日野富子
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 日野富子 について、足利義尚
~ 日野富子 について、足利義視
~ 日野富子 について、山名宗全
~ 日野富子 について、細川勝元
~ 日野富子 について、足利義昭
日野 富子(ひの とみこ)は室町幕府第8代将軍足利義政の御台所すなわち正室である。影の薄い将軍たちが多い室町時代にあって、強烈なお金パワーで燦然と煌くその存在感は、他の多くを圧倒している。その名の通り「金満富子」であり、日本を代表する「金の亡者」「守銭奴」として名高い。英語圏では女性投資家「トミー・日野」の愛称でも知られている。ちなみに「♪死んだはずだよ~お富さん」の「お富さん」とは多分別人である。
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[編集] 生涯
[編集] 富子誕生
日野家は中流公家の家柄で、三代将軍義満のころから、将軍家との婚姻関係を取り結ぶようになった。しかし室町将軍の正室ともなると、嫁入り道具の調達もなかなか難儀なことであり、多くの出費を強いられた。富子の父はこうした出費に頭を悩ませた挙句、生まれてきた娘がゼニ金に不自由しないようにとつけた名前が「富子」だったのである。その父の期待に違わず、生まれてきたばかりの富子は、お金のチャリーンと落ちる音を聞きつければ、キャッキャッ笑い出し、なんかの拍子で手の平にお金が入ってくると、ぎゅっと握り締めて大人が何人がかりで開かせようとしても全く開かなかったと伝えられている。早くも3歳になったころには、侍女や乳母にお金を貸し付けて、それなりの財産を築いていたようである
[編集] 富子と義政の腐れ縁
女性であってもある程度は読み書きがこなせなくてはならない、との教育方針から富子は、当時のたしなみである和歌や連歌を幼少時から学ばされたが、とんな歌を詠んでも、「ゼニ」とか「丸儲け」とか「安さ爆発」の句を所々にちりばめ、最後の句は「~それにつけも金の欲しさよ 富子」でまとめようとするので、風流人たちからは「ゼニゲバ女」と呼ばれていた。特に若いころの足利義政は、その日記の中で歌会で出合った富子を次のように記録している。「絶対結婚したくない女は富子。風流のふの字もわかってない。もう絶対やだ、花沢さんそっくりだし・・・・」と書き残している。運命は残酷である。こんなにも趣味がズレまくっている二人が、何の因果かソリのあわない夫婦として生まれてしまうのだから、世の中ってわからぬものですね。
[編集] 借金返せない花婿
富子はすでに結婚前の10代半ばには、現在の金額にすると1億円相当のお金を貯めていた。そこへ義政が足しげく通うようになったのは、骨董名画を買い集めるのが趣味だったぼんくら義政が、コレクションのために鬼のように富子(この時点で「富子金融」という店を営んでいたらしい)から金を借りまくっていたからである。富子は金を貸すこと以外、義政に興味がなかったが、そのうち見境のない義政が大借金こしらえて、首が回らなくなり、義政自身は借金のために「富子の下僕」として差し押さえられていた。他の人間と結婚すると余計な実費がかかると思った富子は、持ち前の現金さで、「love is cash(愛は金)」であり「cash is love(金は愛)」だと、このさいキッパリふんぎりをつけ、借金のカタに義政を結婚相手とする算段をしたのである。なるほどこれなら富子と実家の日野家の懐は痛まない。それに「将軍夫人」のハクがつく。富子には足利将軍家は実入りのいい財布にしか見えなかったようである。ただし借金棒引きで結婚というのでは聞こえが悪いので、裏で回ったゼニ金のことは一切公表されていない。
[編集] 寛正の大飢饉での富子
富子のビジネス感覚の鋭さを示すものとして「寛正の大飢饉」での富子の活躍がある。1459年から始まったこの大飢饉では、京都中の人々が飢えで苦しみ、餓死したものは数万を数え、鴨川の河原に詰まれた死体が多すぎて、鴨川の流れが堰き止められたというあの大飢饉である。富子は幕閣で救済措置の決定が下される前に、大量の米を手に入れて、米の炊き出しを行い、おにぎりを飢えた人々に振舞ったのである。この時は誰もそれが善意であること、そしてタダであることを信じて疑わなかったのであるが、実はこの炊き出しはタダではなかったのである。おにぎりの裏側には「有料 富子」の文字がそれとなく書かれており、一個残らず詳細な帳簿がつけられ、その後何年にもわたってこの時炊き出したおにぎりの代金を払えと、ひっきりなしに督促状が送りつけられたと言われている。また沢山の死者が出たので、それに乗じて近辺の京都の土地を買い集め、高い値をつけて墓地として売って大もうけしたのもこの時期の話である。また足利銀行を設立し、例の飢饉で将来に不安を覚えた人々に、ここぞとばかりあることないこと吹き込んで、まさかの時のための生命保険を契約させ、またしても巨利を得たのである。「生きてる人から金を取り、死んだ人からも金を取る」と悪名高かったが、この時期富子の人生は、向かうところ敵なしだったのである。
[編集] 義視と義尚
応仁の乱の原因を富子の性格に求める意見があるが、それは正確に言うと正しくない。富子の人生哲学は「ゼニ金ためてなんぼのもんじゃい」であって、むやみに戦争を起こすことではない。むしろゼニ金を失うようであれば、戦争を絶対阻止したであろう。しかしこうした彼女のゼニ金哲学が知らず知らず戦争の遠因になったという皮肉な面があったのであり、富子の金儲けはあろうことか「死の商人」のそれに近づいていく。
骨董将軍義政はすでに将軍リタイアを表明していた。それと同時に弟の義視を僧侶から還俗して九代将軍に迎えようとしていたのである。おのずと義視の株は上がり、先物買いするように守護大名やらなんやらが次期将軍を持ち上げ始めたのである。しかし富子はそんなことでは動じない。秘密裏に義視関係の株をつり上げるように仕向けて、そして誰もが予想しなかったことだが、義政との子義尚が生まれたことをいきなり大々的に発表したのである。
この知らせは、義視のオッズに賭けていた京都の土倉や酒屋などの金貸し業界を大パニックに落としいれ、義視銘柄の株は全面ストップ安になり、「鬱だ氏のう」といって命を絶った者は数しれず、ただ一人義尚の誕生を知っていた富子だけが大儲けすることになったのである。世に言う「室町恐慌」である。このあまりにもえげつない儲けにより、幕府の経済政策に対する不信感は募り、結果的には徳政令を何度となく出す必要に迫られるが、富子は世情の喧(かまびす)しさにもめげず、京都に出入りする七つの街道に関所を設け、これまた濡れ手に粟で大儲けしたのである。
[編集] 富子にまつわる迷信・俗信
蓄財の才に長けた富子は、霊験あらたかな「商売繁盛」の神として祀られることもあり、「富子大明神」の号が贈られている。東京深川の富岡八幡宮ももとは「富子八幡宮」であって「富子」を勧請し、祀っていたらしいが、「宵越しの金をためない」江戸っ子の沽券(こけん)にかかわるということで、その名は消されてしまったらしい。
それはともかく、富子大明神の効験はすさまじいらしく、それが証拠に富子の生涯を扱った唯一のNHK大河ドラマ「花の乱」で、富子役を演じた三田佳子の金満ぶりは聞きしに勝るものがある。三田は富子役に扮して以来なぜだかCM出演が増えたり、賞をもらうことが重なったりして、芸能人長者番付首位をながらくキープし続けることになった。これも富子の霊が憑依したからだ、と言われるが実際のところはよくわからない。
金運には恵まれる「富子大明神」だが、家族運には恵まれぬようで、特に過保護・過干渉すぎて息子がダメ人間になる傾向があるらしく、富子-義尚の関係が悪化したのに似ている。三田佳子も月に50万円の小遣いをあげるように息子を甘やかしていたのだが、それが裏目に出て息子の放蕩ぶりにはさんざてこずらされたようである。
[編集] 富子語録
- お金大好き!!
- 生まれて初めてしゃべった言葉
- いつもニコニコ現金払い!!
- 富子のスローガン
- それにつけても金の欲しさよ!!
- 独り言でよく言っている
- 「一円を笑うものは、一円に泣く」って言うけど、あたしは泣かないわ!!
- なんか悲しいことがあったらしい
- もうかりまっか?ぼちぼちでんなあ!!
- 富子は京都人なのになぜか「大阪のおばちゃん」っぽいと言われている
- はいはい、金のない守護大名はここから出てってね!!
- 守護大名たちの怒りに火をつけたセリフ
- 信用とはキャッシュだと言うことがまだわからないようね!!
- お金の貸し借りについての持論
- ハイッ!朝から晩までお金勘定することです!
- 「趣味は何ですか?」と問われて
- 骨董とか昼間からいじくっている男は人間のクズ!!
- 足利義政について
- 修学旅行で京都に来たからって銀閣なんか見せるのやめなさいよ!中学生がじじむさくなるでしょ!
- 銀閣はとことん嫌いらしい
- 金返せ!!
- 金借りている人なら誰に対してでも

