本多忠勝
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 本多忠勝 について、織田信長
本多 忠勝(ほんだ ただかつ、1548年 - 1610年)は、戦国・江戸神話における四人の守護神である四天王の一人であり、通称は平八郎、幼名は鍋之助。本多忠豊の孫、本多忠高の子、本多忠真の甥。真田信之(旧名:信幸、信繁の兄)は女婿(娘・小松姫こと稲ちんの夫)に当たる。
徳川家康、鳥居彦右衛門とは『桃園の誓い』を結んだ仲である。また、本多正信と本多正純父子、本多作左らは同族にあたる。
彼は槍投げ、棒高跳びなどを得意とするスポーツ選手である。いや選手と言うより戦いの神である。即ちそれはヘラクレスやオーディンとガチで戦えるほどの強者であるということになる。恐るべき戦闘力を誇り忠勝自身は生涯一度の傷も負わなかったことなどから呂布と同様に「立ち向かってはならない」人物の一人であると思われる。 また機械であるともいわれている。
[編集] 戦闘力
一個師団だろうが二個師団だろうが忠勝を止める事は出来ないと言われている。ヨナーミネーやマルティネスなどの近代兵器さえも忠勝の前ではただの鉄屑同然であり、折り紙のように折りたたまれてペッシャンコにされてペットボトルと一緒にリサイクルされてしまう。当然スカウターなんかぶっ壊れる。ドラゴンボールの後半でスカウターが登場しなくなったのは忠勝の戦闘力を察知してしまったがために全てのスカウターがぶっ壊れてしまったからである。そのあまりの強さは世界各国の独裁者たちにとっては喉から手が出るほど欲しい傑物でありブッシュもプーチンも忠勝を引き抜こうと大量の金を出して彼を自軍に引き入れようとしている。無論忠勝はそんな浅はかな手段で引き抜けるような漢ではないが、ブッシュ達は信長の野望でしかサムライたちの世界を知らない為どんな侍でも金をつぎ込めば引き抜けると思い込んでいる。ちなみに忠勝の一人娘の小松姫は父と異母弟の本多忠朝(忠勝の次男)に勝るとも劣らない戦闘力の持ち主で、夫の真田信之はヒーヒー言わされていたとか。一方、長男の本多忠政と嫡孫・本多忠刻父子は凡人だったようである。
ちなみに彼の槍の先にとまった蜻蛉が一瞬で細切れになったと言う驚くべき逸話があり、その為彼愛用の槍は「蜻蛉切」と呼ばれた。でも昆虫採集には不便そうだね、とホモ達の榊原小平太は語っている。
本多忠勝の強さの秘密は決して敵の攻撃を喰らわない所にあり、本多忠勝はホログラフだ、いや、実は幻と闘わせられていたのだ、いや、実は戦闘ロボットだという様々な説が流れたが、実は本多忠勝の真の強さは超高速移動を可能とするその健脚にあった。韋駄天かアルゴス殺しかという忠勝のスピードの前では何をしてもかわされてしまう。また、アラレちゃんの真似をして両手を伸ばしながらキーンとしていたら、揚力で体が浮き上がってまるで飛行機のように吹っ飛んだという記録がある。 一部の説では、キャノン砲とブーストをつけドリルのような槍を使いプラズマで体を守ることができ、全身サイボーグなのできずつかなかったのではなく、きずつけられなかったと言う説がある。
しかし、九州の戦闘サイボーグ立花宗茂には劣るらしい。
[編集] オリンピックにおける忠勝の活躍
主に棒高跳びや槍投げで金メダルをことごとく日本のものとしていった。しかし、あまりに強すぎる為ドーピング疑惑、サイボーグ疑惑、超サイヤ人疑惑、身長156cm疑惑などが浮上し、ヨーロッパ各国の妨害工作もあいまって出場できなくなってしまった。しかし現在でも江戸城の一角にあるトレーニングルームで来たるべきワンチンオリンピックを目指して特訓しているとか。
[編集] 惚れた家康を護衛した逸話
- 姉川の戦いで浅井長政、朝倉義景の軍勢を果敢に蹴散らし、織田信長から「いやーあ…竹千代(家康)が劉備なら、平八は張飛のごとく勇猛による三河軍団の結束の固さだのう…」と絶賛された(ちなみに信長は自ら「今孟徳」と称し、曹操の再来と称えた)。
- 三方ヶ原の戦いでは、織田家援軍の将・佐久間信盛のKYの発言にぶちキレて、自ら先鋒大将を望んで、戦の神様・武田信玄に挑んだ。
- 武田勝頼との戦いで、大敗した家康を守るために殿軍を受けて武田軍を撃退した。
- 小牧長久手の戦いでは「殿(家康)を禿鼠ごときに触れさせるな!!わが殿に手を出す野郎はこの俺が相手だ!!!」と叫んで奮戦した。
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