準鷹 (空母)
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
| 艦歴(商船改造後の経歴を参照) | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 起工 | 1943年 7月19日 | ||||||
| 進水 | 1925年 11月17日 | ||||||
| 竣工 | 1942年 3月31日 | ||||||
| 除籍 | 1945年 11月10日 | ||||||
| 性能諸元 | |||||||
| 基準排水量 | 24,010t | ||||||
| 公試排水量 | 38,541t | ||||||
| 全長 | 247.32m | ||||||
| 飛行甲板全長 | 210,5m | ||||||
| 全幅 | 42.7m | ||||||
| 吃水線長 | 12.52m | ||||||
| 出力 | 127,400hp | ||||||
| 最大速力 | 38.5kt | ||||||
| 巡航速度 | 25kt | ||||||
| 航続距離 | 12,251浬 | ||||||
| 乗員 | 1,187名 | ||||||
| 搭載機数 | 48機 (常用43、補用5) | ||||||
| 兵装 |
| ||||||
準鷹(じゅんよう)は、旧日本海軍の航空母艦 空母準鷹級1番艦である。対空兵装として対空竹槍を装備した最初の軍艦としても知られる。
目次 |
[編集] 艦暦
1940年に開催される予定であった東京オリンピック用に東京~サンフランシスコ間に就航する予定だった日本郵船の貨客船 『新梓丸』(しんあずさまる)を開戦後、軍が徴用して1943年に大鷹級に準じた改装を施した空母である。そのため、後にあずさタンという愛称がつけられた。さらには、THE IDOLM@STERの三浦あずさにも影響を与えている。
新梓丸は、本政府が戦時に航空母艦に改造することを条件に60%の建造費が補助されている。
当艦は商船改造空母であるため速力は正規空母より遅かったが(緊急時には30kt以上出すことが出来たが、常時は25ktであった)、鋼板も薄く防御能力でも見劣りする箇所もあるが、改装時に各所にダメージコントロール対策や機関強化などの設計も盛り込まれていて性能向上に苦心の策が見て取れる。
マリアナ沖海戦にて日本の保有する正規空母4隻が沈没し、正規空母を4隻補充するために飛鷹級が竣工したが、準鷹級は飛鷹級の建造が優先された事や米陸軍航空隊の工廠への爆撃等で1943年までに竣工が遅れた。
設計自身は商船改造空母として登場した大鷹級の図面が流用され、改良部分も加えられるなど実質"改大鷹級"とも呼ばれる。
欧州への訪問を行ったり、新型機(機材)のテストに使われるなどされたが、大和級戦艦同様極秘事項とされた為や 資料が敗戦で処分された事、大和級に比べマイナーだった為あまりにも情報が少ない。だが、一部公開されている極秘事項では、日本初の蒸気カタパルト搭載の空母であった。
1945年の各作戦において対空竹槍が絶大なる効果を発揮したと伝えられているが、対空竹槍を取り扱える熟練兵が不足していたため、本艦以外では戦果を上げることはできず戦況を覆すことはできなかった。
戦後は復員事業や極秘裏の北方領土沖での海戦などがあったが、復員事業終了後はビキニ環礁の原爆実験にて 戦艦「長門」、軽巡酒匂同様標的とされ、第1実験にて爆心地より250mの場所に配置され実験後沈没したとするのが一般的と言われている。
なお、その際に漂流して来た当艦のバスタブが江田島の海上自衛隊第一術科学校に保管されている。
[編集] 艦暦
- 1943 『新梓丸』を元に竣工
- 船団護衛に従事
- 単独日伊連絡任務
- 1944 レイテ沖海戦
- 1945 アメリカ本土西海岸爆撃
- 硫黄島沖海戦
- 菊水作戦参加
- サイパン爆撃
- 本土防空戦
- 千島でソ連艦隊攻撃
- 1946 原爆実験にて沈没
[編集] 歴代艦長
ここでは歴代の艦長を述べる。ただし、在籍年は、資料がないため一切不明とされる。 特に特筆すべき点は、三代目艦長の時に対空竹槍を大幅に増設すべきと、海軍工廠に要望を出したことで知られ、軍事マニアの間では神とされ、さらに一般人の中にも知らないものはないとされている。
- 初代艦長谷口タカオ
- 二代艦長所ジョージ
- 三代艦長小泉鈍一郎(装に失敗し島流し)
- 四代艦長田中角栄
- 五代艦長双葉山
- 六代艦長林家木久蔵(最新兵器を搭載させてもすぐ鬼畜米英に真似される)
- 七代艦長涼宮ハルヒ(七代目は艦を私物のようにしたが、この艦が挙げた戦果の半分以上はこの艦長の時である)
[編集] 関連項目
- コスタリカ共和国 - 補給及び親善で寄港している。それ以上の関係は資料消失のため不明

