東北楽天ゴールデンイーグルス
東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほぐらぐてん―、Tohogu Raguten Golden 毛agles)は、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)が作った新球団である。長くて面倒なので「楽天イーグルス」「楽天」とも呼ばれる。その上、正式には「ゴールデンイーグルス」というチーム名であるにもかかわらず、ユニフォームでは一貫して「毛agles」とだけ書かれており、「Golden」が入ったことがない。本拠地は宮城県仙台市。ユニフォームのテーマカラーはあずき色(またはえんじ色)[1]、帽子のイニシャルは毛。
概要[編集]
- 本拠地は宮城球場。フルキャストスタジアム宮城の印象が強いが、かつてネーミングライツを持っていたフルキャストとの契約は2007年をもって終了。2008年より本拠地のネーミングライツが日本製紙に変更となり、クリネックススタジアム宮城と「かみ」に関するものとなった。これも「紙」と、チームのトレードマークである「毛」からくる「髪」を引っ掛けた球団側の要望に県側が配慮したためであった。なお選手はティッシュが使い放題だったそうだ。
- 2013年シーズンで日本製紙との契約が終了し、新たにネーミングライツを買う企業を募集したが、2社しか応募がなく、しかも最終的に落札したのは「楽天」だった。2014開幕からは「楽天Koboスタジアム」という、親会社の電子書籍端末名を冠する羽目になり、略称も「コボスタ」となったが、略称に祟られたらしく勝ち星を「こぼすた」結果、2014年シーズンは最下位となり、その後数年に渡りBクラスを彷徨った。どう考えても三木谷のせいである。なお、低迷が数年に渡った結果このご時世でも祟りを信じざるを得なくなったのか、2017年シーズンから「Koboパーク宮城」にマイナーチェンジしたものの、やはり祟りは払拭しきれず、翌2018年から「楽天生命パーク宮城」に再度変更した。
- ここまで頻繁に球場名が変わるのは、球場周辺で2010年代に進められていた遊園地建設に伴い、球場そのものが遊園地のアトラクションの一つとなっていることが一因と思われる。仙台市中心部から見て真逆の方角には遊園地や動物園を構える八木山地区があり、動物園も元々は野球場の再利用だったりするので、ひょっとするとそのうち動物園でも始めるつもりなのかもしれない。因みにこの球団の応援歌の一部にはその遊園地のテーマ曲の替え歌が使われておりテレビ中継でも度々聞かれるが、そのルーツを知らない視聴者は少なくない。
- なお、この球場を含めた遊園地の敷地内には2019年以降『札束お断り』の張り紙がされるようになっているため、機械音痴やスマホ嫌いの観客の場合は、未成年か否かにかかわらず保護者同伴での入場が義務付けられている。
- 見ての通り、この球団の帽子には「毛」という一風変わったマークが記されている。これは髪の毛の生えている選手があえて「毛」という文字の書かれた帽子をかぶるという逆説的な行為によって、他球団のアレな選手に精神的なダメージを与えることが目的である。アレな選手としてはソフトバンクの某ハゲ彦やゲイスターズの森本や中日ドラゴンズの和田、幕張の鴎のふっくーらやMTB67、監督では某パのふにんき球団監督、また球団関係者ではソフトバンクグループの孫社長などが挙げられる。だがチーム内でも な選手がこの帽子のせいで な成績しか上げられていないので、デザイン変更も噂されている。とは言え元阪神の上園のような、毛を求めて杜の都に渡航してくる稀有な輩も存在するので、彼の活躍如何では議論は更に熱を帯びそうだ。
- 2007年には親会社社員の組織票により、オールスターを占拠する事件が発生した。
- その他、親会社が楽天であるゆえの特色として、選手や職員の給与が現金ではなく楽天スーパーポイントで支払われているという事も、他球団にはない大きな特徴であろう。もちろん「楽天が勝った日はポイント2倍!」である。
- 2013年に初優勝を果たした際に「それは震災の哀れみによって生まれた産物であり、決して実力ではない」という声が上がったが、そうした声は、同年パ・リーグ2位に終わり、あげくの果てに黒い鴎にCS2ndステージ進出を阻まれた2013年時点では極めて個性的なヘアスタイルの男が監督を務めていた球団や、日本シリーズで敗北した東京の古い球団サイドからの声であり、絶対的なエースと4番を擁し、全員が一丸となって戦った成果である。しかし審判団の一人が「三木谷から金を貰った」と証言したという噂が広まっている。真偽は不明。
- 2014年 3球団目の前年日本一チームの最下位の不名誉な称号を得る。
歴代監督[編集]
初代・2005年[編集]
- 田尾安志
貧乏クジをひいた初代責任者。快活な中年だが、ロックボーカリストなんてやってる奥さんの方が輪をかけた快活。かつてイチローが憧れた男である。- 2005年は「(1番と3番と4番の抜きの)いてまえ打線」で臨む。千葉での初陣を飾るも、2戦目には痛烈なシッペ返しを浴びる。3戦目から借金生活。
- 無能GMに足を引っ張られるわ、助っ人野手は役に立たんわ、投手陣にいたっては大崩壊。細かい采配は行わずオートマティックエンドランを多用、“1点が獲れないくせに10点なら獲れたりする気まぐれ打線”に頼るしか勝機が無く、勝率2割台を記録することとなった。
- 初年度の成績は38勝97敗1引き分け、勝率は堂々の.281。8月29日には早くも最下位が確定し、9月25日に、シーズン終了を待たずに田尾は解任された。なお、2005年楽天の「.281」という勝率は、同年に新球団のクリーンアップを時々担った吉岡雄二の打率「.282」と同じくらいであり、打率「.313」を記録した沖原をはじめ、一部の自チーム所属選手の打率にさえ劣る数字であった。
- 首脳陣には「ベンチの空気を暗くするな」と、弱くても前向きな姿勢だけでも作ろうとした。かと言って、ミーティングはめんどくさいのであんまり行わなかった。無償トレードの件で「欲しい選手じゃなかった」と、のたまって球団外に敵を作り、さらに戦力が少ないとフロントにグチったところ、「少ない戦力で何とかしろ」と言い返された上に解任される。
- 解任時にはけっこう惜しまれたが、近頃では仙台市民にとっても「そういや、そんな奴もいたっけな」状態である。
- ちなみに2代目監督からは大型補強が敢行されたり、自分が期待した若手が粗末な扱いを受けたりするのが面白くないのか解説者としては野村楽天をけなしまくっており、最近はむしろ楽天の敵と化している。
- そして2010年、3代目の監督がシーズン日程を消化する前にクビになると、プロ野球ニュースでは次期監督問題などでコメントを求められた。そこでは2代目の時期で見せたチームへの悪態というより、球団の背広組に対する不満をブチ撒けた。監督在任時の『オーナーの意向が代表を通じて現場に伝わるのに、現場の意向はオーナーまで上がらない』という話を披露。極めつけは、オーナー御前会議(雇われオーナーの島田亨ではなく、三木谷の方)で背広組の面々に恐れも見せず『この代表じゃダメです!!』なんて米田球団代表をバッサリという当時の逸話も語っている。←多分、コレがクビの決め手だったんだよ、きっと。
- なお、初年度に記録し、現在も破られていない球団記録に、「1試合最多得点」がある。9月2日の対オリックス戦で記録した18得点がそれであり、これは、球団創設から10年経った現在も破られていない。2014年4月12日のロッテ戦で、「1試合最多安打」記録更新となる24安打を放つも、得点は17点に留まった。おそらく「アヘ単」が多すぎることが原因であろう。
2代・2006年-2009年[編集]
- 野村克也
- 社会人野球で汚名返上し楽天監督へ。ネットオタクからはツンデレだのと
気味悪く崇められており言われており、ウィキペディアなどで悪い噂を聞いた覚えは一切無い。年俸は高めだが、広報部長としても役目を果たしており、トントンである。 - 神宮に居座る不人気なツバメ時代の池山隆寛とか、専属の介護士とか、自分の息子並みの年齢の教え子である黄色い球団時代の山田や自分の息子でコーチ陣を固めているため、チーム運営はかなりワンマン。だが、自分の連れてきたコーチは池山くらいしか役に立ってないような。
- フロントが補強を続けたり2軍が努力してるうちに、マー君が育ってきて意外と戦えるチームができてしまった。
- 2006年こそ最下位、2007年はシーズン終了ギリギリで4位となり株を上げる。
- そして、自身も勝負の年と口にする2008年。3月20日に開幕を迎えた福岡での福岡ソフトバンクホークス戦において、新守護神に抜擢したドミンゴ・グスマンを投入。創設初年以来、久々の開幕勝利を味わうはずが、柴原洋にサヨナラ弾を食らう始末。おかげで開幕4連敗スタートである。ファンに寂しい1年を覚悟させた途端、リバウンド7連勝。その7連勝目を飾った4月3日には、創設初の単独首位に躍り出た。あまりの嬉しさに鼻歌歌ったジイさんだったが、翌4日から6連敗して1位から5位へ急降下。それでも例年に無い『乱高下』と、割と整いつつあった戦力を遣り繰りする戦いぶりで観る者を愉しませており、好調を維持した5・6月でも上位進出の機会を窺い続けた。だが7月辺りから魔法が解けて歯止めが利かなくなり、大失速。8月には“若い方のエース”を拉致った北京オリンピックに祟られ、ドン底に叩き落された。それでも10月7日の最終戦で
アホークスに仕返し。最下位から脱出した。 - 勝負の年で大失速し、面目潰したとは言え、序盤の善戦はファンから人気を博した。そこで契約を1年延長してもらった2009年になって、悲願のCS進出を果たす。しかし、フロントからは「チームの長期的プランを考えて欲しかった」と酷評され解任される。2010年で75歳、退任は既定路線だったが、ファンとフロントが一触即発状態になったことは言うまでも無い。言動が長嶋さん化してきてるような。
- ヤクルト時代にはミーティングや戦略会議には時間をかけていたが、阪神時代は歌手業、最近は執筆業務に勤しんでいる。そのためか、最近の采配は実は意外とテキトーなテンプレ采配、コーチ任せだったりする。ボヤキコメント考えたいんじゃ。あと老体には夜更かしは堪えるんじゃ。
3代・2010年[編集]
- マーティー・レオ・ブラウン
- 西の赤貧球団を追われた熱血漢。コメントで話題を提供した前任者と違い、グランド内でのパフォーマーとして知られる。すでにベース投げの事前チェックを済ませたとか。
- やってることはやってるようだが、イマイチ結果が出ないという5位に甘んじたチームの監督を、球団初のクライマックスシリーズ進出の名将を退任させてまで招いたのだから、おそらく『チームの長期的プランを考えてくれる人材』なのだろう。果たして古巣をギャフンと言わせられるのか。
前任者からは『ルンバ』と評されるであろう、『1点を惜しんで多失点』という個性的な采配は健在。2010年3月10日、古巣とのオープン戦。『制球の良いマーク・クルーン』と評される新外人、モリーヨの登板ながら満塁のピンチ。そこで160km/hには左の喜田剛でも引っ張れないと判断し、ライトを引っ込めて、早速『5人内野』を実践。- すると「引っ張り(が得意)なのに、あのシフトをやられるとは思わなかった」と試合後にコメントした喜田には153km/hを打ち返された上に1・2塁間を切り裂かれ、無人のライトへ走者一掃3塁打された。でもこれは御愛嬌、ファンサービスの一環である。もちろん長期プランに基づいています。
- そして開幕3連敗でスタート、いきなり不安を露呈するところがパフォーマー。歴史が浅くても『開幕サヨナラ負け』は、伝統として定着しつつある。すると交流戦では
前任者に揃えてもらった戦力で、自分で整備した? 戦力の古巣に対し4戦全勝。13勝10敗1分の好戦績で終えられた。ところがペナントレースでは前年の2位から一転して、大方の予想通り3位争いはおろか最下位争いにすら加われぬぶっちぎりの最下位に沈んだ(首位と15ゲーム差)。それでも、この年は8度のサヨナラ勝ち(リーグ最多)を演じる気概を見せてくれた。もっとも9度のサヨナラ負けも最多。パフォーマーとしての素養なのか、いやこれはチームの伝統なのだろう。 - 結局2年契約ながら、1年であっさりクビ。1年で成果出るわけねえじゃねえか。じゃあ、どんな奴がいいんだよフロントは。おそらく9月23日のパフォーマンス不発が、決め手になったようだ。
- 好戦績を挙げたジイさんを解任し、わざわざパフォーマーを招いたということは、ジイさんの野球が間違いだった、と球団は言いたいのだろう。ジイさんとの契約だけが問題で、方向性が正しいのであれば、コーチ陣を昇格させれば済む話である。
それを方向性の刷新を図ったつもりで『現場に長期プランを要求しときながら、球団上層部にプランなんて全く無い』のを露呈しただけ。そんな背広組に引責問題は無関係なんだよなぁ…。
4代・2011年-2014年[編集]

- 星野仙一
- ネタ球団として全くパフォーマーがいないことを危惧した楽天は、目先の欲で燃える闘将1001を招き、「鷲はわしが育てた」というダジャレを成立させることにした。あの浪費家に渋ちんオーナーで体力は続くのだろうか。数年後には絶縁するのか。そもそも、岡山、名古屋、大阪・兵庫と大都会を渡り歩いたあの男が仙台という田舎、牛タン国家に引っ越してくれて馴染むのだろうか。そして、一番肝を冷やしているのは山崎武司だろうな。ちなみにノムさんは「俺の給料が高いから首切られたとも思ったらもっと高い奴が来た」と驚いていたが無理もない。就任直後わしが育てたニュース番組で「まず最初に田渕をヘッドにしてくれとお願いしました」とニコニコと話したり「どんどん選手を育てたい」と言うなどその姿はオリンピックで負ける前そのものである。
- 就任初っ端、岩村と松井稼メジャー帰りを獲得。これから次々と補強するのかと思いきや、岩隈残留で尻つぼみに。大丈夫?
- 2011年3月東北で地震発生。仮の本拠地を神戸に決める。・・・優勝フラグか? ともかく他球団は手ぇ抜いてやろうぜ。と言っては見たもののメジャー二人が見事に空振り。クマがいつもの違和感で欠場に加え、永井までも炎症で欠場で中継ぎは西武並の俺達に山崎肉離れともう泣きっ面に蜂と思ったら、8月になって松井、山崎が復活、横川がブレイクの兆しを見せ、上昇気配に。まさかのまさか? でも7連勝したってその直前に喫した7連敗の埋め合わせになった程度。一時期は久方ぶりのAクラスに浮上したのにその後はなかなか勝ち星を伸ばせず、気がつけば牛に抜かされ猫に抜かされ……あ、鴎はどっかの糞弱ぇ球団よろしく最下位を独走してたのでいいんだけども、結局は三つ巴のAクラス争いから最初に脱落し5位でシーズン終了。4月に首位に立っていたのが夢のようである。
- それでも前任者よりは成績がよく終盤までクライマックスシリーズ進出争いに絡んでたし何より高額年俸だし払った分くらいは働いててもらわにゃ困るって理由で続投。するとすぐ様、鶴の一声ならぬ鬼の一声により大量解雇を決行。山崎が古巣に帰ったり岩隈がアメリカに行ったりして、浮いたお金でふにんきを追われた人をコーチに招聘。高校球児に指さして笑われるレベルだった打撃陣のテコ入れを図った。…ら、今度は投手陣がお留守になってしまい、春季キャンプの紅白戦では昨季リーグ3位のチーム防御率
(半分以上は田中のおかげ)を誇った投手陣がリーグ5位のチーム打率だった打線にフルボッコされる始末。 - 不安の残る中迎えた本拠地仙台での初開幕戦では、手負いの田中が6回5失点と打ち込まれる。その流れが響いたのか、去年散々カモにした千葉ロッテにまさかの三連敗。ある意味、楽天らしい開幕を本拠地で迎えたのであった。そして徐々に負けていき、さらに強行登板した田中も腰痛で2軍落ちでもう最下位か、と思いきや離脱後先発陣ががんばったみたいで6連勝までしちゃって借金返済どころか貯金までしちゃって落ちぶれたハゲ鷹をも抜かしてAクラス浮上。主力をゴッソリ欠いた状態(一時期は一軍スタメン選手の総年俸<松井稼頭央の年俸とか言うわけのわからない状態だった)ながらも代役がしっかり結果を残し、好調を維持したまま球団初の前半戦勝率5割ターンを達成した。なお、後半戦始まってから引き分けはさみ8連敗と低迷し、案の定Bクラスが確定。
- 就任3年目の2013年は、高齢のオッサンや昨年ウサギ小屋の剛速球を獲得寸前でとられたことの倍返しにウサギ小屋契約寸前の「こいつ絶対ウサギ小屋に勝つためだの私怨で取っただろ」という選手を獲得し松井稼頭央と田中将大をWBCに派遣。田中はWBCで散々な結果で先が思いやられたがふたを開ければ開幕から25連勝(2013年9月29日現在)という世界記録でチームの貯金の大半を占めるなどの活躍でまさかの優勝。そして初・日本シリーズ進出、前年王者の巨人を下し創設9年目で初・日本一。
- 就任4年目の2014年は、開幕3連戦は全勝し絶好調スタートになったのにも関わらず神(田中将大)が居なくなったことが大きく響き5位、更に監督本人の休養が大きく響き 交流戦パリーグ最下位の悪成績になり7月には遂に最下位。西武・ロッテとの意味分からない4位争いにも入れなかったが9月になると急に下克上シリーズが見えてきたがハムに取られる。それどころか最後の7戦を全敗して史上3球団目の前年リーグ優勝を経てからの日本一チームの最下位転落の不名誉な称号を得る[2]。
5代・2015年[編集]
- 大久保博元
- 球団初の栄光から一転、不名誉な記録を作った鉄拳に変わり、三木谷のお気に入りである鉄拳監督どころか犯罪者一歩手前の人間を監督に任命。ファンの反対署名運動虚しく、ある意味暗黒時代の幕開けである。就任早々、ドラフトで当たり1位を獲得、監督以外は順調である。その肝心の監督であるが、我々に数々の面白い話題を提供してくれた。
- まず、選手たちをほぼ無縁の美術館へ連行し心を洗わせる。そして、ワシが育てた故郷のお掃除、三行
反省文日記を書かせる、挨拶の徹底ともはや陸上自衛隊仙台駐屯地と化した。極めつけは前々任監督もびっくりの8人野球(内野4人・外野2人)で紅白戦とトンチンカンな方針でますます楽天の未来を混迷化させに走っている模様。自分の点数稼ぎをしたいんだが、球団に革命を起こしたいんだかもはや不明である。 - 先発で芽が出なかった松井裕樹の抑え転向が功を奏し、一時はAクラス争いも見せ、ファンに希望を抱かせた。
- …が、日を重ねるごとに順調に順位を落としていき、ついには最下位を走り続けていたあの球団にまで抜かれてしまった。
- シーズン終了後に無事退任となり、居酒屋のオヤジに転進した模様。
6代・2016年-2018年6月[編集]
- 梨田昌孝
- ダジャレ大好きおじさん。
- わずかに残った近鉄の香りに誘われて監督を引き受けた。まず手始めに、ドラフトで身体能力の高いハーフを一本釣りに成功。さらに千葉と広島からゴリラを2頭取り寄せ、打撃力強化を敢行。
- これでいける!はずだったが、始まってみれば投手陣が振るわず炎上。いくら打撃がよくても投手がダメじゃ意味がない。問題は投手にあるのに、途中加入の外国人は打者。結局投手陣が穴となり、Bクラスまっしぐら。何とか最下位だけは免れたものの、5位という残念な結果に終わってしまった。
- 2017年は神様仏様鉄拳様の神通力で岸孝之を猫屋敷から地元に連れ戻し、投手陣の立て直しを図る。見事目論見は的中し、開幕からぶっちぎりで首位を快走。誰もが優勝を確信した…のだが、この頃から謎采配が増え、投打がかみ合わず敗れる試合がポツポツ出始める。
- そして8月15日。独立リーグからやってきたジョシュ・コラレスが炎上し、猫に大敗。これをきっかけに凄まじい勢いで貯金を食いつぶす生活に突入し、ぶっちぎりの首位から一転、Bクラス転落の可能性すら出てきてしまう。当然優勝争いからは脱落、文字通り終戦記念日となってしまった。誰が呼んだか、『コラレスの悪夢』。
- どうにかAクラスは死守、CS進出を果たし、土壇場で猫を蹴散らし鷹と鳥対決を演じたが、結局仙台には帰れなかった。しかし芋、恐怖の2番打者、力士の助っ人3人が揃って20本塁打以上を記録したキチガイ打線は他球団を大いにビビらせた。
- 3年目となる2018年。年明けに天に召された闘将の弔い合戦とすべく、またしても猫屋敷から今度は渡辺直人を連れ戻し、対猫対策も十全に行い、万全の態勢で挑んだ…はずだった。
- しかしフタを開けてみれば、猫対策の術中に自分がはまるというギャグみたいなことが起きてしまったからさあ大変。監督や首脳陣の思惑もことごとくはずれ、奈落の底にまっしぐら。交流戦で再起をかけるも という有様で、6月16日にはとうとう監督が敵前逃亡という前代未聞の事態に陥ってしまった。
7代(代行)・2018年6月-2019年[編集]
- 平石洋介
- 気付けば5位と11ゲーム差という久々の奈落の底に来てしまったチームを立て直すため急遽ヘッドコーチから昇格した生え抜き監督(代行)。同期の大スターがバリバリの現役だったりする中、年功序列に従い順を追って指導者になるはずがいきなり最前線に放り出されてしまう。このあたりは親会社が親会社ゆえであろうか。とはいえ、立て直しと言ってみたところでもはや大勢は決しており、消化試合と言っても過言ではない中でいかに消化試合を無駄にしないかを問われるような日々。挙げ句の果てには投手陣が総崩れとなるわ芋以外が鳴かず飛ばずだわと散々で、二人頂戴したはずの猫にもボコられ、気付けば借金は前任者失踪時を上回ってしまうまでに。言うまでもなく結果はぶっちぎりの最下位であった。
- だが消化試合を無駄に消化しなかったことが評価されこの年のオフに正式に監督に就任。しかし直後に力士が体重制限に引っかかったことが発覚してクビ。結局残った助っ人野手は芋だけとなったが、石井一久を闘将の後任に据えたフロントが、この年はガチの補強に打って出る。
- まずオータニ=サンの友達をアメリカから連れて来ることに成功。
- さらに、鳥の巣からツバメ、ウサギ小屋から野兎、瀬戸内海から鯉をもらうがこれでもなお飽き足らず、ついには猫屋敷から三年連続で猫を、それもボス猫を連れてくるという暴挙に及んだ。もはや球場が鳥籠というより動物園のような気がする。やっぱり球団は動物園を作る気満々のようだ。
- そして迎えた2019年。初っ端から則本も岸もおらず先発投手が壊滅的にいないという絶望的状況に陥るが、ここでボス猫と鯉、さらに中継ぎを中心に珍しく投打が噛み合い、久々に首位に立つ。だが足腰ばかり強くても肝心の腕力が無いのではジリ貧に陥るのは自明の理。2枚看板がようやく戻った頃には悪夢の10連敗を喫するなどもはやボロボロ。戻ったところでしぼんだ風船が膨らむわけでもなく、一時はAクラスすら危ぶまれる有様だった。
- どうにか土俵際で踏みとどまって2年ぶりのCSへと進出し、鷹とのリベンジマッチに挑むも、CSブーストのかかった鳥男に鷲なのにカモにされるという笑えない結末であえなく終戦。監督として就任時の最低限の目標は果たしたはずなのだが、「最低限の目標しか果たさなかった」責任を問われてあわや中間管理職とは名ばかりの窓際部署に島流しの危機となり、命からがら脱出せざるを得なかった。
- 5割の点を取れれば合格と明言されたテストで「5割しか取れなかったから」という理由で不合格を言い渡される学生のようなものである。逃げたくなって当たり前である。
8代・2020年[編集]
- 三木肇
- ファーム優勝の実績を買われて二軍監督から栄転と相成った元燕組。指導者としての経験が浅い彼を支援すべく、「ならばレベルを上げて物理で殴ればいい」と言わんばかりに、去年をも大きく上回る一大補強(と称した筋肉増強)をフロントが実行する。
- なんとアメリカから猫を連れ帰り、さらに鴎とのFAやら何やらによる大型トレードもどきによって涌井やら大地やらをもらうことに成功したのである。だがこの結果、代わりに美馬学や仙台育英出身、2年目の西巻を手放してしまうという失態を犯す。さらに外国人をまた増やしたことで枠に収まりきらない数にしてしまうなど、なんとも助っ人頼みのチームになってしまった。
- オープン戦が始まってみれば始めは3連敗するものの、なんだかんだルーキーの活躍もあって結局は4位となるなど、それなりに掴みは上々。…だったのだが、新型コロナウイルスの病魔により開幕延期になったことで、状況は一変。3ヶ月遅れでようやく開幕した直後に芋と梨がウサギ小屋に売り飛ばされる事態となる。挙げ句長らく不動の抑えだった松井裕樹を飽和状態の先発に回す始末。よそと違って明確なコロナ感染者こそ内部から出なかったこの球団だが、どうやら脳味噌がコロナにやられてしまったらしい。
- いかに筋肉があろうが脳味噌がやられてはまともに戦えるはずもなく、手当たりしだいに相手をフルボッコできたのも最初だけ。謎采配に加え、松井の後釜が決まらない抑えの迷走やら芋を出した副作用による助っ人勢のダウンやらも相まって盆明け以降失速し、去年の監督をコーチに迎えた鷹や毎年恒例の猫はもちろんのこと、ぶっちぎりの最下位にあった牛にすらボコられる有様。結局去年すらも下回る正真正銘の「Bクラス」である4位に終わり、貯金も作れず、それどころか監督交代の口実たる「小技」すら全く改善しないという惨憺たる結末となり、出戻りという形で監督交代をせざるを得ない状況となってしまった。「口は災いの元」とは全くよく言ったものである。
9代・2021年[編集]
- 石井一久
- 「代打、俺」と言わんばかりにコーチも何もすっ飛ばして監督の座に就いたGM兼任監督。
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この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。 後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ) |
福盛の21球[編集]
今後、球史に残る名場面として楽天ファンの間で長く語り継がれるであろう出来事。
2009年10月21日のクライマックスシリーズ第1戦。楽天はリンデン、山崎のタイムリーなどで6対1と日ハムを圧倒するも、先発の永井を降板させた後は藤原、アニメ、半袖といった3粕たちによる3失点で雲行きが怪しくなる。だが直後、鉄平がダメ押しの2ランを放ち両チームの空気を一変。4点リードという優位とはいえ守護神(笑)の福盛を登板させる慎重采配で、最終回の守りに備えた。
1死を奪って試合への無難な順応を見せた福盛の投球に、ファンの誰もがイーグルスの勝利を確信していた。その矢先、田中・森本の連打を浴びて1死1・2塁のピンチを招く。続く3番の稲葉にも初球を叩かれタイムリーを浴びて3点差。更に4番の高橋には粘られた末に四球を与え、完全に空気を押し戻されてしまった。
「大丈夫、2点獲られても良いから、アウトを増やしていこう!!」ってテレビの前であろうとスタンドに居ようと、ファンならハラハラしつつも前向きな応援に徹していた。
ところが、5番のひだまりスレッジに逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれて、まさかの大逆転負けを喫したのである。
永井の好投、苦手投手の1人である武田勝を完璧に攻略した野手陣、勝利を願うファンの想い。
それら全てをわずか21球でぶち壊しにし、大一番で4点リードをひっくり返されるというにわかには信じられない出来事から、試合を見ていた多くのファンはトラウマを抱え、不眠症になる者も続出した。奇しくもこの時の福盛の球数はあの伝説の名場面となった『江夏の21球』と同じ21球であり、今後球史に残る伝説となるのはほぼ間違いない。
ちなみにこの時の福盛の防御率は135.00。
このショッキングな敗戦以降、ヤマ張り戦法が面白いように当たり絶好調だった楽天打線も魔法が解けたように打てなくなり、「だ~めだ~こりゃ~」となったベンチも岩くマー、田中マーのWマーの完投を推し進めさぜるを得なくなるが日本シリーズ進出を逃してしまった。第5戦、8回裏、ピンチの場面でベンチに福盛・岩隈・田中のみになった場面でもノムはエース岩隈を起用。福盛が首脳陣の信用を失ったことを象徴する出来事である。
一応彼を擁護するならば、1週間前まで高熱で病床にあり、CSは病み上がりだったという裏事情がある。もちろん首脳陣はそのことを把握していたが、病み上がりの彼をこの大舞台で出してしまった。試合に熱中し過ぎて忘れていたのか、それともクローザーの役割を重視したのかは定かではない。
その後、ファン感謝デーで福盛が登板。ハゲが空気を読みものまねをする暴挙に出た。()でファンの気持ちを解説してみよう。
投球内容[編集]
- 打者・金子誠
01球目 ストレート 140km/h ボール 0 1 0 8 - 4
02球目 ストレート 142km/h 見逃し 1 1 0 8 - 4
03球目 ストレート 145km/h フライ[ 後ろ向きにキャッチ ] 1 1 1 8 - 4 (勝ったな。)
- 打者・田中賢介
04球目 ストレート 142km/h 見逃し 1 0 1 8 - 4
05球目 フォーク - km/h ボール 1 1 1 8 - 4
06球目 フォーク 126km/h ボール 1 2 1 8 - 4
07球目 ストレート 135km/h ファール 2 2 1 8 - 4
08球目 ストレート 137km/h ボール 2 3 1 8 - 4
09球目 ストレート 141km/h ヒットフライ 2 3 1 8 - 4
- 打者・森本稀哲
10球目 カーブ 113km/h ヒットゴロ 0 0 1 8 - 4(まああとアウト2つだしなんとかするだろ。)
- 打者・稲葉篤紀
11球目 ストレート 146km/h ヒットフライ 0 0 1 8 - 5(あれ・・・?)
- 打者・高橋信二
12球目 カーブ 117km/h ボール 0 1 1 8 - 5
13球目 ストレート 142km/h ファール 1 1 1 8 - 5
14球目 フォーク 135km/h 空振り[ ハーフスイング ] 2 1 1 8 - 5(よし2アウトとれる。)
15球目 フォーク 136km/h ボール 2 2 1 8 - 5
16球目 フォーク 137km/h ファール 2 2 1 8 - 5
17球目 ストレート 147km/h ファール 2 2 1 8 - 5
18球目 ストレート 141km/h ボール 2 3 1 8 - 5
19球目 フォーク 138km/h 四球 2 4 1 8 - 5 (まぁ、福盛のことだから一点差で勝てるだろう。)
- 打者・スレッジ
20球目 チェンジアップ 122km/h 空振り 1 0 1 8 - 5 (次はうちごろだー!)
21球目 ストレート 138km/h 本塁打[ 逆転サヨナラ満塁ホームラン ] 1 0 1 8 - 9× (………orz)
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 宮城球場、「DHC健康美肌スタジアム宮城」に - 2013年11月のニュース
外部リンク[編集]
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大変です!この東北楽天ゴールデンイーグルスも彼が「わしが育てた」と言い始めました!誰かその前にこの記事を育ててあげてください! (Portal:スタブ) |