手榴弾

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手榴弾(しゅりゅうだん)とは、戦争を含むスポーツの球技で用いられるボールの中で最も危険なボールである。

概要[編集]

このボールは中にさまざまな物をつめて付加効果を狙ったものである。中につめるものは一般的には爆薬が多い。中には原子爆弾を用いた核手榴弾も存在するが、15000メートル以上投げないと投げた本人も死亡する。

また即席手榴弾と呼ばれるものも存在し、日露戦争のころは空き缶に爆薬をつめて、またスティーブン・セガール(ライバック)は暴走特急を制圧するためにヤシ油とタンブラーを用いて使用された。 大東亜戦争終戦後も、日本の過激派が入手不能になった手榴弾の代用として、コーラビールの空き瓶に禁則事項です火炎瓶と呼ばれる即席手榴弾を開発し、機動隊などを火の海にした。 なお、この即席手榴弾は後に大韓民国人及び大阪民国人にパクられ、やはり現地の警察官たちを火の海にすることとなった。

また例年のように行われる地域紛争である雪合戦では中に石やイヌうんこをつめたものを使用されることがあるが、これはハーグ陸戦条約で厳重に禁止されている行為である。

歴史[編集]

平安時代[編集]

日本では古くから手榴弾の使用が盛んであり、その源流は平安時代にさかのぼる。手榴弾を発明したのは菅原道真で、菅原道真の怨霊が法性房尊意から受け取った柘榴(ザクロ)をかじって紅蓮の炎と鉛玉を噴出し、藤原家をばたばたと殺害した記録が残っている。道真は「紅蓮の人」と恐れられ、後に榴弾をぐれねいど(グレネード)と呼ぶようになったとされる。ただし、琉球王国が起源で琉弾とする説や、スペインのグラナダが語源という説もあり、榴弾のの字は常用外で公的な文書では手りゅう弾と記述される。

当時の貴族は血なまぐさい争いを好まなかったが、政争やの取り合いといった時には手榴弾を用いた蹴鞠で決着する事が良くあったと言われる。源氏物語でも姫の取り合いのために光源氏が摩亜屈手榴弾(通称:胚夏腑瑠)を用いて突然死蹴鞠を行い見事に勝利したという記述があり、当時としては一般的なものであった(紫式部は一級の軍事評論家という説もある)。

鎌倉時代[編集]

元寇において元軍はてつはうを多用したが、戦闘の玄人である武士たちはこれを弓矢で射抜き無力化した。

後に貴族が武家に荘園を侵略されるようになってからは貴族側の装甲擲弾兵の手榴弾攻撃に武士側も多大な犠牲を払ったといわれており、また院政時代には政敵である鎌倉幕府に対し上皇側の工作兵による室内への手榴弾投げ込み攻撃などによる暗殺攻撃を仕掛けられたといわれている。

第二次大戦時[編集]

第二次世界大戦時には大日本帝国軍は陶器製の手榴弾を主に使用しているが、これは貴族階級の持ち物であったハンドグレネードに対する雅な心遣いからである。決してが足りなかったわけではない。日本軍はこれを自決以外にも積極的に攻撃に用いた。現在陶器製の手榴弾のほとんどは中島誠之助氏が所有しており、入手は不可能である。

ドイツ第三帝国軍では特殊な形の桿状手榴弾を用いる。これは一日一回はジャガイモを食べないと死んでしまうドイツ人のために、ジャガイモつぶしにも使える手榴弾として開発されたものである。ただし、当時の記録では誤作動させたため、マッシュポテトを抱いて爆死するドイツ兵が多かったといわれる。のちにこれはアメリカ軍に鹵獲され、メタルスラッグに用いられることとなった。

一方、ソビエトロシアは手榴弾を抱えて敵陣に突っ込んだ。

現在[編集]

現在の自衛隊でも手榴弾は頻繁に用いられているが、うっかり隊員がピンを抜いたまま地面に落とした場合はその場に居る幹部自衛官が伏せてその爆弾を隠し、身を挺して隊員を守らなければならないという鉄の掟が存在する。当然幹部自衛官は爆死する。訓練中に手元が狂ったふりをして恨みを持つ隊員に投げつけることも珍しくない。自衛隊が装備の紛失など武器に対する軽々しい扱いに対して非常に厳しく対処しているのはこのためである。

また、九州北部に存在する国家北九州では手榴弾の携帯が義務付けられている。訪問の際パスポートは不要だが、十分に注意を払うべきである。

形状[編集]

関連事項[編集]


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