位に甘んじている読者も模範作者のような道を歩もうとするのが筋というものだが、三流作者たちは自分たちが既に立派な執筆力を備えていると思い込み、どこかの劣等生のごとく分析力だけは一流だ、でもそれをまだ実戦の場で活かしきれていないだけだと思いたがる。そう思うのなら、その分析をネット上で公開すればよいというのに、相手のページはおろか自分のページでもまともな分析感想を展開しない(できない)。こんな先生(笑)は自分のつくったヒロインにさえその才能を認めてもらうことはできないだろう。
また人気取りとは毛色は異なるが、単にビュー数を増やすという行為だけを集中して行うという三流作家どころか「三流作家志望崩れ」も多い。新規投稿時に「異世界転生」「ハーレム」「ファンタジー」「ふたなり」「ギャル」など中学生が好みそうな内容と関係ないタグさえ付けておけば、ビュー数はあっという間に二万三万と増えていく。加えて作品評価は平均値と合計しか出ない為、とりあえず何でも「5」を付けてくれる礼儀正しい閲覧者が多数いるお陰で[3]ある程度までなら悪くならない。そしてこんな小手先ばかり器用になった連中が、今日もサイトの価値を下げていくのだが、そんなものは彼らにとって何の痛痒でも無いのだ。
大人向け?[編集]
なろう産の小説は構成が中高生向けのライトノベルよりも緻密で大人向けという評価も受けている。しかし、王道とされるストーリー展開では、「悪役は主人公を決して上回れない」ようにできており、悪役が勝ち、主人公が死んで終わる大人向け小説のプラットフォームを産めないようだ。いや、起承転結の結で主人公が勝つとしても、ライトノベルの悪役は起承転の段階では主人公たちを華麗に打ち負かす活躍をみせてくれるものだが、なろうの読者たちは途中でさえ悪役が勝つことを喜ばず、異世界転生してきた主人公が普通に努力した結果、異世界の女の子に簡単に囲まれて敵に傷つくことなく百戦百勝するのを期待するようだ。
「対等な能力の中での努力、ヒロインや仲間との衝突を超えた友情、何度も苦戦した末の勝利」を建前とする少年漫画の世界では、特訓して努力する展開になると読者の本音が出て嫌われる。
「チート能力を活かした努力、ヒロインや仲間の服属、一敗もしない完勝」を建前とするなろうの世界では、強力なライバルやヒロインが主人公青年の努力を無にするほど派手に打ち負かす場面が嫌われる。「敵が弱くて、主人公の努力は必ず報われる」プロットでは、主人公が社会人だったとしても、どんなに異世界の設定を濃密にしても、子供向けのチープなものにしかならない。
ならば、どうしてそんな小説が「大人向け」なのだろう。なろう小説の大半が文庫本よりも大きな版型で出版されているという理由で「大人向け」なのか?それとも、普段は子供や若い女の子に罵声を飛ばして俺Tueeしているが、実はたいした技能を持っていない社会人の鬼コーチが自己陶酔するのに丁度良い設定だから「大人向け」なのか?または、いわゆる特定アジアの悪役に対して、最後は勝つとしても途中で日本が負ける過程が耐えられないネット住人の嗜好に合わせた物語だから「大人向け」なのか?
確かに、民主主義の文明国家が非民主の異世界に対して百戦百勝して植民地支配する読み捨ての国際ニュース記事として読むなら、意味があるかもしれない。しかし、その程度の小説では、大人の文壇で認めてもらうことはできまい。
アニメ化[編集]
なろう発の小説が書籍になった後アニメ化する事例も増えてきた。業界関係者の間では、漫画やラノベのアニメ化との差異が語られている。
漫画やラノベをアニメ化する場合、元は男子に媚びている訳でもないヒロインたちをどのように冴えない男子に媚びているように見せるかが一つの争点になる。しかし、なろう産の場合、ヒロインなにそれ美味しいのとヒロインに媚態され無双しまくる男子主人公を如何にして読者の鑑賞に耐えうる範囲内に留めるかが争点になる。主人公がモテて無敵すぎると、視聴者が充実イケメンの爆発を唱える呪文を唱え、まったく感情移入しなくなるためだ。そんな補正がかかってもなお、無双の限りを尽くしているようにみえるのがなろう系である。
教訓[編集]
小説家になろうとするなら、UnBooksでユーモアの腕を磨いた方が読者もつく[要出典]し、ネット検索で上位に表示されうるしで、成果はより高く報われる。多くの時間を執筆に費やしたというのに、その評価が2時間程度で書き上げた本風刺記事に負けるというのは、小説家として最悪に報われないお仕事だ。
その趣旨に合わない真面目に文学を公開する場合は、自分のブログかホームページを開設して少しずつ公開していった方がファンもつき、よっぽど多くの読者に恵まれることだろう。このサイトは感想をつけられても、本のデザインが常に一定で、工夫することができない。フィネガンズ・ウェイクやトリストラム・シャンディのような、狂ったデザインの本を作ることが出来ないのだ。狂気の介在しない芸術に何の価値があろうか。小栗虫太郎や夢野久作がこのサイトを見たら退屈のあまり死んでしまうことだろう。