指揮者

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指揮者(しきしゃ)とは、クラシック音楽等の演奏会において舞台の中心で棒を振り回しながら踊る人のことである。

概要[編集]

一般的に、指揮者はテンポとバランスの調整をする仕事だと考えられているが、実際にこの役割を果たすのはコンサートマスターであり、指揮者ではない。その証拠として、演奏中に指揮者が指揮棒を手の甲に突き刺して途中で舞台から降りたにも関わらず、そのままコンサートマスターの合図のもとで無事演奏を終えた例があげられる。

では、何故舞台上に指揮棒を持って踊るおっさんが必要なのだろうか。もしオーケストラが事業仕分けの対象となれば、最優先で消滅させられるべき存在ではないか。何故オーケストラは指揮者を必要としているのだろうか。

その答えは簡単である。オーケストラを一つにまとめてもらうためだ。こういうと「それはテンポとバランスを調整するコンサートマスターの仕事ではないか」と批判される方もいるだろう。それはごもっともだ。たしかに音楽面でオーケストラをまとめているのはコンサートマスターだ。指揮者はそれとは異なる形でオーケストラを団結させようとしているのである。

ここで、オーケストラの編成について解説しておく。オーケストラは一般に、弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器の四つのセクションをもっている。楽器の特性が大きく異なるため音楽修行の形態も多種多様であり、それに伴って演奏家の気質はあらゆる方向へと育まれるのである。弦楽部は集団的に統一された官僚組織のようなものであり、木管楽器奏者はリードを削って最善の音を追究するなど職人かたぎである。金管部はパワフルさが自慢の体育会系チームのようなもので、打楽器奏者は面白い音を生み出すのに余念が無い研究者のようである。まったく性格の異なる演奏家たちに共同作業を行えと言ってもそれは難しい。お互いがお互いの価値観を理解せずにぶつかり合う。そして生まれる感情は恨みである。お互いがお互いを憎むのだから、当然ハーモニーなど生まれない。もはや音楽どころの話ではないのだ。

そんな殺伐としたオーケストラに外部の者、しかも支配者然とした者が現れたらどうなるだろうか。楽器を演奏するわけでもないおっさんに「勝手にビブラートをかけないで!」だの「もっとフレーズ感を出してください」だの「そこはマリーマリーじゃなくてテレーズテレーズ」だの好き勝手言われてしまっては面白くない。楽器ごとに対立していたはずのオーケストラのメンバーも、一斉に指揮者への苛立ちを優先させるようになる。その瞬間、楽団員らが好き勝手に出していた音が次第に似通っていき、「この指揮者を張り倒してしまいたい」という旋律でハーモニーを奏ではじめる。指揮者がみんなから嫌われることで素晴らしい調和を作り出しているのだ。


つまり、わかりやすくまとめると、

~指揮者が居ない場合~
金管 「木管死ね」
木管 「弦楽器死ね」
弦  「打楽器死ね」
打楽器「金管死ね」
~指揮者が居る場合~
金管 「指揮者死ね」
木管 「指揮者死ね」
弦  「指揮者死ね」
打楽器「指揮者死ね」

このようになり、美しいハーモニーが生まれるということだ。

歴史[編集]

現在のような意味での指揮者の歴史は古くなく、19世紀前半に整えられたものである。これは絶対王政のもとで王様に下手な音楽を聞かせてしまえば処刑されるから、オーケストラは団員間で殺伐としている余裕もなく命がけで演奏をする必要があり、オーケストラの怒りを一つにまとめる存在を要しなかったのではないかと考えられている。 しかしフランス革命を経て、オーケストラの団員たちに処刑される心配がなくなると、オーケストラの団員は内ゲバを始めるようになった。経営者たちは「音楽には圧制者が必要である」という結論に至り、オーケストラの練習や本番で失敗した演奏家にムチをふるう監督者を備えるようになった。これが指揮のはじまりである。「演奏家にムチをふるう音が曲を邪魔している」というごもっともな批判をうけてムチは指揮棒に変化したが、1980年代ぐらいまでこの怖い監督者としての指揮者の時代が続いた[1]

しかし、1990年代ぐらいからそのような指揮者はめっきり姿を消すようになる。指揮者も人の子だからオーケストラのメンバーに嫌われるのはイヤなのだ。学校や企業、首相官邸などで散見される「嫌われたくない症候群」が指揮者の間でも流行したのである。指揮者はオーケストラに高圧的にあたるのではなく、機嫌を伺うような感じで接するようになった。もちろん初対面の際はお土産をオーケストラのメンバーに買ってこなければならない。そうこうしているうちに、最近は「嫌われない指揮者」が増えてしまった。しかし指揮者の目的は嫌われることでオーケストラを統一することである。みんなに好かれる指揮者の演奏には残念なものが多い。

なお、歴史的に指揮者はピアニストあがりの者が多いという。これは、ピアノという楽器があまりオーケストラの編成に用いられていないことに由来している。つまり、オーケストラの飲み会で指揮者はボロクソに叩かれる存在だということを知らない幸せなピアニストぐらいしか指揮者になろうとしないのだ。

  1. ^ ただし、このような指揮者が演奏家を監視するシステムはソビエトロシアでは採用されていない。ソビエトロシアにおいては、指揮者がオーケストラを監視するのではなく、オーケストラが指揮者を監視していたのである。具体的にはオーケストラの団員はKGBのメンバーでもあったわけだ。

中等学校の吹奏楽部における指揮者[編集]

中等学校の課外活動として行われている部活動としての吹奏楽部では、いまだにメンバーに高圧的に接する昔ながらの指揮が続けられている。ここではプロのオーケストラのようにへりくだる指揮者などいない。いるのは独裁者としての学校の教師だけである。普段は楽しいジョークを交えながら授業をする人気教師も、いったん指揮棒を握れば鬼と化すのである。ちょっとでも演奏を間違えようものなら指揮棒が空を飛ぶことは間違いなしである。場合によっては金管が落ちまくることに教師がブチ切れ、手元にあったメトロノームを金管奏者に向かって投げたものの、飛距離が足りずに木管奏者に激突するという惨事も発生しかねない。

合唱コンクールにおける指揮者[編集]

合唱コンクールでは、クラスで一番人気の男子が指揮者に選ばれやすい。これはスクールカースト上位の男子をメインに据えることによって、男子生徒をきちんと練習に向かわせるのに有効である。ちゃんとこういう企みをほどこしておけば、うるさい女子が「男子、もうちょっと真剣に練習をやってください」とキレることもなく円満なスクールライフを楽しめるのである。

なお、クラスを一致団結させるには有効な人気男子による指揮だが、これはピアノ伴奏の女子生徒には通用しない。小さい頃からピアノを習っていた女子生徒にとって、テキトー極まりない男子の指揮など耐えられるものではないからだ。これは男子生徒がいちがいに悪いとはいえない。プロがピアノ協奏曲を演るときにも、ピアニストは指揮者のいうことをいっこうに聞こうとはしないからだ。ピアニストはそういうプライドの高い人種なんだと覚えておくと良い。なおクラスメイトたちは指揮ではなく伴奏にあわせて歌うことは言うまでもない。

関連項目[編集]