徒然草

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徒然草(つれづれぐさ)は、暇すぎて気が狂ってしまった坊主が書きなぐった随筆集である。1330年(鎌倉時代末期)ごろに成立したと考えられており、清少納言枕草子』、鴨長明方丈記』と並ぶ代表的な古典随筆集となされている。

概要[編集]

著者の兼好法師は、鎌倉時代に吉田神社の神官の家に生まれ、朝廷に仕えたが30歳ごろに追放されて出家した人物である。

その後、暇を持て余した様子を「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(何もする事がなく、暇でしょうがないので、適当に筆を持っていろいろ思いついたことを書きなぐっていると、いよいよ正気を失ってしまいそうだ)」と、徒然草の序章に書き残している。この文章から、隠者となって発狂の兆候が出てきていることを、兼好自身が危惧していたことが窺われる。

徒然草の内容は、自らの偉業を書きなぐったり、愚痴をこぼしまくっているような与太話が中心である。インターネットや各種メディアに投稿ができる現代とは違って、個人の意見を発表する場がない時代のことであったので、このような形で文章を残したと思われる。自己中心的な文章が多かったためか、執筆後約百年間は無視されつづけ、同じ時代の記録には残っていない。室町時代中期ごろから注目を受けはじめ、本格的に知られるようになったのは江戸時代(1660年ごろ)と、書かれてから300年も経った後だったということからも、徹底して無視され続けていたことが窺われる。

内容紹介[編集]

第32段[編集]

3月12日に原発を見に行ったが、荒れている敷地で放射線がたくさん出ている所に、わざわざ準備したとは思えない煙のが、はっきりと見えて、 ひっそりとサボっている様子は、何ともいえずしみじみと趣深いと。つまり、好感度をあげるには、仕事もサボったほうが効果があるということ。

第52段[編集]

仁和寺のある法師は、耄碌するまで岩清水八幡宮に参拝することがなかったので、残念に思っていた。ある時、一念発起して一人で歩いて参拝に赴いた。岩清水八幡宮の麓の末寺をいくつか巡って、(本殿に行かないまま)これで全部だなと思い込んで帰ってしまった。人に会って法師はこういった。「本願だった岩清水参りをしてきました。聞いていた以上にありがたく感じました。でも、お参りの人たちが山登りしていたのは何かあったのでしょうか。不思議に思いましたけれども、お参りが目的だったので、山までは見ませんでした」と。 ぼけ始めたら、外出は慎んだほうが良いだろう。

第68段[編集]

筑紫哲也の先祖の自警団長が、万病の薬であると信じて、土だらけの大根を毎朝2本焼いて食べていた。あるとき、城に人が少ないときに敵が現われ包囲されてしまったが、命を惜しまずに戦う兵士が二人現れて敵を追い返してしまった。「見知らぬお方のようですが、どなたですか?」と団長が尋ねると、「毎朝、焼いて食われている大根です。お返しに参りました」といって、大根たちは団長を食べてしまった。いい加減なことを深く信じていると、このような不思議なこともおきるものだ。

第109段[編集]

木登り名人が、人を高い木に登らせて枝切りをさせていた。非常に危なく見えるときには特に何も言わなかったが、1階の軒先程度の高さまで降りてきたときに「失敗するなよ。注意して降りろ」と言葉を掛けた。「これくらいの高さなら飛び降りても大丈夫でしょう。どうして、こういったのですか」と聞いたところ、「そのことですよ。目がくらみ、枝が危ない状態ならば、彼は自分で怖がるので、私のほうから言いません。失敗は、簡単に思えるところになると、必ず起きることになるのです」と答えた。

身分の低い人物であるが、とんでもないことを言う人物よりも、よほど気が利いている。

第116段[編集]

寺の名前やその他色々なものに名前を付ける時、昔の人はありのままに分かりやすく名付けていた。しかし最近は、変に凝ったDQNネームばかりで嫌らしい。人名についても、見たことの無いような珍しい漢字を使っても全く無意味である。珍しさばかり追求し、一般的ではないものを有難がる奴はバカ(DQN)ばっかりだ。

第137段(冒頭)[編集]

桜の花は満開の時だけを、月は影のない満月のときだけを見るものだろうか(いや、そうではない)。雨が降っているときに月を想い、御簾をおろして春が過ぎていくのを知らないでいるのも、趣が深いものだ。花が咲きそうな小枝や、花が散って花びらがしおれている庭などこそ、見所が多い。以下略

(解説) 要するに、花見や月見に行けない人間の負け惜しみである。この後のくだりは、 恋人に会えない(というか、お一人様?)負け惜しみや、花見・月見の宴会で楽しく盛り上がる人を羨ましがる文章などが続いている。

第215段[編集]

北条一族の長老、北条宣時が、まだ若かりし頃、名執権北条時頼と酒を酌み交わした一夜を回想し、兼好法師に語るエピソードである。宣時が語るには、あまりに貧乏すぎてつまみを買う金が無かったので、時頼と宣時は踏ん張って大便を垂れ、その大便をつまみに酒を飲んだという、スカトロジーがふんだんに含まれた話である。この時時頼は宣時に対して「この大便を味噌だと思って食べろ」と言って食糞を推奨してきたらしい。この話が事実なのか、耄碌した宣時が吹聴した法螺なのかは、宣時も兼好も冥府に旅立った今となっては検証のしようもないが、このエピソードに尾鰭が付いて北条氏はウンコを食べるスカトロ一族だという認識が普及している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]