小関裕太
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
小関 裕太(こせき ゆうた、1995年6月8日 - )は、日本のシンガータップジャズダンサー、プロデューサー、コメディアン、技術者、俳優である。
東京都。アミューズ所属。コセキアーティストラボラトリー主席研究員。小関下駄製作所技術担当副社長、全国中学生下駄文化継承協会理事を務める。血液型はAB型。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 性格
裕太の性格は、ツッコミだったりボケだったり天然だったり真面目だったりしてよくわからない。
基本的にはツッコミ、というかほぼSである。他人をイジったり、他人の弱点を指摘することに長けている。しかし、裕太のツッコミは非常にマイペースであり、相手が反応しても、それをツッコミと理解し、笑いになることは稀である。
時には相手に無茶な行動を要求することがあり、「裕太のムチャぶり」としておそれられている。
一方で、自分が突っ込まれる事にはめっぽう弱く、大抵は笑ってごまかしている。しかし、相手も裕太のペースに乗せられてしまい、いつの間にか忘れてしまっている。これは「裕太マジック」の一つである。
あまり知られていないが、根は真面目で努力家である。その割には、長ゼリフが覚えられず、大女優・榮倉奈々にカンペを持たせていたこともある。
また、口の中に食べ物がある時は、食べ終わるまで喋らないことから、礼儀正しく育てられたことが伺える。のちに「ゴミのポイ捨ては許せない」旨の発言を堂々とし、ただのポーズかと思われたが、前記のことを考えれば、ごく自然なものだと理解できる。
[編集] ファッション
昆虫学者である渡邉聖斗には遠く及ばないものの、裕太のファッションセンスは一般的に高く評価されている。しかし、靴だけはいわゆる「ジャスコシューズ」を履いていたりするのはご愛嬌である。
[編集] 不思議シュール系
結局のところ、「小関裕太の脳内をすべて解明するのは、現在の科学では非常に困難である」というのが世界の学者達の通説となっている。これが「不思議シュール系」と称される由縁である。
[編集] 経歴
[編集] 家柄
小関家は江戸時代から続く幕府御用達の高級下駄屋であり、造られた下駄は「小関下駄」として幕府に献上されていた。現在は、ミズノ、アシックスと並ぶ大手スポーツ用品メーカー「コセキスポーツ」を中心とする巨大グループを形成している。
[編集] シンガータップジャズダンサー
シンガータップジャズダンサーになったきっかけについて、裕太は次のように語っている。
「小さいときに見た映画『メリーポピンズ』に出てくるバードが煙突掃除をしながらかっこよく屋根の上で踊るのを見て、あんな風に歌ったり踊ったりしたいと思い、ダンスを習い始めたことがきっかけです」(VIPタイムズ社『日本タレント名鑑 Kids&Junior 2008』より)
2003年、母が「ユウタマネジメントオフィス (YMO) 」を設立、裕太のマネジメント活動を開始した。
[編集] 天てれ(2006年度)
[編集] 初レギュラー番組
2006年4月、MAXテレビ(株式会社マックステレビジョン)の長寿バラエティ番組「天てれ」のレギュラーに抜擢される。
[編集] 天てれ(2007年度)
[編集] 虫とり少年事件
2007年1月、「天てれ」のプロデューサーは「裕太は風貌があまりに可愛すぎるので、今年度限りで降板させる」方針を打ち出した。裕太の母はこれに抗議したが受け入れられず、数回に渡る交渉の末、裕太が虫とり少年になることを条件に、2007年度の出演が認められた。
[編集] なにもしなくていい
2007年7月2日、日本テレビの人気番組「いつみても波乱バンジョーズ・愛犬お悩み解決スペシャル」(ゲスト:丸山瀬南、木村遼希、笠原拓巳、加藤ジーナ、小関裕太)に出演。
視聴者からの愛犬に関する相談に、愛犬家が答えるというこの番組。相談内容の一つに「Aさん(仮名)の愛犬ポチ(仮名)がシッポを振らなくなってしまったことに対する悩み」というものがあった。
これに対し、裕太は「なにもしなくていい」と解答。自身の愛犬の話を交えて次のように語っている。
「うちは犬を二匹飼ってるんですよ。で、一匹は『チョコ』っていう名前なんですけど、えっと、チョコは、あのー、去年、去年いきなり、病気で目が見えなくなっちゃったんですよ。で、前は散歩好きだったんですけど、いま散歩に連れて行こうとすると、あのー、こわがっちゃって、で、家に戻ろうとしたりして、であと、階段の一番上の横に柵があるんですよ。そこの間から落ちちゃったんです、ストンと。無事だったんですけど。そういうように、(飼い犬の)目が見えなくなって、とても悲しいんですけど、何でなんにもしなくていいかというと、チョコはそういう風に散歩がこわかったりしちゃってるけど、で、そこは変わっちゃったけど、僕のところに匂い嗅いだり、音とか聞いたりして、僕のところについてきてくれたり、でそこは、前と全然変わってないんですよ。で、ポチはシッポが振れないっていうの変わっちゃったけど、でも、あの、心の中ではAさんのことが大好きで、で、嬉しいし、楽しいんで、自分の『好きだ』っていう気持ちを伝えてあげれば、いいんじゃないかなと思う」
[編集] 反響
裕太が自分の考えを真面目に淡々と述べる姿に対し、他の4人は「いつもの裕太じゃない」と呆然とした表情で固まっていた。
しかし放送後、日本テレビには約54,321件の電話が殺到。その内容のほとんどが「(裕太の)愛犬の話に感動した」というものだった。また、この回の視聴率は、番組史上最高の40.9%を記録した。
これを受け、同年9月には、自身と愛犬の対話の日々を綴ったエッセイ『なにもしなくていい』を発売。発売後1か月で7,211万部という驚異的な売上を記録した。11月にはこれを記念したパーティー「ダンゼン!小関」が開かれ、多くの著名人が出席、レイシー・ブラザーズのチアキ・レイシーCEO(最高経営責任者)が司会を務めた。スカッシュ日本代表のミッチェル・ベンジャミン選手は「小関さんはいつも明るい人」、女優の松尾瑠璃(現在は引退)は「裕ちゃんは変わった人だから」と祝福した。
[編集] 天てれ(2008年度)
[編集] カミングアウト事件
2008年10月30日、天てれ木曜生放送中に事件は起きた。この日裕太は「メロディー・カムバック」というカラオケコーナーで、サザ(エさ)んの「いとしの渡邊エリー」を熱唱。その直後である。それを観ていた木村遼が、裕太の歌に欲情してしまい、オネエキャラ全開になってしまったのである。これは、遼が「オネエ」であることの、事実上カミングアウトである。木村遼はどうみても「阿久悠」であり、阿久悠をオネエキャラにすると「おすぎ」にしかならないので、彼の将来は「おすぎII世」である。
[編集] 天てれ卒業
2008年度で裕太は天てれを引退することになった。 2008年度の最後の生放送で最後の挨拶をした際、『みなさんが応援してくれたおかげで卒・・・ がんばることができました』と卒業することを言ってしまいそうになった。 珍しく涙も見せ、大きな反響を生んだ。 裕太が卒業し、MAXテレビには天てれ続投を求める声が相次いだ。これに対しMAXテレビは『これ以上裕太君を出すとファンレターがすごいことになり、MAXテレビ本社の玄関が封鎖されてしまう』と答えている。
[編集] 作品
[編集] シングル
- カラスの少年(2006年、Kazma×Yuta名義)
- Geta p!(2007年)
- 私のお腹の前でポコーリと言わないでください(2008年)
- ブロッコリー!カリフラワー!アスパラガス!! feat.榮倉奈々(2008年)
[編集] アルバム
- 裕うた(R)(2008年)
[編集] 書籍
- カラスの肉はクロ!(2006年、現在は絶版)
- カラスヤマくんのよくわかるカラス大図鑑(2006年)
- なにもしなくていい(2007年)
- 小関裕太写真集「ゆうたといっしょ」(2008年)
- 豪華一軒家中学生(2008年)
[編集] 芸術
- ひまわりせん風機[1](2007年)
- ゲタタップ(2007年)
[編集] ギャグ
- カモンダンス(2006年)
- ブロッコリー!(2006年)
- ブロッコリー、カリフラワー、アスパラガス!(2008年)
[編集] キャッチコピー
- キャッチーズ(2007年)
[編集] 出演
[編集] テレビ
- 天てれ(2006年4月 - 2009年3月、MAXテレビ)
- いつみても波乱バンジョーズ・愛犬お悩み解決スペシャル(2007年7月、日本テレビ)
- 野原ひろしの春日部フレンドパークII「ダーツに挑戦」(2008年9月、テレビさいたま)
[編集] テレビドラマ
- 地鶏(2006年7月 - 9月、フジテレビ) - カラス役
- 浅田真央物語(2008年3月、フジテレビ) - 浅田真央役(主演)
- 笑ってユルして!(2008年4月 - 6月、TBSテレビ) - 羅度玖璃譜役(主演)
[編集] ラジオ
- 千葉一磨と小関裕太のオールデイニッポン(2006年10月 - 2007年3月、ニッポン放送)
- 小関裕太のオールデイニッポン(2007年4月 - 11月、ニッポン放送)
- 小関裕太と木村遼希のオールデイニッポン(2007年12月 - 2008年3月、ニッポン放送)
- 小関裕太の青春リクエスト(2008年4月 - 、TOKYO FM)
[編集] CM
- 天てれ15 - 天てれ15周年記念キャンペーン(2007年、MAXテレビ)
- 小関写真館「思い出を残したいから」篇(2007年)
[編集] 映画
- コセーキ・ユッターシリーズ
- 裕太のおなかのポニョ(2008年)
[編集] 小関家
[編集] コセキグループ
[編集] コセキスポーツ
- 1933年 小関裕之助が小関下駄製造社内に運動用具部設立。運動用具の製造を開始
- 1937年 小関下駄製造運動用具部が独立し、小関運動用具工業株式会社設立
- 1940年 千葉重工業株式会社と合併し、同東京工場となる
- 1947年 千葉重工業は数十社に分割され、そのうち東京工場は小関運動用品株式会社として再出発
- 1955年 スニーカー「コセッカー」発売
- 1964年 サンダル「コセンダル」発売
- 1966年 スポーツシューズ「KOSEKI SPORTS(コセキスポーツ)」発売
- 1967年 コセキスポーツ累計生産100万足達成
- 1970年 アメリカにコセキスポーツ・オブ・アメリカ設立
- 1974年 イギリスにコセキスポーツ・オブ・UK(現:コセキスポーツ・オブ・ヨーロッパ)設立
- 1978年 全製品のブランド名を「KOSEKI SPORTS」に統一
- 1984年 コセキスポーツ株式会社 (略称:KSC[2]) に社名変更
- 2004年 新本社ビル完成
[編集] 小関下駄製作所
- 1621年 小関八兵衛が江戸に小関下駄屋をうっかり開く
- 1659年 小関下駄屋が幕府御用達下駄屋に指定される
- 1897年 小関下駄製造株式会社設立
- 1907年 「小関下駄」の輸出を開始
- 1945年 GHQが下駄の製造を禁止、一時的に千葉重工業(1947年からは千葉産業)の傘下になる( - 1950年)
- 1950年 下駄の製造が許可され、「小関下駄」の製造を再開
- 1951年 株式会社小関下駄製作所に社名変更
- 1963年 東京オリンピック陸上競技専用下駄「ゲタゲタ・ゲッター」発売
- 1965年 「ゲタゲタ・ゲッター」を一般用に改良し発売
- 2003年 「ゲタゲタ・ゲッター発売40周年記念下駄」発売
[編集] 小関音楽器
- 1912年 小関下駄製造社内に楽器部設立。楽器の製造を開始
- 1928年 小関下駄製造楽器部が独立し、小関音楽器株式会社設立
[編集] 小関発動機
- 1946年 小関音楽器社内に発動機事業部設立。発動機の製造を開始
- 1955年 小関音楽器発動機事業部が独立し、小関発動機株式会社設立
- 1958年 自転車付原動機「コセッキー」発売
- 1967年 千葉重工業へ自動車用エンジンの供給を開始
[編集] 小関研究機構 (KKK)
- 1961年 株式会社小関研究機構 (KKK) 設立
- 2007年 昆虫研究室の渡邉聖斗主任(現:教授、昆虫研究センター長)がノーベル賞受賞
[編集] コセキデザインファクトリー (KDF)
- 1958年 小関美術株式会社設立
- 1968年 略称「KDF(コセキデザインファクトリー)」使用開始
- 1988年 株式会社コセキデザインファクトリー (KDF) に社名変更
[編集] コセキネットワークス (KNW)
- 1955年 株式会社小関通信社設立
- 1991年 株式会社コセキネットワークス (KNW) に社名変更
- 1996年 ISP(インターネットサービスプロバイダ)「コネット (Ko-net) 」提供開始
[編集] コセキアドバンストモバイルテクノロジ (ADK)
- 1985年 首都高速度通信携帯株式会社(首都携帯)設立
- 1991年 「KNWココモ (KNW-KoCoMo[3]) 」ブランドによる携帯電話サービスの提供を開始
- 1999年 コセキアドバンストモバイルテクノロジ株式会社 (ADK) に社名変更
- 2005年 携帯電話付フィルム「話せルンです」発売
- 2006年 フィルム付携帯電話「撮れルンです」発売
- 2007年 送信専用携帯電話「送ルンです」、受信専用携帯電話「受けルンです」発売
- 2008年 平面ブラウン管テレビ付携帯電話「VEGAケータイ」発売
[編集] ゆうた銀行 (YFG)
- 1960年 小関銀行株式会社設立
- 2000年 KSJ銀行株式会社に社名変更
- 2006年 千葉一磨銀行、笠原銀行と経営統合、一磨笠原KSJ銀行株式会社(KKFG=一磨KSJフィナンシャルグループ)発足
- 2008年 株式会社ゆうた銀行(YFG=ゆうたフィナンシャルグループ)に社名変更
[編集] コセキアーティストラボラトリー (KAL)
- 2003年 株式会社ユウタマネジメントオフィス (YMO) 設立
- 2007年 株式会社木村兄弟社の木村遼希が研修員として参加
- 2008年 コセキアーティストラボラトリー株式会社 (KAL) に社名変更
[編集] 脚注
- ↑ 2008年、コセキデザインファクトリーが商品化(開発協力・製造は東芝)
- ↑ KSC = Koseki Sports Corporation
- ↑ KoCoMo = Koseki Communication Mobile (コセキコミュニケーションモバイル)の略
| 私のおじいさんがくれた初めての「小関裕太」 それはヴェルタースオリジナルで、私は4歳でした。その記事は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしい小関裕太をもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろん小関裕太。なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。 (Portal:スタブ) |
