東ヨーロッパ

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東ヨーロッパ(ひがしヨーロッパ)は、東欧ともいい、ヨーロッパ東部の地域を指す。

東ヨーロッパの範囲を説明する前に、ヨーロッパの範囲を説明しなければならない。しかし、そもそもヨーロッパとアジア、アジアとアフリカは地続きの陸地であり、また地中海が湾でジブラルタル海峡が湾口だと考えれば、ヨーロッパとアフリカも海で別れた陸地とは言い切れない。ヨーロッパの領域は地質や気候、野生生物の生息域とはあまり関係がなく、ほとんど政治体制、宗教言語民族人種によって決定される。

有色人種イスラム教徒が多数を占める、るいは元々占めていたトルコトラキアカザフスタンの最西部やジョージアアルメニアアゼルバイジャンは地形的にアジアと分断されていても、絶対にヨーロッパではない。イスタンブールが東ローマ帝国の旧首都であってもである。

ヨーロッパの東西南北もほとんど政治と文化によって決定される。

神聖ローマ帝国フランス王国の元の領土が西ヨーロッパ。人種的には西ヨーロッパに近いが、海賊を生業としていた蛮族が北ヨーロッパ。多分に中央アジア的な旧共産主義国が東ヨーロッパ、多分にアラビア的な旧海賊国家群が南ヨーロッパである

フランスオランダも相当海賊的な経済活動をしていた時期があるではないか、という反論はけして彼らの耳には届かない。とにかくヨーロッパ文化の精華が西ヨーロッパであり、その周辺が南北と東なのである。

具体的な国名[編集]

ロシアベラルーシウクライナモルドバポーランドチェコスロバキアハンガリールーマニアブルガリアの10か国である。

ロシア帝国・ソビエト連邦に対して激しい分離運動を行い独立を勝ち取ったエストニアラトビアリトアニアは北ヨーロッパである。

この10か国のうち、ブルガリア、ルーマニア、ウクライナは黒海沿岸で、ロシアもウラジオストクムルマンスクを開発するまで黒海沿岸にしか不凍港がなかった。ロシア帝国と対立していたトルコ帝国は、ポスポラス海峡ダーダネルス海峡を封鎖して、ロシアとその衛星国の軍事的・経済的海洋進出を妨害していた。他はポーランド以外内陸である。

もともと北海に続くバルト海に不凍港を持っていたバルト三国が非・東ヨーロッパに復帰することは歴史の必然であった。

なまじドイツとロシアという大国に挟まれていたポーランドが、バルト三国より東ヨーロッパ的になってしまったのは皮肉である。

民族[編集]

  • スラブ人
  • マジャール人

様々な混乱[編集]

  • 高揚する民族主義
  • 急激な自由化による経済的混乱と共産党の巻き返し
  • クリミアのウクライナからの独立と、直後のロシア併合

関連項目[編集]