澤井啓夫

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

澤井 啓夫(さわい よしお、1977年3月14日 - )は、愛知県豊橋市出身のイケメン漫画家。顔だけでなく、性格も有り得ないくらいのイケメンとして知られている。なのに描いている漫画はキチガイそのものだという、謎の人物である。著名な研究に『ボボボーボ・ボーボボ』がある。

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目次

[編集] 人物

大学教授で日本文学家の父を持つ、いわゆる「いいとこのボンボン」である。しかしひねくれたところなく、清く正しく美しく育っていった。

自分の事を棚に上げ新人漫画家・澤井に講釈を垂れる犬人間(絵:澤井)。
自分の事を棚に上げ新人漫画家・澤井に講釈を垂れる犬人間(絵:澤井)。

デザイン系の大学を卒業後に漫画家を志し投稿を始めたところ2000年に、ウンコを主役に据えたギャグ漫画でデビューすることとなる。イケメンなのに。同じ頃犬人間から教えを授けられた時期もあったが、悪癖が似なかったのは不幸中の幸いである。

その後2001年から、6年間にも及ぶ壮大な『ボボボーボ・ボーボボ計画』に巻き込まれてゆくこととなる。イケメンなのに。長期間にわたり彼は狂気の沙汰としか思えない作品を発表し続けたが、イケメン精神は一切壊れることがなかったらしい。末恐ろしい。

2008年現在は、更なるキチガイを求めて修行の真っ最中である。イケメンなのに。

[編集] 略歴

自己申告の年表。05年と07年を的中させた。
自己申告の年表。05年と07年を的中させた。
  • 2000年 - 前述の通りウンコが主役の漫画でデビュー。
  • 2001年 - 週刊少年ジャンプの『ボボボーボ・ボーボボ計画』に巻き込まれる。
  • 2003年 - ボーボボ計画がテレビ電波に乗ってお茶の間へ届く事態へ発展する。この頃より、PTAの弾圧を受けるように。
  • 2004年 - ギャグ(ユーモア)が思い浮かばないのでヒヨコになった。ちなみに日本語版アンサイクロペディアの君主もヒヨコであらせられる。
  • 2005年 - それまで育てていた舎弟の田楽マンが成人し、一人前の目玉になる。年表05年的中。
  • 2006年 - 自身のゲシュタルト崩壊の危機を顧みず、より危険な実験『真説ボボボーボ・ボーボボ計画』に着手する。
  • 2007年 - 「わが人生に一片の悔いなし」として『真説ボボボーボ・ボーボボ計画』を終了させる。年表07年的中。
  • 2008年 - 自身の新たな方向性を模索する為の実験作『黒梟』を発表。少年誌でありながらジジィが主役のギャグ漫画という異例なジャンルは、小畑健の『サイボーグじいちゃんG』以来である。

[編集] イケメン伝説

以下の伝説は、アンサイクロペディアのアイデンティティである嘘八百ではなく、紛れもない事実である。「澤井伝説」として今でも様々な人間に語り継がれている。

他の漫画家(特にオサレ師匠真性のキチガイである澤井の舎弟)にも見習って欲しいものだ。

  • 尊敬する人物としてしまぶーを挙げていて、彼がぴー逮捕された際も、復帰に最大限協力した。
  • とにかく腰が低いので、先輩後輩関係無く漫画家の友達が多い。お陰でボーボボ計画のときに大御所漫画家の作品のパロディや、他の漫画のキャラをレンタルしてきても全く怒られなかったらしい。
  • PTAの弾圧を受けていた頃、進研ゼミにインタビューが掲載された。
  • 週刊連載の合間を縫って、ボーボボファンである難病を抱えた子供のお見舞いに行っている。
  • ボーボボ計画終了直後、6年間で溜まってしまったファンレター全部に対して返事を書いた。
  • とにかく腰が低いので、どんなに小さな仕事でも喜んで引き受ける。お陰で「スカウトキャラバン」のマスコット制作を3回も担当した。

[編集] ボ組

澤井を頂点とする謎の組織。結束力は有ったり無かったり。その実態は余り明らかにされていないが、何故かちょっとイタい人物ばかり集まるのが悩みの種である。澤井本人は至ってイケメンなのに。

[編集] 関連項目


フゥ~この「澤井啓夫」わぁ~、我が帝国に関する記事だぁ~。おまえ達にこの記事をより愉快に出来るかな。加筆しろーいいから加筆しろー!俺の料理は至高にして究極だー! (Portal:スタブ)