民主主義
〜 民主主義 について、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア
民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、(志を持った気違いではない)人民が自分で思考して行動する、(志を持った気違いではない人民の、志を持った気違いではない人民による、志を持った気違いではない人民の為に行われる、志を持った気違いではない)人民の集団の将来を自分達で決定する為に自分達が責任の当事者と成り権力を行使する、次善の策である。つまり、コイツやコイツみたいな輩が生涯支配してしまう危険が極めて高い君主制度(←コイツ等は勿論、此方が御望み)よりは数段マシ、という事である。なお自分達で選択した結果が不利益を自分達が受ける内容であったとしても全員が自己責任と完全に納得して、その結果を堂々と受ける。また天下および自分達への志を全員が持ち続ける事で民主主義は維持できる為、無関心な者が仮令1人でもいたら、民主主義は成立し得なくなる。
現在、或るイカレた養殖場では伝統的国教である「話し合い至上教」によって「多数決暴力により、主に多数が少数をいじめるときに使う言葉」と化している。その為、〈実例〉に視られるような事態が頻発している。
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[編集] 実例
その1
ある高校のクラスで、よく忘れ物をする女子生徒に対し、何か罰を与えようとクラス全員で協議した結果、「クラス全員の前で全裸になって謝罪する」という罰を全員一致で決定した。その結果は即時に執行され、ストリップショーが行われる悲劇となった。
〈解説〉
この事件は
①「罪」と対応する「罰」は事前に明文化されてなくてはならない(罪刑法定主義)
②罪に応じて科される罰は非人道的なものであってはならない(人権思想)
という大原則に違反している。「話し合い至上教」の根幹を成す「話し合い至上主義」とは、「話し合いの結果、全員又は多数派によって決定した内容は、それが如何に卑劣で非人道的な内容であっても許される」というものであり、日本人の意識の根幹を成している。
民主主義は人権思想と罪刑法定主義その他に立脚しているが、話し合い至上主義ではそれが存在しない事が決定的な違いである。なお日本人には伝統的に両者の区別が付かず、上記の事態も一昔前は違和感を持つものの説明できない大人が多かったが、現在では誰も違和感を持たなくなっている。「話し合い至上教」が集団において無責任かつ卑劣の極みである事は言うまでもない。
その2
「荷を軽くしてくんねーかな。このままじゃエネルギーがもたん」
「おい野郎ども今のを聞いたろうが。余分な荷物は捨てろってわけだが、さーてどうやってそいつを決めたらいい?」
「元気な者が残り弱い者は捨てる。それがサバイバルの原則だ!」
「今の意見に賛成の者は?」
「賛成だぁ!」「賛成!」「賛成!」
「反対の者はいるかぁ?」
「はんたぁーい……」
「賛成多数で決まりだぁ! おら、早くしろい!」
「飛び降りろぉ!」「おらぁ!」「何もたもたしてやがる!」
「ギャー!」「やめてくれえ——!」
「あんたまで捨てなきゃならんとはいやはや心が痛むねぇ」
「ま、待て……わしはまだ立派に動けるぞ!」
「だったら動いてみなよぉ!」
「ス……スタースクリーム……わぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
<解説>
もはや解説不要。実例1も酷いが、さらに進行したのが上記である。こうなると衆愚政治(デマゴーグ)を通り越して社会主義・共産主義或いは大衆によるファシズムであるのは言うまでもない。そしてその末路はヒトラーや大日本帝国で実証済みである事も、また言うまでもない。え、日本の現状は?…1950・60年代には思考停止でサル化、1970~90年代前半には思考放棄でブタ化、90年代以降は思考欠落でイワシ化、既に手遅れの家畜民だよ!
[編集] 応用例
- 「障害者への福祉予算を削減する」という意見に対して、障害者でない人のほうが多いため、多数決にすれば必ず削減する案が通ることになる。
- 表現の自由は、多数決で否決することによって公権力を行使できるため、事実上なくすことも可能になる。民衆が望めば、独裁者による政治も行うことができる。
これらをイラク・北朝鮮・イランなどで発言すれば、どんな卑劣で破廉恥な犯罪行為を行っても許される。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」が正国名であるからだ。
[編集] 他の観点
民主主義において、あらゆる決定は少なくとも有効票の過半数(理論上は有権者の過半数)の「賛成」を得なければならない。したがって「一部の人にしか理解できない」あらゆる文化、芸術、思想などは抹殺される。
[編集] よくある間違い
学校で教師が児童に目を閉じさせ「この中で給食費を盗った奴、手を挙げろ。」というのは民主主義ではない。
[編集] 民主主義を運用している国の実情
- 民主主義とは、ごく一部の利益にしかならず全体の利益にならないことを後から皆で規則を作ってそれを禁じるが、問題が発生したときは責任は皆で取るのではなくごく一部に押し付けることである。 - 臣民その一 -
- 民主主義とは、独裁主義における独裁者が、一人から多数になっただけのことである。 - 臣民その二 -
- 民主主義は、絶対君主から国民に国家の主権を取り戻すための理想のはずであった。しかし結末は国民の中の、頭数を買い揃えられる強者が国家を牛耳るだけとなった。 - 臣民その三 -
- 民主主義は、多数派であった弱者が少数派に転じてしまうために、徹底的に弱者を踏みにじる事に社会が収斂してしまうという人権蹂躙制度である。- 臣民その四-
- 民主主義は、大衆にとって耳障りのいい演説さえ出来れば、大抵の人間が政権をとることができる平等主義の原則に立っている。 -臣民その五-
- 人口が1人以下になれば、民主主義は完璧に運営される。-臣民その六-
- 民主主義とは、大衆という駄馬を走り続けさせるための、幻想の人参である。-臣民その七-
[編集] 関連項目
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