清原和博

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

「キヨハラグンダンって何ですか?(実話)……」
~ 清原和博 について、元木大介
「いや、あいつ腰痛で引退したんだけど。……」
~ 元木大介 について、清原和博
「桑田さんと岡島さんと自主トレ行ってくるんで……」
~ 清原和博 について、小田幸平
「ウチで一番サインプレー、チームプレーを理解していた……」
~ 清原 について、原辰徳
「あいつのせいじゃ!とにかくあいつのせいなんじゃ!……」
~ 清原 について、堀内恒夫
「清原さえ居なければ堀内さんはブッチギリで独走優勝なんじゃ!Ⅴ9時代の200勝投手じゃ!素行が悪いんじゃ!……」
~ 清原軍団 について、夕刊フジ編集委員江尻良文
「要するにわしが育てた……」
~ 清原軍団 について、番長日記

清原 和博は先年現役引退したスラッガー。引退したにもかかわらず未完の大器とか練習不足とか言われている。フライデーが張り付くうちに番長がニックネームになってしまったが、横浜の某リーゼントのほうが先である。

グラウンドへの礼を欠かさない、本来非常に礼儀正しい男であったが、巨人に入ってから怪我と強制出場のオンパレードでヘタレと化している。

ちなみにインターネットでは清原軍団とかアホなことを書く馬鹿アンチがウザがられているのが現状である。

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「清原和博」の項目を執筆しています。

[編集] 人物

高卒新人1年目からプロ野球の4番をはるという偉業を達成すると、その後も一塁手一筋でゴールデングラブ賞を5回受賞など守備走塁に才能を発揮。黄金期西武の選手らしくいろいろ遊んでたようだが、巨人に入るまではそれなりにマトモだったような気もしないでもない。いや、凄いバッターだったんだよなあ。かっとばせキヨハラくんなんて漫画にも出てたし。

球界をしょって立つ男と言われたが、憧れの巨人に入ったのが運のツキ。西武時代には主軸として頑張っていたが巨人に入ると肉離れしようが靭帯を切ろうが怪我でも休めなくなってしまい、スケープゴートの先輩格の原辰徳と同じ運命を辿ることになってしまった。


ボロボロの下半身をボブサップのような筋肉のヨロイで固めてみたが結局一時しのぎ。原も手首とアキレス腱を痛めてからは4年が限界だったっけ。あの時ナベツネのあほが休ませてやってれば。 結局巨人を石もて追われてしまうが、阪神ブームにケンカを売った仰木彬に拾われ九死に一生を得る。

オリックスじゃ逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったりもしたが殆ど活躍できずプロリハビリストと化。盛大に引退をセレモニーを行ってもらうが引退後は帰京、西武のユニフォームを着たりしている。 オリックスに感謝せんでもええ。死に場所を与えてくれた仰木さんにだけは恩返しせえよ。


現役時代の応援歌は名曲として有名。「光り輝く 日陽はまた昇る 燃える男だ チャンスに強い清原」の歌詞は名前の部分を変えチャンステーマとして引き継がれているが、最近ではキヨ本人の頭が光り輝いていたり893化したり歯が嫌にまっちろかったりといった外見の不気味さが話題となっている。どこに行くんだか。

[編集] 備考

内角球を避けられないことに定評がある。わざと当たりに行っていると誤解されがちだが、内角球を避けるような清原はただの清原である。というか、実際問題死球を避けられないだけである。若い頃、「死球の避け方なんてどうでもいいんじゃ。打ち方教えろ」みたいなやり取りがあった、多分。避けたいけど避けられない。好きだけど好きじゃない。一種のツンデレでもある。まあ落合とか内角にべったりと構えるような奴しか見本が居なかったのだからしょうがない。

ロッテガムズ四死球攻めにブチ切れ乱闘を自分から仕掛けていったところ所属の外人に返り討ちにされてしまった。このため外人には自分から喧嘩を売らない見掛け倒しという評が立ってしまった。どうにもヘタレである。

  • なお、副業ではお笑い芸人をやっている。高校時代は桑田真澄とのKKコンビという漫才コンビで当時の女子高生を中心にアイドル漫才コンビとして一世を風靡した。しかし、桑田真澄の巨人電撃入団により解散。当日まで何も聞かされていなかった清原は号泣。語り草となる。
  • オリックス時代は2億貰っていたらしい。どこかに寄付しないとそろそろ罰が当たるぞ。
  • 福岡ソフトバンクホークスの投手OKANEにパウエルという登録名を名づけた。

[1]

KKコンビ時代
PL学園高校在学中にもかかわらず、数々の賞を総なめ。ネタの完成度はリアルきっずとは比べ物にならないと一部では囁かれる。次世代のヤスキヨと関係者から絶賛を受ける。桑田のシュールなボケに清原が爽やかに突っ込むという今からでは予想もつかないスタイルが女子高生を中心に幅広い世代に大いに受けた。順風満帆かと思われたが、電撃解散。
初期ピン芸人キヨマー時代(80年中盤~90年代序盤)
電撃解散と某占い師に唆さたこともありキヨマーに改名。さわやかなスタイルはそのままにピンで活動開始。KKコンビのアイドル的人気はそのままに外人に対して積極的に絡むなど体を張った芸風も得てお笑い新人賞を独占。不動産トラブルに巻き込まれた元相方桑田真澄とは対象的に人気を不動のものにしていくと思われたが…。
低迷期(90年代中盤)
アイドル芸人路線でやってきた清原に分岐点が訪れる。グレートチキンパワーズふかわりょうといった若手ライバルの出現である。ネタの完成度は清原の方が高いという声が多かったものの徐々に人気を奪われ影が薄くなっていった。
キャラ変更苦悩期(90年代後半)
このような状況を打破すべく、元相方桑田真澄にコンビ再結成を持ちかける。一応、再結成という形にはなったもののかつての精彩はなくかつての勢いを取り戻すことは出来なかった。他にも織田裕二似の相方と組んだがすぐに解散。かつてのように外人と絡もうにも実はキヨマー時代がトラウマになっており、満足のいく結果が得られなかった。
そして筋肉芸人へ(2000年代前半)
そして清原は大きな決断を下す。当時、無風だった筋肉芸人への参入だ。当然、当時の肉体で筋肉ネタを披露できる状態ではなかった。そこで、和製ダイジョーブ博士ことケ○ン山崎氏により肉体改造手術を行うことを決意する。肉体改造は成功しかつての勢いを取り戻すかに見えた。しかし待っていたのは氏による非情な宣告だった「医学ノ発展ニハ犠牲ガツキモノデース」このことにより一見強靭そうに見えるもガラスの肉体となってしまった。このことが原因か毎年のように来る24時間テレビ100キロマラソンのオファーを太ももの故障という理由で毎年断っている。このころから子分を集め本業である893稼業に力を入れだす。
おまけだがこの手術失敗以後飛躍的に肉体改造の技術は進歩し、なかやまきんに君レイザーラモンHG小島よしおといった強靭な肉体を持つ筋肉芸人が現れるようになったのは実は清原のおかげなのだ。
突如復活
そんな不運に見舞われた清原だが、転機が訪れる。ローズという外国人とコンビを組むことになったのだ。キヨマー時代のトラウマが原因でイマイチはじけたノリが発揮できない清原であったが浪速仕込フレンドリーギャングローズに対しては違った。偶然出来たフレーズ「俺はチュッパチャップスや」「タフィもあきれとったわ」「○○ポコついとんのか」といったギャグが大うけ。長らく、年末のオールザッツMANZAIにおいて大取のリットン調査団の前をケンドー・コバヤシ野生爆弾土肥ポン太らと競うという状況から一転、久々に全国区の舞台に立てるようになったのだ。危機を救ったのはキヨマー時代のトラウマの残る外人だとは皮肉なことである。
現在
ローズとのコンビも結局は外人キヨマー時代のトラウマが消えず解散。ほとんど舞台から遠ざかっている。が、志村のように死亡説は流れていない


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ExSport.png この項目「清原和博」は、エキサイト不足のようだね。
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