東久邇宮稔彦王

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東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう、1887年12月3日 - 1990年1月20日)とは 43代目のボロ船「日本号」の舵をとる人である。最初で最後の皇族の内閣総理大臣。戦後、皇族ではなくなって、東久邇 稔彦(ひがしくになるひこ)となる。身長は約1hyde。正直な話、皇族なのだ。「ひがしこくばる」さんと間違えちゃダメ。あと、総理として在任期間54日と短すぎであった。

経歴[編集]

堅苦しいことは頭の堅い方で聞きなさい!執筆者だってこの人のことよく知らないんだから!

幼少時[編集]

宮内庁が公表したナルちゃん憲法の一部

ヤリ○ンで有名な曽祖父伏見宮貞敬親王の38人の子供のうち長男でこれまたヤ○チンで有名な祖父伏見宮邦家親王の33人の子供のうち次男にあたる、やっぱり○リチンの久邇宮朝彦親王の13人目の子供として生まれる。

幼少時、「ナルちゃん憲法」と呼ばれる育児メモがあったことが近年の研究で明らかになった。 巨大な岩に刻まれ、難解な古文で書かれた「ナルちゃん憲法」は一部の学者しか解読できなかった。 だが、この育児メモに基づいた教育を受けたおかげで「ひがしくに教」(後述)が誕生したと思われる。 ちなみにこっちのナルちゃんが後にパクったと思われる。

一億総懺悔[編集]

以下、稔彦王の発言をセンター街の若者風に改変してお伝えする。

あのさー、俺たちがさー、負けたのは理由は1つだけなんだよ。ギャルもギャル男も秋葉系も 皆反省しなきゃなんない。俺たちはー、神――いわゆるゴッドですよね―の前で邪心?みたいなもの をー、改めてさー、この失敗を未来に生かしてさー、新しくさー、このギャルサーを立て直してさー、それ ぞれの役割を果たしてさー、これからの困難的なものをさー、乗り越えるために頑張っていきまっしょい!

ひがしくに教[編集]

総理を辞め、皇族からも離脱した後にこのオッサンは新興宗教の教祖様になってしまった。 だが、これそれあれほどまで大きくなることはなかった。

そして伝説へ・・・[編集]

ゆとり世代が生まれた年に逝去した。かなりの高齢だったため、 役人からサイボーグ手術を受けたと思われる。

関連項目[編集]

みなさん、松平です。 この項目「東久邇宮稔彦王」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)