木俣達彦

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木俣 達彦(きまた たつひこ、1944年7月7日 - )は、愛知県岡崎市出身の伝説の予想屋である。選手時代は中日ドラゴンズに所属、長きにわたり中日の正捕手として君臨していた。

概要[編集]

1980年代以前に活躍した中日ドラゴンズのOBは、1001を除いて全国的に有名な人物がおらず、彼もその例から漏れない。現役時代は強打の捕手で、マサカリ打法という誰も知らないような打法を編み出し、4度3割をマークした凄い選手・・・なのだが同時代に野村克也田淵幸一といった有名な捕手がいたため、知名度は低い。

引退後は解説がメインだが、実はちょっとだけ中日のコーチをしてたこともある。しかし最後に現場にいたのは1995年で、それほどファンから現場復帰を望まれているというわけではないので、今後も解説を続けることだろうそもそも解説すら望んでねぇからとか言わないこと

現役時代[編集]

現役時代のきれい(笑)な木俣をご覧ください。

若い頃はアベレージよりも長打をウリにしていて、セ界の捕手としては史上初の30本塁打を記録している。しかし粗さも目立ち打率も低かったため、改善策として概要で述べたマサカリ打法を開発、アベレージヒッターへと変貌を遂げた。意外にも捕手としては歴代3位の安打数を記録している。(1位はノムさん、2位はオッケーイ!

と、このようにプレースタイルを変えるという知性が垣間見える一面があったにも関わらず、OBになってからはただのオヤジへと変貌(ry

先ほど述べたとおり強打の選手ではあったのだが、打率と本塁打数の割に打点が低いことから、「チャンスに弱い中日」というキャッチフレーズを見事なまでに踏襲した選手でもある。また今の姿からは想像できないだろうが、現役時代は野球博士というニックネームが付けられるほどトレーニング方法を熱心に研究していたとか。打てる捕手であったため、燃えよドラゴンズ!では打順は8番固定ではなく、2、6番に据えられるなど気苦労も絶えなかったことだろう。

人物[編集]

彼の解説は大胆な試合展開を予想し、時には中日の敗北まで予想するという特徴がある、がまず当たらない。タチの悪い時はまるで居酒屋のオヤジの様な解説をする時さえある。またあまりの贔屓や毒舌っぷりから嫌われることも多い(中日ファンにすら嫌われることもある)。またビョン様に対して、「案の定である」と最初に評したのは彼である。2010年代に入ってからは加齢によりアナウンサーとの受け答えが噛み合わなくなった。自説を一方的に喋るときはやたらと元気に喋るが、それ以外の会話はかなり怪しくなってきている。そろそろ隠居したらどうですか?

とあるローカル番組の一コーナーにおいて、ゆうこりんに「きまたん」というあだ名をつけられて鼻の下を伸ばしていた。同番組において、彼女に対して「(水着姿を)撮らせてくださいよ」とか「(水着姿で)ポーズをとって頂いて僕が撮る」とか言うなど終始デレデレしていた。

また入団当初は、ゆでたまごを初めとした先輩に当たる投手陣によくいびられていたというかわいらしい一面もあった。しかしプロ入りから10年経って名実共に正捕手としての座を掴んでからは、皆が木俣の言うことを聞くようになり、投手がサインに首を振ると今度は木俣が投手をいびるようになってしまったという。・・・どうしようもない人である。

ジョイナス氏の二度目の監督就任時にOB会長の席をなんとか譲ってもらったが、tanisigeが選手兼任監督として現役を続けている点について、自分より年上の中日OBや球団関係者も列席しているOB総会で「tanisigeはさっさと兼任やめて監督に専任しろ」と正面切って現場批判を繰り広げるなど、近年は空気の読めなさも拍車がかかってきている。そろそろ隠居したらどうですか?大事なことなので2回言いました。

関連項目[編集]

Wikipedia
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