日本起源説

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日本起源説(にほんきげんせつ)とは、外国由来の日本文化を、「これは俺たちが作ったのだ」と言い張るヘリクツと、外国文化を「それは俺たちが伝えたのだ」と恩を着せるこじつけである。戦時中、帝政日本軍を中心に大規模に流布されたが、戦後も国粋主義者によって繰り返し発表され、インターネットの普及に伴いバカ右翼たちを中心に急速に拡大した。

かつてはモーゼイエス・キリストチンギス・ハーンなどを日本人の祖先、ないし子孫と言い張り、外国侵略の名目としていたが、近年は急速に発展して日本の経済大国としての地位を脅かしつつある大韓民国の伝統スポーツ・文字・伝統食品を、「日本人が教えてやったのだ。ありがたく思え」と言ってこきおろす負け惜しみの根拠となっている。

概要[編集]

戦後、日本政府は帝政時代、軍国主義・民族主義による誤った政策による侵略と植民地支配により、近隣アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えたことを反省し、高麗寺・新羅寺などの布教も許し、日本の伝統文化の多くが中国インドなどから伝来し、しばしば朝鮮半島を介したことを生徒・児童に教育している。

しかし、戦時中の軍国主義教育を受けた文化人・ジャーナリスト・教育者によってこうした文化学が否定され、中国・台湾、韓国・北朝鮮の分断の責任は否定するくせに、韓国・台湾の経済発展を日本の植民地支配のおかげと訴え、正規の歴史教育が理解できない若者に大きな影響を与えた。

彼らの主張は、正しい歴史を理解している人間には相手にされないが、世界史教育の衰えにより、急速に狂信者が増加している。

日本起源説の実例[編集]

事例 主張 事実
モーゼ 石川県宝達志水町は、伝説の森公園という町立公園を町民の税金で管理し、

「モーゼは40年の歳月をかけ、ユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り、能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された[1]。」

などというわけのわからない記述を町役場のホームページに掲載している。

モーゼは神から啓示を受けた水の戒律を自ら破ったため、約束の地に入ることができなかった。モーゼの十戒はキリスト教イスラム教でもかなりの部分が取り入れられており、モーゼの墓が日本にあると主張することにより、日本人が神の恩寵を受けた民族であると主張している。

エジプト記では、モーゼは十戒を冒した罪によりヨルダン川を渡ることができず、約束の地に入ることなく死んだと書かれている。それはみんなで渡河しようとしていたときに急死した、あるいは寝たきりになったと考えられ、モーゼの墓があろうとなかろうと、臨終の地は現在のヨルダン王国と推定するのが普通である。

神がモーゼを西に行けないようにしたため、アジアの東端の日本に住み着いた、ということを出エジプト記から読み取った人間は、脳みそに虫が湧いていたに違いない。

イエス・キリスト 青森県新郷村も、

「竹内氏自らこの新郷村を訪れ、キリストの墓を発見しました。

1936年に考古学者の一団が「キリストの遺書」を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになりました[2]。」

などとビリーバーを増加させる気マンマンの記述を町役場のホームページに掲載している。

この「キリストの遺書」は漢字カタカナ混じりの日本語文が紙に墨で書かれている。

イエス・キリストがアダムやノアのように千年以上の寿命を持っていたのでなければ1世紀中に死んだはずだが、そのころ漢字が伝来していたのか、カタカナが考案されていたのか、なぜイエスが漢語混じりの日本語文を書くのか、紙や墨がその頃の日本にあったのか、などの疑問を一顧だにしない考古学者の一団とは、男塾(塾長・江田島平八)の考古学部だったに違いない。

釈迦 青森県青森市梵天山の釈迦堂山には釈迦の墓もある。一連の聖者の墓シリーズはほとんど竹内巨麿というインチキ宮司によって発見されているが、浪岡町民(2005年に青森市と合併)は他の町村と違い、インドネパールをバカにするような公園・博物館は建てていない。 だんだん書くのがバカバカしくなってきたが、釈迦ことガウタマ・シッダールタは現在のインドのウッタル・プラデーシュ州にあったマッラ国の沙羅の林で入滅している。モーゼやイエス・キリストのように不慮の死を遂げたわけではなく、本当は生きているけど死んだことにする理由は何もない。
チンギス・ハーン 衣川の戦いで死んだはずの源義経は実は生きていて、蝦夷地に向かったとする説。北海道平取町がやはり公費を使って、

「北海道に数多くの伝説を残し、先住のアイヌ民族からもハンカン(判官)カムイ(神様)として親しまれた偉人源義経公にまつわる資料を展示しています[3]。」

などというプロパガンダを流布している。

義経は江戸幕府にとっては源氏である徳川家の祖先であり、帝政日本にとっては皇族である清和天皇の子孫であり、「判官様はアイヌ民族の神様なんだよー」と言い張ることによってアイヌモシリの植民地化に都合がよかった。

北海道庁が置かれてアイヌ民族のエスニック・クレンジングが進み、帝政ロシアと千島樺太交換条約を結んで千島列島を領土に繰り入れると、義経北行プロパガンダはコペルニクス的急展開を遂げる。

宇宙人と交信して「ニッポン人はイスラエル12派のガド族ゼポンの末裔。」などという考古学論文を著した小谷部全一郎という牧師は、やはり宇宙人と交信し「源義経は蝦夷地に渡ったのち、樺太から大陸に渡ってジンギスカンとなり、モンゴル帝国を築いた。」などという、今なら小学生でも信じない論文を発表した。しかし、当時は「天皇陛下は人間でなく神様です」というアドルフ・ヒットラー・シューレ以下の教育を行っていたため、多くの日本人が信じてしまった。

チンギス・ハーンが義経ということは、モンゴル族、トルコ族、タタール族は全て日本人の子孫ということになり、「ロシア東部、中国北部・西部は本来大日本帝国の領土ナリ」として日本の大陸進出の口実となった。

チンギス・ハーンの父・イェスゲイは彼が幼いころに亡くなっているが、母のホエルンは多くの養子を育て、彼らはチンギス・ハーンや彼の子供たちの将軍として活躍している。また、4人の弟もいて、やはりチンギス・ハーンを助けて戦い、そのうち3人の子孫は三王家として繁栄している。

義経の母、常盤は彼が鞍馬寺に預けられてから、一度も生活を共にしていない。義経の父は彼が生まれた年に死んでいる。義経の異父弟、一条能成は75歳で日本で死んでいる。それが実は生きていて、その後大陸に渡ったとしても騎馬軍団の将軍になる事は不可能である。この辺の裏付けが、「ジンギスカンは源義経なり」には全くない。

シュメール文明 帝政日本軍が騎兵化し、また車両・航空機化してくると、日本起源説も東アジア・中央アジアから西アジアに向かう。三島敦雄という伊予大三島神社の宮司が心霊と交信して、「日本人シュメール起源説」を発表した。

その内容は、

「天皇を表わす大和言葉、すめらみことの語源は、バビロニア語のスメ(神)ミグト(天降る開拓者)である」

などというただのこじつけで、こんな方法を使えばすめらみことをどんな言語に結びつけることも可能である。

むろん、あらゆる文明は近隣からその近隣へと、徐々に混じりあい、血縁も広がっている。しかし、原始時代に純粋なシュメール人が渡来し、日本を建国した、という論文は、人種と民族と宗教と言語の区別ができないファシストの典型的な妄言である。
ニューヨーク


日系オーストラリア人、チャド・マレーン教授の説。

オランダは1614年にアメリカ先住民から買った土地をニューアムステルダムと名付け、植民地として開発しようとしていた。オランダ植民地の総裁ピーター・ミヌイットは、友人で徳川家康の通訳をしていたヤン・ヨーステンから、「家康はんはすごい男でっせ」という話を聞き、ニューアムステルダムの開発を手伝ってくれるよう依頼した。

家康は重用するヤンの頼みは断わりがたかったが、豊臣秀頼、加藤清正福島正則などの大大名を取りつぶす仕事が残っていため、代わりに大坂出身の秦という旗本を派遣した。秦は故郷の大坂を模範にして、ニューアムステルダムに縦の筋と横の通りからなる格子状の道路を建設した。

このため、ニューアムステルダムはある道路からどこの道路に行くにも最大一回しか方向転換しなくてよくなり、また、区画が分かりやすくなって、秦は移民たちから、「はったん、はったん」と呼ばれて敬愛された。ニューアムステルダムが建設された島も、秦の愛称からマンハッタンと名付けられた。後にアメリカ合衆国最大の都市になるニューヨークは、日本人によって基礎が築かれたのである。

この論文は、あまりにもこじつけがひどいので、先輩の加藤貴博教授に、

「そんなアホなこと誰が言いはったん」

と批判された。

ピラミッド 広島県庁の外郭団体であるところの社団法人広島県観光連盟は、

「日本ピラミッドといわれる葦嶽山は昔から神武天皇陵と言い伝えられ、どの方向から見ても三角形に見えるその神秘的な山容と巨石群は、古代遺跡の謎とされていましたが、昭和9年にピラミッド研究家の酒井勝軍が現地を訪れて巨石群や山を調査し、葦嶽山は世界最古のピラミッド本殿で、北側の鬼叫山が拝殿だと発表しました。[4]

という記述をホームページに掲載している。一応、「…と発表しました」と、支持・不支持の立場を留保しているふりをしているが「日本ピラミッド葦嶽山」と呼んでいる段階で、「エジプトのピラミッドは日本人が作ったんじゃ」と言わんばかりである。

酒井勝軍は考古学者ではなく、神学部を卒業した牧師であるが、アジアのクリスチャンがしばしば異端化して軍国主義者になるのはご存じのとおりである。彼によると葦嶽山は神武天皇陵ではなく、二万三千年前に世界を支配していた日本の天皇が築いたピラミッドで、エジプトのピラミッドは、天皇家の末裔が日本の地形を再現するために石で作った複製品である。その後、超古代天皇の子孫、神武天皇が橿原に日本文明を復興し、以後の天皇が劣化したピラミッドである古墳を再現したのであって、エジプトの文明が日本に波及したのではない。その伝で支那(ママ)、英国等の巨石文化も全て日本由来である、と述べている。

柱状節理、板状節理などと言って、花崗岩が直方体の形に割れることは珍しくない。それがあたかも彫刻のように風化することも、よくあることである。それが山岳信仰に結びつくのも当然なのだが、だからと言って他国の巨石文化の起源を主張するのはやりすぎであり、エジプトのみならず北アフリカ文化全体に対する誹謗である。

関連項目[編集]

注記[編集]