杉村太蔵
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杉村 太蔵(すぎむら たいぞう、1979年8月13日 - )とは2005年から2009年の7月21日の衆議院解散まで自由民主党で政治のバイトをしていた人物である。今はバイトの期間を終えて、無職となった。つまり、2009年現在において彼はニートである。
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[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
1979年、北海道旭川市に長男として生まれる。なお、生家は二代続く歯科医院を経営している。早い話がエリートかつ金持ちの家系なのである。さぞかし期待され、甘やかされていたように思えるが、定かではない。
しかし、彼は理系どころか勉学の道には興味がなかったのか、バリバリの体育会系として育っていった。高校生の頃は、大阪国体に出場し国体男子ダブルスで優勝という優秀な成績を残している。将来はニートになるとは誰も予感していなかっただろう。
その後、推薦で筑波大学体育専門学群に入学するが中退。それでも、この頃は勤労意欲があったらしく、フリーターとして働いていた。おそらく、地元で働いていたわけではないだろう。世間体などもあり、故郷から遠く離れた地に住んでいたのだと思われる。
そんな彼、杉村太蔵に転機となったのは、自民党のアルバイト募集広告を偶然目にしたときだった。
[編集] 政界入り
太蔵は学生時代に民主党の鳩ポッポの事務所でアルバイトをしていたが、それ以降は政治など自分とは関係ないと考え、特に接点を持つことはなかった。
2005年、太蔵は自民党のバイト広告(内容:国会議員、期間:解散、任期満了まで)を見つけた。その頃、巷では体育系の学部を中退したフリーターでも分かるほど自民党が国民から絶大な支持を得ていた。これは自民党に付いた方が得だというのは、政治に興味のカケラもなかったフリーターでも分かることである。太蔵は鳩ポッポを裏切り、自民党の面接を受け見事合格、衆院議員総選挙に比例代表区のみで出馬した。
2005年の総選挙は小泉劇場と呼ばれるほど自民党の議席が伸び、その流れで杉村も当選できた。本来なら受かるはずのない、比例南関東ブロック35位という順位でも当選できた。
その結果、小泉チルドレンの代表格とまで呼ばれるようになったのだが、太蔵が注目を集めたのはむしろここからだった。
[編集] 発言
当選早々、インタビューで「BMWに乗って国民を見下したい」や「料亭に行って愚民が食べれないお高いものを食べたい」と発言し、国民のひんしゅくを買った。
しかし、「国会議員の給料は検閲により削除」」「議員宿舎は検閲により削除」といった国会議員全体が不利益を被るような発言や、自身が所属する83会の会合について、「あんなの意味あるんですかね」、「学級会とどっちがマシなんでしょうかね」、「髪の毛が薄いおじさん、厚化粧が濃いおばさんの井戸端会議状態」という国民にとっては痛快、自民党にとっては痛恨な発言も連発し、いつしか人気が高まっていった。
しかし、当時自民党の幹事長だった武部勤は彼を目の敵とし、「取材禁止」を言い渡した上、小泉学校で厳重に指導、エクストリーム・謝罪に太蔵をエントリーさせるなど徹底的に打ちのめした。これにより、太蔵はしばらく大人しくなっていた。だが、しばらくするとまた様々なことをメディアに喋り出し、相変わらず自民党執行部の頭痛の種となっていた。
また、彼のマイペースぶりはこれだけに留まらなかった。例えば、小泉チルドレンの先輩にあたる大仁田厚から何かと心配され、親切にされたにも関わらず、太蔵は意外にもこれをスルー。仕舞いには、「教育係」を自称していたはずの大仁田から「なめてんのか、バカヤロー」「どうせニートはニート」と散々罵倒されてしまう。
[編集] 功績
彼はバイトとは思えないほどの功績を政治界に残している。例えばバイトながら自滅党の50周年の音頭をとった。さらには、ニート撲滅キャンペーンを自ら立案し計画を進めようとした。(最終的に、自らがニートになることでこのキャンペーンに終止符を打った)
さらに、福田康夫VS麻生太郎となった2007年の総裁選においては、武部勤がつくった新しい風の一員であったため、チンパンジー福田に投票することが決められていたのだがそれに猛反発。結局新しい風を退会し、ローゼン麻生に投票した。(バイトが一人造反したところで、結果はチンパンジーの圧勝であったが) これらの件に対し、小泉純一郎は「バイトながら痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」と褒め称えている。
[編集] バイトの最後
もともと次の選挙までしかバイトの期間がないため、解散や任期満了と同時に無職になる事が決まっていたが、バイトの仕事が楽しくて仕方なくなってしまった杉村は「次の来る解散総選挙は誰が何と言おうと北海道1区から出馬する」と強硬に主張。自滅党は既に長谷川岳を北海道1区から出馬させる事を決めていたが、杉村は「無所属でも北海道1区から出馬する!公認したければしたらいいし、したくなければしなくていい、ついでにhydeの身長は156cm」とさらに血迷った発言をしてしまう。これまでの行いもあって、衆議院解散と同時に自民党から解雇通告を出されてしまった。
もちろん一般国民よりも低脳なただのバイトが無所属で当選できるはずもないので、結局選挙への出馬は諦めた。「I shall return!(訳:必ずまた国会に遊びに行きます)」と言い残し、2009年7月21日、彼は晴れてニートになったのだった。
[編集] 人物
例の発言について「ごめんなさい」したときに自らを「幼稚で無責任」と評したように、社会人とは呼べない人物像をしている。
例えば、例の発言の反省のため自らを見直した際、その手段として太蔵は本を読んだ。その冊数、なんと1冊。また、謝罪時の神妙な態度に対し、ある記者は「猫を被っているのではないか」と質問したが、太蔵は「私は幅広い人間です」と回答。おおよそ、謝罪の上手さだけは定評のある国会議員の会見ではない。
ただし、人間性についてはごく一般的な感性がある。
例えば、赤ちゃんポストの必要性については「どうしようもない親は存在する。生まれてきた子供に罪はない」とコメントしている。議員宿舎に子供を放置して食事に出かけ、子供が脱水症状を起こしてしまったという経験をがなければ、説得力があるのだが……
また、2007年に当時農林水産大臣だった赤城徳彦の「政治とカネ」の問題について、「いい加減うんざりでございます」と批判。領収書を公開すべきだとコメントした。大学時代の年金未納問題が明るみに出ていなければ、説得力があるのだが……
また、意外なことに太蔵は既婚で2009年現在子供が1人いる。しかし、奥方や子供には残念なことに、太蔵はニートである。早く定職についてもらいたいというのが切なる願いなのだろう。
[編集] 関連項目
| 杉村太蔵は腹を切って死ぬべきである。また杉村太蔵はただ死んで終わるものではない。 唯一神又吉イエスが地獄の火の中で加筆・編集させるものである。杉村太蔵を笑って見ているだけの者も同様である。理由は未完成であるなら自ら完成させるべきだからである。 詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。 (Portal:スタブ) |
