滝川一益

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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滝川一益』(たきがわかずます)は、1547年から「戦国時代」(岩波文庫)に記録されている戦国武将のデス・マーチ。延々と、いくさが続くが、民草の評判は高い。

目次

[編集] 滝川一益出生の秘密

1547年、プログラマの滝川一益、出生。生まれながらにしてプログラマとして生まれ、神童と呼ばれた。生まれて三日でキーボードを叩き、「美しが丘」という、シンプルプログラムを「日本書式」で完成させた。美しが丘は、山岳戦に於いて、窓ガラスを叩き割る戦闘員の管理をするプログラム。後に、親が特許を取っちゃった。

[編集] 幼年時代

人生修行の為、織田信長フェラチオに従事する。しかし、風貌があまりにもいかつい為、3ヶ月で解雇。織田信長に復讐する為、「五月雨を集めて囃子 朱鷺は今」という俳句を明智光秀に教え、鉄砲の修行をする。この修行時代、鉄砲に対して組み込みプログラミングを施し、「連射」「雨撃」の特技を取得する。

[編集] 少年時代

漫画に目覚め、漫画を描く為に、ノートパソコン室町モデルを購入。豊臣秀吉の風刺FLASHを創り、一世を風靡した。しかし、千利休にちくられて、嘗て黒田如水が監禁された城で、パチンコの組み込みプログラミングの開発を、残業代無しでやらされた。しかし、この頃から、デス・マーチの運命に翻弄される。

[編集] 青年時代

馬場観音寺朝日方渋城、桃梨部屋親方、どすこい太郎の親戚、蛙頭新三郎の子供(3歳)が経営する、システム会社「卍システムブロイラー株式会社」に入社。既に3つの特許を持っていた滝川は、xpプログラミングを駆使し、ソフトの再利用を主に、デザインパターンを使い捲り、新人にオープンソースで叩きを作らせ、自ら営業とCSも行うという八面六臂の活躍を見せた。給料は、茶器。若しくは、茶匙(ちゃさじ)。それをせどりにかけて、更に儲けた。まさに至福の時代であった。

[編集] 老年時代

ついに卍システムでシステム部長になった滝川は、大型案件を請ける。これが生涯、最後の大仕事になる予定であった。しかし運命の歯車は狂う。部下の佐々成政(名営業)が、パワポキラーのグーグル・ウェブアプリケーションとの同盟を締結してしまった。そのせいで、ウェブ・アプリケーションにいきなり仕様が変わり、何もかも仕様がめちゃくちゃになってしまった。デザイン面での変更は無いが、開発部隊はみな、カップ麺のスープを全部すすり、塩おにぎりを食い、塩を舐めながら日本酒を飲み、その上で開発にのぞむやうになった。結局、滝川在陣のうちは、システムは完成しなかった。

[編集] そして来世へ・・・。太陽の国へ

滝川は、135歳で往生した。死後、部下の織田有楽斎に憑依し、システムを元の仕様で完成させ、グーグルと卍システムとの同盟を破棄。納品に霊界より出張して立会い、有楽斎に引継ぎドキュメントを手渡し、成仏した。人生最後の仕事がデス・マーチになってしまった事を悔やみ、永遠に萌え続けると言われる、太陽の国へとイカロスと共に旅立った、と言われている。