月島

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月島(つきしま)は、東京中央区の島として突き出た部分。韓国の月尾島によく似ておりウォルド(月島)と名付けられた。銀座などからも自転車で行ける距離にあり、ウォーターフロントベイエリアとも呼ばれることがある。

島の地盤[編集]

月島の地盤はモンジャによって出来ているというのは有名な話である。 安く大量に作れる事から、古来から江戸で食べられてきたモンジャだが、江戸時代になると大量の残飯が発生して社会問題化する。その処理に困った江戸幕府がモンジャで東京湾を埋め立てた。今でいう夢の島である。同時に海抜が大変低いため、当時モンジャを吸収できる唯一の作物として重宝されたキャベツを使い、島の周りに土手が築かれている。 現在ではモンジャ上にコンクリート舗装がされ、市民は平穏な毎日を過ごしているかのように見えるが、いかんせんモンジャ上に建つ虚構である事に変わりはなく、東日本大震災では周囲が震度5強を観測する中で震源地並みに揺れたとの証言もある。

後年開通した有楽町線は、日本初のモンジャくり抜き型シールドトンネル工法を採用した地下鉄として世界中の技術界から注目を浴びた。後の大江戸線開通はこの時蓄積された技術の賜物だと言えるだろう。

島の生活[編集]

銀座から二駅ほどしか離れていないのに(とはいえ有楽町線の駅は銀座1丁目だけど)月島の街の様子はだいぶ異なる。近年でこそ東京地下鉄有楽町線都営地下鉄大江戸線で地下で結ばれるようになったが、それまではグラグラしてビスのはずれかかった橋を渡るか、どう見ても江戸時代に造られたようにしか見えない小船で陸地と行き来するしかなかったのである。銀座の小雨も橋を渡って月島に来ると、数年来の集中豪雨になることも珍しくない。このように島の生活は、本土とは幾分違う気候と風土の中で育まれることになったのである。橋を渡ると亜熱帯を思わせるシュロや椰子、そしてマングローブの林が生い茂り、晴れやかな空には見たこともない極彩色の鳥が飛び交い、広がる波打ち際には海亀の産卵場すらあったのである。こうした隔絶した環境の中で、戦前・戦後の貴重な木造建築が大事に保存されている。多くの商店街には大村昆の「オロナミンC」や、松山容子の「ボンカレー」の看板が、サビ一つない姿で掛けられている。またペコちゃん人形や象のサトちゃん人形などもゴロゴロしており、いずれも「開運! なんでも鑑定団」で鑑定してもらえば、優に家一軒立つほどのレア物である。このように古きよき長屋の生活を満喫できる場所でもあったが、近年の再開発でメガマンションが各地に建てられ、月島の貴重な自然と文化は失われつつある。

モンジャ[編集]

先に見たように、島の生活は本土とはかなり異なるのだが、その中でも最も異なるのが食生活である。波浪警報がたびたび出される島では、いざという時の食糧確保のため、穀類よりもメリケン粉が重要視され、ガスをあまり必要とせずにパッパと火を通して食べられるものが重宝された。ここからこの地域独特の「モンジャ」が発達したのである。この土地の住人は、離乳期からモンジャを食べ始め、朝昼晩の食事もモンジャなら、盆と正月と大晦日とクリスマスもモンジャである。そして葬式まんじゅうの代わりに遺影にお供えするものももちろんモンジャである。

さてモンジャはメリケン粉とだぶだぶの水、それにキャベツやら何やらが、ソースをぶっ掛けてこね混ぜて入れてあるものがスタンダードである。モンジャは気取った料理ではないので、色々とうるさいことを言わないのがであり、ヤミ鍋感覚で何をいれてもいいことになっている。つまり混ぜこねたモンジャはどうみてもアレであるから、何でもいいのである。ちなみに「モンジャ」の語源は「なんじゃもんじゃ」であり、「何というものが入っているのですか?」という疑問文から、その名が起こったとされている。それだけ無茶をしていろいろ入れていたのであろう。

現在、月島では50を超える専門店が立ち並び、そのいずれもがその店秘伝の味を誇っている。こんなに店があるのに、競争が激しくて潰れたりしないのか、という指摘もあるようだが、それは大人の事情なので詮索するには及ばない。また近年では「懐かしの下町の味」というキャッチ・フレーズがつき、どうみても騙されているとしか思えない修学旅行生や、わざわざ何しに月島くんだりしに来たのかよくわからない外国人客も、後を絶たない。特にフジヤマ、ゲイシャ、ハラキリというロゴがついたTシャツを着た外国人の青年が何も知らずに、モンジャをほおばるのを見ると、何故かいたたまれない気持ちになるのは私だけでしょうか。

小料理屋「はる」に集まる人々[編集]

モンジャに押されて、はるかに影の薄い月島のグルメ事情であるが、書き忘れてはならないのが、この界隈の名店中の名店であり、数々の食通を唸らせた小料理屋「はる」である。「はる」の女主人である尾沢はるさんは、庶民的な普通のお惣菜をベースに新作メニューに日夜取り組んでいる。「牛肉のたたき」や「茄子の中華風」は絶品である。尾沢はるさんは、一見どこにでもいるような小柄なご婦人であるが、彼女のすごいところは、重度の鬱病(うつびょう)であるにも関わらず、それに負けずに料理を作り続けているところにある。彼女が虚ろな目をして、「鬱だ死のう・・・」と呟きながらも、包丁を振り回し、黙々と美味しい料理を作る姿は鬼気迫るものがある。この「はる」の評判を聞きつけて、各界の名士が多数訪れている。築地に本社を置く東西新聞社山岡栗田記者、美食倶楽部主宰で陶芸家・海原雄山氏などがそうである。

関連項目[編集]