心理学

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心理学とは、読んで字のごとく(こころ)の理(ことわり)を見いだす学問である。

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偽の心理学[編集]

心理学は、の法則を明らかにしようとする。しかし、心というものは本人にしかわからないものである。また時には本人にすらわからないこともあるものである。心の動きが本人にしかわからないとすれば、それを対象とする心理学は客観性を持ちえず、科学たりえないものである。そこで、客観的観測が可能な人間の行動をもとにした科学的な心理学が生まれた。しかし、これは偽の心理学である。

現在世にはびこる、心理学に精通しているとされる人々、カウンセラー精神科医など、そして心理学を応用しているとされるもの、心理テスト、カウンセリング、サイコセラピーなどは皆、この偽の心理学に基づいている。これらの偽心理学は人間の心を極端に単純化したり、機械的存在に当てはめたり、物理学的法則に当てはめてみたりと、神聖な人間の心を理解するにはおよそふさわしくないものであるにもかかわらず、その一見すると科学的な外観によって人々の心を惑わし続けている。

真の心理学[編集]

真の心理学は、やはり科学である以上客観的であろうとする。しかし、偽の心理学のように物理学など、いかにも科学らしい学問にこだわることなく、人間の心を説明するのにふさわしい表現を用いている。

人間の目的[編集]

最初の目的は、生命の維持である。これは動物の目的でもあり、幼児期から見られる、人間の基本的目的である。

次の目的は、自分の周りの社会に溶け込むことである。幼いときは家族、年齢が上がるに従ってその範囲が徐々に広がっていく社会の一員になることである。

最後の目的は、2番目の目的をさらに普遍的なものにすることである。科学や哲学などを用いて普遍的な超越した存在になることである。しかし、実際は人間は一人では生きてはいけない。時に超越者になろうとするものの、また第2の段階へ戻ったりもするのが人間である。

心はどこにあるのか[編集]

黒歴史

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心はどこにあるのだろう。少なくとも肉体と一体になっているか、もしくはその内側にあるようにわれわれは感じている。しかし、体のうちのどこにあるのかといわれても、よくわからないだろう。なんとなく頭部に心があるように感じるけれども、それは目や耳などの感覚器官が頭部にあるからにすぎない。

われわれの心には、ドラマの登場人物のようにある決まった役回りが反映されているのかもしれない。自分の役ならこういうことをしゃべるだろう、こういう風に行動するだろうというような台本がすでに存在し、われわれはそれに合わせているのかも知れない。

われわれの記憶にあるこれまでの行動が集まって心を作り出しているとすれば、われわれの心は記憶にあるということになるだろう。一瞬前の瞬間を記憶しているということが、われわれがここにいるという実感をもたらしている。蓄積された記憶がわれわれがどういう存在なのかを教えてくれる。

しかし、記憶はというひとつの器官にあるだけである。われわれは脳にいるのだろうか?いや、そうではなく、われわれは脳がもたらす記憶と、そのほかの心らしきもの、自分が今ここにいて、こう思っているというようなある種の映像のようなものを別の次元から覗き見ているのではないだろうか。小説の主人公に感情移入するように、脳がもたらす記憶や感覚にわれわれの心は感情移入し、ここにいるように感じているのだ。

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