梅本さちお

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梅本さちお(本名:梅本 幸雄(読みは同じ)、男性、1943年2月6日 - 1993年9月6日)は、高知県土佐清水市出身の不幸な漫画家である。

そして、週刊少年ジャンプの打ち切り制度の基礎を作ってしまった人間でもある。

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経歴とその生涯[編集]

梅本さちおについてはウィキペディアですら資料が集められず記事を作成するのに苦労しているようである。幼少期の記録は戦中戦後の混乱期によって大幅に失われてしまったようである。

1968年、ちばてつやの元で修行をしていたところに集英社から声がかかり、7月11日に創刊される週刊少年ジャンプ(ただし初期は隔週発行であった)で連載を持つことになった…が、ここからが彼の地獄の始まりであった。

まず、創刊から連載していた『くじら大吾』が年末最後の号で打ち切りになる。10号の命だった。

そんなことではめげなかった梅本は翌1969年の1号において『爆発野郎』を新連載する。だが、これも14号しか持たなかった。

まだ情熱があった梅本は翌15号において『挑戦者ケーン』を新連載。が10号の命だった。

まだまだあきらめきれない梅本は翌25号『荒っくれ』を新連載。自身としてはジャンプ最長となる17号持ったが、彼の心はここでぽっきりと折れ、病床に臥す。

1993年に没するまでに梅本の名義で何本か描かれてはいるが、病床に臥している上に、昔は漫画家の名義貸し(アシスタントや無名の新人に名前を貸して新作を発表させること。有名な事例は赤塚不二夫ひみつのアッコちゃん』や横山光輝魔法使いサリー』であり、少年雑誌向けの漫画家がなぜか少女漫画雑誌に連載を持つ場合に名義貸しの例が多い。)という行為が頻繁に行われていたため本人が描いたとは疑わしい。

打ち切りの原因[編集]

今現在の視点ではあるが、相手が悪かったとしか言いようがない。彼が連載枠で競っていた相手は永井豪梶原一騎松本零士本宮ひろ志等がおり、 読み切り枠でも藤子不二雄赤塚不二夫という層々たる顔触れである。これでは致し方がない。

まあ、あまりにも画風が荒い、題名のネーミングセンスがあまりにもひどい、連載終了からたったの1週で次の漫画を新連載するという構想という土台をしっかりせずに製作しているためとも言われることもある。

集英社の反省[編集]

まだその当時は漫画雑誌のノウハウがなかった集英社は、(前評判はよかった)梅本が、連載終了の翌週に新連載を出すもそれもこけていくという負のスパイラルの再来を恐れ、打ち切り制度を確立した。 それが「つまらない漫画は10週で打ち切り、その後も読者投票によって打ち切りを判断。打ち切り後は3ヶ月以上の次回作の構想を練る期間が強制的に与えられる。」という制度である。

このおかげで王道作品ははびこることになったが、一部の読者にコアな作品は次々と死に絶えていくのであった。

作品リスト[編集]

とりあえず本人が書いたというのが確定しているものだけを列記する。

  • ボクにはボクの夢がある
  • 流星球団
  • くじら大吾
    • デブの大吾が学校で不良や鬼畜教師を懲らしめる勧善懲悪的な漫画。ストーリーとしては王道なのだが、主人公がデブとかありえないという評価がされることが多い。ジャンプで連載された中では唯一これだけが単行本化されている。
  • 爆発野郎
    • 最終回は主人公がその名のとおり爆死した。
  • 挑戦者ケーン
    • ケーンは挑戦者になる前に打ち切り。
  • 荒っくれ
    • 荒くれではなく荒っくれ。微妙な言いにくさだけしか話題にならなかった。

関連項目[編集]


キャプテン翼の例のアレ.jpg 梅本さちお は、漫画関連の書きかけ項目です 」

「 書きかけとかつまらないとかはどうでもいい、梅本さちお加筆するんだ! 」 (Portal:スタブ)