格闘ゲーム

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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格ゲー修道院の入り口。厳しい修行に敗れ、倒れていった初心者たちの墓標が立ち並ぶ。
「格闘ゲームの未来はもう、死んでいる」
格闘ゲーム について、ケンシロウ

格闘ゲーム(かくとう-)とは、お手軽ポチポチソーシャルゲームが覇権を握る現代においてなお、「勝利」という唯一無二の栄誉を求めてひたすらに地道な反復練習、コンボ練習、キャラ対策と技相性の把握、技性能と判定・発生フレームの理解、入力精度の向上、確反の差し込み練習、リバサ行動、対空狩り、めくり、詐欺重ね、無敵技の差し込み、超必殺技のゲージ管理、ヒット確認とカウンター確認、受け身の挙動理解、コンボ補正の把握、ファジーでの暴れとガード、技の仕込みと投げ仕込み、グラップにグラ潰し・グラ釣り、当て身、ゲーム毎の固有システムやよくある謎の入力挙動のマスターなどをある程度完璧にこなし、更にそれを理解した上で実戦にてひたすら負けに負けを長く重ね続けて初めてスタートラインに立てるという、昨今の金と時間と運でどんなヘタクソでも勝利を掴めるような甘ったれた対戦ゲーム群に一石を投じるべく、「対戦」とは如何なるものであるかを今なお体現し続ける古き良き修行僧養成ゲームジャンルである。

残念なことにテレビゲームというものに対して修行僧となれる人間が多くないためか、多人数FPSというジャンルが隆盛を誇っているのとは裏腹に、格ゲー界隈は限界集落のような様相を呈している現状にある。

概要[編集]

入門した初心者がまず参拝すべきとされる初心者向け僧院。格ゲー僧侶を志すなら、この程度は朝飯前に登山できて当然であるとされる。

「対人戦」と呼ばれるジャンルは、人と人とが純粋な自身の腕前でもって勝敗を競い合う競技である。相手は倒されるために用意されたNPCではなく、自分を倒すために努力を重ねてきた人間であり、故にこそ彼らを相手にして勝利という栄光を掴むためには日々の研鑽が必要不可欠である。学校部活動の一つも経験してきた者であれば当然理解している周知の事実であり、それこそ毎日何時間も練習している強豪スポーツ高のチームに、放課後1時間テキトー練習の平凡公立高のチームが勝つなどということは基本ありえず、またあるべきではない。それは余りにも無謀であり、また同時に非常に失礼が過ぎる行為であると言える。

しかし、近年で大ヒットを記録しているような対人ゲームは、FPSガンダムVS等といった味方マッチング要素を含む複数人のチームゲームや、1v1でも先攻後攻ジャンケンにカードの引き運が絡むTCD、あるいは最早どこに誰がいて何があるのかすらランダムなバトルロイヤル等、とかく運要素が絡むものばかりとなっている。元来、対戦において運要素とは上級者が格下に負け得る要素であり、初心者が経験者をジャイアントキリングできる要素であり、ゆえに研鑽を重ねて高い腕前を持つ努力家ほどそれを避けようとする。

即ち、近年の流行りである基本システムに運要素が強く入った対人ゲーム群は、練習なんかしないで勝ちたいという甘えた初心者でも必死に努力してきた上級者をワンチャン殺して気持ちよくなれるように作られたものと言って過言ではない。

「いやそこまで真面目に一つのゲームだけやる訳じゃないし…」
初心者
「ゲームなんだから手軽に勝利を味わって気持ちよくなれれば棚ぼたでいいわ」
初心者
「遊ぶためにゲームしてんのであって辛い練習をしたいとは言ってない」
初心者
「ゲームにそういうの求めてないから…」
初心者
「ゲームで必死こいて何百時間も練習とかアホなの?」
初心者
「他にすることねえのかよ…」
初心者

何と嘆かわしい風潮であることか。対人戦とは、味方にキャリーされて一時の勝利に酔いしれるためのものでは無かった筈である。勝利とは己の実力で確実にもぎ取るものであり、そのためには常日頃から鍛錬に鍛錬に鍛錬を重ね、ただひたすらに牙を研ぎ続けた先に初めて掴み得る、孤高にして至上の栄誉でなければならない。昨今の複数人対戦ゲームのような、初心者を上級者に介護させ、目先の勝利で釣り上げて「俺は強い」負けたら「味方がゴミだった俺は悪くない」などと勘違いさせてゲームに残らせるという悪辣なやり口は、神聖なる人と人との戦いというものを馬鹿にした商売であると言わざるを得まい。そのような中で、格闘ゲームはそういった要素をできる限り排除し、経験と実力がものをいうシステムを突き詰めた初心者が経験者にまず勝てないという今時珍しいスタイルを今なお堅持する貴重な対人ゲームジャンルと呼ぶことができる。

プレイヤー[編集]

阿闍梨ウメハラeスポーツなどという言葉すら無い時代から人生を格ゲーに捧げ、僧侶として長い研鑽を積み上げてきた狂人現人神の一柱。

格ゲーマーとは、そういった味方に頼る軟弱な戦いを拒否し、自身の経験と実力によって正々堂々たる1v1の勝負にて勝利を収めることを目標とする修行僧である。「勝利」という最高の栄誉を掴むため、修行僧達は常日頃から一日最低数時間以上はトレーニングモードでの練習を欠かさない。

やることは無限にある。初心者(以下、無位とする)であればどのボタンでどの技が出るか、どんなコマンドでどんな技が出るかを把握するだけで全く違うし、あるいは初級者(以下、法師とする)であれば簡単なコンボの一つもできるようになれば、小技が刺さった時にある程度のダメージが担保されるため勝利がグッと近付くだろう。無位の僧にはコンボというものを無駄に複雑化された産物と嫌う者もいるが、ある程度の腕前を持つ中級者(以下、律師とする)以上の戦いにおいて、律師が格上の上級者(以下、僧都とする)以上の僧侶に「勝ちやすい」のは圧倒的にコンボゲーである[1]

コンボを修めた律師や僧都であれば、ヒット確認カウンター確認という作業が待っている。何時間もトレモに籠り、ひたすら技が当たったのを見てから次の技を数瞬の間に入力する練習だ。あるいはCPUに複数の選択肢をランダム行動させて、その全てに見てから対応できるようになるまで永遠にトレモ籠りを続ける修行もとても効果が高い。無位の僧がその様子を見てゲームを続けようと思えるかは知らないが。

それぞれの作品(以下、経典とする)ごとに大体は特殊なシステムがあるので、それ如何ではある経典で通用した技術が全く役に立たないということも多く、一つの経典を極めたとしても別の経典に移れば当然また修行はやり直しである。そういった幾つもの経典で皆伝を果たした高位の僧侶のみが、上位ランカー(以下、僧正)の位ひいては一握りのゲームプロ(以下、大僧正)となる栄誉を与えられるのである。

過疎問題[編集]

「新規を定着させねえとジャンルが衰退通り越して消滅するって言ってんだろ!お前らマジで初心者に優しくしろや!!」
格ゲープレイヤー について、メーカー

前述した通り、修行僧として門をくぐる無位の僧侶それ自体は現在でも存在はするものの、その中から法師の位階まで上がれる者はほとんどいないというのが僧院の現状となっている。

ここまで廃れてしまった原因な何故かみたいな話題が持ち上がると、すぐに複雑化したシステムであるとか、長いコンボが面倒であるとか、画面端のハメが意味不明であるとか何か解りやすい原因が挙げられるものだが、結局のところ僧院の歴史が長くなったことによって、残っている者たちが法師か修行位程度に分類される下位の僧侶ですらそれなりに格ゲーに人生捧げてきたような奴らが少なくないという現実があり、真に無位の僧侶が一つ上にあたる法師位の僧侶に勝つことすらほぼほぼ不可能が如き状況になってしまっている。何? 身近にいないからわからん? まあ要するに、他のゲームの雑魚プレイヤーがスライムとかキャタピーとかジムだとすれば、無位僧はキラーマシンとかギャラドスとかVガンダムみたいなもんだと思えばよい。そのくらい、この宗派は強さがインフレしきっているのである。

また勝利に飢える余り、手出し御法度とされる無位の僧侶を狙った初心者狩り(以下、破戒僧とする)問題もあり、特に格闘ゲームは1v1のため助けてくれる味方もいないため、破戒僧に蹂躙された無位の僧が嫌になって僧院を去ることに繋がり問題視されているが、止める手段もほとんど存在しないためどうにもなっていないのが現実である。

将来[編集]

今の格ゲー僧院は、新たに入門してきた無位の僧侶を定着させられる土壌が存在していない。今やもう黎明期からのあらゆる格ゲーを乗り越えてきた修羅だらけの世界に身一つで挑んでいかなければならず、加えてその修羅どもは容赦なく無位の僧をボコって絶頂しようとする。近年では無位の僧侶を何とか定着させるべくストーリーモードに力を入れたり、コマンドを簡単にしたり、簡単に技が出るモードを実装したりして何とか間口を広げようという苦心は垣間見られるが、無位の僧侶向けに作られた筈の簡単入力モードは律師や僧都が対戦を荒らしまくる用途で使われたりするなど、僧侶のモラル低下は留まるところを知らない。

天下の任天堂は禁じ手とされた複数人対戦形式[2]とアイテムという超絶運ゲー要素を取りいれたカジュアル格ゲー、スマッシュブラザーズを発売し大ヒットを記録。純粋な腕前を競い合うストイックな競技ゲームというものが如何に人気のないものであるかを如実に証明してしまった。スマブラ界隈にもストイックな格ゲーとしてのルールを運用する者たちはいるが、それが終点厨呼ばわりされ忌み嫌われている辺りが格ゲーというジャンルの限界を感じさせる。

格闘ゲームというジャンルは、対戦ゲームという媒体において真に実力のみで結果が決まることを追求したらその界隈はどのような推移を遂げるのかという問いに対する明確な回答の一つとなった。他の対戦ゲームがヘタクソにもワンチャンあるように運要素入れるという方向に行くことになった原因の一つと考えられている[要出典]。尤も、近年では他の対人ゲームも上級者ばかりになって新規が入らない問題が認識されてきており、格ゲーはたまたま対人ゲームの黎明期より存在するジャンル故に顕著に見えるだけで、対戦ゲームというものは遅かれ早かれどれもそうなるものなのではないかという意見も近年では散見されつつある。

脚注[編集]

  1. ^ 読み合いに勝って技を丁寧に当て続けなければならない差し合いゲーでは、格下は格上にほとんどワンチャンない。
  2. ^ ギルティギアイスカ?知らんな。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「対戦型格闘ゲーム」の項目を執筆しています。