楽譜

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一般的な楽譜の例
同上
一般的ではない楽譜の例
あああああああああ!」で書かれたもの。

楽譜(がくふ、英:Music Scores)とは、おたまじゃくしが住んでいるのことである。一部の人はここから音楽を導き出せると主張しているが、この主張は電波系と考えられている。

概略[編集]

楽譜には大量のおたまじゃくしが住んでいる。これには一定の規則があると考えられており、実際、おたまじゃくしたちは原則として尻尾を垂直方向に立てている。このことから、全くの無秩序ではないことは明らかだが、一方で、全体を見れば規則には大量の例外があり、そこから秩序を見いだすよりはむしろ、典型的な「わずかな秩序を伴った無秩序」と考えるほうが正解に近いようである。また、描かれている絵から性的な意味を持つ文書である可能性もある。

だがしかしながらbut、楽譜には音楽が隠れている、とする主張が一部に根強いことも事実であり、これは無視できない勢力となっている。

主張[編集]

音楽が隠れているとする主張については、大多数の人はその音楽を発見できない点から、戯言の一種と言える。しかし、この主張の根強さも無視できない。一部の学者は、以下のような説を立てている。

  • 未知の言語説
    楽譜は未知の言語によって書かれたものだとする説である。しかし、楽譜にはイタリア語(希にドイツ語英語の場合もある)が、恐らく注釈として書かれており、未知の言語と考えるには無理がある。
  • 宗教的記号説
    おたまじゃくしは、宗教的な記号(イコン)の類であるとする説。しかしながら、楽譜を「読める」と主張する人が主張する宗教はさまざまで一定せず、この説にも無理がある。
  • サブリミナル効果
    特殊な手法で書かれた、通常では知覚不能な文書を隠すための絵であるとする説。現在の所、赤外線紫外線X線、あるいは顕微鏡による調査などのさまざまなテストに対しても「真の文書」は発見されていないことがこの説の弱点である。
  • 暗号
    特殊な暗号であるとする説。しかし、どのような暗号解析によっても、意味のある文書が導き出されたことはない。

上記のような主張は、楽譜が秩序だった意味のある文書であるとの主張に対する考察であるが、一方で、楽譜には秩序が無いと考える(これは至極もっともな意見である)説に立てば、以下のような

  • 絵画
    特別な技法によって描かれた絵画であるとする説。優れたセンスを持つ者は絵画を見れば音楽が湧いてくると言われるが、画壇には認められていない得意な技法による絵画から音楽を感じてしまう者がいても不思議ではない。
  • トランス説
    図形の並びが何らかの心理効果を生み、脳内に特殊なトランス状態を産むとする説。1960年代から70年代にかけて、さまざまなアーティストがある種の麻薬によって芸術のあらたな地平を切り開いたと言われたことがあったが、(その是非は別として)楽譜が安全な麻薬の一種である可能性も否定できない。ただし、この効果を受けることができる人が限られていることは事実である。この点については、遺伝的理由、幼少時からの訓練などの説が挙げられている。
  • 宇宙からの交信説
    楽譜は地球外生命体との交信を行うための特殊な図形であるとする説。楽譜を開くことで、それを見た地球外生命体が交信を開始し、見ている者の脳内に音楽を送り込むというものである。受信できる者は身体のどこかにインプラントを埋め込まれている可能性がある。
  • 妄想
    単純に妄想であるとする説である。最も無理がない。多くの人が同じ妄想を持っていることについては、ユングの提唱する集団的無意識との関係を指摘する者もいる。

被害者[編集]

初心者向けの易しい曲である。
シャープやフラットが出てくるので注意。

楽譜と音楽の関係について強く主張するという、ある種の妄想の被害者は、歴史上もけして少なくない。古来、「作曲家」たちは内なる音楽への衝動を何かにぶつけるためとして、大量の楽譜を書いた。

楽譜を系統立った形で書き始めたのはキリスト教徒であった。特に、所謂「古典派」の時代には音楽と宗教は深いつながりを持ち、楽譜の大半は教会で用いられるか、宗教音楽、あるいは宗教的な意味のある音楽を表現するものと考えられた。これらは一部の人たちにしか理解できない特殊な「学問」として、恐らく神学の一種として、大まじめに語られた。彼らは宗教によって守られており、この時代は楽譜に意味があることを主張する人たちにとって安定した時代であると言ってよい。

やがて音楽がバロック派からロマン派へと変遷して行くにつれ、音楽と宗教の関係が薄れるにつれ、音楽はさまざまな形態を見せるようになる。宗教という後ろ盾を失った音楽はある種の暴走を始めるようになる。その極みが、幼少のころから音楽漬けで育ち、膨大な量の楽譜を書きつづって35歳で夭折したモーツァルトや、古典派とロマン派の境に位置し、聴覚を失ってまでなお「内なる音楽」に向かい合い、それを楽譜に表現しようと試みたベートーヴェンなどがいる。彼らの「楽譜」へのこだわりは宗教めいており、今でも伝説として語り継がれることが多い。

やがて音楽は印象派などを通じて近代、現代音楽へと進み、楽譜がただのおたまじゃくしであることに気づく音楽家も増え始めた。現代の音楽家には楽譜が「読めない」(つまり、楽譜を見ても音楽を見いだすことができない)者もけして少なくない。

このように、楽譜と音楽の関係を主張する者は、現代よりも過去のほうがずっと強迫的であり、強く固執していたことが伺える。このことは、楽譜と宗教のつながりを肯定する証拠でもある。

関連項目[編集]